其の漆:冬(三)・複製
三人称です。
珠美のもとにゆっくりと歩を進める優梨の瞳は凛と澄み、いつもとは一味違う威圧感を感じさせる。
「そのいでたち……『祓い人』か」
「鏡の鬼」は得心したように呟く。そのあいだに優梨は赤い弓の弦に右手を添え、炎の矢を形成させる。
「まあ、そんなところ……よっ!」
ニタリと笑って右手を離し、その矢を放つ。
「火群ノ羽撃」
矢はいくつにも分かれ、さながら鳳凰が羽撃いて羽根を撒き散らしたかのように、細やかな炎となって再び「鏡の鬼」を襲う。
対して「鏡の鬼」は両手を突きだし、一瞬で炎の矢を視界に入れ、狙いを定める。
「ヒャッハァッ!」
拳を握ると同時に体じゅうの杭が飛びだし、炎の矢を迎え撃つ。
爆音がけたたましく轟き、爆煙が辺りを包む。
「行って……『狼煙』」
使うには絶好の機会だと、優梨は札を一枚取り出して放りなげる。その札は瞬時に煙の体を持つ狼へと姿を変え、爆煙のなかに潜りこむ。この爆煙に乗じて奇襲を計る計算だ。
「さて…………ん?」
煙が次第に晴れる。反撃の準備をしていた優梨はその先にいる者を見て、僅かに目を細めた。
「なんかまためんどくさい相手みたいね……」
そこには藍色の着物を着た人外がいた。背中に達する長さの雪のような白髪に、鮮血の色をした目。禍禍しい印象の二本の角に、身の丈ほどの重厚な金棒。その姿から連想される言葉は――鬼。
それもただの「鬼」ではない。
「あれって確か……優梨のもう一つの姿」
珠美の脳裏を過ぎったのは、自分にとり憑いた「蜘蛛の鬼」との戦いで優梨が見せた、彼女の人ならざる真の姿。煙から現れた鬼はそれとまったく同じ姿だったのだ。
「そこまでばれてんのね。まあ珠美は祓い人じゃないから、こっちとしては問題はない…………わけないか。はぁ……」
その優梨はというと、珠美が自分自身の秘密を知っていたことの方に驚き、大きな溜息を着いていた。彼女は諸事情あって「鬼」たる自分が「祓い人」のように振るまっている。当然、同業者にはばれてはいけないのだが、一般人にばれてもいい道理はない。
「まあ、今はそのことはいいか。……ったく、本当に嫌な手を使われたわね」
今気にかけるべきはそれではないと割りきり、優梨は自分の本来の姿をした者に目を向ける。「鏡の鬼」の容姿や特性からなんとなくどういうことか分かり、思わず愚痴が漏れる。
「なんだ。お前はまったく動じないな、『祓い人』……いや、オレと同じ『鬼』か」
「鏡の鬼」が優梨の真の姿をした者――以後「優梨」と表す――の後ろから不気味な笑みを浮かべて現れる。
「優梨」の足元に札が落ちていることから、優梨は彼女が「狼煙」を叩き落としたとのだと分かった。「狼煙」は自らの体にダメージを感知した瞬間に分裂して軽減し、多角攻撃に移る特性を持つ式神。しかし、逆を返せば感知する最初のダメージが強すぎれば分裂する前に力を使いはたしてしまうということ。現に「狼煙」は半強制的に札へと戻っている。――つまり、「優梨」は式神を一撃で引っ込めさせるほどの力を持っているということ。
「まあ、だいたいどういうことか予想はつくからね。……にしても、我ながら恐ろしいわね」
「ほう……」
思わず優梨は苦笑する。その様子から「鏡の鬼」も彼女の予想が大方合っていると悟った。
「恐らくお前の予想通りだ。――オレの右手の鏡は映した者の本性を映し出す。そして、場合によってはそいつを実際に召喚することもできる」
「やっぱりそんなところね」
秋人が手鏡に映した冬季が、本人しか知らない事実をべらべら喋ったのは「鏡の鬼」のその力があってこそ。そして、それは目の前の「優梨」も同じようなことだ。
「数日前からあんたに――いや、あんたが媒介にしていた手鏡に目をつけてはいたんだけど……これは厄介ね」
「鬼」の中には道具を媒介に生者に干渉するものもいる。例えるなら、俗に言う付喪神のようなものだ。年月はあまり経ってないとはいえ、この手鏡は媒介として十分だったようだ。
道具を媒介とした「鬼」はその道具に関係した力を得る傾向がある。それが分かっていたから優梨はさして驚かなかったのだ。
「そうかよ。じゃあ、おしゃべりはここまででいいな。……逝けよっ!」
「鏡の鬼」の言葉ともに、「優梨」が金棒を振り上げながら優梨に迫る。
「ちっ……行って、『灰猿』」
即座に取り出した札は瞬時に、名の通りの灰色の猿へと姿を変え、優梨の前に立つ。「灰猿」は自らの尻に両手を添え、何かを掴んで不敵に笑う。
「モン吉砲――発射」
「ウォキャーッ!」
優梨の号令を合図に、「灰猿」は両手を円運動させはじめる。そして、その手が顔の真横を通過する度、その手から灰色の玉がさながら砲弾のように放たれる。玉は「灰猿」の尻から供給されるので、見方によっては汚物を投げつけているように見えるが、式神としてのれっきとした能力だ。
「きったねえな。こんなもの全部叩きおとせ!」
「鏡の鬼」にそう言われて「優梨」は一瞬だけ表情を歪めたが、言葉通りに飛んでくる玉を避けもせずにすべて叩き潰していく。玉は金棒に触れた瞬間に粉々に砕け、空気中に灰を撒きちらす。
「……馬鹿ね」
「優梨」と同じように表情を歪めて呟いたのは彼女のコピー元である優梨。自嘲しているようにも見えるが、「馬鹿」という言葉の対象は自分自身ではない。
「く……カハッ……」
「っ!? どうしたんだ?」
それは突然吐くように噎せこんだ「優梨」に。そして、結果的に彼女にそうさせてしまった「鏡の鬼」に向けられたものだった。「灰猿」が投げた球を叩きつぶしたことで舞いあがった灰。それは吸いこんだ相手を内側から攻撃する特性を持つ。「優梨」も優梨の本性を映したコピーである故に知っていたのだが、召喚主である「鏡の鬼」の言葉には逆らえなかったようだ。
「悪いけど、手間掛けてる暇はないわ」
膝をつく「優梨」を一瞬睨み、優梨は再び赤い弓に炎の矢を番えて放つ。狙いは「優梨」――そして、その先の「鏡の鬼」。
「……ふっ」
「んなっ……」
だが、「優梨」とて優梨の本性によって生まれた存在。立ちあがると同時に金棒を大きく振りぬいてあっさりと払いのける。さらに、その風圧だけで「灰猿」に強烈な衝撃を与え、これも札に戻してしまう。
これには優梨も動揺。それを見た「優梨」は僅かに凶暴さを感じさせる笑みを浮かべ、再び突進する。
「ちっ……」
やはりこんなものではなかったと舌打ちし、優梨も断続的に次の矢を放つ。だが、その全てが振るわれる金棒によって払われて大した足止めにもならない。なんとか距離を取りたいところだが、珠美が後ろにいるためそんな余裕もなかった。遂には目の前に金棒を振り上げた「優梨」が。
「――何してんのよ、お馬鹿さん」
「な……」
そのとき背後から聞こえた声は、後ろにいる珠美のそれとは似て非なるもの。誰なのかと疑問符を浮かべる前に、優梨の体は後方へ引っ張られる。鼻先を金棒がかすめて冷や汗を垂らした直後には、十数メートル後方で盛大に尻餅を付いていた。
「ってて……あんた、まさか!?」
痛みから顰めた顔を上げれば、後ろに控えていたはずの珠美の姿があった。が、そこにいるのはいつもの珠美であって珠美でない。
「察しの通りよ。でも、一時的に体を借りてるだけだから。所有権はこの娘にあるわ」
やはり、珠美にとり憑いていた「蜘蛛の鬼」だった。瞬時に後方に糸を伸ばし、優梨を掴んで後方に飛んだのだ。霊的能力がないはずの珠美がこの場にいるのは十中八九こいつのせいだと分かったが、じっくり話している暇もない。
「とりあえず、敵ってわけではないのね?」
「宿主に死なれるわけにはいかないから」
「じゃ、珠美のこと頼んだわよ」
それさえ分かれば十分。これで目の前の戦いにだけ集中できる。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえぞっ!」
彼女たちのあいだに何があったか分からないが関係ない。「鏡の鬼」は「優梨」とともに一気に間合いを詰める。同時に突きだすのは左手から飛びだした鋼鉄の杭。その狙いは優梨。
「……っ!!」
だが、驚愕の表情を浮かべたのは「鏡の鬼」の方だった。その目線は杭を丸々きれいに切りおとされた左手に。何なんだと理解する前に、真横で甲高い金属音がなり響き思わずそちらを見る。
そこには、「優梨」の金棒と競り合う純白の刀があった。
「遅すぎよ!」
「……うるさい」
刀の持ち主は優梨の文句に不機嫌そうに答える。ボサボサを通り越して毛玉のようにもっさりした黒髪。睨むような目つきの中に光る鮮血のような虹彩。休日にもかかわらず学校指定の黒学ランを着ている彼こそが、綾瀬優梨とともに戦う本来の「祓い人」――鬼塚幽人だ。