表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

【case1】片山響



 白い部屋が見える。

 機械的なまでに白い部屋。

「先生!」

 子供の叫び声で、俺の視界は現実世界へと戻った。

 俺は瞬きをして、目の前の情景を見る。

 ホワイトボード。

 無機質な時計。

 白色の壁。

 白色のノート。

 そして、急に黙り込んだ俺を不審気に眺める生徒の顔。

 ああ、そうだ。

 俺は今、授業をしている最中だった。

「先生、俺の話聞いてた?」

 生徒は確認するように、怒ったような眉をして言った。

「聞いていたと言えば嘘になるし、聞いていなかったと言えば本当になる」

「聞いてないんじゃんか!」

 生徒は何故だか、嬉しそうな表情になって叫んだ。

 個別指導塾とはいえ、壁が薄いから騒ぐと俺が怒られるはずだった。

 俺は生徒のテンションを下げようと、ちょっと真面目な表情を作って言った。

「それで、何の話だって?」

「だからさ、《人間テトリス》の話だよ」

 生徒も真面目くさった表情で答える。

 俺は生徒の発言の中に出て来た《人間テトリス》という単語について脳内で検索してみた。すると、すぐに見つかる。

 まあ、ニュースを見ていてまともな感覚を持った人間なら、わざわざ検索なんかかけなくても理解出来るんだろうけれど。

 《人間テトリス》とは、今やそれくらい、世間を騒がせている『自然現象』なのだった。

「ああ、またあの話か。あれについては、三日と十二時間前に説明してやったじゃないか」

「三日と十二時間前は日曜の夜十一時だろ」

 生徒は見た目と言葉遣いに反して、的確な計算能力を見せる。

 さすがは、学内模試の算数でトップを取った生徒だ。

 まあ、算数以外はボロボロだったらしいから一概に優秀だとは言えないが。

 俺は適当に発言した自分の言葉を誤魔化す方法を考えた。

「現実に流れてる時間から俺の睡眠時間を除いたらそれくらいになるんだよ」

「それって言い訳になってませんよ先生……」

 生徒は呆れたような表情をして俺を見た。

「それで、君はあの現象の何が知りたいんだ?」

 俺が尋ねると、生徒は難しい顔をして言った。

「全部ですよ。……まあもっと具体的に言うと、アレの発生する原因です。人が消えるには、それ相応の理論と理屈が必要でしょう」

「理論的にその存在が正しくとも、その理屈を総ての人間が理解し得るとは限らないけどな」

「それを俺に理解させるのが先生の仕事です」

 生徒はしてやったりとでも言いたげな表情を作ってそう言った。

「厄介な職業だよなあ教師って。まあ、今週の勉強ノルマはすでに達成してるし、お前の努力に免じて、説明してやらないこともないではない」

 俺はそう前置きして、生徒の顔を見た。

「《人間テトリス》――君は、あの現象をどう解釈してる?」

「どうって……『同じ要素を持った見ず知らずの人間が4人揃った時に、忽然と世界から消えてしまう現象』、かな?」

「模範的な解答をするね。さすがは優等生。それで、その原因については?」

 すると、生徒は両手を広げて首を振った。

「さっぱり見当もつかないです」

 まあ、そうだろうとは思う。

「そうか。……お前は、アルベルト・アインシュタインを知っているな?」

「べろの人ですか」

 生徒は口からべろを出し、目を見開いて見せた。

 あの有名な写真の真似をしているのだろう。

「そう、べろの人だ。あの人は昔、この世界を一つの式に収めようとした。そして、それは半ば成功したが、半ば失敗した」

「まあ、どんな偉人でも、積み上げられたものがなければ正解には到達しないでしょうね」

「その通り。そして今、ハーバード大学のとある女博士が、五次元という概念を用いてその失敗部分を説明しようとしている。俺が今から話すのは、その博士の研究成果から想像した、いわば妄想のような話だ。それでもよければ、聞いてくれ」

 《人間テトリス》という現象については、その現象が確認された三カ月ほど前から、毎日のようにテレビやニュースでその原因の探求がなされて来た。

 テレビには何人もの教授や研究者や作家、果てはオカルト関連の有名人まで呼ばれ、数多くの議論がなされた。 

 しかし、それにも関わらず、未だに確信の持てる答えは出ていないのだ。

 それでも、俺には俺なりの、この現象に対する解答というものを導き出していた。

「そもそも、《人間テトリス》で消えた人間はどこに行っているのか分かるか?」

「えっと、消えたんだから、どこに行ったとかは考察出来ないんじゃないの」

「そんなことはない。物理的には、物が突然消滅するなんてことはありえないんだ。だから必ず、どこかへ行っているはずだ。水は放っておけば蒸発するが、あれも厳密に言えば消滅したわけではないだろう?」

「じゃあ、消えた人たちは消えたように見えるだけってこと?」

「そういうことになる。俺が思うに……人間テトリスで消えた人たちは、俺たちの生きる三次元世界を包括した五次元世界に飛び出してしまったんだと思う」

「五次元……かあ。そう言われてもあんまりぴんとこないんだけど」

「じゃあ例を出そうか。……このプリントが、三次元世界だとしよう」

 俺はそう言って、すでに採点し終わっている小テストのプリントを生徒の前に掲げた。

「俺たち人間は、このプリントの表面に張り付いているインクだ。そしてその外側に広がるのが、五次元世界。インクで描かれた文字は、自力で五次元世界に飛び出すことは出来ないし、そもそも外側の世界を認識することすら出来ない」

「うん」

「しかし、五次元世界の存在が――例えば俺が、このプリントの表面にある『÷』という文字を爪で削り取ったとしよう。するとどうなる? 三次元世界から、『÷』という人間が消滅したようには見えないか? しかし実際は、インクは消滅したわけではない」

「……見えるかも? でも、俺なら爪で引っ掻かれたらそのことに気付くと思うけど」

「いや、俺たちは自分より高位の次元で何が起ころうが、気付くことは出来ないんだよ。例を挙げるとすると……そうだな。仮に、マーブル色のボールがこのプリントを通過するとしよう。すると、プリントの表面に存在する俺たちには、それがどう見える?」

「うーん……最初に点が見えて、通過するにつれてマーブル色の円が巨大化していって、やがて収縮し、最後はまた点に戻る――って感じかな?」

「その通り。実際は単にボールが通過しただけなのに、三次元世界から見たら、時間と共に巨大化したり収縮したりする謎の物体が観測できる。つまり、俺たちが目で見ているものは、本来あるべき姿の一側面でしかないんだよ」

「なるほど……分かったような分からないような」

「そして俺たちインクの張り付いているプリントは、複数存在している。重力によって、さながら本のページのように整然と並べられてな」

 俺はプリントを数枚重ねて、それを生徒に見せた。

「並行世界のこと? ドラえもん面白いよね」

「ああ。ドラえもんを例に挙げると一番分かり易いな。あるいは、映画『ザ・ワン』だとか。ともかく《人間テトリス》に遭った人間たちは、次元の壁を越えて別の位相世界に飛んで行っているんじゃないか、というのが俺の意見だ。かなりSF的な解釈だけどな」

「先生ってSF好きなの?」

「まあ、ほどほどに」

「ふうん。俺は、『総てのSF的発想はハーバート・ジョージ・ウェルズによってすでになされている』って言葉を聞いてからSF読む気なくしちゃったけどね」

「それは嘘だから安心して読みなさい」

「はぁい」

 そして生徒は、脳内で俺の説明を反芻するかのようにゆっくりと頷いた。恐らく俺の意見は形を変えて、生徒オリジナルの意見になっていくのだろう。教師が生徒に与える影響力は、教師自身が想像するよりも、ずっと大きいのだ。

「ねえ先生」

 生徒はにやにやと笑いながら俺に話しかけた。

「ん?」

「もし先生が《人間テトリス》に巻き込まれたら、どうする?」

 それは、難しい質問だった。と思ったが、よく考えてみれば、答えは一つしかない。

 俺は答えた。

「元の世界に戻ろうと努力するね」

「えー。消えた人たちが最終的にどうなるのか、自分で突き止めようとは思わないの?」

「自分の知らない所で一生を遂げるなんていやだからな。もしかすると、消えた先の世界では身の毛もよだつような化物が蔓延っているかもしれないし」

「その化物と戦ったりするのが楽しいんじゃん。先生は夢が無いなあ」

「先生だからね」

 俺がそう言うと、生徒は納得してくれた。どこの世界でも、先生とは夢が無くて堅苦しくて、たまに熱血だったりするものだ。

「ところで、今日俺のクラスで男子がさー」

 生徒は唐突に話題を転換した。

 そのあまりの脈略の無さに俺はちょっとだけ、唖然とする。

 頭の回転の速さは、そのまま話題転換の速さに直結する。

 俺は気を取り直して自分の頭を柔軟にするよう努力しながら、生徒の話に耳を傾けた。

 生徒の愚痴を聞くのも、講師の仕事なのだ。めんどうだが、仕事なのだから真面目にやらないといけない。俺は笑顔を作って、生徒の話に相槌を打った。

 いつもの授業風景。

 変わり映えのしない生活サイクル。

 機械的な白い部屋の中で、俺は幻影的な日常の夢を見た。

 そう、それは、俺の頭の中に残っている最後の記憶だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ