其の壱:春・回想
※これは数か月前に書いて途中で放置したものを、続きを書いて上げたものです。話によって人称が変わります。
今回は、千春の一人称です。
今回の事件について、私はテレビ越しにニュースを見ている赤の他人より少し深い程度のことしか知らない。本筋に関わったのは弟である秋人の方だからだ。それでも、仮に私が直接関わりを持っていなくとも、私がこの事件に無関係であることはない。――なぜなら、この事件には私達家族の過去に関わっていたからだ。
七年前の九月三日。忘れもしないあの日に、私達のお父さん――加賀美冬悟は死んだ。後で話を聞いたところ、会社の帰りに信号無視の車に轢き逃げされたそうだ。
半年前の不安などどこへやらという感じで、気の合う友人達と中学校生活をエンジョイしていた私としてはこの事故はあまりに唐突で悲惨過ぎた。やり場のない怒りが堂々巡りして耐えられなかったのだ。
なんで殺した! と、轢き逃げした犯人にぶつけようとも、未だに捕まってないから叶わない。なんで死んだ! と、お父さんに怒鳴りたくとも、この世にいない。……反抗期らしい反抗もまだしていないのに。自分の怒りがあまりにも重すぎて、正直頭がおかしくなるかと思った。……いや、実際おかしかった。リストカットも何度かしたし。
でも、いつまでもそうしている訳にもいかなかった。秋人とお母さん――加賀美夏姫がいたから。
秋人はまだ小学生だったが、お父さんの身に起こったことは正確に理解していた。それでも、私みたいに狂うことなく涙をこらえていたのだ。……無駄に意地だけは強かったからなぁ。でも、そんな秋人を見ていると私が阿呆らしく思えてきたのも事実。千春は俺が守るから泣くな、なんて言われたときは生意気言いやがってって思ったけど嬉しかった。正直、違う理由で泣きそうになった。秋人のくせに。千春お姉様と呼べっての。……お姉様としては弟に負けてはいられないわけで、不本意ながら私が立ち上がれたのは秋人の言葉のお陰でもある。
私達家族の中で、お母さんが一番事故の衝撃が大きかった。事故のことを聞いた瞬間にうわごとを呟き始めるし、お父さんの死亡が確認されたときにはショックのあまり気絶してしまった。その姿はいつもの快活としたお母さんからはまったく想像できなかった。……お母さんがこれで私がリストカットまでしたから、秋人があんな言葉を言ったのかもね。
だけど、やっぱり私達のお母さんは強かった。二、三日は不安定だったお母さんも数日すると、すぐさま仕事を得て私達姉弟のために身を粉にして働きはじめたのだ。私達家族を養うためには当然働かないといけなかったから。……お父さんのことを頭から振り払おうとしてるように見えなくもなかったけど。
でも、お母さんが私達のために頑張ってくれていたのは事実。だから、私は高校に三年間ちゃんと通うことができたし、秋人だって小学校でも中学校でも不自由なく過ごせた。
だからこそ私は高校を卒業したら就職しようと思っていた。将来の夢を持ってはいたけどそれはとうの昔に捨てたから、大学に進学する選択肢はなかったのだ。
だから、高三の初めにお母さんが言った言葉は私を動揺させるのには十分だった。
――お母さんね、この冬季君と結婚するの。
そう話すお母さんの横であからさまな営業スマイルを浮かべる一人の男性。お母さんと同年齢くらいだと思われる彼がその冬季さんのようだ。彼は表面上は笑ってはいたけど、私達姉弟を邪魔に思っていたのはバレバレだ。お母さんにしか興味がなく、私達のことは良くてただの付属品程度にしか見ていないのだろう。
聞けば、冬季さんはお母さんの高校時代の同級生で、同じ美術部だったらしい。因みにお父さんも同じように同級生で美術部所属だったようだ。
それで、七年前のあの事件の後真っ先にメールで励ましてくれたのがきっかけだったらしい。自分の務める会社に母さんが就職できるよう計らってくれたのも彼だという。そんな恩もあってか再び親しくなるのに時間はかからなかった。再開して一年経った頃はに恋仲になったらしい。それから四年という交際期間を経ての結婚ということだ。……まぁ、ぶっちゃけどうでもいいんだけど。二人が愛しあってるのなら、それは二人の自由なのだから。
私としても、何であれお母さんに無償の愛を注ぐ新しい家族ができるのなら、それでいいと思ってた。
だが、彼はそうは考えていなかったようだ。
「――率直に言います。あなたと弟さんにはこの鬼怒樫の地に留まってもらい、私達二人だけは東京へ引っ越そうと思うんです」
「はいっ!?」
思わず大きな声を上げてしまったせいで、他のお客さんからにらまれてしまった。お母さんから冬季さんを紹介されてから数日後、その冬季さん本人から近くの喫茶店に呼び出された。そして、ほかのお客さんに迷惑をかけてしまったというわけだ。
「もう気づかれていると思いますが、私はあなた方二人に愛情を注ぐ気は毛頭ありません。あくまで夏姫さんの付属品程度にしか見ません」
本当に言っちゃったよ、この人。というか私の考えてた通りの台詞だ。すごいな、私。
「ぶっちゃけ邪魔なんですよ」
ぶっちゃけ過ぎ。あと、今の笑い顔の方が前より自然なのがなんか気になる。
……まあ、まったく予想していなかったわけではない。この男なら、私達家族が暮らしてきた土地ではないところで独占しようとするだろうとは思っていた。ただ、本当に言ってくるとは思わなかったのだ。
「唐突ですね。でも、それはあなたの個人的なエゴでしょ。言われた通りにする理由はないはずです」
「これ以上、夏姫さんに負担をかける気ですか?」
お母さんを引き合いに出すとは……確かにお母さんには負担をかけすぎたと思う。だけど、だからといってこんな横暴を認められるか。
「だからといっ――」
「あなたのお母さんはあなた達を養うために、本当に身を粉にして働いてきた。それを、僕は間近で見てきた」
「間近で……?」
おぉふ……話を遮られた。というか、なんか私の背筋に悪寒が走ったぞ。彼自身をそれほど嫌っているのか。
「僕なら夏姫さんをきっと癒すことができる。あなた達じゃない、僕が」
「は、はあ……」
正直、ドン引き。……でも、私達がこのまま残っても結局お母さんに迷惑をかけてしまうという考えも確かにあった。これ以上私達のために無理をする必要はない。もっと自由に生きても良いのではないかと。
ちょっと私が考えている中で、彼は再び口を開く。
「確か翻訳家でしたっけ?」
「はい?」
「あなたの夢ですよ」
「えっ!? まあ、そうですけど……」
なんでそれを知っている。確かに、小さい頃から外国のファンタジーが好きで、まだ日本に知られていない本を日本語に訳して紹介するのが私の夢だった。だが、それをまさかこの男が知っているとは思わなかった。
「夏姫さんから聞いていてね。……素晴らしい夢だと思うよ」
「はあ……」
どの口が言う、とは言わないが結局何が言いたいんだろうか。……いまさら捨てた夢など引っ張り出して。
「夏姫さんはその夢をあきらめてほしくないそうだよ。――どうかな。この条件を飲む代わりに、大学で必要になるお金はすべて僕が出すっていうのは? あ、そうだ。弟さんの高校での必要経費も」
……どうやら彼は本当に私達の父親として振舞う気はゼロのようだ。
そんなことは分かっていた。分かっていたのだが……
――夏姫さんはその夢をあきらめてほしくないそうだよ。
この言葉で揺らぐとは、どうやら本当に私はお母さんが好きなようだ。自分のために夢をあきらめられることはお母さんにとってどんな意味を持つのか。
(もしかして私達がお母さんから距離を置くことが最良の選択なのか。お母さんが私達のために負担を負う必要もないし、私の夢を捨てさせたと気負う必要も無い)
今、思えばどれだけ自己中心的な考えなんだと怒鳴りたくなるが、そのときはそれが最善だと思っていた。情けないことに。
後日、彼は弟の秋人にも同様の話をして、秋人も同意したと連絡してきた。お姉さんが同意したと言ったら素直になったよと、言われたときは正直申し訳なくなった。
お母さんとも話した。最初は反対していたけれど、「大学生と高校生なんだから大丈夫だから」とか「金の問題も大丈夫だから」とか言ったら渋々ながら認めてくれた。「私達のことは気にせずにお母さんの自由に生きなよ」とはなぜか言えなかったけど。
そして、四月。私の大学入学と秋人の高校入学を機に、お母さんと冬季さんは約束通り東京へと移った。別れ際のお母さんの顔は忘れない。あの寂しそうな顔を思い出す度にこの決断は間違いだったのかと思ってしまうのだ。
――実際のところこの決断は間違いだった。
それから二年後――つまり今年の九月十日。私達二人は慣れない東京の街へと赴き、お母さんと冬季さん――いや、冬季が暮らしていた家を訪れた。
その目的は、お母さんの遺品整理。――そう、お母さんは冬季に殺されたのだ。命日は何の因果か、お父さんと同じ九月三日。