2話 喪女、化粧をする
その『なにか変われるきっかけ』は、思ったよりも簡単にやってきた。
「あれ、ゆうちゃん大きくなったね?」
貴重な休日、大学時代の友人と遊んでいてふと思ったことだ。友人の香里は就職してから程なくして結婚、子供を産んで休職していた。そのこの前生まれたばっかりだと思っていた子供の佑香が、元気に走り回っているのだ。
「だって、佑香ももう3歳だよ。私もそろそろ復職しなきゃね」
これが、私にはとてつもない衝撃だった。同級生には結婚して走り回れるほど大きくなった子供がいるのだ。それなのに、私ときたら。化粧もせず、仕事ばかりに必死になって彼氏もいない。女として終わっている。
二の句も告げれず、絶句している私をどう思ったのか、香里は「弟、紹介しようか?」なんて言ってきた。私の考えてること、もろばれなのね。
「有り難いけど、それはもう少し女を磨いてからにするわ・・・」
こういうのが精一杯だった私を、誰が責められるだろうか。
こうして私の、毎日おしゃれをする!という目標が立てられたのであった。
思ったら即行動、週明けからは自分なりにばっちり気合を入れて化粧をした。服装もジャケットにYシャツ、パンツスタイルだったものを、ワンピースにカーディガンと女性らしいものに変え、切るのが面倒でのばしっぱなしにしていた髪も肩口まで切りそろえパーマをかけた。
今まですっぴん一本しばりだった私が急に洒落けを出したので、職場のみんなの反応はみんな揃って「っ誰!?」というものだったから、普段の私の気の抜きようが分かるというものだ。
女は化粧で化けるというが、私も例にもれず化けることができたということなのだろう。
「何だ、どうしたんだよ。端羽。」
趣味がゲームでよく話が盛り上がる真嶋さんが、あまりに怪訝そうな顔をするのでちょっと恥ずかしくなってしまったのは言うまでもない。真嶋敬さんは1つ先輩で、私が入職する前にヘッドハンティングでここの部署入社してきた人で、その前に他社で何年か働いていたらしい。職歴自体は私より全然上だけど、入職が近いし趣味が同じだからという理由でよく話しかけてくれる。
「なんだって言われても・・・。アラサー女のあがきというか。」
「いや、なんで急に。」
そんなにじろじろ見なくてもいいのに。真嶋さんは普段、不愛想で他人に興味がないような顔をしているけど、こういう人をからかう事がとても好きなので、恥ずかしがっている私を見てドSスイッチが入ってしまったのだろう。妙にしつこく理由を聞いてくる。別に話すのが嫌なわけじゃないけど、その鼻で笑うの、やめてもらっていいですかねこんちくしょう!
「や、アラサーにもなって女子力底辺ていうのもどうかなと思って。」
年甲斐もなく口を尖がらせた私に、「いつまで続くかね」といって真嶋さんはあいさつ代わりの肩パンをして去って行った。女の私よりも細いんじゃないかという真嶋さんにパンチされたところで痛くもかゆくもないが(もちろん手加減してるけど)、平然と触わってくるのはやめてほしい。肩パンチとはいえ男性に触られる機会なんて生まれてきて27年、ほとんどないのだから。自意識過剰というか、相手にそんな気はさらさらないのが分かっていても、恥ずかしいものは恥ずかしい。狼狽える姿を見られるのは嫌だから、眉間にぐっと力を入れて不機嫌そうな顔を作るのだけど、果たしてちゃんと隠せているのだろうか。
「端羽さん、化粧すると別人ですね。綺麗です。」
そういって私のデスクにちゃっかり自分の椅子を持ってきて座っているのは、私が仕事を教えている新卒の加賀君だ。妙に度胸があって、多少の失礼も憎めない後輩だ。まるで犬のように私の後をついてきて、男のくせに可愛らしい顔をしている。態度もこの通り、あんまりかわいいのでねこ被ってんじゃないのといわれ、あだ名がぶりっこ由紀ちゃんとなった。加賀由紀、立派な男性名である。
こいつにまでからかわれるとは、私もなめられたものだ。
「あー、ありがと。誉めてくれるのは嬉しいんだけど、ここの入力間違ってたよ。やり直し!」
ここで照れてはいけない。27歳にもなって後輩にからかわれて照れるなんてかっこ悪にもほどがある。大人の余裕!大人の余裕!!と心の中で繰り返しながら、何でもない事のようにファイルを開いて指示を出す。このプライドがなかったら、赤くなっちゃってかわいい、的な展開があったかもしれないけど、無理なものは無理!妄想で我慢である。いや、ちょっと化粧したくらいで調子に乗ったわ、ないです。そんな展開。アラサー喪女《モテない女》が何言ってんだかって話だ。
こうして私のデビュー戦は何事もなかったように過ぎ去り、「今日も化粧してるね、関心関心」と言われなくなったころ、とんでもない事件が起こるなんて私は考えてもいなかった。