母の温もり
私の初めてのファンタジー小説です。
スロー展開がお好きな方に。
1 母の温もり
「母さん!魔法見せて!」
幼いアリシアは自分の背丈ほどの本の束を机の上に運び終えると、シンシアの元に駆け寄った。
庭で洗濯物を干していたシンシアは暖かい日差しに目を細める。柔らかい春風が衣服をたなびかせた。
「アリシア。もう本は読み終わったの?」
「うん。」
「そう。いい子ね。」
シンシアはアリシアの自分と同じパーマがかった細い黒髪を撫ぜた。
「それでね、書物に書いてあったことでどうしても分からないところがあって。母さんの魔法を生で見て理解したいの。」
アリシアは積んだ本から一冊抜き出し、慣れた手つきでページをめくる。何度も読み返したらしく紙の端が折れていた。
「ここの〈守護術〉と記されている部分が――」
シンシアは熱心に読解しようとするアリシアの姿を見て思わず微笑んだ。
この年頃の子供たちは外で遊ぶものだが、学校に行かせていないアリシアは共に遊ぶ友達がいなかった。
しかし本人はそのことを気にする様子はなく、家に籠って読書にふけいっている方が性に合うらしかった。
(もしアリシアが私の血を引き継いでいなかったなら・・・・・。)
シンシアは悲しそうに瞳を閉じると何かを振り切るように頷いた。
「・・・・・分かったわ。特別に見せてあげる。こちらにおいでなさい。」
そう言うとアリシアは嬉しそうに庭に飛び出た。
二人が住んでいるこの地域―アザレアには魔法を使える人がほとんどいない。だからシンシアは目立たないようにあまり魔法を出さなかった。
しかし、アリシアがしつこく懇願すると時折、誰もいない庭で見せてくれたのだった。
シンシアは芝の地面に手を着いた。そして感触を確かめた後、大きく深呼吸した。
「〈風水の力よ、我者に風と水の力を与えたまえ。出でよ、水龍〉」
シンシアが呪文を唱えたと同時に足元から大量の水が勢いよく溢れ出した。水は速度を緩めることなく上空に真っ直ぐ上がり続ける。
まるで荒くれた海のような迫力だった。
そしてシンシアが右手を挙げたのを合図に水は動きを止め、重力に従うように落下し、地面に叩き付けられた。
ドォ――ン・・・・・。
破砕音と共に地面が小さく震えた。
庭の垣根の向こう側に草と土煙が舞う。どうやらそこに落下したらしい。
「アリシア。一緒に見に行きましょうか。」
シンシアの後に続いて塀を越えると、とても大きな丸い穴が開いていた。
大人が五人、すっぽり入ってしまいそうなぐらい巨大で深さもある。穴の周りは衝撃に耐えられなかったのか、ひびが入っていた。
「すごいね―!やっぱり母さんはすごいよ!」
水の力で固い地面にあれほどの穴を開けてしまう―アリシアは目を輝かせた。
(母さんは立派な魔法使いだ・・・・・。)
アリシアは実際にシンシア以外の他の魔法使いを見たことはないが、自分の母が相当な魔力を持っていることは分かっていた。そして今もまだ半分以上の力も出していないことも。
「水は人々を潤すこともできるけれど、こんな風に操ることもできるのよ。」
「・・・・・私も母さんみたいな魔法使いになりたい。」
その言葉の後、シンシアから返事が返ってこなかった。風が髪を揺らす中、アリシアはふとシンシアの横顔を見る。
何かを思い詰めたような険しい表情を浮かべていた。
「―母さん?」
アリシアの呼びかけでシンシアがこちらを向いた。その顔にはいつも通りの優しい笑みがあった。
「・・・・・〈守護術〉は守るためにあることを忘れてはならないのよ。」
ようやく返ってきた返事は掠れた声だった。
シンシアは穴の周りに沿って、足で円を描くと「再生ノ陣。」と呟く。すると穴が見る見るうちに塞がれ、元の平らな地面と変化した。
「さあ、父さんのところへ挨拶に行きましょう。お花を取ってきて。」
「はい。」
アリシアが家に戻り、両手に花を持って来たのを見ると、シンシアは少し離れた小高い丘に向かって歩き始めた。
この丘からはアザレアを眺めることができる。人が少なく、家もポツポツとしか見当たらない、見渡す限りは自然の風景だが、シンシアはこの地が気に入っているらしかった。またアリシア自身も静かな田舎町が好きだった。
頂上には白の小ぶりの墓石が置いてあった。石には〈ラルフ〉と名前が刻まれてある。
「父さん、来たよ。」
アリシアは墓石の前で手を合わせた。
父さんはアリシアが生まれて一年後に死んだ。生まれつきの病弱で重い病気を抱えていたらしい。
そういう訳でアリシアは父さんの顔を思い出せない。
(父さんは私たち家族が大好きだった。そして母さんも父さんのことが大好きなんだ。)
お墓参りは毎日の習慣の一つだった。シンシアはいつだって欠かさなかった。
シンシアは隣で固く目を閉じている。普段より長い間、父さんに話しかけているように思えた。
アリシアが顔を上げると視線の先に一羽の雛が横たわっていた。急いで駆け付けて手ですくい上げる。羽が生え変わったばかりで上手く飛べないらしい。
「どうしよう・・・・・。お家に連れて帰ってあげようか。」
「その必要はないわ。」
いつの間にかシンシアが傍に来ていた。
「―あ!」
その言葉の通り、雛は自力でアリシアの手から飛び立っていった。
「自然の摂理は人間が手出しをするものではないのよ。」
「でも死んでしまったら可哀想。」
「そうね。だけれども、自然は私たちが思っているより逞しく強靭だわ。」
周辺に咲く野花や葉をつけた木々、空を流れる雲。すべてが人間の力を借りずに自分の力で時を過ごしている。生まれて死んでいく―その一連の流れこそ、自然の摂理。
「人間はあくまでも自然に支えられて生きているということを忘れないで。このことを肝に銘じて魔法を使いなさい。」
アリシアはかつて読んだ本の内容を思い出した。
(そう・・・・・魔法は無限に使える訳では無い。自然が生み出した資源を人間が勝手に利用しているだけなんだ。)
支えられて世界が出来ている。今、自分たちが立っている、この丘だって――
「アリシア、帰りましょう。雲行きが怪しくなってきたわ。洗濯物が濡れてしまうわね。」
アリシアは空を見上げた。
特に変わりのない青空で雨が降りそうな気配はない。だが、シンシアの天気予想は必ずと言っていいほど的中した。
水を操る魔法使いだから水に対して敏感である、そうアリシアは勝手に解釈していた。
まだ自分は天気を読み取ることはできないのだが。
シンシアはぎゅっとアリシアの手を握った。細くて白い指が絡み合う。
「―あなた。また会いに来ますね。」
白い墓石が陽の光をうけて輝いた。
その晩、シンシアの言う通り激しい雨が降り続いた。強い雨音が家を襲う。
カタカタと小さく揺れるコップを手に取ると一気に飲み干した。甘い香りの紅茶が口いっぱいに広がり、体が温まる。
そこへ肩からタオルを下げたシンシアが入ってきた。
「もう寝なさい。明日、起きられないわよ。」
アリシアは本を読むのに使っていたランタンの明かりを消した。
星も月も出ていない夜空が窓の奥に広がる。アリシアは物にぶつからないよう慎重に進み、目的のベッドまでたどり着いた。
「・・・・・母さん、おやすみ。」
シンシアは「おやすみ。」と小さな声で言うと、アリシアの透き通った頬を撫ぜた。
ざぁぁぁ―と降り続く雨と家を揺らす風。チクタクと鳴らす時計。静まり返った家の中に音が生まれる。
――ビリビリ!
急に思いもよらない音がして、アリシアは目を開ける。
「・・・・・母さん?」
暗い視界の中でシンシアの姿を見つけた。どうやら何かの紙を破っている様子だ。
「起きていたの。」
シンシアはおもむろに窓を開けると、手に持っていた、ちぎった紙きれを風に飛ばした。
あっという間に、紙は手のひらから消えてしまう。残ったのは大きくなった風雨の騒めきだけだった。
吹き込んでくる雨に顔をしかめながら、アリシアは「何しているの?」と呼びかけた。
「・・・・・意味のないことよ。」
シンシアが窓をゆっくりと閉める。
そしてアリシアを力いっぱい抱きしめた。
「―うっ!く、苦しいよ!」
アリシアはバタバタと体を動かす。
「―温かい・・・・・。」
「え?」
「父さんと同じぐらい、温かい。」
シンシアはうつむいたまま、そう言葉をこぼした。
(私の知らない父さん・・・・・。)
シンシアは父さんのことについて、あまり話さない。だからアリシアも触れてはいけないような気がして、今まで詳しく尋ねたことがない。
(でも、今なら父さんについて聞ける気がする。)
「母さん、父さんのこと聞きたい。」
シンシアの温もりに包まれながら、遠慮がちに口を開いた。
シンシアはふっと抱きしめていた力を抜いた。
「・・・・・そうね。父さんの話をしましょうか。」
少しの間をおいてから、まるで過去を懐かしむようにシンシアは語りだした。
「―父さんは本当にアリシアのことを愛していたわ。最後のときも家族の心配ばかりして。自分が一番心配されなきゃいけないのに。」
「父さんは体が弱かったのでしょう?」
「ええ。それでも軍人としてこの国のために働いていたのよ。」
「軍人だったの?」
このあたりは五つの国に分かれており、最近は魔法の資源を巡って戦いが絶えないと本で読んだことがある。
それゆえ、アリシアにとって軍人は強い男の人が就く職業のイメージがあった。
「アリシアと同じように肌が透き通るように綺麗で、笑うとえくぼができるの。女の人みたいに美しい男の人だったわ。私と勝負しても負けてしまいそうな軍人さんね。」
ふふふと二人で笑みをこぼす。
今まで遠かった父さんの姿がぼんやりとだが、見えてきた気がした。
「―私たちは離れていたって、家族よ。」
―ドクン・・・・・。
先ほどまでうるさかった雨音がシンシアの鼓動でかき消される。
「この時間が永遠に続けばいいのにね。」
シンシアは小さな声で言った後、私の頭を撫ぜた。
「―私は母さんの傍から離れないよ。」
シンシアは何も言わなかった。
いや、言ったのかもしれない。しかしアリシアはすでに夢の中であった。
まだ陽が顔を出さない明け方。
その日は昨日から降り続いた雨のせいもあって、まだ辺りは暗かった。
アリシアは眠りが浅い方で、明け方に目が開くのはいつものことだったが、その日は胸が苦しくてもう一度寝付くことができなかった。
(隣に母さんがいない―別にたいしたことじゃないけれど・・・・・。)
嫌な予感がして、アリシアはベッドを飛び下りた。
床の冷たさが身に染みる中、玄関の方で微かだが物音が聞こえた。
雨に混じってシンシアの声がした気がした。
「母さん!」
力任せにドアを開けると、そこには雨に打たれたシンシアがいた。
「良かった、もういないかと―」
しかし、その状況の異変に気づいた。シンシアの両脇には緑の軍服に身を包んだ男の人が二人立っていたのだ。
「軍の人・・・・・?どうしてここへ?」
軍人はアリシアの質問には答えず、シンシアに話しかけた。
「おい。娘か。」
シンシアはただ黙って頷いた。
「・・・・・可哀想な娘だな。」
軍人はそう言うとアリシアの方へ体を向けた。
「お前は今日で母親とさようならだ。」
「―え?」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
時間が止まったようにすべての音がかき消され、視界もぼやける。
(―さようなら?)
何度もまばたきを繰り返すが、視界は曇ったままだった。
「―母さん?さようならってどういうこと?」
シンシアの唇は青紫色に変色しており、顔にも血の気が無かった。
しかし、緑色のその瞳は揺るぎない決意が感じられた。まるでこんな日が訪れることを知っていたかのように。
「軍にどうして行ってしまうの?」
シンシアは何も答えなかった。
「・・・・・帰ってくるよね?」
それでもなお、口を開かないシンシアの態度に焦りを感じ、服を引っぱった。
(答えを聞かないと、帰ってくるという答えを聞かないと、そのまま母さんが遠くへ行ってしまう気がする!)
シンシアが自分の服を掴んでいたアリシアの手を包み込んだ。
「―帰ってくるよね?」
シンシアは寂しそうに微笑み、そして言った。
「・・・・・ごめんね。」
アリシアはその場に座り込んだ。これは夢なのか。悪魔が見せる悪夢なのか。
「おい、女!そろそろ行くぞ!車に乗れ!」
シンシアはためらいもなく軍人の後をついていき車に乗り込もうとする。
「・・・・・どうして母さん?私、母さんがいないと何にも出来ないよ?」
「アリシア。」
「・・・・・魔法を教えてくれるって!私は母さんみたいな魔法使いになるんだって―」
「アリシア。よくお聞き。これは母さんからの遺言よ。」
シンシアはアリシアに駆け寄り、濡れた体に手を回した。
「・・・・・生きる者も死せる者も時の流れ。逆らうは精霊の真理。・・・・・強く逞しく生きなさい。」
シンシアの手が解かれ温もりが消えていく。遠ざかるシンシアの背中を懸命に追った。
「母さん!母さん!」
涙が次々とあふれてくる。
「行かないで、母さん!」
「・・・・・愛しているわ。アリシア。」
次の瞬間、地面から巨大な蔦が伸びアリシアの両手両足を縛った。その蔦はアリシアの腕の太さぐらいあるもので、アリシアは身動き一つとれなかった。
(母さんの魔法だ―!)
シンシアを乗せた車がどんどん小さくなっていく。
「母さん!待って!」
口を開けるたびに横殴りの雨が邪魔をしたが構わず叫び続けた。
「母さん!母さん!母さん!」
狂ったように呼び続けた。
そうすることしか自分には出来なかった。
(嘘だ・・・・・。)
どうして母さんが。
どうして何も言わずに。
アリシアは声が枯れるまで泣き続けた。
読んでくださってありがとうございました。
拙い文章ですが、こんな感じで毎回続いていきます。
レビューや感想などを頂けるように頑張ります!!