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緋色の魂は二度、剣を握る ~人斬り令嬢の異世界無双~  作者: N


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第七十二話 殺さないという意志

王家の傍系の者への対処が始まった。


王太子が動いた。


動き方は静かだった。


表に出てこなかった。


しかし動いていることは、ヴァレンシア家の情報網が確認していた。


傍系の者の周辺が、少しずつ変わっていた。


協力していた家が、距離を置き始めていた。


資金の流れが変わっていた。


直接的な対決ではなく、じわじわと包囲する方法だった。


王太子らしいやり方だと朱音は思った。


第三の選択肢を好む人間は、正面からの対決も、放置も選ばない。


じわじわと、相手が動けない状況を作っていく。



その間に、朱音は日常を続けていた。


アカデミーの授業。


工房への訪問。


黒薔薇との訓練。


稽古場での稽古。


全部が続いていた。


フィーナも続いていた。


兄のアルドと会った翌日から、フィーナは少し変わっていた。


明るさは変わらなかった。


しかし落ち着きが加わっていた。


怖い夢を見ることは、まだあった。


しかし朱音の部屋に来ることが、普通になっていた。


来て、少し話して、帰る。


それが夜中の定期便のようになっていた。


「また来ましたわね」


「またきました」


「眠れませんでしたかしら」


「夢を見ましたけど、今回は自分で戻れました」


「まあ、よかったですわ」


「でも来たかったので来ました」


「それでいいですわよ」


そういう夜が、何度かあった。



ある夜、稽古場で一人で動いていた時だった。


刃引き刀を使っていた。


神速で動いていた。


前世の感覚が来ていた。


感情が切れていた。


その状態で、三段構えを流していた。


止まった。


何かに気づいた。


今この瞬間、本気で刃を使って神速を出せば、何が起きるかを考えた。


考えた結果が、明確だった。


稽古場の壁に、刃の跡がつく。


それだけだった。


相手がいなかったから。


しかし相手がいたとしたら。


(確実に殺せる)


その確信があった。


前世でも同じ確信があった。


幾百の者を斬ってきた結果として残った確信だった。


刃引き刀を鞘に収めた。


稽古場の床に座った。


蝋燭の火が揺れていた。


(なぜ殺さないことを選んでいるのか)


自分に問いかけた。


答えは前に出ていた。


必要がないから。


しかし今夜は、もう少し先まで考えた。


必要がない、という判断はどこから来るのか。


殺すことで解決する問題と、殺さないことで解決する問題を、何で区別しているのか。


前世では、区別していなかった。


必要があれば殺した。


必要がなければ殺さなかった。


しかし必要かどうかの判断基準が、今世とは違っていた。


前世の基準は、大義だった。


大義のために必要かどうかだった。


今世の基準は、見える人々だった。


見える人々の幸せを繋ぐために必要かどうかだった。


その基準で考えると、殺すことが必要な場面は、極めて限られていた。


直裁権を行使した八名は、必要だった。


その判断は、今でも間違っていなかったと思っていた。


しかしそれ以外は、必要がなかった。


魔物も。


不法侵入者も。


廊下で術式を放った者たちも。


フィーナを連れ去った者たちも。


全員、殺さなかった。


殺さないことで、問題は解決していた。


(殺さないという意志が、前世と今世の一番大きな違いかもしれない)


前世では、意志がなかった。


殺すか殺さないかを、その場の判断だけでやっていた。


基準がなかった。


今世では、基準がある。


見える人々の幸せを繋ぐために必要かどうかという基準が。


その基準が、殺さないという意志を作っていた。


意志があることで、選べた。


選べることが、前世との違いだった。


蝋燭の火が揺れた。


扉が開いた。


フィーナだった。


「稽古場にいましたか」


「ええ、考え事をしていましたわ」


「床に座って考え事ですか」


「まあ、そうなりましたわ」


フィーナが入ってきた。


横に座った。


「何を考えていましたか」


「殺さないという意志についてですわ」


フィーナが少し間を置いた。


「難しいことを考えていますね」


「ええ」


「答えは出ましたか」


「少し出ましたわ」


「聞いていいですか」


「前世では基準がありませんでしたわ。殺すか殺さないかを、その場でやっていましたわ。今世では基準がありますわ」


「どんな基準ですか」


「見える人々の幸せを繋ぐために必要かどうか、ですわ」


フィーナが聞いていた。


「その基準だと、殺さないことがほとんどということですか」


「そうですわ。殺すことで幸せが繋がる場面は、極めて限られますわ」


「直裁権の時は、そうでしたか」


「そうでしたわ。あの八名が生きていることで、また誰かが傷つく可能性がありましたわ。その可能性を考えた時、殺すことが必要だという判断になりましたわ」


「難しい判断でしたね」


「ええ。だから三日間迷いましたわ」


フィーナが蝋燭の火を見た。


「今夜は、なぜこれを考えていましたか」


「神速で動いていて、ふと気づいたんですわ。今この瞬間、本気で刃を使えば確実に相手を殺せる、という確信がありましたわ」


「それで怖くなりましたか」


「怖い、とは少し違いますわ」


「じゃあ、何でしたか」


朱音は少し考えた。


「確認したくなりましたわ。なぜ殺さないことを選んでいるのかを」


「確認できましたか」


「ええ。基準があるからですわ。基準があるから、選べますわ。選べることが、意志ですわ」


フィーナが少し頷いた。


「エルシア様は、前世でもすごく強かったんですよね」


「そうですわ」


「でも前世では、基準がなかった」


「ええ」


「基準がなくても強かったということは、基準がある今の方が、もっと強いということですか」


朱音は少し止まった。


「そういう見方もありますわね」


「私はそう思います。強さって、何でも壊せることじゃなくて、壊さないことを選べることだと思います」


「まあ」


「違いますか」


「違いませんわよ」


フィーナが嬉しそうにした。


「よかった。合っていましたか」


「合っていましたわ」


「じゃあ、今のエルシア様が一番強いんですね」


「まだ前世には届いていない部分がありますわ」


「技術の話じゃなくて、意志の話です」


「意志の話なら、今の方が上かもしれませんわ」


「そうですよ」


フィーナが立ち上がった。


「もう眠れそうなので、部屋に戻ります」


「よかったですわ」


「エルシア様も、あまり遅くまで考え事しないでくださいね」


「気をつけますわ」


「気をつけるだけじゃ不安です」


「まあ」


「では、おやすみなさい」


「おやすみなさいませ、フィーナ」


扉が閉まった。


一人になった。


蝋燭の火が揺れていた。


床に座ったまま、少し考えた。


壊さないことを選べることが強さだと、フィーナが言った。


前世では、選べなかった。


今は選べる。


選べる理由は、基準があるからだった。


基準は、見える人々から来ていた。


見える人々がいるから、基準があった。


基準があるから、意志があった。


意志があるから、選べた。


全部が繋がっていた。


立ち上がった。


刃引き刀を手に取った。


もう一度動いた。


今度は、意志を持って動いた。


殺さないという意志を持って、神速で動いた。


峰を使った。


刃引きした刃面を前に向けて、神速で三段構えを流した。


前よりも、動きが安定していた。


速さは変わらなかった。


しかし動きに迷いがなかった。


意志があると、迷いが消えた。


前世でも似たことがあった。


大義を信じていた時期、動きに迷いがなかった。


大義が揺らいだ時期、動きに迷いが出た。


今は、大義ではなく意志があった。


大義より小さかった。


しかし大義より確かだった。


見える人々から来ていたから。


蝋燭の火が揺れた。


稽古が続いた。


夜が深くなっていった。


殺さないという意志が、今夜の動きに乗っていた。


それが今夜の全てだった。

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