其の捌:冬(四)・本性
三人称です。
幽人はふっ、と息を吐き、「優梨」を押すように間合いを切る。そのまま軽い足取りでバックステップして優梨のとなりに立った。その間も刀はいつでも突きだせる構えが取られていたため「優梨」も迂闊には出られなかった。
「早くしなさい」
「少しは待てよ」
軽く言い争いながら幽人は地面に刀を突き立て瞼を閉じる。イメージするのはとなりにいる優梨。そして、自分と彼女を繋ぐ霊的な力の流れ。
「霊力転移――解」
その瞬間、辺りに不自然な強風が吹き荒れる。その中心は幽人と優梨。
静かに開かれた幽人の瞳は先程までの赤ではなく、彼本来の漆黒に。猫背気味だった背筋は重荷が取れたかのように、自然と伸びている。
「……ふふっ」
大きく様変わりしたのは軽く笑みをこぼした優梨の方だ。爛々と妖しく輝く紅玉のような瞳。気品のある藍色の着物に、現実離れした雰囲気を放つ白髪。そして、彼女の本質をまざまざと見せつけるような、白い二本角と重厚な黒鉄の棍棒。
「やっぱりこっちじゃないとね」
「優梨」とそっくり――コピーとそっくりなオリジナルとは変な気もするが――な彼女本来の姿へと変貌したのだ。
「さて……いくか」
幽人が純白の刀を肩の高さまで持ってくると、いつの間にか現れた赤い鳥がその切っ先に止まる。名を「火雁」というこの鳥は、先程まで赤い弓となって優梨の手に収まっていた。そして優梨が「鬼」としての力を解放した今、火雁は式神として別の形態へと変化する。
「……憑依武装」
幽人が唱えた瞬間、火雁の体から紅蓮の炎が噴きだす。その炎は留まっていた純白の刀――銘を「白眉」という――ごと火雁を包みこみ、内部で二つを融合させる。
「――紅緋」
軽く振って炎を振りはらえば、幽人の右手には、名の通りに柄頭から剣先まで紅緋色に染まった刀があった。
幽人はそのまま流れるような動作で構えを取る。右足を引きながら体だけ右に向け、紅緋色の刀を肩の高さで水平にする。照準を定めるように切っ先に手を添えて静止。
「壱の太刀――閃火」
そう宣言すると同時に前方に跳躍。僅かに熱風が吹き、一気に目標――「鏡の鬼」へと迫る。
「っ! ……ぐぬっ」
狙いが自分だとは分かっていたが、予想より速い。「鏡の鬼」は反射的に右手の盾のような鏡で紅緋色の刀を受ける。が、勢いを止めることなどできず、地面を滑るように後退してしまう。
「お~。いっつも寝てるからか、元気ねぇ~。……じゃあ、そろそろ……」
勢いよく飛びだした相方に聞こえない程度に皮肉り、優梨は金棒を両手で持って肩に担ぐ。浮かべるのは不気味で不敵な笑み。今まで溜まった鬱憤を晴らしたいという風に。
「あたしもいきますかあぁっ!!」
「……っ!」
嬉嬉とした声を上げて一気に「優梨」に肉薄。暴力的な勢いで金棒――銘は「獄潰し」――を振り下ろす。「優梨」も反射的にまったく同じ形の金棒で受けとめるが、しのげるものではない。
「ほらほらほらあっ!」
「くっ! くそっ……」
それもたった一撃ではない。怒涛の勢いで優梨は何度も金棒を叩きこむ。「優梨」も必死に金棒で受けるが、まったく余裕などない。相手は自分のオリジナル。ならば、ここまで追いこまれるほどの力の差はないはずだ。そう考えても現実は防戦一方。理解できない状況に自然と焦りは募る。
故に、一瞬の致命的な隙ができる。
「そりゃああっ!」
「がふっ……」
腹に容赦なく叩きこまれる衝撃に、体は強引にくの字に曲がって飛ばされる。
「やっぱり戦いは近接戦に限るわ」
武器を通じて感じる対象の重み。間近から聞きとれる破壊音。優梨が本来得意とし、また好んでいたのは近距離での戦闘だった。幽人の式神ではあるが、「鬼」としての狂暴性がまったく失われたわけではないので、それは今も変わらない。
それはコピーである「優梨」も理解している。だが、それとは別に、オリジナルである優梨には決定的な違いがあった。
「あんたのオリジナルとして言ってあげるわ。……確かにあんたはあたしのコピー。けど、同時にあの『鏡の鬼』が創りだしたもの。――要するにあんたは『劣化』コピーに過ぎないのよ」
冷たく言い放つ優梨の顔には侮蔑と憐れみが浮かんでいた。
「……うるさい!」
「三下如きに力をすべてコピーされる程度のスペックじゃないのよ」
「優梨」が初めて怒りを露わにするも、優梨の姿勢は変わらない。
「あたしは劣化なんかじゃない!」
そう叫んだのは優梨のコピーとしてではなく「優梨」として、か。感情的になりながら彼女は立ち上がる。
だが、優梨はその姿すらも馬鹿にするように鼻で笑い、金棒を肩に担ぎあげる。
「だったら証明してみなさい。――こっちも本当の鬼畜ってものを教えてあげる」
そして、煽るようにそう言って僅かに頬を緩めた。
赤い軌跡が煌めき、甲高い金属音が何度も響く。幽人は絶え間無く足を動かし、紅緋色の刀を振るう。その度に「鏡の鬼」は右手の鏡の盾で弾きかえす。変化とともに大きく防御のために強化された手鏡だからこそ為せる業。しかし、余裕などまったくない。反撃とばかりに鉄の杭を飛ばせど、炎の力を持つ刀に簡単に熔断される。
何度目かの打ち合いで、やっと間を切る。幽人としては初太刀の「閃火」から短時間でケリをつけるつもりだったが、「鏡の盾」の硬さは予想外だった。――だが、あまり時間を掛けるつもりはないのは今も同じ。
即座に「閃火」のときと同じ構えを取り、剣先に意識を集中させる。すると、その先に炎が球状に集まって静止する。
「参の太刀――鳳閃火」
そこからまっすぐに剣先で突いた瞬間、その炎は細かく分裂。さながら鳳仙花の種が弾け飛ぶように「鏡の鬼」に向かって飛来する。
「くっ……しゃらくせえっ!」
「鏡の鬼」は両手を突きだし、体中の杭を次々と放つ。杭は優梨の炎の矢のときと同じように、炎とぶつかって辺りに煙に包む。
「来いよ……」
もし、この男があの「鬼」の女と同じような考えを持っているのなら、この煙の中から奇襲するだろう。遠距離攻撃は先程の「鳳閃火」から考えると溜めが必要。ならば、十中八九近距離攻撃。
そう踏んで「鏡の鬼」は鋼鉄の杭をさらに両手に集中的に生やして、幽人を待ちうける。
時間が経つにつれ、ゆっくりと煙が晴れていき視界が開けてくる。澄んだ視界にまず入ってきたのは、紅緋色の刀を振りかぶった幽人。――狙い通りだ。
「もらったああ!」
歓喜の叫びを上げながら「鏡の鬼」は鋼鉄の杭を勢いよく発射させる。いくら「祓い人」といえど、この量は捌けまい。数秒後に目の前の男が蜂の巣になっているさまが「鏡の鬼」には容易に想像できた。
「……なん……だと!?」
だが、その驚愕の声を上げたのはまたしても「鏡の鬼」の方だった。見れば放出したはずの杭がすべて灰燼と化し、あの男は陽炎のように不自然に揺らめきながら、無傷で刀を振りかぶっている。
間近にいるからか感じるこの熱気は、彼の力によるものなのか。だとしたらこの熱気で奴が揺らいで見えるのか。そして、この熱気に自分が放出した杭が焼きはらわれたのか。
逃げもせずそんなことを考えるのは、もうすでに諦めに似た感情を抱いていたからだろう。右手の鏡の盾を出す時間すらない。
「弐の太刀――陽炎」
「な――」
それ以上言う前に、「鏡の鬼」の体に縦の亀裂が奔る。 焼け焦げる音とともに、加賀美秋人の体にとり憑いていた「鏡の鬼」はその亀裂から徐々に黒い炭と化していく。その中から現れるのは媒介となっていた秋人の体。意識はないのか、目を瞑ったまま力無く崩れおちる。
「おっと……危ない危ない」
幽人は秋人の顔が地面に着く前にその体を抱える。意識はないが呼吸は安定している。
「……大丈夫そうだな」
恋人と同じで精神力は強いな、などと思いながら、幽人は秋人の体を背負った。
「鏡の鬼」が焼き祓われたことで、彼の制作物である「優梨」にも異変が起きる。
「はぁっ、はぁっ……っ!?」
ダメージから膝を着いたそのとき。彼女は金棒を支えにして必死に立ち上がろうしたが、まったく力が入らなかったのだ。着物が擦り切れてぼろぼろになっても。角が折れて体じゅうに傷ができても。それでもオリジナルになんとか一矢報いようと立ち上がったにも関わらず、まるで魂と体が切り離されたようにまったく動かないのだ。
「どうやらあんたの生みの親がやられたようね」
冷たく言い放つオリジナル――優梨に対しても何も言えない。綻び一つない着物。傷一つついてない体。――結局、勝てはしなかった。
「分かったでしょ。これが力の差。あんたの負け」
その宣言は抑揚のない調子なのに嫌に耳に残る。悔しさから歯噛みしようにも、視界はぼやけて意識は次第に遠のいていく。じきに自分は消えていくのだと、「優梨」はどこか他人事のように感じていた。
「恨むんなら自分を作った生みの親の弱さを恨むのね」
そう言った優梨の表情は憐れみと幾分かの哀しみが混じっていた。やけに意識にこびりつく表情だと最後に感じながら、優梨のコピーとして生まれた「優梨」は静かに消失した。
「相変わらずとんでもない力ね」
「うるさい三下。とっとと引っ込め」
少し離れたところから掛けられた、珠美――の体を一時的に借りている「蜘蛛の鬼」の言葉に、優梨は乱暴に答える。基本的に何もしてない癖にそんなことを言われると妙にカンに障る。まあ、何かされても困るのだが。
「まあ、そうカリカリしちゃ駄目よ。女はもっと淑やかでないと」
「もう黙れ、クソ虫」
さらに苛々が募り、淑やかとは程遠い言葉まで出る始末だ。
「落ち着きなさいよ。……ちゃんと話すから」
「……分かった」
「蜘蛛の鬼」がそう言って初めて、優梨は彼女の言葉に聞く耳を持った。