第四十二話 三段構え、全力
審問場の外で、状況が動いていた。
廊下を歩いていると、騎士団員が走ってきた。
「クロイツェル公爵令嬢」
「なんでしょうかしら」
「魔法教会の関係者が、王城の別の出入り口から複数名入ったとの報告があります。現在、封印の術式を持った人員が、この棟に向かっているとのことです」
審問場の外で、別の動きがあった。
審問場に入れなかった人員が、別のルートで来ていた。
「何名ですかしら」
「確認中ですが、十五名以上と思われます」
父が来た。
騎士団員の報告を聞いていた。
「棟の出口を確保する」
父が騎士団員に指示した。
「私も動きますわ」
「待て」
「待てる状況ではありませんわ。棟の中にまだ立会人の方々がいますわよ」
父が少し止まった。
「マルガレーテ」
「はい」
「エルシアの側を離れるな」
「承知しました」
父が騎士団員と棟の出口に向かった。
母がヴァレンシア侯爵と話していた。
「お兄様、棟の内部の把握を」
「動く」
侯爵が従者と別の方向に向かった。
朱音はレオンを見た。
「レオン様」
「分かっている。父を安全な場所に」
「お願いしますわ」
レオンがルミナール公爵の方に向かった。
ドラクロワ公爵がメルヒオールと話していた。
「学園長、安全な場所に移動を」
「私は記録を続けます」
「危険ですよ」
「危険な場所に記録がある。私の仕事です」
メルヒオールが動じなかった。
ドラクロワ公爵が苦笑いした。
「では私が守りましょう」
二人が動いた。
廊下に足音が来た。
棟の奥から来ていた。
複数の足音だった。
「来ましたわ」
マルガレーテが朱音の横に来た。
暗器の準備をしていた。
廊下の奥に人影が見えた。
黒い法衣だった。
複数いた。
先頭が止まった。
朱音を見た。
「封印の執行に来ました」
「審問の結論が出ましたわよ。棄却されましたわ」
「我々は審問の結論に従いません。緊急条項に基づき、独自の判断で執行します」
「緊急条項の適用要件が満たされていませんわよ」
「こちらの判断です」
話し合いが成立しない状況だった。
前世でもあった状況だった。
言葉が通じない相手には、言葉以外で答えるしかなかった。
先頭が術式を展開した。
朱音は動いた。
一の構えを取った。
影踏みで前に出た。
先頭への距離を詰めた。
術式が完成する前に、間合いに入った。
術式を放つには、ある程度の距離が必要だった。
近づきすぎると、術式が自分に当たる可能性がある。
先頭が術式の展開を止めた。
その瞬間に、泡沫を使った。
鞘打ちで、首元に入れた。
先頭が崩れた。
二人目が来た。
朱音の糸を使った。
一人目への三の構えの着地から、二人目への一の構えに繋げた。
連鎖が始まった。
止まらなかった。
三人目、四人目、五人目。
廊下での戦いだった。
幅が限られていた。
幅が限られているということは、相手が並んで来られないということだった。
廊下の幅は、一対一か一対二の状況しか作れない。
影踏みで廊下の側面に寄りながら、相手を常に一列に保った。
前世で前世で学んだ、線にするな点にしろの原則だった。
六人目が術式を展開しようとした。
廊下の幅があったために、術式の範囲が制限されていた。
影踏みで壁際に移動した。
術式が廊下の中央を通った。
壁際にいた朱音には当たらなかった。
七人目が来た。
朱の糸の限界だった。
一度止まった。
七人まで連鎖した後、呼吸が必要だった。
八人目が術式を放った。
影域展開を使った。
術式が領域に入って、威力が減衰した。
それでも衝撃は来た。
壁に手をついて、踏ん張った。
九人目が来た。
ここで刀を使う選択をした。
今まで鞘打ちと泡沫だけで対応していた。
しかし相手の数が多かった。
刃こぼれを恐れない戦い方が必要だった。
九番刀を抜いた。
朱霞一文字・三段を使った。
一の構えで九人目の注意を引いた。
九人目が防御の構えを取った。
二の構えで防御を逆用した。
三の構えで峰打ちを入れた。
九人目が崩れた。
刀を鞘に収めなかった。
次の相手に向けたまま、一の構えに戻した。
十人目が術式を展開した。
マルガレーテが動いた。
投擲ナイフが十人目の手元に飛んだ。
術式の展開が乱れた。
朱音が踏み込んだ。
間合いに入って、三の構えで峰打ちを入れた。
十人目が崩れた。
廊下に倒れた人間が増えていた。
全員生きていた。
峰打ちと泡沫だけで対応していたから、致命傷はなかった。
残りが何人かを確認した。
五人が残っていた。
五人が後退していた。
廊下の奥に下がっていた。
朱音は追わなかった。
追う必要がなかった。
こちらの棟から離れれば、それで十分だった。
刀を鞘に収めた。
音がした。
廊下が静かになった。
倒れた人間が複数いた。
全員に呼吸があった。
確認した。
「マルガレーテ、負傷者はいますかしら」
「私は問題ありません。エルシア様は」
「大丈夫ですわ」
「衝撃を受けましたね」
「踏ん張りましたわ。問題ありませんわ」
廊下の奥から父が来た。
状況を見た。
倒れた人間を見た。
朱音を見た。
「全員生きていますわ。峰打ちと泡沫で制圧しましたわ」
父が頷いた。
何かを言おうとした。
しかし言わなかった。
代わりに、また手が頭に来た。
今日二度目だった。
「まあ」
令嬢語変換が来た。
「ありがとう存じますわ、お父様」
今回は変換前とほぼ同じだった。
ありがとうは、どう変換されてもありがとうだった。
レオンが来た。
「父は安全な場所にいる」
「ありがとうございますわ」
「俺の父が」
「なんでしょうかしら」
「審問の途中で、魔法教会に止めるよう言っていた。声は届かなかったが」
「存じておりますわ。見ていましたわよ」
「父は」レオンが少し間を置いた。「法に基づいて行動する人間だ。法を無視する者と一緒に動く人間ではなかった」
「方向が変わりましたかしら」
「完全にではない。しかし」
「今日のことが、変わるきっかけになりましたかしら」
「なったかもしれない」
レオンが廊下の倒れた人間を見た。
「全員生きているのか」
「ええ」
「なぜ殺さなかった」
「必要がなかったからですわ」
「ここまで来ても、必要がなかったと言えるか」
「ええ」
レオンが少し間を置いた。
「先日の審問で聞いた言葉が、分かった気がする」
「どの言葉ですかしら」
「殺さない選択を持つ者の言葉だ」
朱音はレオンを見た。
方向が変わっていた。
完全にではなかった。
しかし変わり始めていた。
カインがいた。
廊下の端に立っていた。
「カイン、アカデミーにいるはずですわよ」
「授業を抜けた」
「なぜですかしら」
「ゴルドから連絡が来た。審問場で何かが起きているという情報が入った。来た方がいいと判断した」
「来なくてよかったですわ」
「来て正解だった」
「なぜですかしら」
「記録する人間が必要だった。メルヒオールが審問場の内部を記録している。廊下の状況を記録する人間がいなかった」
カインが手に紙を持っていた。
「記録しましたよ。倒れた人間の位置、術式の軌道、エルシアの動き。全部書いた」
「刀の設計のためですかしら」
「それもある。しかし今日の記録は、刀の設計だけのためではない」
「どのためですかしら」
「後で使えるかもしれない記録だから」
カインが記録を手帳に挟んだ。
今日のことが記録された。
審問場の内部をメルヒオールが記録した。
廊下の状況をカインが記録した。
王家への届け出をセバスチャンが準備する。
全部が記録される。
前世では、記録が残らなかった。
歴史に名前一つ残らなかった。
今回は残る。
今日のことが残る。
廊下の窓から空が見えた。
王都の空だった。
審問が終わった。
封印が棄却された。
廊下での戦いが終わった。
全員生きていた。
今日できることは、全部やった。
刀を腰に触れた。
九番刀だった。
刃こぼれの確認が必要だった。
今日の戦いで、刃を使う場面があった。
「セバスチャンに連絡を入れますわ。刀の在庫確認が必要ですわ」
「私が入れます」とマルガレーテが言った。
「ありがとうございますわ」
廊下を歩き始めた。
出口に向かった。
今日が終わっていった。




