117_戦勝の影で
バルチ様の今日の一言
こんにちはー、バルチだよ。
なんかねー、ドラゴンさんのお肉ってとっても美味しいんだって~。みんな、知ってた?
じーじはお料理がとっても上手だから、どんな料理を作ってくれるのかな~。
バルチ、とっても楽しみかも~。
八十雄はバルチと手をつなぎ、中央公園を横断する。
すでにドラゴン撃破の一報が出されたのであろう。
いたる所から盛大な歓声が聞こえてくる。
普段着姿で公園の中を歩く八十雄とバルチに嬉しそうに声をかけてくる大勢の市民に返事を返しながら、向かうは閑静な住宅街の中にある建物だった。
玄関を押し開き建物の中に入っていくと、そこにいたのは何枚もの綺麗に洗濯のされたタオルを抱えた妙齢の女性だった。
彼女は八十雄の姿を認めると静かに頭を下げ、八十雄と会釈を交わす。
それに慌てたバルチも、ペコリと音がしそうな勢いで頭を下げた。
そのまま無言で女性と別れた八十雄は廊下を進み、右手にあるドアノブをそっと開いた。
「あ……」
部屋の中に足を踏み入れた八十雄に続きヒョコッとついて来たバルチは、部屋の中を一目見るなり驚いて目を見張る。
何故ならそこには20台ほどのベッドが並び、その上には血の滲む包帯を体中に巻かれた怪我人がうめき声を上げながら寝ていたからだ。
この治療院の管理している重病人や大きな怪我人用のこの施設は、ドラゴンやそれ以前に襲ってきた敵対生物との戦いで怪我を負った人員が治療を受けている施設だった。
回復魔法の存在する世界だが、全ての怪我が何事も無かったように治るわけではない。
失われた腕や足は元には戻らないし、切断面だって綺麗に治るわけではない。
ドワーフたちが使った失われた部位まで回復する魔法の方が非常識なのだ。
ベッドの上の患者たちは扉を開けて入ってきた八十雄たちに気がついていない。
それだけ患部が痛み、耐えることに必死なのだろう。
その姿に圧倒され立ちすくむバルチの手を引きながら、わざと足音を響かせながら八十雄は室内に進んでいく。
「……ああ、これは市長とお嬢ちゃん」
八十雄に気がついた怪我人たちがベッドの上で体を起こそうとするが、八十雄はそれを手で止める。
中にいる怪我人はそれでも立ち上がろうとしたが、何度かうめき声を上げただけで起き上がることは出来ない者も多かった。
「みんな、そのまま楽にして聞いてくれ。
さっきな、最後のドラゴンが倒されたっていう連絡が入った。
みんなの尽力のおかげだ。本当にありがとう」
「そうですかい。それは良かった」
「俺たちの方こそ最後まで戦場に立てなくて面目ねぇ……」
ここでは市庁舎の大会議室のように大声や歓声を上げる者は1人もいない。
みなじっと勝利をかみ締め、何かに耐えるように体を震わしている。
「ちくしょう……。やってやったぜ……」
「ぐっ、うぅぅ……」
「うん……、うん……」
静かに涙を流す怪我人たちを見つめながら、八十雄はバルチの頭に手を置いた。
「良いかい、バルチ。
みんなが笑ってられる裏には、こういう人がいることを決して忘れてはいけないよ。
だから今見ていることは、絶対に忘れちゃいけないことなんだ」
「うん……。みんな、怪我がはやく治ると良いね」
「ああ、そうだな」
八十雄とバルチは部屋の中の光景を心に刻みつける。
2人が部屋を出たのは、それからしばらくたった後だった。
その後亡くなった者の中で家庭を持っている家を一軒一軒回り現状の報告を済ませた八十雄は、ラントス南部の大門へと足を向ける。
門を守る警備部隊とひと悶着あったが、冒険者として活躍していたバルチが側についていることと、八十雄自体も冒険者であることで無理やり納得してもらい、何とか外に出る許可を貰った。
八十雄と手をつなぐバルチはいつもの装備に身を固めているが、八十雄の方は普段着姿だ。
いくらドラゴンが倒された後だと言っても無用心極まりないが、八十雄は頓着せず草原の中を進んでいく。
草原は不思議なほど静まりかえり、微かに虫の鳴き声しか聞こえてこない。
あれほど溢れていた生物の気配が不思議なほど感じられなかった。
八十雄とバルチはそんな草原の中を真っ直ぐ歩く。
幾つかの丘を越えて歩く間、普段は和気藹々(わきあいあい)と話をしているはずの2人であるが、今日は一切話をせず黙り込んでいる。
それほど先ほどの光景が衝撃的で気になり、バルチは上手く話すことが出来なかったのだ。
門を出てから1時間程度進んだ先にあった緩やかな丘の上に、八十雄が目指していた集団が待っていた。
今日はこの地でキャンプを張るつもりだったのか、すでに火が炊かれているようで何本もの白い煙が青い空に昇っている。
「ようっ!」
「……なんだ、八十雄か」
見晴らしの良い場所だけに、丘を登る八十雄たちの姿は丘の上で車座に座っていたドワーフたちにあっさりと見つかった。
軽く手を上げ挨拶した八十雄だが、ドワーフたちは興味を失ったように自らの武器の手入れに戻っていく。
全員が戦士であり、優れた鍛冶師であるドワーフらしい姿ともいえる。
そんな車座の1つに八十雄は加わり腰を降ろすと、チラッと視線だけ飛ばすドワーフたちであったが、文句を言う者はいなかった。
「なあなあ、この後どうするんだ?」
「……飯を食ったら直ぐ帰る予定だ」
「おいおい、夜通し移動するつもりなのかっ!?」
「……わしらドワーフ族は夜目が効くからな」
話しかける八十雄に目も向けず、ぼろ布で肉厚の戦斧を黙々と磨き続ける。
刃先がかけていないか、軸棒が歪んでいないか。
真摯に取り組むその姿に、八十雄も言葉を挟まず作業が終わるまで待つことにした。
「……なんだ、まだ帰ってないのか。色々と忙しいだろうに、奇特な奴だな」
ようやく満足したのか、戦斧から視線を外して八十雄に向き直るドワーフ族の戦士。
その目には呆れるような光が浮かんでいる。
「ところでよ、倒したドラゴンはどうするんだ?
牙にしても鱗にしても、武具を作る素材としては上等な代物なんだろ?
ここに置いて行くのは勿体ないと思ううんだが。
どうして解体しないで放置してあるんだ?」
そう話す八十雄が見ているのは、丘の下に転がっているドラゴンたちの死体だった。
ここから見えるのは3体分だが、報告にあった数はもっと多い。
おそらくここから見えないところにも、何体かドラゴンが転がっているのだろう。
「……わしらは、八十雄が送ってくれた設計図の『くろすぼー』とかいう武器の試射に来ただけだ。
たまたま近くに良い的があったから撃っただけに過ぎん。
あんな大荷物は村まで持って帰ることはできん。
あとは人間族で好きにするが良い」
「わしらドワーフ族にとって素材の良し悪しなど関係ないわ」
「然り然り。技術不足を素材で補うなど、鍛冶師の名折れよ」
鍛え上げられた肉体と豊かなひげを蓄えたドワーフたちは互いにうんうんと頷きあっている。
頑固なドワーフ族のことだ。
一度口に出した以上、手に持てるだけの素材でも決して持ち帰ろうとはしないだろう。
「だったらよ、これから宴会するから飯だけでも食ってかないか?
人間が作っている酒もしこたま飲ませてやるし、ドワーフの村で作りきれなかった俺自慢の料理も死ぬほど食わせてやるぞ?」
「わぁ~、じーじ、それ本当?」
だがこの一言に最初に反応したのはバルチだった。
今まで八十雄の背後から抱きつくようにして大人しくしていたのに、八十雄の言葉で急に元気になったバルチは耳や尻尾をピンと立て身を乗り出すようにして興奮している。
バタバタと体を動かしてとても嬉しそうだ。
「ああ。だけど、ドワーフさんたちが来ないと、じーじも忙しいからなぁ。
今頃、みんなが準備している方に行かないといけないから、料理なんかしている暇は無いかもしれないなぁ」
「そっか~。それは残念だねぇ……」
だがそれが確定じゃないと知ると、耳と尻尾はヘナャリと垂れ下がる。
一気に大人しくなったバルチを膝に抱える八十雄の前で、ドワーフたちは揃って『ぐむむ』と唸り声を上げていた。
「……八十雄、子供をだしに使うとは汚いぞっ」
「そうは言ってもな、こればっかりは事実だから俺にもどうすることもできねぇ。
で、どうする? 俺たちは招待する方だから無理強いはできないが、100名からのお客さんを歓待するにはそれなりの準備がいるからな。
できれば早めに答えが欲しいんだけど」」
腕を組み、むぅむぅ唸っているドワーフたちが顔をつき合わせ相談を開始した。
遠目にこちらを警戒するように見ていた他のドワーフたちも、何人か話し合いに加わっている。
10分にも及ぶ小声の話し合いに決着がついたのか、仲間たちから『頭』と呼ばれていたドワーフが八十雄の前に進み出た。
「……わしらは人間族の街に入るつもりは無い。
お前たちの中にもドワーフに対して良い感情を抱いていない者がいるように、わしらの中にもいまだ人間族に対して深い恨みを抱いているものも多い。
そんな状態で心無い言葉を投げられたら、どうなるか保障なんぞできんぞ。
だから、わしらはこのまま山に帰った方が良いんだ。
それにここに来たのも新しい武器の試射をしに来ただけで人間族を助けに来たつもりも無い。
だから、お前さんたちに歓迎してもらうことなど何も無い。
ほれ、そこらに転がってるドラゴンは全部やるから、八十雄は八十雄の仲間と一緒に酒でも飲んで来い」
「……そうか。あんたたちの言いたいことは良く分かった」
ゆっくりと腰を上げた八十雄は尻についたホコリを払うと、来た時と同じくバルチの手を取った。
「それじゃ今から行こうか。
なぁに、のんびりできるスペースなら山ほどあるし、露天風呂もあるから宴会の前にひとっ風呂浴びるのも良いんじゃねぇか。
ほれ、惚けてないでさっさと行くぞ」
ひげの間からのぞく思ったよりつぶらな瞳をパチパチさせているドワーフたちに一方的に宣言する八十雄。
「……おいおい、わしらの話を聞いてなかったのか?」
「聞いていたとも。なぁ、バルチ」
「ん~?」
目をクリクリとさせているバルチの頭をギュッと抱き寄せ、困惑の表情を浮かべているドワーフたちに八十雄は『ニヤリ』と笑いかける。
「お前たちの言うとおり、街の外で異種族に偏見の無い人たちと一緒に、俺の仲間たちと酒を飲みに行くだけだよ。
さあさあ、分かったらさっさと支度しろよ。
飲んだことが無いようないろんな酒や飯を用意してやるから」
ほらほらと手で催促しながら辺りを見渡していた八十雄は、そこでドワーフにまとわりつかれている奇妙な人物を発見した。
「……ところで、お前はそこで何をしてるんだ?」
「いや、俺にも良くわからねぇ。
何でこんなことになってんだか、さっぱりだ……」
それは防具や服を剥ぎ取られ、ほぼ下着一枚の姿でドワーフたちに足や腕、胴回りなどを測定されているザップの姿だった。
市職員が用意したのは、ラントスでもかなり大きな酒場だった。
ここに招待されたのは今回の攻防戦で実際に戦った者の他にも、裏方として影ながら支えていたメンバーも招待されている。
食卓にはラントスで良く食べられるメニューの他に、取れたばかりのドラゴン肉を利用した料理もテーブルに載りきらないほど溢れていた。
誰もが腹いっぱい飲み、食い、騒いでいる。
だが上座に用意されていた1つの席はずっと空席で、その前に用意されている料理や酒は一口かじった跡があるだけで、ほとんど減っていなかった。
街の有力者がこのたびの戦いのお祝いに手土産を持って会場を訪れるも、この宴会の主催者が姿を現すことはなかった。
左腕に包帯を巻いたドメルは、最初に挨拶と乾杯だけ交わし慌しく姿を消した八十雄の席を見ながら、メインディッシュのドラゴンステーキにフォークを突き刺し、大きな口をあけてかぶりついた。
途端に溢れる肉汁がたまらない。
戦っている時はただただ憎いだけの相手だったが、今となってはめったに食べることができないご馳走に成り果て自然と笑みがこぼれる。
高価だが腐りやすい生肉だけに、ここで遠慮しても意味が無い。
そんな会場だが、ポツポツと空き席が目立っていた。
家族に会いたいからと、土産の料理を包んでもらい一足先に帰ったギグスと、店に戻りますと告げドラゴンの生肉を手土産に去って行ったマックス。
他にも家族を持つ者の席は空席が目立った。
命をかけた激闘を生き残り、愛する者と時を過ごしたいと思ったのだろうか。
そして八十雄とバルチの親子。
今頃、あの気難しそうなドワーフたちとどんな顔をして酒を飲んでいるのか。
これは是非、後で話を聞かせてもらいたいものだ。
そんなドメルもゴッヅ館のみんなの顔を一目見たいと思ったが、この場にまだいる馬鹿息子たちの面倒を見るため、このまま帰る訳には行かなかった。
何度目かの乾杯の掛け声が上がる室内を見ながら椅子に深く腰を降ろし、アルコール度数のきつい酒を一気に飲み干す。
不思議なことにあれほど痛みを訴えかけてきた腰からは、まったく痛みが響いてこない。
久々に訪れた穏やかな日々に、ドメルは美味い料理と酒を心ゆくまで楽しむことに決めた。
問題は山積みだが、今日一日くらい休んだところで罰は当たらないと、誰よりも優しい女神様ならきっと言ってくれるはずだから。
こんにちは、MuiMuiです。
個人的ですが、勝者ばかりにスポットの当たる物語は余り好きではありません。
その影で命を落としたり、努力している人たちがいることを忘れてはいけないと思っています。
今回のテーマは、戦いの中で倒れていった人たちがいたことです。
彼らもみんな必死に生きているんだよ、と。