第四十四話 レオンの問い
公開の場は、審問場に設定された。
三日前の朝、使者が来た時から、今日までの経緯があった。
王家の使者が書状を持ってきた。
「王国法第十八条に基づき、昨日の武力行使の被害者であるエルシア・フォン・クロイツェル様に、直裁権の行使について確認いたします」
セバスチャンが朱音に知らせた。
朱音が使者の前に出た。
「まあ、そのような権利があることは存じておりましたわ」
「行使なさいますか」
「三日間の猶予をいただけますかしら」
「三日間あります。三日以内にお知らせください。行使しない場合は、王家による通常の法的処理が進みます」
使者が去った後、セバスチャンが補足した。
「王国法第三条において、五大公爵家は王家に準ずる存在として規定されています。公爵家の当主及び直系家族への武力行使は、王家への武力行使に準じて扱われます」
「つまり」
「王国法第十七条付則に基づき、死罪が適用されます。術式の展開及び放出は武力行使として認定されます。実害の有無は問いません」
「行使しなくても、死罪になる可能性がありますのね」
「王家による通常処理でも、同様の結論に至る可能性が高いです。エルシア様が直裁権を行使するかどうかは、誰が手を下すかの問題になります」
その夜、魔法教会の総主教から王家に書簡が届いた。
セバスチャンが翌朝報告してきた。
「総主教が強硬派との切り離しを宣言しました。昨日の武力行使は魔法教会の公式決定ではなく、一部の者が独断で行動したという内容です」
「早いですわね」
「死罪が確定する前に、組織を守る判断をしたということです。強硬派と一緒に沈むより、切り離す方を選びました」
「自分たちが生き残るための計算ですわね」
「はい。書簡が早かったということは、計算も早かったということです」
三日間、朱音は考えた。
父に聞いた。
「お前が決めろ」と一言だけ言った。
母に聞いた。
「どちらでもいいわよ。あなたの権利だから、私が口を出すことではないわ」と言った。
祖母に聞いた。
「お前が行使しないことで、その者たちが再び動く可能性がある。逆に、行使することでその者たちは死ぬが再び動かない。どちらが正しいかは私には分からない。お前が決めることだ」と言った。
レオンに聞いた。
「八名の中に、信念から動いた者と、命令から動いた者が混在している可能性がある。全員を同じように扱うことへの疑問だ」と言った。
カインは一言だけだった。
「エルシアが決めることだ」
フィーナが来た。
「エルシア様に、重いものを持たせたくないです。でもどちらを選んでも理由がある。だから私には言えません」
三日目の朝、朱音は決めた。
セバスチャンを呼んだ。
「直裁権を行使しますわ」
「承知しました」
「ただし条件をつけますわ。術式を直接放った者のみを対象にしますわ。命令のみで放っていない者は対象にしませんわ」
「確認された術式放出者は、審問場で三名、廊下で五名、合計八名です」
「その八名を対象にしますわ。公開の場で行いますわ。審問場を使いますかしら」
「手配します」
公開の場は審問場に設定された。
王家の立会人が二名来た。
騎士団が警備についた。
立会人の席に、ヴァレンシア侯爵とドラクロワ公爵が座った。
メルヒオールが記録として来た。
レオンが来た。
「俺も立ち会う」
「よろしくてよ」
「父は来ない。来られないと言っていた」
「存じておりますわ」
ルミナール公爵が来られない理由は分かっていた。
息子が、父の起こした事態の後始末を見届ける場所に、父は立てなかった。
それはルミナール公爵なりの誠実さだと、朱音は思った。
父ライナルトが来た。
腕に包帯があった。
「来なくてよろしいですわ」
「来る」
「無理をなさいますな」
「見届ける」
それだけ言って、端に立った。
母は来なかった。
来ないと昨夜言っていた。
「あなたが決めたことを、私が見届ける必要はないわ。あなた自身のことよ」
祖母も来なかった。
フィーナは屋敷にいた。
来たいと言ったが、朱音が止めた。
「見なくていいですわ」
「でも」
「見なくていいですわ」
フィーナが頷いた。
泣きそうな顔をしていた。
しかし頷いた。
対象の八名が審問場に連れてこられた。
縛られていた。
全員、朱音と同じかそれ以上の年齢だった。
顔が見えた。
様々な顔だった。
怒りの顔。恐怖の顔。諦めの顔。無表情の顔。
一様ではなかった。
八人が八人、それぞれの顔をしていた。
王家の立会人が確認を行った。
「エルシア・フォン・クロイツェルへの武力行使が確認された八名について、王国法第十八条に基づき、被害当事者による直裁権の行使が宣言されています。術式の展開及び放出は武力行使として認定されており、実害の有無は問いません。王国法第三条及び第十七条付則に基づき、死罪が適用されます」
静かだった。
朱音は八名の前に立った。
一人ずつ、顔を見た。
八名全員の顔を、順番に見た。
怒りの顔の者がいた。
信念を持って動いた人間の顔だった。
「あなたは、暗属性が悪だと信じて動きましたかしら」
「そうだ」
「信念から動いたのですわね」
「そうだ。お前のような存在は、世界の害だ。今も信じている」
朱音は少し間を置いた。
「信念を持つことを、否定しませんわ」
「ならなぜ」
「信念が人を動かすことは正しいですわ。しかし信念が法を超えてはなりませんわ。王国法第三条は、公爵家への武力行使を王家への武力行使と同等に扱いますわ。法の外で動いた結果が、今日ですわ」
男が黙った。
恐怖の顔の者がいた。
震えていた。
「あなたは、命令から動きましたかしら」
「し、指示を受けて」
「命令から動いた者を、信念から動いた者と同じに扱うことは、できませんでしたわ。しかしあなたは術式を放ちましたわ。命令であっても、放ったことは事実ですわ。王国法はその事実を問いますわ」
男が黙った。
朱音は全員の顔を見終えた。
「一つ、言いますわ」
八名全員に向けて言った。
「私の前世の記憶の中に、同じような夜が何度もありましたわ。信念のために、誰かを斬ることを選んだ夜が。あの時、私は迷いませんでしたわ。迷う余裕がありませんでしたの」
誰も口を開かなかった。
「今日、私は三日間迷いましたわ。迷えたことは、前世との違いですわ。迷った上で、この場に来ましたわ」
「前世が何だ」と信念の男が言った。
「関係ありませんわ。ただ、迷えたということを、言いたかっただけですわ」
朱音は刀に手をかけた。
十番刀だった。
抜いた。
音がした。
静かな音だった。
審問場が完全に静かになった。
「道具として斬るのではありませんわ。人間として、選んで斬りますわ。それが今日の私の答えですわ」
作業のように動かなかった。
一人目の前に立った。
信念の男だった。
「最後に、何かありますかしら」
男が少し間を置いた。
「お前が間違っている」
「そうかもしれませんわ」
「必ずそうだ」
「その信念を持ったまま、逝きなさいませ」
刀が動いた。
速かった。
一の構えから三の構えまでが、ほとんど一つの動作だった。
影抜きの三段構えだった。
苦しまなかった。
それだけは確かにできた。
八名が終わった。
刀を鞘に収めた。
音がした。
審問場が静かだった。
王家の立会人が記録を確認していた。
ドラクロワ公爵が立っていた。
口を開かなかった。
ヴァレンシア侯爵が立っていた。
口を開かなかった。
メルヒオールが記録を続けていた。
レオンが立っていた。
しばらく経ってから、近づいてきた。
「問いていいか」
「どうぞ」
「今、何を感じているか」
朱音は少し考えた。
「重いですわ」
「後悔しているか」
「後悔は、していませんわ。しかし軽くはありませんわ」
「前世で人を斬った時は」
「重くありませんでしたわ。重さを感じる前に、次が来ていましたわ。感じる余裕がありませんでしたの」
「今は余裕がある」
「ええ。だから重いですわ」
「重さを感じることが、人間だということではないか」
朱音はレオンを見た。
十一歳の少年が、そういうことを言った。
方向が変わった少年が、そういうことを言った。
「そうかもしれませんわね」
「俺には、今日の選択が正しかったかどうか、分からない」
「私にも分かりませんわ」
「しかし」レオンが続けた。「三日間迷ったことは、正しかったと思う」
「なぜですかしら」
「迷わずに動く者は、道具だ。迷って動く者は、人間だ」
朱音は少し止まった。
「まあ」
「違うか」
「違いませんわ」
令嬢語変換が来た。
来たが、変換前とほぼ同じだった。
父が来た。
何も言わなかった。
隣に立った。
それだけだった。
朱音は審問場の中央に立ったまま、少し時間をかけた。
重さがあった。
軽くはなかった。
しかし動けないほどではなかった。
前世では感じなかった重さだった。
感じなかったのではなく、感じる余裕がなかっただけだったのかもしれなかった。
今は余裕があった。
重さを感じられることが、今の自分だった。
刀を触れた。
十番刀だった。
手入れが必要だった。
今日の後は、丁寧に手入れをする。
前世でも、斬った後は必ず刀を拭いた。
それだけは変わらなかった。
審問場を出た。
廊下に出ると、光が入っていた。
曇っていた空が、少し晴れていた。
雲の切れ間から光が差していた。
「レオン様」
「なんだ」
「今日、来てくださってありがとう存じますわ」
「礼はいらない」
「受け取ってくださいませ」
レオンが少し止まった。
「分かった」
廊下を歩いた。
父が隣を歩いた。
並んで歩いた。
前世では、誰かと並んで歩いたことがなかった。
今日は父が並んで歩いていた。
言葉はなかった。
しかし隣にいた。
それで十分だった。
屋敷に帰ったら、フィーナがいる。
祖母がいる。
母がいる。
セバスチャンの報告がある。
ゴルドへの確認が必要だった。
今週末、試作を見に行く。
重さがあった。
しかし動ける重さだった。
前世でも、重さがある時の方が、足が地についていた。
重さは、地に立つための力でもあった。
廊下の先に出口が見えた。
外の光が入っていた。
今日も、空が続いていた。




