第六十話 シュタルクの値踏み
王太子との三度目の面会から二日後、別の訪問があった。
シュタルク家からだった。
シュタルク公爵ではなく、代理人が来た。
シュタルク家の名代として、壮年の男が一人来た。
名をヴェルナーといった。
シュタルク家の財務を取り仕切る人物だとセバスチャンが事前に調べていた。
「財務担当が来ましたわ」
「シュタルク家らしいですわね」とフィーナが言った。
「どういう意味ですかしら」
「シュタルク家って、お金の家じゃないですか。財務の人が来るのは、お金の話をするためですよね」
「まあ、そうかもしれませんわね」
父はこの面会には出なかった。
「シュタルクとは、俺が話す必要がない」と言っていた。
「なぜですかしら」
「武門同士の話ではないからだ。シュタルクと話すなら、別の言語が必要だ」
「財務の言語ですかしら」
「そういうことだ。お前の方が向いている」
「私が向いているとはどういう意味ですかしら」
「観察眼がある。相手の意図を読む。それが必要な交渉だ」
珍しく具体的な理由だった。
母が同席した。
「シュタルクとの交渉は、私も慣れているわ」
応接間に通した。
ヴェルナーが座った。
細身の男だった。
眼鏡をかけていた。
書類を持っていた。
「クロイツェル公爵夫人、エルシア様、本日はお時間をいただきありがとうございます」
「どのようなご用件でしょうかしら」
ヴェルナーが書類を開いた。
「シュタルク公爵より、クロイツェル家への提案をお持ちしました」
「提案、とはどのような内容ですかしら」
「三点あります」
「お聞かせくださいますかしら」
「一点目です。クロイツェル領の北方における、シュタルク家の商業活動の権利です。具体的には、北方交易路の使用権と、領内での商品取引の優先権です」
朱音は少し止まった。
「北方交易路の使用権、ですかしら」
「はい。現在、北方への交易路はクロイツェル家が管理しています。シュタルク家はその交易路を使った北方との取引に関心があります」
「北方との取引というのは、どういう商品を想定していますかしら」
「主に鉱物資源です。北方の山岳地帯には、希少金属の産地があります。ミスリルを含む複数の金属が採掘されています」
ミスリルという言葉が出た。
ゴルドが調達しているミスリルの産地だった。
「北方の鉱山についてご存知なのですわね」
「把握しています。シュタルク家は情報収集を重視しております」
「ゴルドへのミスリルの供給についても、知っておりますかしら」
「把握しております」
母が口を開いた。
「シュタルク家が北方の鉱物資源に関心を持つことは理解できるわ。しかしクロイツェル家が交易路の使用権を提供する代わりに、何を得られるかが問題ね」
「二点目がその内容です」
ヴェルナーが続けた。
「シュタルク家からクロイツェル家への財政的支援です。具体的な金額については、別途協議しますが、クロイツェル領の防衛設備の強化費用をシュタルク家が負担します」
「防衛設備の強化費用、とは具体的にはどういう意味ですかしら」
「北方国境の防衛設備を強化するための費用です。今回の北方の件を踏まえて、防衛力の強化が必要と判断しました。その費用をシュタルク家が出します」
「つまり、シュタルク家が防衛費用を出す代わりに、北方交易路の権利を得るということですわね」
「端的に言えばそうなります」
「三点目は」
「ミスリルの供給についてです。現在、ゴルド殿への供給はドワーフの氏族経由です。シュタルク家が直接その供給ルートに関与することで、より安定した供給が可能になります」
「どのように関与しますかしら」
「シュタルク家が採掘権の一部を取得します。採掘したミスリルの一定量を、優先的にクロイツェル家とゴルド殿に提供します」
「供給の安定化は、確かに魅力がありますわ」
「はい。現在の供給は、ドワーフの氏族との個別交渉に依存しています。不安定な部分があります」
「しかし」と母が言った。「採掘権をシュタルク家が取得することで、将来的に供給量や価格をシュタルク家が決める可能性があるわ」
ヴェルナーが少し止まった。
「ご懸念の点は理解します」
「懸念ではなく、事実の確認ですわ」と朱音が言った。「採掘権を持つ者が供給をコントロールするのは、当然ですわよ。その点を明確にしておきたいですわ」
「仰る通りです」
「ではシュタルク家が採掘権を持った場合、クロイツェル家への供給量と価格について、どのような保証がありますかしら」
「それは交渉の余地があります」
「交渉の余地がある、というのは、今日の提案には含まれていないということですわね」
「はい。今日は大枠のご提案です」
「大枠を持ってきた意味を確認しますわ」
「どういう意味でしょうか」
「シュタルク家は、今日の時点でどのような反応を期待していますかしら。承諾ですかしら、それとも交渉開始の意思ですかしら」
ヴェルナーが少し間を置いた。
「交渉開始の意思を確認したいと思っています」
「なぜ今のタイミングですかしら」
「北方の件の後、クロイツェル家の注目が高まっています。また、王太子殿下との交渉が進んでいるという情報もあります。このタイミングが適切と判断しました」
情報を持っていた。
王太子との交渉が進んでいることまで把握していた。
「情報が速いですわね」
「シュタルク家の強みです」
「強みを見せることで、こちらに印象を与えようとしていますわね」
ヴェルナーが少し止まった。
「鋭いですね」
「まあ」
「エルシア様は、交渉においても剣術においても、同じ観察眼をお持ちのようです」
「比べていただかなくて構いませんわ」
母が言った。
「一つ確認があるわ。シュタルク公爵は、なぜ自ら来なかったのかしら」
「公爵は多忙でして」
「多忙な理由は何かしら」
「王都での商業交渉が続いております」
「王都での商業交渉」母が少し間を置いた。「王太子との交渉に、シュタルク家も関与しているのかしら」
ヴェルナーが少し固まった。
一瞬だけだった。
しかし固まった。
「それは」
「答えなくて構いませんわよ」と朱音が言った。「確認できましたわ」
ヴェルナーが朱音を見た。
「何が確認できたとおっしゃるのですか」
「シュタルク家が、王太子との交渉に何らかの形で関与している可能性が高いということですわ。固まったことで、否定できない事情があると分かりましたわ」
ヴェルナーが少し間を置いた。
「エルシア様は、観察が鋭いですね」
「まあ」
「シュタルク家としては、王太子の交渉とクロイツェル家との交渉は別のものとして進めています」
「別のものとして進めている、という言い方が面白いですわ」
「どういう意味でしょうか」
「別のものとして進めているということは、繋がっている部分があるということですわよ。完全に別であれば、別として進めているという説明は必要ありませんわ」
ヴェルナーが今度は固まらなかった。
しかし答えも出なかった。
「今日は大枠のご提案として承りましたわ」朱音は言った。「内容については、持ち帰って検討しますわ。交渉を進めるかどうかは、検討の結果でお答えしますわ」
「いつ頃に」
「一週間後にはお答えできると思いますわ」
「承知しました」
ヴェルナーが立ち上がった。
帰り際に言った。
「エルシア様、一点だけ申し上げてよろしいでしょうか」
「なんでしょうかしら」
「シュタルク公爵は、エルシア様を高く評価しています。剣術の評価だけでなく、全体的な判断力の評価として」
「まあ、光栄ですわ」
「公爵は、今後クロイツェル家が王国においてより大きな役割を持つと予測しています。その予測に基づいて、今回の提案をお持ちしました」
「シュタルク家の投資ということですわね」
「そのようにご理解いただければ」
「投資であれば、見返りを求めていることも明確ですわね」
「ビジネスですから」
「正直なことですわ」
ヴェルナーが出ていった。
母と二人になった。
「どう見たかしら」
「シュタルク家は、王太子との交渉に何らかの形で関与していますわ。そしてクロイツェル家が王太子と合意することを前提に、自分たちの利益を確保しようとしていますわ」
「北方交易路と採掘権が本命ね」
「ええ。防衛費用の負担は、交易路の使用権を得るための対価ですわ。本当に欲しいのは北方の鉱物資源ですわ」
「ミスリルを含む資源ね」
「ゴルドへの供給に関与することで、朱鬼の素材の流れをコントロールしようとしているかもしれませんわ」
母が少し間を置いた。
「それは問題になる可能性があるわ」
「ええ。供給をコントロールされれば、刀の製作が相手の判断に左右されますわ。それは避けたいですわ」
「では採掘権の話は断るかしら」
「採掘権をシュタルク家に渡すことは断りますわ。しかし北方交易路の使用権については、条件次第では考えられますわ」
「どんな条件かしら」
「交易路の使用に、クロイツェル家の承認を必要とする条件ですわ。シュタルク家が使いたい時に使えるのではなく、クロイツェル家が承認した場合にのみ使えるようにしますわ」
「クロイツェル家が主導権を持ち続けるということね」
「そうですわ。それができるなら、防衛費用の負担は受け入れる価値があるかもしれませんわ」
母が頷いた。
「セバスチャンと一緒に、一週間で条件の案を作りましょう」
「お願いしますわ」
「もう一つ確認しておきたいわ」
「なんでしょうかしら」
「シュタルク家が王太子の交渉に関与しているとすれば、今日の訪問はそちらと連動している可能性があるわ。王太子との合意が成立した後に、シュタルク家が有利な条件を得るための事前工作かもしれない」
「ヴァレンシアの伯父上が言っていた、北方の件と王太子の交渉が繋がっている可能性と合わせて考えると、複数の動きが連動しているかもしれませんわ」
「そうね。全部が一つの大きな動きの一部という可能性がある」
「誰が中心にいるかが問題ですわね」
「王太子かもしれない。あるいは王太子も誰かに動かされているかもしれない」
「前世でも、こういう構図がありましたわ」
「どんな構図かしら」
「表向きは複数の勢力が動いているように見えて、実際は一つの意志が動かしていることがありましたわ。見えている部分だけで判断すると、中心が見えなくなりますわ」
「今は、中心が見えているかしら」
「まだ見えていませんわ。しかし見えない部分があることは分かりましたわ」
「それが分かっていれば、動けるわ」
母が立ち上がった。
「セバスチャンを呼びましょう。今日の内容を整理しておきたいわ」
「はい」
二人で応接間を出た。
廊下を歩きながら、朱音は今日の三つの動きを頭の中で並べた。
王太子との交渉。
ドラクロワ家との同盟。
シュタルク家からの提案。
全部が別の動き方をしていた。
しかし全部の中に、共通するものがあった。
クロイツェル家を中心にして、複数の力が動いていた。
前世では、こういう中心になったことがなかった。
周辺に置かれていた。
使われる側にいた。
今は中心に近い場所にいた。
中心は重かった。
全部の動きが集まってくるから、重かった。
しかし重さは地に足をつける力でもあった。
廊下の窓から外が見えた。
春の空が続いていた。
今日の整理が終わったら、稽古場に行く。
体を動かすと、頭が落ち着く。
前世からの習慣だった。
今日も同じだった。




