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其の肆:秋・母親

秋人の一人称です。

 俺が「それ」に気づいたのは学校に再び通い始めて数日経った日の夜だった。家に帰ってチャーハンを作って食べているときに、ふと目に入ったあの手鏡を手に取ったのはちょっとした気まぐれでしかなかった。

 当然、そこに映るのは釈然としない表情の俺自身の顔。だが、気のせいかと一瞬目を離してもう一度見た瞬間、俺は固まった。

 そこに映っていたのは、四十代とは思えないほど若々しく見える容姿の、気品と包容力のある女性だった。

「母……さん?」

 というか、十日ほど前に死んだはずの俺の母さんその人だった。柔らかなダークブラウンのその髪も、張りのあるその肌も、優しげなその瞳も。実年齢より大分若く見える整った顔立ちのすべてが全く同じだった。

「なんでっ、どうなって……」

「私もよく分からないの。けど、秋人にはこうやって話せるみたいなの。……この手鏡のおかげかな」

 そう微笑まれると気恥ずかしくなって思わず視線を逸らす。俺と千春があげた手鏡が繋いだ奇跡、か。どんな因果なんだか分からないが手鏡と過去の自分達に心から感謝した。

「でも良かった。秋人が元気そうでお母さん安心した」

「まあ……な。それなりにやってるよ」

 ある程度は落ち着いたけど、最近までそこまで元気はなかった。でも、心配させるわけにはいかなかったので曖昧な答えしか返せなかった。でも、多分母さんに会えたから知らず知らずのうちに笑えていたのだろう。こんな奇跡を俺は心のどこかで待ち望んでいたのだから。





 次の日から俺はあの手鏡を肌身離さず持ち歩くようになった。母さんとコンタクトが取れるのは不定期だけどそれだけで十分だった。その分可能な限り積極的に言葉を交わすようにした。千春にもこの奇跡を言おうとしたけど、母さんに「自由にコンタクト取れるようになってから驚かせましょ」と言われたからまだ黙っておいた。……俺自身がまだ独占しておきたいという気持ちも正直あったけど。

 母さんのおかげもあって気持ちがだいぶ安定し、恋人の珠美とも充実した日々を過ごせるようになった。数週間前までは気持ちがごちゃごちゃになっていたけど、もうそんな心配もなくなった。

「……お母さんね、この機会に秋人にお願いしたいことがあるの」

 いつも通り珠美と寄り道しながら家に帰ってきたあの日。日課のように手鏡を覗いたら母さんは少し声色を変えてそう言った。何を頼まれるかはわからないが可能なことなら断る必要はない。二年間何もできなかったぶん、なんならこっちから力になりたいくらいだ。

「私ね。私を殺した冬季さん……いや、冬季を許せないの。だからお願い。――仇を討って」

 一瞬母さんが何を言っているのか分からなかった。仇討ちなんていう言葉を聞くとは思わなかったんだ。だがその真剣な眼差しから本気で頼んでいるのだと分からないほど馬鹿じゃない。母さんが言いたいことは要するに……

「あいつを殺してくれって言うのか」

「そうよ。あの人だけはどうしても許すことはできない」

 手鏡越しに伝わる怒りは俺が今まで一度も見たことのないものだった。それほどのことを俺達がいなかったあいだにされたのか。だが、ここまではほんの序盤でしかなかった。その後に俺たちの知らなかった真実を告げられ、俺の中の何かが外れてしまうとはそのときは知りもしなかった。





 母さんに「お願い」されてから俺は冬季のことばかり頭にちらつくようになった。もちろん悪い意味でだ。母さんと話す度にあいつへの怒りが溜まっていくのが分かった。そのせいでか、手鏡が気になって触れただけの珠美にも思わず怒鳴ってしまったし。

 俺に起こった異変はそれだけじゃない。人前には晒していないが奇怪な力を使えるようになっていたんだ。その力もあいつに真意を尋ねるのにも利用できそうだ。母さん自身もその力が母さんの居る手鏡によるものだと言っていた。近所の人に少し試したけどけっこう面白いものが見れた。俺がもう普通ではないことはなんとなく分かっていたけどもうどうしようもなかった。

「本人に真実を聞きたいならそうしてみて。その上で許せないと思ったのなら躊躇わずに殺して。私も手伝うから」

 母さんに言われてもう迷う必要はなくなった。どのように手伝うのかは分からないが不思議と問題ないように思えた。可能にする力が俺たちにはあるという確信に近い感覚を持っていたのだ。

 あいつに真実を問う。それが本当だったら俺は何の迷いもなく親の仇を取らせてもらう。どんな手を使ってでも。





 金曜日の夜から夜行バスに揺られて東へ向かう。慣れないながらになんとか眠り、翌朝起きた頃には京西上野駅に着いた。そこから何度か電車を乗り換えてやっとこさ目的地へとたどり着く。土曜であるこの日にデートに行かないか、と珠美に誘われたのを仕方なく断って俺は来たんだ。断腸の思いだったがやると決めた以上どうしても譲れなかったんだ。

 ここは千葉刑務所の所轄である松戸拘置支所。俺の親の仇である四ノ宮冬季が収容されている場所だ。

 少し前に面会のアポを取りつけ、俺は真実をここに確認しに来た。千春には友達のところへ泊まりがけで行っていることにしている。これはあくまで俺と母さんの意思だけの問題だからだ。

 その母さんだが昨夜からまったく喋らない。手鏡を取り出して見ても映らないこともけっこうあった。

「母さん、どうかしたのか」

「ん? ……なんでもない。気にしないで」

 母さんのその態度が少し腑に落ちなかったが、母さん自身がそう言うので俺もそれ以上は何も言わなかった。

 手続きを済まして待合室で静かに待つ。テレビや電光掲示板に目をやることなく、俯いて気持ちを整理する。これからどんな真実を突きつけられようとも逃げることなく受けとめ、場合によってはどんな咎を背負ってでもケリをつけるつもりだ。

 十分気持ちを高めたところでふと顔を上げる。電光掲示板を見ればちょうど俺の番号が表示されていた。時は来た。看守の人に言われたとおりに面会の場へと向かう。

 ドアをゆっくりと開けて右を見れば透明な板の向こうにあいつがいた。髪はぼさぼさで目つきはより陰険なものになっていたが間違いない。どこを見ているかも分からない表情を見ていると無性に腹が立ってくる。

「よう。久しぶりだな、冬季さん」

「ん? ……ああそうか、君だったか。名前で呼ばれたんで分からなかったよ。私は一応君の父親に当たるんだから」

 俺のことを自分の子供と思っていないやつが何を言う。そう思っていたら、無意識に歯を食いしばり拳を強く握っていた。落ち着け、俺。小さく息を吐き自分を鎮める。

「あんたが俺を子と思っていない限り、俺があんたを父親と呼べるわけないだろ」

「それもそうだね」

 どうしても抑えられなかった分を皮肉としてぶつけたが、結局はそう返されてさらに腹立たしくなるだけだった。正直、分かってはいたけども。

 これ以上長く話していたいとは到底思えない。一瞬だけあいつを睨みつけて本題に移る。

「正直あんたの顔なんか見たくなかった。……けど、あんたに確かめたいことがあんだよ」

「私にねぇ。それは興味深い。……でも、私が真実をべらべら話す人間だとよく思えたね」

 そんなわけあるか。こいつの口から聞かずとも、真実を知る方法が今の俺にはある。ポケットに手を入れてその感触をしっかり確かめ、俺は切り札をゆっくりと取り出す。

「ん、手鏡? ……それはまさか」

 取りだした切り札、もとい手鏡を見て冬季は俄かに表情を険しくさせる。当然だろう。自分だけを愛してくれるよう望んだ女が最後まで大切に持っていた、自分以外からの贈り物なのだから。

「そうだ、俺たちが母さんに贈った手鏡だ。でも、別に何も手を加えちゃいない。看守の人にも確認してもらった」

 そう、何も手は加えていない。

「で、それがどうしたんだい。わざわざ持ってきたのは何か理由があるんだろう?」

「まあ、見てろよ」

 冬季の前に突き出しその鏡面にその顔を映しださせる。鏡に映る表情は見えないので本人から確認する。いまいち俺の真意を計りかねているというところか。だったら教えてやる。俺が得た真実を知るための力を。

「冬季さん……母さんを殺したのはお前か?」

「「ああ、そうだよ」」

 肯定する声は二重に聞こえた。その片方だけは動揺したようにわずかに震えていた。その震えた声を出したのは当然冬季本人の方。その顔は驚愕に満ち、言葉にならない声が漏れていた。

 もう片方の声の主は不気味に笑っていることだろうな。それを見て冬季は驚いているんだから。そう、声の主とは手鏡に映った冬季だ。そして、この手鏡に宿ったのは映した者の本性を曝け出す力だ。これがあればもうごまかしなんて効かない。手鏡に映った冬季に真実を吐露させればいいだけだからな。

 一つ目の真実は確認できたので二つ目の真実を明らかにするか。その内容によっては俺も容赦できない。

「じゃあ――父さんを……加賀美冬吾を轢き殺したのもお前か?」

 自分でも驚くくらい冷ややかな声。腸(はらわた)が煮えくり返りそうになっているというのに。

「ああ、その通り。冬吾は私が轢き殺した。事故ではなく、私の意思で」

 手鏡に映った冬季が語りはじめる。――そのときはまだ、周囲の様子が次第に変わりはじめていたことに気づいていなかった。


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