女は色気と可愛気?(2)
「天子、絶対ダメよ!!」
瑞穂に強く腕を掴まれ引き止められつつも、それを無理に振り切って、気持ちが逸るままにステージ裏の楽屋に走り込んだ。
どうしても、彼の魅力が欲しい。彼のように誰をも魅了できるような華やかさを持って踊りたい。
自分でも抑えきれない衝動が、わたしの身体を突き動かした。醍亜を探してみるが、ゲスト扱いだからだろうか、生徒ダンサーでごった返している楽屋には姿がなかった。
もう帰った?
慌てたわたしは舞台裏を隅々まで走り回って探してみたが、顔見知りといえばパウダールームで化粧を直しているベリーの講師くらいのものだった。
「あ、牧さん、慌ててどうしたの? これから集合写真取るわよ」
鏡越しににっこりと笑ってきた彼女に、挨拶する余裕も愛想する余裕もなく勢いに任せて詰め寄る。
「醍亜ってダンサー、今どこにいます?」
「…醍亜?彼なら上のレンタルスペースにいると思うけど…。たしか一番奥の部屋。彼がどうかした?」
彼女は不思議そうな顔をして聞いてきたが、質問に答えている時間はない。彼が帰ってしまうと話すチャンスを逃してしまう。
「先生、ありがとう!」
すぐさまパウダールームを抜けて、楽屋から走り出た。
彼のステージはさっき終わったばかりで、まだ帰っているはずがないことは分かっていても気持ちが焦る。居場所さえ分かれば慌てる必要もないのだが、どうしても今すぐ契約したい。彼の個人レッスンを受けられるように。
この建物のホールは地下にあり、地上はカフェとレンタルスペースになっていて、今回の発表会関係者以外にもたくさんの人が出入りしている。階段をかけあがり廊下を走っていた時、すれ違った人たちに奇異な目で見られ、自分がベリーの衣装のまま走り回っていることに今更ながら気付いたが、着替えに戻る余裕もない。足を止めることなく、そのままの勢いで1階の一番奥の部屋のドアをノックした。
「はい、誰?」
部屋の中から聞こえてきた少しだるそうな返事とともに、わたしはドアを思い切り開けて、いきなり声高に叫んだ。
「突然失礼します! 個人レッスン受けたいんですが!」
一人で使うには広い20畳ほどはある部屋の中、自分の声が思いの外響き渡った。
部屋は殺風景で、レンタルスペースらしく会議用机が端に寄せて置いてある。その上に片脚だけ胡座を組むようにして座り長い髪をゴムでゆるくまとめていた人物が、一瞬驚いた表情で目を向けて来た。
醍亜。
ステージ以外で見るのははじめてだが、化粧も落とさずまだ衣装のままの彼は、男性でありながら今日のステージで目にしたどのダンサーよりも美しく華やかだ。白い肌のしなやかな筋肉は男性とも女性とも違った性にさえ見える。
印象的で端麗な美しい瞳に、ふと、以前どこかで見たような感覚を覚えたが、イベントで一度見ているからだろう。
机から軽やかに降りた彼は、背を向けてピアスをはずしながら「俺、ワークショップはたまにするけど…、個人レッスンはしないんだよね」と、だるそうに愛想ない声で答えてきた。確実に拒絶されていることが伝わってくるが、すぐに諦める訳にはいかなかった。
「わたし、あなたのステージを見て、すごく魅せられた。あなたのようになりたいって思ったの。特例としてレッスンしてもらうわけにはいかない?」
そう言っている間にも、シルバーのネックレスを外している彼の仕草やうなじの美しさに見惚れる。
ここで素直に、〝そうですか、残念です〟とは、どうしても言えなかった。
昨日、精一杯の色じかけをした三神にさんざん無視され、女としてのプライドがかけらほどしか残っていない。そのかけらを保ちたいという、つまらない意地もあるかもしれない。
けれど、醍亜が体得している魅せる力が、どうしても欲しかった。
「今日ベリーのステージは全部見たよ。でも、マシなダンサーは数人だったかな…。その中に、君は居なかった…。そんな君が、個人レッスン受けたところでどうしようもないんじゃない?」
淡々と話す彼の言葉が、容赦なくずきずきと胸に刺さってくる。
確かにわたしはダンスが下手なことくらい自分で分かっている。でも、だからこそ少しでも憧れる魅力を持つ人間に近付きたいと思うのは、当然なことじゃないだろうか。
彼の言葉には、ともすればダンスの才能がない人間を排除してしまう考え方が見えた。
「待って。ダンスの才能がある人なら、あなたのレッスンを受ける必要がないじゃない。下手だから、あなたのようになりたいって思うんでしょ」
そう言ったわたしをゆっくりと振り返ってきた彼は、無表情に冷たく見つめてくる。
気に触ることを言っただろうかと惑ったが、間違ったことは言っていないはずだ。
「…まあ、そうだな。じゃあドア閉めて、こっちへ…」
不意に片手を差し出してきた彼は、微かに口許に笑みを浮かべ、どこか艶を感じる眼差しを向けてきた。
少しためらいながらも部屋に入り、彼の目の前に足を進めた。
間近で見る美しく淡褐色の瞳が、冷静にわたしを見下ろしていることが分かり、思わず視線を泳がせてしまう。
彼の眼差しは、わたしの頭の先から足元までゆっくりと落ちていった。自分の決して美しいとは言えない身体のラインを見つめられていることに、改めて衣装を着替えてくれば良かったと後悔する。
視線を上下往復させてわたしの顔に戻した彼は、腕を組んで軽いため息をついた。
「なにが言いたいの?」
観察するように見られたうえ溜息をつかれると、全否定されたようで気分がわるい。
「まず…」
いきなり彼に腕を持たれて、横に立てかけていた姿見に全身を映された。
彼はわたしの真後ろに回ると、脇から腹部に優しく手を回し、「この丹田を常に意識して…」と囁くように声を落としてきた。
鏡越しに見る彼の眼差しが、妙に艶めかしくて息苦しい。
「あの…」
薄い衣装一枚を隔てただけの真後ろで感じる体温が緊張を呼び、少し彼から離れようとしたが、逆に腰に手を回されて動けなくなった。
「動くな。指導してほしいんじゃないのか? ほら、肩甲骨を下げて、顎を引いて…」
「あ…」
背中に手を置かれて、顎を指で挟むように持たれると、更に緊張が増して身動きできない。
彼は斜め後ろから覗き込むように、わたしの身体の横からのラインを確かめてきた。
「ふ~ん、なんかダンスしてた? 少し手を加えるとかなりラインがマシになる。全くのど素人じゃなさそうだな」
「え…。小さい頃バレエをしてただけ…」
「ああ、なるほど…でも」
ふふんっと笑う彼は、背中に置いていた手を下にゆっくりずらし、ピップのすぐ上あたりに触れた。
「あの…」
「ほら、すぐに力が抜ける。常に骨盤は立てておかないとね」
「…」
彼は指導してくれているのだろうか?
言っていることは最もだと分かるが、わたしは、ピップに近い場所に置かれた手がどうしようもなく気になる。奇妙な緊張が限界を越え、胸の動悸が自分で分かるほどだった。
「顔、赤いな…」
彼はわたしの目の前に立つと、顎を掴んて上を向かせてくる。
否応なく、美しい瞳を間近で見つめてしまうことになり、更に息苦しくなって、彼の手を跳ねのけた。
全く自慢じゃないが、自分から異性に近づくことはあっても、あまり逆パターンはない。慣れない扱われ方に戸惑っていた。
「指導してくれるのはありがたいけれど、少し…」
〝離れてほしい〟と言おうとした言葉の途中で、彼はわたしの腕を強く引き寄せ、片手を腰に回して抱き締めてきた。
「え?!」
すぐに離れようと、空いていた手を彼の胸に押しやったが、全く力が及ばない。
「ねえ…、別の個人レッスンしてあげようか?」
耳元で甘く囁く彼の意味深な響きを持つ声に、咄嗟に瑞穂の言葉を思い出した。
わたしの腕を掴んでいた彼の手が、滑らかに首まで這わされ、逃げなければと思うのだが身体が動かない。
彼はダンスを教える気など毛頭なく、瑞穂が言った通り、周りのダンサーたちを食い物にしているだけなようだ。なんとか逃げなければと回転しない思考を必死に巡らせたとき、幸運にも大きな音で扉が開いた。
「醍亜!!」
鋭く高い女性の声が、扉を開ける音と共に聞こえてくる。
怒り調子にずかずかと足音を立てながら部屋に入ってきたその女性には見覚えがあった。金色に近い長い巻髪、濃いメイク、そしてスタイルの良さを極限まで露出させた服装。スタジオのレゲエダンス講師だった。醍亜の腕の中にいたわたしには目もくれず、彼の視線の前に立った彼女は、「待ってるのに、遅いよ」と、急に態度を変えて甘えた目つきを作った。
「わるい、待たせたね」
ポイとゴミでも捨てるかのようにわたしから手を離した醍亜は、彼女を見つめて頭に優しく手を置いた。
「いいわ、ちょっとだけだから許してあげる」
蕩けそうな瞳で少し頬をふくらませ、醍亜の両腕を持って彼を見上げている彼女は、確実にわたしの存在を無視している。というよりは見えていない。
いきなりな展開に所在なく立ち尽くしていたわたしに、彼は面倒そうに視線を下ろしてきた。
「あのさ、見て分かると思うけど、邪魔だから出て行ってくれない? で、ダンスの個人レッスンはしないよ」
彼は、ダンスの、という部分を強調して、ふふんっと笑い、レゲエ講師の腰に手を回すと、彼女の額に軽く口付けて完全に二人の世界に入っていった。
その場所に居られなくなったわたしは、慌てて背を向け入口へと足早に向かうと、開いていた扉から外に出たが、ふと怒りが湧き上がり、当てつけとばかりに強くドアを蹴って閉めた。
一体なんだっての??
瑞穂にあれほど止められたのに、聞く耳を持たなかったわたしが間違ってたってこと?
でも、どうしてもレッスンを受けたかった。
彼の踊りの中にはいつも胸を熱くする動きがある。もちろん、男を落とす色気が欲しくてレッスンを受けたいという理由もあるが、なにより自分も舞いたいと思える踊りを目の当たりにしたのだ。
なのに…
わたしは、はしたないとは思いながらも、もう一度閉まっているドアを怒りに任せて思い切り蹴った。
地獄に堕ちろ!!!