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ジレンマロマン  作者: 小山田 名杜
3/8

男は甲斐性とルックス(3)

 数日後の平日の夜。

 オリエンタルな曲が流れ、水煙草の煙があちこちから立ちこめている空間にいた。 

 絨毯が敷かれた上にローテーブルとローソファという客席が、東洋らしさを醸し出している。ほぼ満席に近い状態の店内は、90パーセントが若い女性で埋まっていた。

 今日は、ベリーダンスの講師が出演するイベント。生徒の身としては、誘われれば断るわけにもいかない。所謂、お付き合いのイベントだった。


「ねえ、この客達って、みんな出演者の知り合いなのかな? ベリー関係だよね?」


 わたしは、隣で水煙草を吸って、甘い香を漂わせていた瑞穂に耳打ちする。


「そりゃそうでしょ。身内でないと来ないんじゃない?」


 瑞穂は、周りの席に座っている女子達を見て苦笑いする。

 みんな、判子で押したかのように、真っ直ぐで長い黒髪。そして、少しエスニック風のものを取り入れた服装。〝ベリーダンスしてます〟と宣言しているような出で立ちの彼女たち。


「みんな気合い入ってるねえ…。わたしたちだけなのかな。こんなにユルいのは」


「ちょっと! わたしは気合い入ってるってば。男探しの道具としてベリーをしてる天子と一緒にしないで」


 瑞穂はむっとしたような顔をわたしに向けてきた。


「ごめんごめん。でも、瑞穂は他にバレエもレゲエもPOPINGもしてるじゃない。正直なところ、ベリーはつまみ食いなんでしょ?」


「…そんなこと、ないよ」


 わたしの追及に少し言葉を詰まらせた彼女は、誤魔化すように水煙草に口をつける。


「あ、はじまったかな」


 急に照明が暗くなり、ステージに光が当たった。

 ステージとはいっても、トルコ料理がメインの店の小さな簡易ステージで、音響も良くはない。だが、躍りながら客席を通ってステージに表れたダンサーに、周りの客は大きな盛り上がりを見せている。

 軽快な曲で、露出度の多いキラキラの衣装を着て踊っているダンサーを見て、少し引きながらも手拍子を打っていた。


「天子、もっと楽しそうにしなさいよ」


「え、楽しそうに見えない?」


「全然。仕方なく手拍子してるって感じ」


 にこそこそと耳元で囁いてくる瑞穂。


「だって…。やっぱり興味ないのかなあ…。ダンスって」


「なに言ってんの。昔バレエしてたんでしょ?」


 瑞穂の言葉に、自分がバレエをしていたことを思い出した。

 とは言っても、小学生の頃の話で遠い過去のこと。すっかり忘れていたことだった。 別にダンスが嫌いなわけではない。だが、ベリーダンスの派手なキラキラした衣装も、決して洗練されていないベタな音楽も、趣味に合わないというか踊りたいという興味をそそられない。

 瑞穂が言うように、わたしにとってのベリーダンスは、男探しの道具でしかなかった。


「あ、先生だ」


 二人目にステージに表れたのは、わたしたちの講師だった。

アップテンポな曲に乗りながら、ふくよか気味の彼女は、たわわな胸を揺らせてわたしたちにセクシーなキスを投げてきた。

 確かに可愛い? とは思う。ベリーは、基本が即興のダンスだから、基礎さえ出来ていれば、投げキスをしながらでも、いつでもどこでも好きなように踊れる。とはいえ…。色っぽいというよりは、ちょっと滑稽。に見えてしまう。


「だめだなあ。わたしって…。つい粗探しをしちゃうんだ」


 ため息とともにうな垂れて呟いた。


「…まあ、仕方ないんじゃない? 天子はベリーが好きじゃないからね」


「うん…。あ、それよりさ、会社の人とコンパすることになったんだ。瑞穂、来ない?」


 踊っている最中の先生には失礼かと思いながらも、ダンスを見ることに飽きていたわたしは、瑞穂にコンパの誘いをかける。


「ごめん、興味ない」


 即断されてしまい、取り入る隙すらなかった。

 興味深気にダンスを眺めていた瑞穂を見て、少し羨ましく感じる。わたしにはダンスに対して惹かれる情熱はなかった。

 時間の経過とともに、どんどん盛り上がりは大きくなってくる。ダンサー達や店にいる客が感情を昂ぶらせるほど、わたしは取り残された気分になっていった。


 分からない…。


 所在無さに、この場所に居ることが辛くなってきたわたしは、少し酔って気持ちを誤魔化そうとテーブルの上のビールを一気に飲み干して、スタッフに追加注文をした。


「天子、大丈夫?」


 ダンサーの入れ替わりの合間、心配そうに聞いてきた瑞穂に、微かにほろ酔いになった頭を縦に振る。


「あと一人。最後はまあちょっと他とは違うダンサーだからさ、天子も楽しもうよ」


 ちょっと違うって言われても、また同じような髪型で同じようなダンサーが出てくるのだろう。

 全く期待せずに、トルコ産ビールの瓶にそのまま口を付けていると、これまでの軽快なオリエンタル調の音楽は途切れ、機械音のような無機質な音が静かに流れてきた。

 空気の流れが変わり、店内に異様な緊張感が漂い、時折聞こえていた女子達のため息にも似た黄色い声が途切れる。


 何? 


 異様な静けさに、客達の期待度が窺えた。

 客席よりゆっくりと蠢くように移動してくる、光沢のある黒い布。大きな幼虫のように見えるグロテスクな艶に、否応なしに目を奪われる。その布の中にはダンサーが入っているとは分かっているのだが、その奇天烈とも言える動きが周りの視線を釘付けにしていた。


「…瑞穂、あの…」


「しっ」


 思わずダンサーの名前を瑞穂に聞こうとしたのだが、彼女は口を塞げとばかりに唇の前に指を立ててくる。

 仕方なく黙ってステージまで蠢いていくその虫に目を向けていたが、音が消えるとともに、その物体はぴくりともしなくなった。


 数秒の静寂。


 そして、ゆっくりと虫の背中が割れ、生まれたての蝶が這い出てきたかのごとく、その悠然たる姿を見せた。

 同時に、うねるような低音で曲が流れ、店内がダークな世界に落とされる。

 鈍い照明の光の中でも煌びやかな蛾。

 確実に蝶ではないと感じるのは、動きに地を這う重さがあるからだった。

 それは、流れる音には影響されず、滑らかな動きを見せていた。


「これ…なに? ベリーじゃないんじゃ?」


 わたしは、誰かに問いかけていたわけではなく、踊り続けているダンサーを見つめながら自然と一人で呟いていた。

 緩くウェーブした長い髪をラフにまとめて、引き締まった上半身に薄い布を巻きつけ、腰で履いている巻スカートを見ると、まるで観音像を思い出す。光るアクセサリーなど一切身につけていない。照明もダークなままなのに、その存在だけで惹き付けられた。

 目から下が隠れる黒いフェイスマスクをつけているせいで、ダンサーの顔ははっきり見えないが、体つきから性別だけは男性だということが分かる。

 目元を強調する濃い化粧が施されているとはいえ、彫りが深く形の整った瞳が時折色を持って艶めくと、女性にさえ適わない硬質な色気を感じさせた。

 美しい上半身の筋肉がしなやかに動くたび、蛾からまた別の生き物に形を変えるように見え、どんどん変化していく。

 滑らかで美しく、そして性別を超えて進化した人間のような存在に感じられた。

 彼はその数分とも数十分とも感じられる1曲だけを舞うと、周りからの盛大な拍手とアンコールの声にも関わらず、優雅なお辞儀を残して愛想なくステージ脇の出口から消えてしまう。

 わたしは、一瞬、ベリーダンスを見にきていることを忘れてしまっていた。あれは、まるで前衛舞踏を思わせるコンテンポラリーダンスではないだろうか。

 しばらくぼんやりとしていたわたしは、瑞穂の言葉で我に返る。


「さ、終わったよ。天子、そんなにつまんなかった?」


 ショーが終わった後の反応が薄いわたしを見て、瑞穂は苦笑いする。 


「ん…。ねえ、最後の人、なんて名前の人?」


「え? なに? 彼に興味持ったの??」


 瑞穂は、驚いた表情でわたしを見つめた。


「興味というか…。分からないけど、何かを感じたことは確かなの…」


 自分の中に芽生えた気持ちが、何であるかは分からなかった。

 けれど、彼のダンスを見てからほんのわずかだが、〝踊りたい〟という感覚を持った。


「彼は〝醍亜〟 もちろん本当の名じゃないと思うけどね。でも天子、彼に入れ込んじゃ駄目よ!」


 瑞穂は険しい表情を作って、わたしの腕を掴んできた。


「え? なにが?」


「彼はいい噂がないの。もともとはモダンやコンテンポラリーでかなり有望視されてたみたいだけど、事故で身体を壊したらしくて。今ベリーをしてるのは、身体に負担がかからないダンスって理由もあるみたいだけど、実際は〝女だらけの世界だから、やりたい放題〟って言ってたらしいよ。だから、あれに惚れちゃ駄目!」


 普段の彼女らしくない勢いでわたしに迫るように警告してくる。


「あ~、そういうのじゃないよ。ただ、あの人のダンスが気になっただけだから。それに、瑞穂だって分かってるでしょ? わたしは貧乏ダンサーなんて男として興味ないからね」


「あ、まあ、そうね。それならいいんだけれど…」


 瑞穂は、わたしの男性に対する価値観を思い出したようで、途端にほっとしたような表情をつくった。


 その日、ショーが終わって家に戻ってからも、わたしの心をずっと〝醍亜〟が占めていた。魅せられた、という感覚だろうか。もちろん、異性としてのトキメキという感覚ではないとは思う。あの表現力と存在感…。きっと、羨ましいのだ。ごく平凡で、人生で煌くことなどできそうにないわたしは、彼の輝きに惹かれる虫のようなものなのかもしれない。

 久しぶりに現実感から遠ざかったふわふわとした感覚になり、ふと不安を感じた。 そう、ダンサーなどに入れ込んでいる暇はない。このまま嵌ってしまうと、婚期を逃して、わたしの人生に支障が出るかもしれないではないか!


 だが、わたしは自分で思うよりも現実主義者だったようだ。

 次の日にはダンスのことなど忘れ、いつも通りに隠れてネットで〝幸福な結婚をするには〟などと検索しながら、花嫁を夢見る派遣社員として働いていたのだった。


5部以降、まったり更新

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