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緋色の魂は二度、剣を握る ~人斬り令嬢の異世界無双~  作者: N


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第四十八話 ずっと、ましだ

週末になった。


工房に向かう朝、空が青かった。


雲がなかった。


珍しいくらい晴れていた。


馬で行った。


レオンも来た。


昨日、ゴルドへの確認を入れたらよろしいとのことだった。工房に来たことのない人間を連れていくことを、ゴルドは特に問わない人間だった。目が良ければ誰でも歓迎する。目が悪ければ誰でも歓迎しない。それだけの基準だった。


レオンは馬で来た。


カインは徒歩で来た。


三人で黒炉の前に着いた。


カインが歩いてきていたから、三人が揃ったのは朱音とレオンより少し後だった。


「毎回徒歩ですかしら」


「問題ない」


「疲れますわよ」


「慣れている」


レオンがカインを見た。


「一時間以上歩いてきたのか」


「そうだ」


「なぜ馬を使わない」


「持っていない」


「借りれば」


「借りる必要がない」


レオンが少し止まった。


「頑固だな」


「そうでもない。必要なことはする。必要でないことはしない。それだけだ」


レオンが朱音を見た。


「こいつはいつもこうなのか」


「ええ、いつもですわ」


「慣れているのか」


「慣れましたわ」


工房に入った。


ゴルドがいた。


炉の前ではなかった。


作業台の前に立っていた。


作業台の上に、何かが置いてあった。


布がかけてあった。


「来たか」


「来ましたわ」


「全員揃ったか」


「カインも来ています。それとレオン・ルミナールも」


ゴルドがレオンを見た。


値踏みする目だった。


「光属性の貴族か」


「そうだ」


「なぜ来た」


「朱鬼を見たかった」


「なぜ見たいのだ」


「光と暗の実験をした。その暗側が使う刀だ。興味がある」


ゴルドが少し間を置いた。


「まあいい。邪魔はするな」


「しない」


ゴルドが作業台に向かった。


布に手をかけた。


「見ろ」


布を外した。


刀が置いてあった。


鞘に収まっていた。


黒い鞘だった。


朱シリーズの鞘とは違う黒さだった。


深い黒だった。


光を吸収しているような黒さだった。


金具が銀色だった。


シンプルだった。


余計な装飾がなかった。


実用一点張りの拵えだった。


しかし朱シリーズとは違う何かがあった。


朱音は近づいた。


鞘を手に取った。


軽かった。


予想していたより軽かった。


セバスチャンの台帳で確認していた朱シリーズの重量と比べると、半分以下だった。


「軽いですわ」


「ミスリルの特性だ。刃をつけていても、この重さだ」


「柄は」


「柄頭に別の素材を入れてある。カインの提案だ」


カインが来た。


「止まりの感触を調整するためだ。軽すぎる刀は止めにくい。柄頭に重みを加えることで、止まりの感触を通常の刀に近づけた」


「感触を見ますわ」


右手で柄を握った。


馴染んだ。


最初の刀を握った時と、感触が違った。


ゴルドの刀はいつも最初から馴染んだ。


しかし今日の馴染み方は、また違った。


手の中に収まった、という感覚だった。


「抜いていいか」


「抜け」とゴルドが言った。


鞘から抜いた。


音がした。


いつもの金属音だった。しかし少し違った。


通常の鋼とは、音の質が違った。


澄んでいた。


刀身が出た。


青みがかっていた。


ミスリルの色だった。


試作で見た色だった。しかし試作より深かった。


刃の部分と棟の部分で、わずかに色が違った。


刃の部分がより青みが強かった。


ミスリルと特殊鋼の複合構造が、刀身の色に出ていた。


「境目は見えますかしら」


「どこだ」とカインが言った。


「刃と棟の境目ですわ」


「目を凝らせば見える程度だ。通常の距離では分からない」


ゴルドが言った。


「試作の段階で見えていた境目が、ここまで消えた。完全には消えていない。しかし実用上の問題はない」


朱音は刀身を光に翳した。


境目を探した。


確かに、目を凝らせば分かる程度の線があった。


しかし言われなければ気づかない程度だった。


「刃紋はありますかしら」


「ある。ただし通常の刃紋とは違う」


刃に沿って、波のような模様があった。


通常の刃紋だった。


しかしその中に、別の模様が混じっていた。


細い線が、刃紋に重なって走っていた。


「これは」


「ミスリルの結晶構造が出ている」とカインが言った。「熱処理の過程で、ミスリルの内部構造が表面に現れた。ゴルドが発見した現象だ」


「意図したのですかしら」


「意図しなかった」とゴルドが言った。「最終工程で気づいた。しかし悪くないと判断した。消すことができたが、残すことにした」


「なぜですかしら」


「お前が暗属性の魔力を流した時に、この模様がどう変化するかを見たかった」


朱音は刀身を見た。


ミスリルの結晶模様が、刃紋に重なって走っていた。


「今、流してみてもいいですかしら」


「それを待っていた」


朱音は魔力を流した。


ゆっくりと、少量から流した。


刀身が変化した。


青みがかった刀身に、黒が混じった。


しかし通常の刀が黒く染まる時とは違った。


黒が広がるのではなかった。


ミスリルの結晶模様に沿って、黒が走った。


細い線として、模様の上を黒が流れた。


まるで刀身の中に、黒い川が流れているようだった。


工房が静かになった。


ゴルドが見ていた。


カインが見ていた。


レオンが見ていた。


誰も口を開かなかった。


朱音は魔力を止めた。


黒が消えた。


しかし消えるまでに、少し時間がかかった。


「保持しましたわ」


「試作の時と同じ現象だ」とカインが言った。「ミスリルが魔力を保持する。しかし今回は模様に沿って流れた。面白い」


「実戦での影響はどうでしょうかしら」


「分からない。試し切りをしてから判断する」とゴルドが言った。


レオンが近づいてきた。


「見ていいか」


朱音が刀身を向けた。


レオンが刀身を見た。


「模様が走っていた部分が、まだ少し残っている」


「ミスリルが保持している分ですわ」


「完全に消えるまで、どのくらいかかるか」


「試作では数秒でしたわ」


「今は」


全員が刀身を見た。


三十秒が経った。


完全に消えた。


「三十秒か」とカインが言った。「試作より長い。刀身の体積が増えた分、保持量が増えたからかもしれない」


「戦闘中は魔力を流し続けることになりますわ。三十秒の保持は、戦闘中は影響しないかもしれませんわ」


「停戦の時に問題になる可能性がある。魔力を止めても、三十秒は刀身に魔力が残る」


「確認事項ですわね」


ゴルドが言った。


「鞘に収めた時の変化も確認したい。鞘の素材に魔力が移行するかどうか」


「やってみますわ」


魔力を流した。


刀身が黒い川を走らせた。


鞘に収めた。


しばらく待った。


鞘を確認した。


変化がなかった。


「鞘には移行しませんでしたわ」


「鞘の素材がミスリルを含んでいないからだ」とカインが言った。「ミスリル以外の素材に、魔力は移行しにくい」


「つまり鞘は通常の素材でいいということですわね」


「そうだ」


ゴルドが頷いた。


「想定通りの動きだ」


確認が続いた。


重心を確認した。


振った感触を確認した。


止まりの感触を確認した。


全部が、朱シリーズとは違った。


しかし使えないわけではなかった。


慣れれば使える。


使い込めば馴染む。


ゴルドが作った刀は、いつもそうだった。


「名前通りの刀になりましたわ」


「そうか」とゴルドが言った。


「朱鬼、という名前が合っていますわ。朱の色と黒の川が走りましたわ」


「意図したわけではない」


「それでも合っていますわ」


カインが言った。


「試し切りはいつにするか」


「今日できますかしら」


「準備はある」


ゴルドが工房の奥に向かった。


試し切り用の台を持ってきた。


巻藁だった。


工房の外に出た。


四人で外に出た。


朱音が朱鬼を持った。


構えた。


一の構えを取った。


重さが手に伝わった。


軽かった。


しかしバランスが取れていた。


踏み込んだ。


一の構えから三の構えまでを、流した。


巻藁を斬った。


音がした。


通常の刀とは違う音だった。


澄んでいた。


巻藁が二つになっていた。


「斬れ味は」とゴルドが聞いた。


「抵抗がありませんでしたわ。通常の刀より滑らかですわ」


「ミスリルの刃の特性だ。硬さと鋭さが両立している」


「刃こぼれの確認はどうしますかしら」


「刃を確認する」


ゴルドが刀身を取って、刃を見た。


「傷がない」


「一回ではわかりませんわね」


「もう一度やれ」


五回繰り返した。


全部、刃に傷がなかった。


「グラウル相手の時と、全然違いますわ」


「あれは一回で刃こぼれが出た」とカインが言った。「記録に残っている」


「ミスリルの強度があれば、グラウルの外皮に当たっても刃こぼれが出ない可能性がありますわ」


「実際に試すまでは断言できないが、可能性は高い」とゴルドが言った。


レオンが見ていた。


「俺にも持たせてもらえるか」


「ゴルドに聞きますわ」


「持ってみろ」とゴルドが言った。


レオンが受け取った。


「軽い」


「ミスリルの特性だ」


「この軽さで、あの斬れ味か」


「そうだ」


「暗属性の魔力が流れると、刀身の模様が走る。光属性では」


「試したいか」とゴルドが言った。


「いいか」


「やってみろ」


レオンが魔力を流した。


刀身が光った。


しかし暗属性の時と違う光り方だった。


模様に沿って光が走らなかった。


刀身全体が、均等に薄く光った。


「暗属性と違う反応ですわね」


「光属性は均等に広がる。暗属性は模様に沿って走る。ミスリルへの魔力の流れ方が、属性によって違う」とカインが言った。


「面白いですわね」


「面白い」


レオンが刀身を見ながら言った。


「光と暗で、同じ素材でも反応が違う。しかし打ち消し合わない」


「実験の結果と一致しますわ」


レオンが朱音に返した。


ゴルドが朱音を見た。


「どうだ」


「悪くありませんわ」


「それだけか」


「前世の最良の刀と、どちらが上か比べてみたいですわ」


ゴルドが少し止まった。


「前世の刀、とは」


「別の世界の話ですわ。この世界に持ってくることはできませんわ。だから比べようがありませんわ」


「その刀は、どんな刀だった」


「長年使い込んだ刀でしたわ。使い込むほどに手に馴染んだ刀でしたわ」


「こちらはまだ新しい」


「ええ。これから使い込んで馴染ませますわ。その先で、どちらが上かが分かるかもしれませんわ」


「そうかもしれない」


「少なくとも今は」


朱音は朱鬼を持ったまま言った。


「前世の最良の刀より、これの方が、ずっとましですわ」


「ずっとましか」


「前世の刀には、作った人間がいませんでしたわ。使い捨てに近い刀でしたわ。この刀には、ゴルドとカインがいますわ。それだけで、ずっとましですわ」


工房の外が静かだった。


ゴルドがパイプを口から外した。


カインが何かを言いそうにして、言わなかった。


レオンが空を見ていた。


「ずっとましか」とゴルドが繰り返した。


「ええ」


「それで十分だ」


ゴルドがパイプに火を入れた。


煙が上がった。


朱音は朱鬼を鞘に収めた。


音がした。


澄んだ音だった。


収まった。


手に持った。


軽かった。


しかし確かな重さがあった。


ゴルドとカインが作った重さだった。


カインが言った。


「消耗した時の交換体制はどうするか」


「ゴルドと相談しますわ」


ゴルドが言った。


「ミスリルの在庫は確保してある。同じ仕様で二振りは追加で作れる。ただし時間がかかる」


「どのくらいですかしら」


「一振りで三ヶ月だ。二振りで五ヶ月かかる」


「朱シリーズと並行して使いますわ。朱鬼が消耗した場合は、朱シリーズで補いながら待ちますわ」


「それでいい」


「在庫管理はセバスチャンがやってくれていますわ。連絡の窓口はそのままセバスチャンで」


「承知した」


カインが手帳を出した。


「今日の確認事項を記録した。ゴルドに渡す」


「ありがとうございますわ」


「礼はいらない。俺が必要だと思ってやった」


いつもの言い方だった。


礼はいらない。必要だと思ってやった。


この少年は、いつもそう言った。


レオンが言った。


「俺も今日来て良かった」


「なぜですかしら」


「ずっとましだという言葉の意味が、分かった気がした」


「どういう意味ですかしら」


「前世の刀より、これの方がずっとましだ、と言った。作った人間がいるから、と言った」


「ええ」


「それは刀の話だけではないだろう」


朱音は少し止まった。


「そうですわね」


「前世より、今の方がずっとましだということか」


「今はそうですわ」


「今は、ということは、前世の方がましだと思う時もあるか」


「迷わなかった点は、羨ましいと思う時がありますわ」


「迷えることが、今の方がましな理由ではないのか」


「そうですわ」


「矛盾しているな」


「矛盾していますわね。しかし両方本当のことですわ」


レオンが少し考えた。


「迷えることが重くて、しかし迷えることがましな理由でもある。重さがある方がましだということか」


「そういうことですわ」


「難しいな」


「ええ、難しいですわ」


「しかし」レオンが言った。「今日ここに来て、朱鬼を見て、ずっとましという言葉を聞けた。それは来た価値があった」


「よろしかったですわ」


四人が工房の外に立っていた。


青い空が上にあった。


雲がなかった。


ゴルドが工房に戻り始めた。


「次の仕事がある」


「お邪魔しましたわ」


「また来い。使い込んだ後で、どうなったか報告しに来い」


「必ず参りますわ」


「カイン、お前は今日も残るか」


「残る」とカインが言った。


「では仕事だ」


カインがゴルドの後についた。


工房の中に消えた。


レオンと二人になった。


「帰るか」


「ええ」


二人で馬のところに向かった。


「朱鬼を腰に差してみろ」


「まあ」


差してみた。


軽かった。


通常の刀より軽かった。


しかし差している感触は、通常の刀と変わらなかった。


腰に刀がある感触だった。


いつもの感触だった。


「差している時は分かりませんわね、軽さが」


「そうか」


「腰にある感触は同じですわ。軽さは、手に持った時に分かりますわ」


「なるほど」


馬に乗った。


クロイツェル家の方向に向かった。


レオンが並んで馬を走らせた。


しばらく無言で走った。


「エルシア」


「なんでしょうかしら」


「前世というものが何かを、俺にはまだ分からない」


「ええ」


「しかし今日の言葉だけは分かった」


「どの言葉ですかしら」


「ずっとましだ、という言葉だ」


「分かりましたかしら」


「前世が何であれ、今の方がましだということが伝わった。それが全てだ」


朱音はレオンを見た。


馬上で、まっすぐ前を向いていた。


方向が変わった少年だった。


最初に会った時から、随分変わっていた。


しかしまっすぐさだけは、変わっていなかった。


「ありがとうございますわ」


「礼はいらない」


「受け取ってくださいませ」


レオンが少し止まった。


「分かった」


馬が走った。


クロイツェル領の道を、二頭が並んで走った。


朱鬼の重さが腰にあった。


ゴルドとカインが作った重さだった。


前世の最良の刀には、この重さがなかった。


作った人間の重さがなかった。


今は、ある。


ずっとましだった。


今日の空も、続いていた。

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