第四十三話 折れた三振り
屋敷に戻ったのは夕方だった。
馬車の中で、父が腕を確認していた。
光属性の術式が当たった部分だった。
服の上から見ても、赤くなっているのが分かった。
「お父様、後で確認を」
「大したことはない」
「大したことにならないうちに確認しますわ」
父が少し止まった。
珍しく、反論しなかった。
屋敷に着いた。
セバスチャンが門のところで待っていた。
「お帰りなさいませ。刀の在庫確認の件ですが」
「どうなっていますかしら」
「ゴルドへの緊急発注を準備していました。マルガレーテから連絡が来る前に、審問場の状況から判断して動いていました」
「何振り残っていますかしら」
「実戦用として、今朝は九番刀と十番刀の二振りでした。本日の使用状況を確認させてください」
朱音は腰の刀を確認した。
「九番刀を使いましたわ。刃を使う場面がありましたわ」
「状態を確認します」
九番刀を鞘から出した。
刃を確認した。
セバスチャンが覗き込んだ。
「刃こぼれが三箇所あります。実戦用から稽古用に移行します」
「十番刀だけが実戦用になりますわね」
「はい。ゴルドへの発注は、今朝の時点で十一番刀から十三番刀の三振りを発注済みです。三日後に届く予定です」
「よくしてくださいましたわ」
「今朝、状況を見て判断しました」
「何を見て判断しましたかしら」
「審問の日に、不法侵入の情報があった時点で、実戦になる可能性を計算しました。実戦になれば刀が消耗する。消耗した後でも動けるよう、先に発注することが最善だと判断しました」
「正しい判断ですわ」
「ありがとうございます」
フィーナが走ってきた。
「お帰りなさい、エルシア様。怪我はないですか」
「ないですわ」
「本当ですか。本当に」
「確かめますかしら」
「確かめます」
フィーナが朱音の全身を見た。
服に焦げた跡があった。
「これは」
「術式が掠りましたわ。皮膚は問題ありませんわ」
「本当ですか」
「本当ですわよ」
「お父様は怪我してますよね」
「確認が必要ですわ」
「お医者様を呼びます」
フィーナが走っていった。
有能だった。
朱音が言わなくても、動いていた。
屋敷に入った。
まず父の確認をした。
父は書斎に向かおうとしていた。
「お父様」
「ああ」
「確認をさせてくださいますかしら」
父が止まった。
「自分でできる」
「お医者様が来ますわ。フィーナが呼びに行きましたわ」
父が少し間を置いた。
「書斎で待つ」
書斎に向かった。
医師が来るまでの間に、セバスチャンが報告を続けた。
「本日の状況の報告書を、今夜中に準備します。王家への届け出は明日の朝に出します」
「内容には、廊下での制圧の記録も含めてくださいますかしら」
「はい。カイン殿から記録を受け取っています。詳細な情報があります」
「カインが渡してくれましたの」
「帰り道で会いました。手帳のページを一枚渡してくれました。コピーを取っておきます」
「ありがとうございますわ」
「もう一点」
「なんでしょう」
「ゴルドから追加の連絡がありました。試作の状況について」
「どうなっていますかしら」
「刀の形での試作が完成したとのことです。今週末に確認できる状態とのことです」
審問が終わった今週末に、試作の確認ができる。
「行けますわ。今週末に工房に参りますわ」
「承知しました。ゴルドに伝えます」
セバスチャンが引いた。
母が来た。
「少し落ち着いたわね」
「ええ、ようやくですわ」
「今日のことを整理する必要があるわ。明日、ヴァレンシア家と話し合いを持つわ。同席できそうかしら」
「午前中はいつでも」
「午前中に設定するわ」
母が文机に向かった。
また手紙を書き始めていた。
この人は、どんな状況でも手を動かし続けていた。
書斎から声がした。
医師が来て、父の確認をしていた。
朱音も入った。
「いかがですかしら」
医師が振り返った。
「光属性の術式による外傷です。皮膚に火傷が生じています。深くはありませんが、処置が必要です」
「処置の期間は」
「適切に処置すれば、一週間で問題なくなります」
父が「大したことはない」と言った。
「一週間は無理をなさいますな」と医師が言った。
父が無言になった。
無言は不満を示していたが、反論もしていなかった。
「お父様、一週間お願いしますわ」
「剣の稽古は」
「一週間、お父様は見ているだけにしてくださいますかしら」
「それでいいのか」
「一週間の稽古を見ていただいた方が、次に合わせる時の参考になりますわ」
父が少し考えた。
「まあ、いいだろう」
珍しく折れた。
医師が処置を続けた。
朱音は書斎を出た。
廊下を歩いた。
今日折れた刀が一振りあった。
九番刀だった。
三箇所の刃こぼれで、稽古用になった。
今日の戦いで使った回数を思い返した。
廊下で十人を制圧した。
その中で刃を使ったのは、九人目と十人目だけだった。
残りは峰打ちと泡沫だった。
刃こぼれが三箇所出るほどの負荷が、二回の使用でかかっていた。
「それだけ相手が硬かったということですわね」
独り言だった。
廊下に誰もいなかった。
法衣の素材が硬かったのかもしれなかった。
あるいは術式で強化していたのかもしれなかった。
次に同じ相手と戦うとすれば、刃こぼれの出やすい状況が再現される可能性があった。
ミスリル刀が必要な理由が、また増えた。
通常の鋼材では、この状況では消耗が激しすぎた。
ミスリルの強度があれば、二回の使用で三箇所の刃こぼれは出なかったかもしれなかった。
今週末、試作を確認する。
試作の感触を確かめる。
その先に、朱鬼がある。
廊下の窓から外が見えた。
夜になっていた。
星が出ていた。
審問が終わった夜だった。
封印が棄却された夜だった。
折れた刀が一振りある夜だった。
前世では、消えた夜があった。
今夜は消えていなかった。
それだけで、今夜は十分だった。
稽古場に行こうかと考えた。
しかし父が一週間見ているだけにしてくださいと言っていた。
それは父への言葉だったが、朱音への意味もあるかもしれなかった。
今夜は休む。
珍しい選択だった。
しかし今夜はそうする。
フィーナが来た。
「エルシア様、お夕食ができていますわ」
「ありがとうございますわ」
「今日は大変でしたね」
「そうですわね」
「でも終わりましたね」
「今日は終わりましたわ。まだ続くことはありますわよ」
「分かってます。でも今日は終わりましたね」
フィーナが繰り返した。
今日は終わった。
それだけを言っていた。
「ええ、今日は終わりましたわ」
「よかったです」
二人で食堂に向かった。
父が来た。
腕に包帯が巻いてあった。
母が来た。
ヴァルターが来た。
全員が揃った。
夕食が始まった。
いつもと同じ夕食だった。
ただ、少し違う夕食だった。
今日のことがあった上での夕食だった。
それが食卓の空気に、少しだけ混じっていた。
ヴァルターが言った。
「今日のこと、後で詳しく聞かせてくれよ」
「後でですわ」
「今日は食べよう」
「そうですわね」
食事が続いた。
窓の外に夜があった。
星が出ていた。
今夜の星が、前世の京の夜の星と同じかどうかは分からなかった。
しかし今夜の食卓は、前世にはなかったものだった。
それだけは確かだった。




