幕間 人斬りと黒薔薇
模擬戦闘の話が出たのは、フィーナの救出から三日後だった。
マルガレーテが申し出てきた。
珍しかった。
マルガレーテから何かを申し出ることは、ほとんどなかった。
動くことはあった。
しかし申し出ることは、滅多になかった。
「エルシア様、お願いがあります」
「なんでしょうかしら」
「黒薔薇との模擬戦闘をお願いしたいのです」
「模擬戦闘、ですかしら」
「はい。フィーナの件で、黒薔薇の動きに問題がありました。巡回の空白を突かれた。一名が囮に引き出された。その問題を、実際の動きで確認したいと思っています」
「私と戦うことで、何が分かりますかしら」
「黒薔薇がエルシア様の動きに対応できるかどうかが分かります。対応できない部分が分かれば、訓練の方針が変わります」
「どのくらいの人数でやりますかしら」
「十名全員でお願いしたいです」
「十名全員で、私一人ですかしら」
「はい」
「まあ」
朱音は少し考えた。
黒薔薇十名。
全員が戦闘訓練を受けていた。
全員が暗器を持っていた。
全員がマルガレーテの指揮下で動ける。
相手として、悪くなかった。
「場所はどこですかしら」
「クロイツェル家の訓練場を使います。屋外です」
「武器は」
「黒薔薇は模擬暗器を使います。訓練用の木製のものです。エルシア様は朱シリーズをお使いください。峰打ちと鞘打ちで」
「朱鬼は使いませんの」
「朱鬼を持ち込まれると、黒薔薇が心理的に萎縮する可能性があります。通常の刀の方が、正確な評価ができます」
「分かりましたわ」
「一つ、お願いがあります」
「なんでしょうかしら」
「手加減なしでお願いします」
「手加減なし、ですかしら」
「はい。本気でやっていただかないと、黒薔薇の本当の問題点が分かりません」
「分かりましたわ」
翌朝、訓練場に全員が集まった。
黒薔薇十名が横一列に並んでいた。
全員、黒い服だった。
戦闘服だった。
模擬暗器を持っていた。
木製の投擲ナイフ。
模擬用のガロット。
訓練用の短棒。
それぞれが自分の得意な暗器を持っていた。
朱音は訓練場の反対側に立っていた。
腰に朱シリーズの十番刀を差していた。
父が訓練場の端に立っていた。
見届け人だった。
何も言わなかった。
ただ見ていた。
セバスチャンが記録係として来ていた。
カインが観察者として来ていた。
フィーナが来ようとしたが、マルガレーテが止めた。
「見ない方がいいです」
「なんでですか」
「フィーナ殿がいると、エルシア様の動きに影響が出る可能性があります」
フィーナが残念そうにしていた。
しかし頷いた。
マルガレーテが中央に出た。
「ルールを確認します。エルシア様は峰打ちと鞘打ちのみ使用。黒薔薇は模擬暗器を使用。制圧または意識不明で脱落。制限時間は十分間。エルシア様が十分間で全員を制圧すれば勝利。黒薔薇がエルシア様を制圧すれば勝利」
「制限時間が十分ですかしら」
「はい。十分以内に全員を制圧できなければ、黒薔薇の引き分け勝ちとします」
「まあ、厳しい条件ですわね」
「本番はもっと厳しいと思っています」
朱音は少し考えた。
十名を十分で制圧する。
一人あたり一分かからない計算だった。
しかし黒薔薇は連携する。
一人ずつ来ない。
複数が同時に来る。
連携した十名を、十分以内に。
「分かりましたわ」
マルガレーテが戻った。
十名の列の中央に立った。
全員が構えた。
朱音は十番刀の柄に手をかけた。
抜かなかった。
まだ抜く必要がなかった。
「始め」
マルガレーテが言った。
黒薔薇が動いた。
十名が一斉に動いた。
しかし全員が突進してきたわけではなかった。
三名が左右に散った。
二名が前に出た。
二名が後方に残った。
三名が上に向かった。
上、というのは訓練場の壁際だった。
壁に沿って高い位置に移動していた。
三次元の展開だった。
前後左右上から同時に対応する準備をしていた。
(マルガレーテが考えた布陣だ)
前世の新選組も、似た展開をしていた。
全方向から来ることで、一方向への逃げを封じる。
しかし全方向から来ることには弱点があった。
中心が空く。
全員が外周に向かえば、中心に誰もいなくなる瞬間がある。
朱音は前に出た。
二名が正面から来た。
一の構えを取らなかった。
影踏みで二名の間に入り込んだ。
二名の視線が交差する盲点を縫った。
二名の間を通り抜けた。
二名が振り返った。
その瞬間、後方の二名との距離が詰まっていた。
後方にいた二名が近くにいた。
三の構えで峰打ちを入れた。
一名目が倒れた。
二名目が対応しようとした。
対応が完了する前に、泡沫を使った。
鞘打ちで制圧した。
二名目が倒れた。
二秒も経っていなかった。
左から模擬ナイフが飛んできた。
影踏みで動いた。
ナイフが空を切った。
左の三名の一人が投擲していた。
その三名に向かった。
壁際の三名が上から降りてきていた。
三方向から挟む形になっていた。
壁際から降りてきた三名が着地する前に、左の三名の先頭に踏み込んだ。
着地前の人間は動けない。
着地のために意識が集中している。
その瞬間に、先頭の一名への三の構えを入れた。
三名目が倒れた。
左の残り二名が来た。
二名同時だった。
一名がガロットを使おうとしていた。
もう一名が短棒を持っていた。
ガロットは首を狙う。
短棒は接近戦での打撃を狙う。
同時に来ることで、片方に対応すればもう片方が当たる設計だった。
対応した。
影踏みで二名の間に入り込んだ。
二名が互いに向かい合う形になった。
ガロットと短棒が、朱音ではなく互いに向かいそうになった。
二名が動きを止めた。
その一瞬に、峰打ちを二名に連続で入れた。
四名目と五名目が倒れた。
五名倒れた。
残り五名。
壁際から降りてきた三名と、正面から来ていた二名だった。
正面の二名は、最初に朱音が間を通り抜けた二名だった。
まだ立っていた。
振り返って、追いかけてきていた。
五名が朱音を囲む形になっていた。
五角形の包囲だった。
各頂点に一名ずつ。
包囲完成だった。
(夜嵐か)
使わなかった。
別の方法を取った。
影域展開を薄く使った。
展開した暗属性の魔力が、周囲の光を僅かに吸収した。
五名の視界が、わずかに落ちた。
視界が落ちた瞬間に、影踏みで五角形の一点に向かった。
一点突破だった。
包囲の中から外に出た。
包囲が崩れた。
崩れた一瞬に、朱の糸を使った。
六名目。
七名目。
八名目。
止まらなかった。
九名目への踏み込みで、残りの一名の気配を確認した。
マルガレーテだった。
最後の一名がマルガレーテだった。
九名目を制圧しながら、マルガレーテの位置を把握した。
マルガレーテが動いていた。
速かった。
他の九名とは動き方が違った。
仕込み杖を持っていた。
九名目が倒れた着地の瞬間に、マルガレーテが間合いに入っていた。
速かった。
予測していたより速かった。
仕込み杖が来た。
避けた。
しかし完全には避けられなかった。
仕込み杖の先端が、左腕を掠めた。
木製だったから傷にはならなかった。
しかし当たった。
当たりながら、三の構えで峰打ちを入れた。
マルガレーテが倒れなかった。
踏ん張った。
こらえた。
また仕込み杖が来た。
今度は下から来た。
踏み込みながら、柄頭で朱音の足元を狙っていた。
足払いだった。
足払いに対応した。
足を引いて、重心を移した。
仕込み杖が空を切った。
その瞬間に、泡沫を使った。
マルガレーテの首元に、鞘打ちを正確に入れた。
マルガレーテが止まった。
一歩後退した。
しかし倒れなかった。
「まあ」
朱音は少し止まった。
倒れない。
泡沫を入れた。
首元への鞘打ちだった。
精度は正確だった。
しかし倒れなかった。
「何かをしていますかしら」
「歯を食いしばっています」
マルガレーテが答えた。
「首の筋肉を固めることで、泡沫の効果を軽減しています」
「まあ、訓練していましたわね」
「エルシア様の泡沫が来ることを想定して、対策を練っていました」
「いつからですかしら」
「審問の後からです。エルシア様が泡沫を使うことを確認してから、対策を始めました」
朱音はマルガレーテを見た。
まだ立っていた。
仕込み杖を構えていた。
足がわずかに震えていた。
泡沫の効果が全くなかったわけではなかった。
しかしこらえていた。
「まだ続けますかしら」
「続けます」
「歯を食いしばっていれば、泡沫は効かないのですかしら」
「完全には無理です。しかし倒れるまでの時間を延ばせます」
「延ばした時間で何をしますかしら」
「別の誰かが来ます」
「誰かが来る、とはどういう意味ですかしら」
「黒薔薇は私一人ではありません」
倒れた九名が、少しずつ起き上がり始めていた。
峰打ちと泡沫で制圧していた。
全員気絶していると思っていた。
しかし全員が気絶しているわけではなかった。
制圧された後、意識を取り戻している者がいた。
四名が立ち上がっていた。
「まあ」
「制圧から意識回復までの時間を短縮する訓練を、フィーナの件の後から始めました」
「三日間で、ここまでできるようになりましたかしら」
「元々体力のある者たちです。意識して回復する訓練は、短期間でも効果が出ます」
五名が動ける状態になっていた。
マルガレーテと四名。
「再開しますか」とマルガレーテが言った。
「続けますわ」
五名が動いた。
今度の動きは、最初とは違った。
最初は包囲を基本とした動き方だった。
今度は個別撃破の動き方だった。
全員がバラバラに動いた。
どこから来るか分からない動き方だった。
(いい動き方ですわ)
影踏みで動いた。
五名の動きを同時に追いながら、一名ずつ対処した。
一名目。
マルガレーテが来た。
仕込み杖。
回避した。
二名目が横から来た。
影踏みで二名の間に入った。
二名が互いの邪魔になった。
その隙に三名目を制圧した。
十名目。
マルガレーテが来た。
今度は仕込み杖ではなかった。
投擲ナイフだった。
飛んできた。
避けた。
しかしもう一本が続いて来た。
二本目は予測していなかった。
左肩に当たった。
木製のナイフだった。
傷はなかった。
しかし当たった。
「二本同時ですかしら」
「片方で注意を引いて、もう片方を当てます」
「まあ、使い古した手ですわ」
「分かっていても当たりましたね」
「速度が予想より速かったですわ」
「練習しました」
また来た。
今度は三本だった。
影踏みで動いた。
三本とも避けた。
その間に残りの四名が間合いを詰めていた。
全員が近距離にいた。
一の構えを取った。
抜かなかった。
抜かずの朱を使った。
柄に手をかけたまま、殺気を均等に放った。
五名が止まった。
一瞬だけ止まった。
その一瞬に、五名の中を歩いた。
残月だった。
歩きながら、柄と鞘で順番に制圧した。
十一名目。
十二名目。
十三名目。
十四名目。
マルガレーテが最後だった。
「最後ですわ、マルガレーテ」
「はい」
「まだ続けますかしら」
「続けます」
「まあ、頼もしいですわ」
「エルシア様の言葉と同じです」
「えっ」
「必要がなければ止める。しかし必要があれば続ける。私もそうします」
朱音は少し止まった。
「分かりましたわ」
最後の踏み込みをした。
マルガレーテが仕込み杖を構えた。
一の構えから三の構えまで。
全力ではなかった。
マルガレーテが傷つかない速度で入れた。
鞘打ちがマルガレーテの首元に当たった。
今度はマルガレーテが倒れた。
膝をついた。
止まった。
訓練場が静かになった。
セバスチャンが時間を確認していた。
「七分十四秒です」
十分の制限時間で、七分十四秒だった。
倒れた黒薔薇が周囲に散らばっていた。
マルガレーテが膝をついたまま言った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう存じますわ」
「問題点が明確になりました」
「どんな問題点が見えましたかしら」
「意識回復後の再攻撃は有効でしたが、時間が足りませんでした。二本投擲は一度当たりましたが、続けることができませんでした。泡沫への耐性は、個人差があります。全員が私と同じようにはできません」
「改善できる部分とできない部分がありますわね」
「はい。できる部分を訓練します」
マルガレーテが立ち上がった。
黒薔薇が全員起き上がった。
横に並んだ。
全員が一礼した。
「助かりましたわ」と朱音は言った。
「問題点の確認が目的でしたが、エルシア様の問題点も見えましたか」
「左肩を二度、当てられましたわ。投擲への対応が後手でしたわ」
「私も確認しました。泡沫への耐性が有効だった場合の別の対処が必要です」
「次の機会に試しますわ」
「はい。またお願いできますか」
「もちろんですわ」
父が端から来た。
全体を見ていた。
「マルガレーテ」
「はい」
「二本投擲は良かった。続けろ」
「承知しました」
「エルシア」
「はい」
「左肩が甘い」
「分かっていますわ」
「分かっていれば直せ」
「直しますわ」
父が出ていった。
相変わらず短かった。
カインが来た。
「記録した」
「ありがとうございますわ」
「七分十四秒。十名プラス再起動の四名で計十四名。左肩への被弾が二回。泡沫の効果に個人差がある。それが今日の数字だ」
「数字にすると明確ですわね」
「問題点が数字になると、訓練の目標が決まる」
「ゴルドと同じ考え方ですわね」
「職人の考え方だ。測れるものは測る。測れないものも、できるだけ近づける」
セバスチャンが来た。
「エルシア様、本日の模擬戦の記録をまとめました。マルガレーテに渡していいですか」
「どうぞ」
セバスチャンがマルガレーテに記録を渡した。
マルガレーテが受け取った。
「ありがとうございます」
「次の訓練の参考に」
「はい」
訓練場が片付き始めた。
黒薔薇が道具を回収していた。
朱音は十番刀を確認した。
刃こぼれがなかった。
峰打ちと鞘打ちだけだったから、刃を使っていなかった。
「セバスチャン、刀の消耗はありませんでしたわ」
「台帳に記録します。本日の模擬戦、朱シリーズ十番刀、消耗ゼロ」
「ありがとうございますわ」
フィーナが訓練場の入口に来ていた。
マルガレーテに止められていたはずだったが、来ていた。
「終わりましたか」
「終わりましたわ」
「どうでしたか」
「黒薔薇が強くなっていましたわ」
「マルガレーテさんが、エルシア様に当てたんですか」
「二回当てられましたわ」
フィーナが少し驚いた顔をした。
「エルシア様が当てられたんですか」
「ええ」
「それって、黒薔薇がすごいんですか。それともエルシア様が油断したんですか」
マルガレーテが来た。
「両方です」と言った。
「えっ」
「黒薔薇が対策を準備していたことと、エルシア様が投擲の速度を読み誤ったことが重なりました」
「なるほど」フィーナが頷いた。「どっちかだけじゃなくて、両方が重なったんですね」
「そうです。戦場では、そういうことが起きます」
「だから訓練するんですね」
「そうです」
マルガレーテがフィーナを見た。
「フィーナ殿」
「はい」
「今日から護身術の訓練を増やします。投擲の対処も含めます」
「投擲の対処もですか」
「エルシア様でも対応が遅れることがあります。フィーナ殿は最低限、自分の身を庇えるようになってください」
「分かりました」
「今日の午後から始めます」
フィーナが少し固まった。
「今日からですか」
「今日から」
「分かりました」
訓練場から全員が出た。
朱音は最後に出た。
訓練場を振り返った。
黒薔薇十名と一対一でやった場所だった。
七分十四秒で全員を制圧した場所だった。
二回当てられた場所だった。
課題が二つできた。
左肩への対処と、投擲への速度の読み方だった。
課題があることは悪くなかった。
課題がある間は、動き続ける理由がある。
前世でも、課題がある間は動けた。
課題がなくなった時が、一番危なかった。
今は課題がある。
動き続ける理由がある。
訓練場の扉を閉めた。
今日も続いていた。




