第三十九話 令嬢語の法廷
審問の前日になった。
実験はすでに終わっていた。
三日前の放課後、レオンと訓練場に残った。
メルヒオールが記録の準備をした。カインが立ち会った。ガルドが記録補助として残った。
光属性と暗属性の同時使用実験だった。
最小限の出力から始めた。
レオンが光属性の魔力を剣に乗せた。薄く光る剣だった。
朱音が暗属性の魔力を刀身に乗せた。薄く黒く染まる刀だった。
二つを向かい合わせた。
距離を置いたまま、向かい合わせた。
打ち消し合う現象が起きるかどうかを確認した。
起きなかった。
光が消えなかった。
暗が消えなかった。
それぞれがそれぞれのまま、向かい合っていた。
「打ち消し合わないな」とレオンが言った。
「少なくとも、この出力ではそうですわ」
「距離を縮めてみるか」
「ゆっくりと」
距離を縮めた。
一間。
半間。
三尺。
光と暗が近づいた。
変化があった。
打ち消し合うのではなく、境界線が生じた。
光と暗の間に、薄い境界線ができた。
どちらも消えなかった。しかし境界線の部分で、両方の魔力が落ち着かない動きをしていた。
「境界線ができていますわ」
「打ち消し合うのではなく、境界が生じるということか」
「理論とは違う反応ですわね」
メルヒオールが記録していた。
実験を続けた。
出力を少しずつ上げた。
境界線が少し太くなった。
それだけだった。
打ち消し合うことは、限られた出力の範囲では起きなかった。
「記録として十分です」とメルヒオールが言った。「光と暗が共存できる実例として提出できます」
実験が終わった。
その記録が今日、審問に提出される予定だった。
審問の当日。
王城の審問場に向かった。
父と母が同行した。
セバスチャンは屋敷に残った。外部の情報を集めるためだった。フィーナは屋敷に残った。マルガレーテが一名同行した。
馬車の中で、父が短く言った。
「今日は剣ではなく、言葉で戦う場だ」
「存じておりますわ」
「言葉での戦いは、お前より得意な者が周囲にいる。頼れる部分は頼れ」
珍しかった。
父が頼れと言った。
「頼れる者がいると分かっていますわ」
「それでいい」
母が窓の外を見ながら言った。
「審問官の三名のうち、王家からの審問官については、事前に話をしてあるわ」
「どんな話ですかしら」
「審問が公正に行われるべきだという話よ。直接的な口添えではなく、原則の確認として話した」
「お母様らしいやり方ですわ」
「やれることはやるわよ」
王城が見えてきた。
審問場は王城の一角にあった。
大きな石造りの部屋だった。
入ると、すでに人が集まっていた。
審問官が三名、正面の席に座っていた。
王家からの審問官は白髪の男性だった。表情が読みにくかった。魔法教会からの審問官は黒い法衣の男だった。公開評価の時の査問官と同じ人物だった。貴族議会からの審問官はルミナール公爵だった。
立会人の席に、レオン、ドラクロワ公爵、ヴァレンシア侯爵、そしてもう一名がいた。
もう一名が父の選んだ人物だった。
見た顔だった。
メルヒオールだった。
学園長が立会人として来ていた。
父が選んでいた。
(なるほど)
実験の記録を持っているメルヒオールが、立会人として来ることで、記録を審問の場に持ち込む形を作っていた。
父は何も言わないで、全部考えていた。
朱音は審問場の中央の席に案内された。
一人で座った。
審問が始まった。
王家の審問官が口を開いた。
「クロイツェル公爵家令嬢エルシア・フォン・クロイツェルの暗属性魔力について、審問を開始します。まず基本的な事実の確認から始めます。あなたが暗属性の魔力を持つことを認めますか」
「認めますわ」
「魔力の制御が完全ではないことも認めますか」
「どの属性においても、完全な制御という基準は難しゅうございますわよ。ただし、意図しない放出を自力で止める能力があることは認めますわ」
査問官が入った。
「アカデミーの実技評価において、魔力の漏れが確認されました」
「確認されましたわ。そして止めましたわ」
「止めるまでに時間がかかりました」
「二秒以内でしたわ。その場にいた者の証言があります」
メルヒオールが手を挙げた。
「立会人として発言してよろしいですか」
王家の審問官が頷いた。
「実技評価の記録映像があります。提出を許可していただけますか」
許可が出た。
メルヒオールが記録を提出した。
実技評価の映像と、実験の記録だった。
審問官たちが確認した。
ルミナール公爵が言った。
「映像が存在するとしても、制御の問題が完全に解消されたわけではありません。潜在的な危険は残ります」
「潜在的な危険という基準であれば」朱音は答えた。「どの属性の魔法使いも潜在的に危険ですわよ。火属性は制御を誤れば建物を燃やします。光属性は最高出力であれば目を焼きますわ」
「暗属性は特殊です」
「どのように特殊ですかしら」
「他の属性が持たない、光を消す性質があります」
「実験の記録をご覧いただきましたかしら。光と暗は打ち消し合いませんでしたわよ。境界線が生じましたが、共存しましたわ」
ルミナール公爵が少し止まった。
レオンが立会人の席から言った。
「実験には私も参加しました。光属性として、暗属性と向かい合いました。打ち消し合うことはありませんでした」
ルミナール公爵がレオンを見た。
長い沈黙があった。
父と息子が、審問の場で向かい合っていた。
ルミナール公爵が続けた。
「実験は限られた条件下での結果です。実戦における暗属性の挙動は、また別の問題です」
「実戦における私の挙動についても、記録があります」
「どのような記録ですか」
「領地への魔物侵攻の記録ですわ。私が単独で対処した際、領民への被害はありませんでした。暗属性の魔力が意図せず発動しましたが、領民ではなく魔物への斬撃に使われましたわ」
「それは」査問官が言った。「偶然ではありませんか」
「偶然かどうかは、結果が示しますわ。領民への被害がなかったことは事実ですわ」
「しかし不法侵入者への対応において、暗属性の魔力が使われたという報告があります」
「ありませんわ」
「えっ」
「不法侵入者七名への対応において、私は刀の峰打ちと鞘打ちで対応しましたわ。刀身への魔力付与は行っていませんわ。侵入者は全員生きています。証拠として、騎士団の記録があります」
査問官が詰まった。
王家の審問官が「騎士団の記録を確認します」と言った。
記録の確認に時間がかかった。
その間、審問場が静かになった。
レオンが静かにこちらを見ていた。
ドラクロワ公爵が腕を組んでいた。
ヴァレンシア侯爵が何かをメモしていた。
メルヒオールが手を膝の上に置いていた。
父がいた。
立会人席ではなく、別の場所に座っていた。
クロイツェル家の当主として、審問に同席する家族として、端の席に座っていた。
目が合った。
父は何もしなかった。
しかし目に、何かがあった。
今日初めて見る目だった。
信じていると言っていた。
言葉ではなかった。
目だけで、信じていると言っていた。
令嬢語変換が来なかった。
来る前に、飲み込んだ。
審問の場で、目を熱くするわけにはいかなかった。
記録の確認が終わった。
王家の審問官が言った。
「騎士団の記録を確認しました。不法侵入者七名は全員生存しており、魔力による傷は確認されていません」
「では」朱音は続けた。「暗属性の魔力が、適切な制御の下で使用されているという事実が、複数の記録によって示されましたわ」
査問官が言った。
「しかし封印の必要性は、危険の可能性に基づくものです。現在問題がなくても、将来の危険を排除するために」
「将来の危険を理由に現在を制限するなら」朱音は言った。「どの属性の魔法使いも制限されるべきですわ。将来の危険は、誰にでも存在しますわよ」
「暗属性は特に」
「一点だけ、申し上げますわ」
朱音は少し間を置いた。
審問場が静かになった。
「二百年前、クロイツェル家の女性が封印されました。八十年前にも封印されました。その方たちは、将来の危険を理由に、現在を奪われましたわ。消えましたわ。歴史に名前一つ残らずに」
誰も口を開かなかった。
「今回、また同じことが行われようとしています。しかし私には、消えるなと言ってくれる人間がいますわ。一人ではありません。複数いますわ」
「それは」
「前の二人には、いなかったのかもしれません。あるいはいたかもしれませんが、声が届かなかったのかもしれません。しかし今回は、届いておりますわ。その声が届いている人間を、消すことが正しいかどうかを、審問官の皆様にお考えいただきたいですわ」
審問場が静かだった。
全員の静かさだった。
ルミナール公爵が口を開こうとした。
レオンが先に言った。
「立会人として発言します。二百年前と八十年前の封印の記録を、私は確認しました。クロイツェル家の書庫にある記録です。その記録に、消させられたという事実が書かれています。今回の審問が、同じ結果に向かっているとすれば、私は反対します」
ルミナール公爵がレオンを見た。
父と息子が、向かい合っていた。
長い沈黙があった。
ドラクロワ公爵が言った。
「中立の立場として発言します。武門として、クロイツェルの剣を見ました。あの剣を使う者を封印することが、王国にとって有益かどうかを、慎重に判断するべきだと考えます」
王家の審問官が言った。
「審議が必要です。本日は一時休憩とし、明日に結論を出します」
審問が中断した。
結論は明日になった。
審問場から出た。
廊下で父が来た。
何も言わなかった。
しかし手が、また頭に乗った。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
令嬢語変換が来た。
「ありがとう存じますわ、お父様」
変換された言葉が出た。
今回も、変換前とほぼ同じだった。
母が来た。
「よく言ったわ」
「うまくできましたかしら」
「十分よ」
ヴァレンシア侯爵が来た。
「言葉通りのことを言った。偽りがなかった。それが一番強い言葉だ」
メルヒオールが来た。
「記録の提出が役に立ちましたね」
「ありがとう存じますわ」
レオンが来た。
少し離れた場所に立っていた。
父と廊下で話していた。
ルミナール公爵とレオンが、向かい合って話していた。
何を話しているかは聞こえなかった。
しかし二人の間に、何かが変わっている気がした。
父と息子が話していた。
それだけだった。
朱音は廊下の窓から外を見た。
王都の空が見えた。
明日、結論が出る。
今夜は待つだけだった。
待ちながら、稽古をする。
前世でも、結果を待つ夜には体を動かした。
体を動かすと、頭が落ち着いた。
明日がどうなるかは、今夜決まることではなかった。
今夜できることは、今夜やる。
明日のことは、明日になってから動く。
それだけだった。




