第五十九話 ドラクロワの尊重
一週間後の王太子との面会の前日、別の訪問があった。
ドラクロワ公爵だった。
今回は予告があった。
三日前に書簡が来ていた。
面会を求める、という内容だった。
理由は書いていなかった。
しかし審問の場で、同盟について話し合う機会を作りたいと言っていた。
その件だろうと、朱音は思っていた。
ドラクロワ公爵は父に似ていた。
背が高かった。
広い肩幅だった。
言葉が少なかった。
しかし父と違うのは、目に熱があることだった。
父の目は静かだった。
ドラクロワ公爵の目は、何かを求めている目だった。
武門の人間が、強いものを見た時の目だった。
応接間に通した。
父と朱音が向かい合った。
公爵が口を開いた。
「審問の時に言った話を、改めてしたいと思って来た」
「同盟の件ですかしら」
「そうだ。クロイツェルの剣を見た。エルシア様の剣も、北方の件の報告で聞いた」
「報告が届いていましたのね」
「届いた。百二十七体を全員生かして制圧した。それを父娘でやったという報告だ」
「騎士団も動いてくれましたわ」
「知っている。しかし主力はクロイツェル家だった」公爵が父を見た。「ライナルト、お前の剣は昔から聞いていた。しかし実際に見たことはなかった」
「今回も見ていない」と父が言った。
「そうだな。報告でしか知らない。しかしその報告が、十分に雄弁だった」
「それで、何を話したいのですかしら」
公爵が朱音を見た。
「単刀直入に言う。ドラクロワ家はクロイツェル家との同盟を望んでいる」
「理由をお聞かせいただけますかしら」
「理由は二つある。一つ目は、北方の件だ。ダークウルフが統率されていた。これは通常ではない。誰かが魔物を動かしているとすれば、それは王国全体への脅威になり得る」
「その脅威に、クロイツェル家の力が必要だということですかしら」
「そうだ。ドラクロワ家は軍事を得意とする。しかし今回のような、魔物の統率という新しい脅威には、別の力が必要かもしれない」
「暗属性の力が、その別の力だということですわね」
「可能性として考えている。暗属性が魔物の本能に影響できるなら、統率を乱す使い方もあるかもしれない」
朱音は少し考えた。
「私自身、その可能性を考えたことはありますわ。しかし試したことはありませんわ」
「試してみる気はあるか」
「必要があれば試しますわ。ただし、試すことと、それを同盟の条件にすることは別の話ですわ」
公爵が少し止まった。
「どういう意味だ」
「試して効果があった場合、その力を同盟の条件として求められる可能性がありますわ。それは困りますわ」
「なぜ」
「力を提供することを条件にした同盟は、力がなくなった時に終わりますわ。そういう同盟は望みませんわ」
公爵が朱音を見た。
長い間、見ていた。
それから父を見た。
「この娘は、お前に似ているな」
「どこがですかしら」
「本質だけを言う」
父が無言だった。
否定しなかった。
「二つ目の理由を聞かせてくださいますかしら」
「二つ目は、単純だ」
「単純、というのは」
「武門として、クロイツェル家を尊重している。尊重できる相手と同盟を組みたい。それだけだ」
朱音は公爵を見た。
複雑な計算のある理由ではなかった。
武門として、強い剣を持つ家を尊重する。
それが二つ目の理由だった。
「まあ、ありがとう存じますわ」
「礼はいらない。事実を言っているだけだ」
父が口を開いた。
「同盟の条件を聞かせろ」
「条件は一つだけだ」
「一つか」
「有事の際に、互いに支援する。それだけだ」
「それだけですかしら」
「それ以上はいらない。細かい条件を並べると、条件の隙間で動けなくなる。武門の同盟は、シンプルな方がいい」
父が頷いた。
「同意だ」
「お父様」朱音は言った。「確認させてくださいますかしら」
「言え」
「有事の範囲は、どう定義しますかしら。ドラクロワ公爵、お聞かせいただけますかしら」
「両家が有事と判断した場合だ。一方が有事と判断しても、他方が同意しなければ義務は生じない」
「双方の合意が必要ということですわね」
「そうだ。無理に引きずり込まれることはない」
「それはよいですわ」
「一点だけ追加する」
「なんでしょうかしら」
「双方が有事と判断した場合でも、具体的な支援の内容は、その時に決める。事前に全部決めておくことはしない」
「なぜですかしら」
「有事の状況は、毎回違う。事前に決めた支援が、実際の状況に合わない場合がある。その都度判断する方が、実際には機能する」
「武門らしい考え方ですわ」
「武門にとっての同盟は、戦場で機能することが全てだ」
父が言った。
「ドラクロワと同盟を組んだことはなかった」
「そうだ」
「なぜ今回だ」
「今まで、必要を感じなかった。しかし今回の北方の件で、必要を感じた」
「北方の件の前に、すでに審問の場で言っていたな」
「審問の場でエルシア様の剣を見た。その時点で、声をかけようと決めていた。北方の件が、その判断を確かなものにした」
父が少し間を置いた。
「承諾する」
「ライナルト」
「なんだ」
「お前は言葉が少ない。俺も少ない。同盟を組んでも、連絡が少なくなりそうだ」
「問題があるか」
「ない。同盟とはそういうものだ。有事の時だけ動けばいい」
二人の間に、短い笑いが生まれた。
笑い、というより、口の端が動いただけだった。
しかし同種の人間が初めて笑いを共有した瞬間だった。
「エルシア様」公爵が朱音を見た。
「はい」
「お前は何か言いたいことがあるか」
「一つだけ」
「言え」
「ドラクロワ家との同盟を、クロイツェル家として歓迎しますわ。しかし私個人として一点、お伝えしておきますわ」
「なんだ」
「私は道具にはなりませんわ。暗属性の力を、同盟の前提条件にはしてほしくありませんわ。今日、暗属性の力への言及がありましたわ。その点だけ、明確にしておきたかったのですわ」
公爵が朱音を見た。
「道具にするつもりはない」
「まあ、ご理解いただけていましたかしら」
「理解している。俺が求めているのはクロイツェル家との同盟だ。クロイツェルの剣だ。暗属性の力は、その一部かもしれないが、全部ではない」
「よろしいですわ」
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「道具にならないという言葉を、お前はよく使う。それはどこから来ているのか」
朱音は少し考えた。
「前世の経験からですわ」と言いかけた。
止めた。
「いくつかの経験からですわ。人の力を利用しようとする者が、どういう言葉を使うかを学びましたわ。その経験から来ていますわ」
「そうか」公爵は頷いた。「武門の者として言う。道具として使われることを嫌う剣士は、強くなれる。自分の意志で振る剣は、他人のために振る剣より鋭い」
「まあ」
「クロイツェルの剣が強い理由が、少し分かった気がした」
父が口を開いた。
「ドラクロワ、書面は作るか」
「簡単なものでいい。詳細は必要ない。双方が有事に支援し合う、という一文だけあればいい」
「それでいい」
「今日中に作って渡す」
父が立ち上がった。
「書斎で作る」
父が出ていった。
公爵と朱音が応接間に残った。
しばらく沈黙があった。
「エルシア様」
「はい」
「北方の件で、全員を生かして制圧した。なぜそうした」
「必要がなかったからですわ」
「必要がない、というのはどういう意味だ」
「殺すことで解決する問題があれば、殺しますわ。しかし今回は、制圧するだけで十分でしたわ。ならば制圧だけでいいですわ」
「感情ではなく、判断でそうしているのか」
「そうですわ」
「殺すことに、躊躇があるわけではないということか」
「ありませんわ」
「しかし殺さないことを選んだ」
「判断の結果ですわ」
公爵が少し間を置いた。
「俺の部下の中に、殺すことへの躊躇が戦いを遅くする者がいる。そういう者は、戦場では危険になることがある」
「それとは違いますわ」
「分かっている。お前は躊躇ではなく、判断で殺さないことを選んだ。それは強さだ」
「まあ」
「殺せるが、殺さないことを選ぶ。それができる剣士は、殺す判断も正確にできる」
朱音は公爵を見た。
「ドラクロワ公爵は、そういう剣士ですかしら」
「そうありたいと思っている。しかし難しい」
「なぜですかしら」
「戦場で判断する時間がない場合が多い。瞬間に決めなければならない。その瞬間に、殺すか殺さないかを正確に判断することは、訓練が必要だ」
「前世では」
止めた。
「経験を積むことで、判断が速くなりますわ。しかし最初から速い人間はいませんわ。私もまだ訓練の途中ですわ」
「お前がまだ途中だとすれば、完成した時が怖いな」
「まあ」
「褒め言葉だ」
父が戻ってきた。
一枚の紙を持っていた。
シンプルな文章が書いてあった。
「読め」と父が公爵に言った。
公爵が読んだ。
「問題ない。署名する」
父が先に署名した。
公爵が次に署名した。
「もう一部作れ。それぞれが持つ」
「そうする」
父がもう一枚作った。
二枚の書面ができた。
一枚がクロイツェル家に残った。
一枚が公爵が持った。
「これで同盟だ」
「そうだ」
シンプルだった。
ヴァレンシア家との交渉とは、全く違う速さだった。
武門の同盟は、こういうものだと朱音は思った。
「エルシア様」公爵が帰り際に言った。
「はい」
「明日、王太子との面会があると聞いた」
「ええ」
「王家との交渉と、ドラクロワとの同盟は別のものだ。王家との条件がどうなろうと、今日の同盟は有効だ。それだけ言っておく」
「ありがとう存じますわ」
「礼はいらない。武門の約束だ」
公爵が出ていった。
父と二人になった。
「お父様」
「ああ」
「ヴァレンシア家との交渉より、ずっと速かったですわね」
「武門はそういうものだ」
「書面の内容も、ずっとシンプルでしたわ」
「武門の同盟に、細かい条件はいらない。必要な時に動く。それだけだ」
「まあ、清々しいですわね」
「ヴァレンシアとの交渉も必要だ。しかし種類が違う」
「両方が必要ということですわね」
「そうだ」
父が書斎に向かった。
一人になった。
明日、王太子との面会がある。
今日、ドラクロワ家との同盟ができた。
その前に、ヴァレンシア家が交渉に関与していた。
全部が別の動き方をしていた。
しかし全部が繋がっていた。
前世では、こういう繋がりが一切なかった。
全部が一人で動いていた。
今は違った。
それぞれが違う動き方で、しかし同じ方向に向かっていた。
窓の外に夕方の光があった。
明日の準備を始める時間だった。




