第六十二話 セバスチャン、単独追跡
昼過ぎに、セバスチャンが来た。
いつもと違う顔をしていた。
何かを決めた顔だった。
「報告があります」
「どうぞ」
「フィーナの件で、独自に動きました。事後報告になりますが、お許しください」
朱音は少し止まった。
「どう動きましたかしら」
「今朝の早い時間から、手紙が置かれた経路を追っていました。フィーナの部屋の窓から入った者の足跡を、屋敷の外まで追いました」
「一人で行動しましたの」
「はい。魔力がないため、魔法的な探知に引っかかりません。この特性を活かして、単独で追跡しました」
「危険ではありませんでしたかしら」
「危険はありました。しかし一人の方が目立たないと判断しました」
「どこまで追えましたかしら」
「王都の南西区域まで追えました。そこで足跡が消えました。しかし消えた場所の近くに、特定の建物があります」
「ヴァレンシアの伯父上が示した建物と一致しますかしら」
セバスチャンが少し驚いた顔をした。
「一致します。侯爵からその情報を得ていらっしゃったのですね」
「ええ。今朝教えていただきましたわ」
「では、フィーナはその建物にいる可能性が高いと思われます」
「中の様子は確認できましたかしら」
「外から確認しました。建物への出入りを、三時間観察しました。十五名前後が出入りしています。複数の者が建物の周囲を警戒しています」
「警戒の人数と配置は分かりますかしら」
セバスチャンが手帳を開いた。
細かい字で、建物の周囲の地図が書いてあった。
「建物の正面に二名。裏に二名。左側に一名。右側の路地に一名です。全部で六名が外部警戒についています」
「六名の交代サイクルは分かりますかしら」
「一時間ごとに交代しています。ただし交代の際に、全員が一斉に交代するわけではありません。一名ずつ順番に交代します」
「交代の際に空白が生じますかしら」
「わずかに生じます。一名が持ち場を離れてから、次の者が来るまでの間です。五分から十分程度です」
「その空白を利用できるかもしれませんわね」
「そう考えて記録しました」
朱音はセバスチャンを見た。
二十歳の青年が、単独で追跡して、建物の周囲を三時間観察して、警戒の配置と交代のサイクルまで記録していた。
「よくやってくれましたわ」
「エルシア様なら、同じことをされていたと思いましたので」
「同じことをする前に、あなたがやってくれましたわ」
「そのために動きました」
「ありがとうございますわ」
「恐れ入ります。もう一点報告があります」
「なんでしょうかしら」
「建物への出入りを観察している間に、一名の顔を確認しました」
「誰ですかしら」
「魔法教会の強硬派の記録にある人物です。審問の時に制圧した八名の中にはいませんでした。しかし魔法教会の強硬派の周辺にいた人物です」
「魔法教会の残党が、その建物にいるということですわね」
「そうです。シュタルク家の関与については、まだ確認できていません」
「分かりましたわ。伯父上が夕方に連絡を入れてくれますわ。その情報と合わせて判断しますわ」
「承知しました。それと」
「まだありますかしら」
「建物の周辺で、もう一点気づいたことがあります」
「言ってください」
「建物から一本入った路地に、馬が繋がれていました。複数頭です。すぐに移動できる準備があるということかもしれません」
「移動する準備ですわね」
「三日以内に要求への回答を求めています。回答によっては、フィーナを連れて別の場所に移る可能性があります」
「早く動く必要がありますわね」
「はい。ただし」
「なんでしょうかしら」
「急ぐあまり、相手の罠に入る可能性があります。今日の観察では、建物の周囲に別の目がある可能性を感じました」
「どういう意味ですかしら」
「警戒の六名の他に、離れた場所からこちらを観察している者がいるかもしれません。私自身が追跡されていた可能性があります」
「尾行されていましたかしら」
「途中で気づいて、経路を変えました。確信はありません。しかし可能性は否定できません」
「つまり、あなたがその建物の場所を知っていることが、相手に伝わっているかもしれないということですわ」
「はい。その前提で動く必要があると思っています」
朱音は考えた。
相手が、こちらが場所を知っていることを知っている可能性がある。
その前提で動くということは、正面から向かうことは相手が待っているということを意味する。
「罠として機能する可能性がある場所に、フィーナがいるということですわね」
「そうです」
「しかし三日以内に動かなければ、フィーナが別の場所に移される可能性がある」
「はい」
「どちらにしても、動く必要がありますわ」
「そうです」
朱音は立ち上がった。
「レオンに連絡を入れてくださいますかしら」
「レオン様ですか。理由を教えていただけますか」
「その建物に魔法教会の残党がいますわ。光属性のレオンが動くことで、魔法教会側の注意をこちらに引ける可能性がありますわ。また、建物への接触において、複数の方向から動くことが有効かもしれませんわ」
「分かりました。連絡します」
「カインにも連絡を入れてくださいますかしら」
「カイン殿にですか。どのような用件で」
「来てもらうだけで構いませんわ。今夜の動きに備えて、近くにいてほしいですわ」
「承知しました」
「父にも状況を伝えてくださいますかしら」
「すでに報告しています。ライナルト様は書斎にいらっしゃいます」
「ありがとうございますわ」
セバスチャンが動いた。
父の書斎に向かった。
父は地図を見ていた。
王都の地図だった。
セバスチャンの報告を踏まえて、すでに確認していた。
「南西区域か」
「そうですわ。セバスチャンが追跡しましたわ」
「あいつは使える」
「ええ」
「お前はどう動くつもりだ」
「今夜の侯爵からの連絡を待ってから判断しますわ。しかし基本的な方針は決まっていますわ」
「言え」
「正面からではなく、複数の方向から同時に動きますわ。相手が罠を準備しているなら、罠の想定を超える動き方をする必要がありますわ」
「具体的には」
「建物の周囲に六名の外部警戒がいますわ。交代のサイクルで空白が生じますわ。その空白を利用して、複数の方向から同時に入りますわ」
「何人で動く」
「私とレオン、カイン、黒薔薇から三名の計六名を考えていますわ」
「俺は」
「お父様には別の役割をお願いしたいですわ」
「何だ」
「建物の周囲に、別の目がある可能性がありますわ。セバスチャンが尾行されていたかもしれませんわ。もし尾行されていたなら、今夜の動きも監視されている可能性がありますわ。その監視を、お父様に外してほしいですわ」
父が少し間を置いた。
「監視を外すとは、どういう意味だ」
「監視している者を、監視させないことですわ。どう動くかはお父様が判断してくださいませ」
「殺さないことを前提にするか」
「お父様の判断に任せますわ。ただし、目的はフィーナを取り戻すことですわ。余計な問題を増やすことは、今は避けたいですわ」
父が頷いた。
「分かった。俺は別に動く」
「ありがとう存じますわ」
父が立ち上がった。
書斎を出た。
今夜の動きが決まり始めていた。
夕方、侯爵から連絡が入った。
セバスチャンが持ってきた。
「侯爵からの情報です。建物の内部に、フィーナと思われる人物がいることを確認しました。一階の奥の部屋で、拘束されていますが怪我はないようです」
「怪我はないですわね」
「はい。今の時点では安全なようです」
「ありがとうございますわ」
「もう一点、侯爵からの追加情報です。建物の中に、ヴェルナーはいません。シュタルク家の直接の関与は確認できていないとのことです」
「シュタルク家は動いていないということですかしら」
「侯爵はそう判断しています。ただし、間接的な関与は否定できないとのことです」
「分かりましたわ」
「夜の動きの準備を進めますか」
「ええ、進めてくださいますかしら」
レオンが来た。
「連絡を受けた。フィーナが連れ去られたと」
「ええ」
「魔法教会の残党がいるということか」
「その可能性が高いですわ」
「光属性として、関与できることがあれば言え」
「今夜の動きで、複数の方向から建物に入る際に、光魔法で内部の注意を引いてほしいですわ。具体的な場面はその時に判断しますわ」
「分かった」
カインが来た。
「呼ばれた」
「来てくれましたわ」
「フィーナが連れ去られた」
「ええ」
「俺は何をする」
「今夜の動きで、建物に入る際のサポートをお願いしたいですわ。刀職人として戦うことは求めていませんわ。しかし観察眼があるあなたに、状況の確認をお願いしたいですわ」
「観察と記録か」
「ええ。何が起きているかを正確に把握してほしいですわ」
「分かった」
夜になった。
全員が集まった。
朱音、レオン、カイン、黒薔薇三名、セバスチャン。
父は別に動いていた。
セバスチャンが建物の地図を広げた。
「建物の構造を説明します。入口は正面と裏の二カ所です。窓は複数ありますが、一階と二階のものがあります。フィーナは一階の奥の部屋にいます」
「警戒の交代のタイミングはいつですかしら」
「今夜の最初の交代は、夜の九時頃です。その時に正面の一名が交代します。五分の空白が生じます」
「その五分で動きますわ」
「作戦を確認します」
全員が地図を見た。
朱音が説明した。
「レオンは建物の正面から注意を引いてくださいますかしら。光魔法を使って、正面の警戒を向けてほしいですわ」
「分かった」
「私は裏から入りますわ。黒薔薇の三名は、左と右と上から同時に接触してくださいますかしら。全方向から同時に動くことで、相手が対応できない状況を作りますわ」
「承知しました」とマルガレーテが答えた。
「セバスチャンはカインと一緒に、外の監視をお願いしますわ。父が別動で動いていますが、父以外の監視者が残っている場合の確認と記録をお願いしますわ」
「承知しました」
「フィーナを見つけたら、無事を確認してすぐに外に出ますわ。戦闘は必要最小限にしますわ。相手を制圧することが目的ではなく、フィーナを取り戻すことが目的ですわ」
全員が頷いた。
「質問はありますかしら」
「一つ」とレオンが言った。
「なんでしょうかしら」
「フィーナを連れ去った者たちを、どう扱う」
「制圧しますわ。今夜は直裁権の話はしませんわ。必要であれば、後日王家と騎士団に引き渡しますわ」
「分かった」
夜の九時まで、あと一時間だった。
朱音は朱鬼を確認した。
いつもの重さだった。
全員が待機している間、朱音は一人で少し離れた場所に立った。
夜の空を見た。
星が出ていた。
前世でも、こういう夜があった。
誰かのために動く夜ではなかった。
大義のために動く夜だった。
見えない誰かのために、刃を向ける夜だった。
今夜は違う。
フィーナのために動く。
書きかけの手紙を残した、あの赤毛の侍女のために。
護身術の教本が机に残っていた。
途中まで書いた手紙が残っていた。
それを書き終えさせるために、今夜動く。
(前世では、大義のために斬った)
(見えない誰かのために、見える誰かを斬った)
(今夜は違う)
(見える誰かのために、動く)
(幾百の人間を斬ってきた)
(狭窄路に誘い込んで、一刀で斬り伏せてきた)
(新選組を切り抜けた)
(その技術が、今夜フィーナのために使える)
(使う)
(必要なら、幕末の人斬りに戻る)
(躊躇わない)
(ただし今夜の修羅は、前世の修羅とは違う)
(前世の修羅には大義があった)
(今夜の修羅には、フィーナがいる)
(顔が見える)
(声を知っている)
(名前を知っている)
(大義より小さな理由かもしれない)
(しかし今の私には、この理由の方が本物だ)
(所詮人斬りにできることは、大きくない)
(見える範囲の人々を護ること)
(その人々の幸せを繋ぐこと)
(フィーナが笑えること)
(書きかけの手紙の続きを書けること)
(それだけで、十分だ)
(それだけのために、今夜修羅になる)
夜の九時まで、あと少しだった。
朱音は朱鬼の柄に手をかけた。
冷たかった。
いつもの冷たさだった。
前世でも、刃を握る前の冷たさがあった。
その冷たさが手のひらに伝わった時、前世と今世が重なった。
しかし目的は違った。
前世は大義のために。
今夜はフィーナのために。
それだけが、全てが違う理由だった。
「時間です」とセバスチャンが言った。
朱音は動いた。




