011_バルチ -2-
よろしくお願いします。
獣人の赤子は【バルチ】と名づけられた。
包まれていた産着に獣人族の文字で【バルチ】と刺繍されていたからだ。
バルチの性別は女の子で、人間の赤ちゃんと比べてずいぶん小柄であった。性格はとてもおとなしく、ようやく開いた目の色は濃い青色で、常に八十雄を視線で追っていた。
バルチは八十雄の姿が見えなくなると、その体に似合わない大声で「に~、に~」と泣き続けるのだ。
そのため八十雄はどこに行くにもバルチを連れて行くことになった。採取の依頼や建築物の打合せ、各種会合にさえ、もれなく連れて行った。私生活でも自らお風呂も入れたし、食事の世話もした。おしめも替えたし、夜も一緒に寝た。
生活のすべてがバルチを中心に置かれそれに不満を言う者もいたが、それらのすべてを黙殺した。
この頃の八十雄はとにかく怒っていたのだ。転移前にアルヴェから種族間の仲が悪いとは聞いていたが、ここまで酷いとは思わなかった。自分の力で歩くことも出来ない無力な幼子に対し、世間はどこまでも冷たかった。もし、この無力な命を見つけたのが八十雄以外の誰かであったら、とうに死んでいただろう。
だから八十雄はバルチを全力で愛するのだ。世界中から冷たくされても、それ以上の愛情でバルチを包んでやるのだ。
優しく抱きしめ寝床に入る八十雄を、深く澄んだ瞳でバルチは見つめていた。
ラントスの市民は、使徒様が獣人の赤子を連れて帰ったことを驚きと共に迎えた。獣人は凶暴で危険な存在と認識されていた。言葉や文化も独自のもので、意思の疎通が取れないことも助長する要因だった。
近しい人や、仕事で付き合いがある者は八十雄のためを思ってそっと忠告を言ってはみたが、意固地になっているのか、一切耳を貸さなかった。
いずれ飽きるだろうと思っていた周囲の思惑は外れ、八十雄は獣人の子を可愛がり続けた。バルチと名づけられたその子は、常に八十雄に抱かれた状態で何処だろうと一緒だった。
拾われてから3ヶ月が過ぎる頃にはハイハイを覚え、6ヶ月目には伝え歩きを始めた。体は小さくその愛くるしい姿に、長屋に住む住人の中にはバルチを可愛がる者も出始めていた。わずかだが、獣人族に対する偏見に変化が起き始めていたのだ。
「バルチ~、バルチ~」
八十雄の声が家の中に響く。最近のバルチは伝え歩きを覚えてから家の中を歩き回り、ちょっと目を離した隙に思いもよらない場所に紛れ込んだりした。
だが、自分の名前が【バルチ】であると理解しており、八十雄が名前を呼べば返事をするまで成長していた。
「じーじ、じーじー」
長期保存が利く野菜が置いてある貯蔵庫代わりの部屋からバルチの声が聞こえてきた。バルチはいつの間にか八十雄のことを【じーじ】と呼ぶようになっていた。近所の子供が八十雄のことをそう呼んでいたのを聞いて自然と覚えたのだろう。
わずかに開いたドアの隙間から、ひょっこり姿を現したバルチを八十雄は抱き上げた。いつものように抱き上げられたバルチは、八十雄の首筋に顔をうずめる。小柄な体だが、毛並みは艶やかでよく手入れされていた。
「バルチ、今日のご飯はどうしよっか?」
「【ちゅるちゅる】がいー」
「そうか、そうか。じゃあご飯は【ちゅるちゅる】にしような~」
ここでバルチが言う【ちゅるちゅる】とは、うどんのことだ。
人間の赤ちゃんに比べ歯が生え揃うのが早かったバルチに用意した離乳食のなかで、彼女が一番気に入ったのがうどんだった。放っておけば毎日でもうどんを食べたがるので、八十雄は栄養のバランスを考えて、うどんでも良いかなと考えた時のみ、バルチに食べたいメニューを聞くことにしている。すると、必ずバルチは【ちゅるちゅる】と答えるのだ。
うどんは、主食がパンであったこの世界の食事に飽きてしまった八十雄が、過去の記憶を頼りに作り始めたものだ。しょう油がない代わりに、内陸地のため煮干や干物の類は直ぐに見つかった。それらから出汁を取り、関西風に近いうどんを作り好んで食べていたのだ。
そのうどんの一番のファンがバルチだった。唇で噛み切れるくらいに柔らかく煮込んだうどんを器用に箸ですくい美味しそうに食べる。その時の様子から、バルチはうどんのことを【ちゅるちゅる】と呼んでいた。
食事を食べるのは居間に置かれたコタツと決まっていた。アルヴェがコタツと一緒に顕現したのは世間に知れ渡っており、それを八十雄が再現し、木工ギルドで販売を開始した。
熱源部分には熱を発し続ける特性のある炎熱石を入れていた。コタツは神界の家具と呼ばれ爆発的な人気となったが、炎熱石がそれほど安価な鉱石でなかったことと、支配者階級や富豪が資金力や権力にものを言わせ強引に買い求めたため、嫌気がさした八十雄はコタツ製造から手を引いてしまった。
木工ギルドに所属する者は誰もコタツには手を出さなかった。作り方は簡単明瞭で誰でも作ることはできたであろうが、神様が使われていた家具を作ることに遠慮したのだ。
次に八十雄が取り掛かったのは、掘りコタツの製造だった。
これであれば持ち運びもできず据え置きになる代わり、熱源は安価な炭で十分だった。最初に作成した長屋風住宅に掘りコタツを設置したところ、予想外の好評だったため、希望する者には大工ギルドや木工ギルドの新人を連れていき、新たな仕事先として開拓していったのだ。
札びらに物を言わすような、気に食わない相手にはどれだけ報酬を約束されても、何かしらの理由をつけて依頼を断り続け、貧しい家庭には、ほぼ材料費だけの価格で進んで工事を請け負った。
今では、八十雄の志とお墨付きを受け継いだ若き職人がコタツ製作を請け負っており、八十雄も肩の荷が下りたところだ。
その八十雄家のコタツに今日はお客さんが入っていた。何を隠そうこの世界の最高神、女神アルヴェその人である。
彼女は本来、世界に対して干渉することは出来ないのだが、八十雄の家の中であれば、ペナルティも気にせず気軽に顕現できるらしい。また彼女はバルチに勝るとも劣らないうどんの大ファンで、食事がうどんの場合、ほぼ毎回、八十雄家でご相伴にあずかっていた。
アルヴェはバルチを可愛がり、バルチもアルヴェに懐いていた。バルチが無条件に心を許すのは、八十雄とアルヴェの2人だけであり、今もアルヴェの太ももの上に座っている。そこはうどんを食べる時のバルチの指定席で、お茶碗に顔を突っ込みながら美味しそうにうどんを食べるのだ。
今日のうどんの具は、ほろほろになるまで煮込んだ甘辛い鶏肉。人気の高い具材の1つであった。
またバルチは小さい体のわりにとにかく食べる。メニュー次第では八十雄よりもたくさん食べるほどだ。そしてバルチの大好物であるうどんの時は、2人が心配になるくらいモリモリ食べるのだ。
「バルチ、お代わりするかい?」
「んー」
八十雄が声をかけると、空になったお茶碗を押し出しながら大きく頷いた。
「バルちゃん、ちーんして」
「ん~~」
台所に立った八十雄の後ろで、アルヴェがバルチの口の周りを拭き、鼻をかませていた。八十雄がバルチにお代わりを渡すと、嬉しそうに顔を茶碗に突っ込んで食べ始める。
「可愛いですね」
優しい手つきでバルチを撫でながらアルヴェはポツリと呟いた。
「ああ、可愛いな。世界で一番、バルチは可愛い」
「本当に可愛いです。でも、どうしてこんな子まで世間は敵視するのでしょうか……」
「根深い感情のもつれと、獣人は危険って言う思い込みがあるんだろ。まあ、任せておけ。この子が安心して笑って暮らせる世界になるよう、頑張ってみるから」
「すみません。本当は私にもっと力があれば良いんですけど」
「俺なりに考えはあるんだ。期待して待っててくれ」
「はい。私に出来ることでしたら出来る限りの協力をしますのでよろしくお願いします」
うどんを食べ終わり、眠そうに頭が揺れだしたバルチが睡魔に負けてアルヴェの太ももの上で丸くなった。その様子を暖かく見守りながら、決意を固める八十雄であった。
読んで頂き、ありがとうございました。
2015 1/17 本文の一部の言い回しを修正。
2015 1/23 下記の通り修正を実施
おしめも変えたし、→ おしめも替えたし、
いつもの様に抱き上げ → いつものように抱き上げ
艶やかで良く手入れ → 艶やかでよく手入れ
掘りコタツを設置した所 → 掘りコタツを設置したところ
肩の荷が下りた所だ → 肩の荷が下りたところだ
バルチの口の周りを吹き → バルチの口の周りを拭き