第二十九話 朱鬼の構想
ゴルドから次の手紙が来たのは、三週間後だった。
試作の進捗報告だった。
境目に魔力が集中する問題について、新しい素材配合を試みた。前回の試作より境目が馴染んでいる。割る試験を行ったが、境目では割れなかった。境目以外の部分で割れた。
境目が最も弱い部分ではなくなった。
そういう内容だった。
カインからも同じ日に報告が来た。
セバスチャン経由で、一枚の紙が届いた。
ゴルドの試作が改善された。次の段階に進める。刀の形で試作を作り始める予定。
それだけだった。
短かった。
カインらしかった。
セバスチャンが台帳に記録しながら言った。
「カイン殿からの報告は、いつも短いですね」
「余計なことを書かない人間ですわ」
「私も見習いたいと思っています」
「あなたの報告は余計ではありませんわよ。詳細が必要ですわ」
「そうですか」
「そうですわ。カインの報告が短くて済むのは、私がゴルドの工房で実際に見ているからですわ。あなたの報告は、私が見ていない場所の情報ですわよ」
セバスチャンが少し考えた。
「なるほど。情報の種類によって、必要な詳細量が変わるということですね」
「そうですわ」
「承知しました」
セバスチャンが台帳を閉じた。
その夜、朱音は稽古をしながら、ミスリル刀について考えた。
刀の形で試作を作り始める。
試作が完成したら、試し切りをする。ゴルドとカインと三人で確認する。
その前に、考えておくことがあった。
ミスリル刀に名前をつけるかどうかだった。
朱シリーズには名前がなかった。
番号だけだった。一番刀、二番刀、という呼び方だった。消耗品だから名前をつけなかった。名前をつけると、捨てにくくなる。前世から、消耗品に名前はつけなかった。
しかしミスリル刀は、朱シリーズとは違う刀だった。
朱シリーズと同じ消耗品として使う予定だったが、同じではなかった。
素材が違う。製作の手間が違う。設計の思想が違う。
ゴルドが四十年の経験を全部投入している刀だった。
カインが初めて自分で関わる刀だった。
三人で試作を重ねて作る刀だった。
名前をつけることが、正しい気がした。
どんな名前をつけるか。
思考しながら三段構えを流した。
一の構えから二の構えへ。二の構えから三の構えへ。
予備動作を小さくする練習を続けていた。父に言われた課題だった。少しずつ小さくなっていた。完全ではなかったが、一ヶ月前より確実に改善していた。
名前を考えながら動いていた。
朱シリーズとの連続性を持たせたかった。朱、という字を使いたかった。
しかしただの朱ではなかった。
暗属性の魔力が染み込む刀だった。
黒と朱が混じる刀だった。
鬼、という字が浮かんだ。
前世で、自分を鬼と呼ぶ者がいた。
人を斬り続ける存在を、鬼と呼んでいた。悪い意味で呼ばれていた。しかし呼ばれながら、間違っているとは思わなかった。鬼として生きることを、選んでいた時期があった。
今は違う。
鬼として生きることを、選んでいるわけではなかった。
しかし前世の自分が積み上げてきたものを、否定したくもなかった。
朱鬼。
その名前が浮かんで、止まった。
朱の鬼。
前世の人斬りが、今世で作る刀。
悪くなかった。
三段構えを止めた。
刀を鞘に収めた。
名前が決まった。
ゴルドとカインに、次に会った時に伝える。
名前を伝えてから、刀を打ってもらう。
名前を先に決める。
それが前世との違いだと思った。
前世では、名前などつけなかった。名前をつけることに意味を感じなかった。しかし今は意味があった。
ゴルドとカインが作る。朱音が使う。その刀に名前がある。
三人で作るものに、名前がある。
それだけで違った。
翌週の休日、工房に向かった。
カインがいた。
今日も徒歩で来ていた。
「馬車を本当に」
「必要ない」
諦めた。
工房に入ると、ゴルドが何かを持って待っていた。
刀の形をしていた。
刀身の形に成形された金属だった。完成ではなかった。刃をつける前の段階だった。しかし刀の形としては、ほぼ完成に近かった。
「試作一号だ」
ゴルドが差し出した。
受け取った。
軽かった。
朱シリーズの半分以下だった。
同じ長さで、半分以下の重さだった。
「軽い」
「ミスリルの特性だ。刃をつけていない状態でもこれだけ軽い。刃をつけても大きくは変わらない」
重心を確かめた。
柄寄りの設計だった。指定通りだった。しかし軽さのために、重心の感触がいつもの刀と違った。
「重心が正しい位置にあっても、感触が変わりますわね」
「軽い刀はそうなる」ゴルドが言った。「同じ重心位置でも、総重量が違えば感触は変わる。どうすればいいか、お前の意見を聞きたい」
「実際に振ってみますわ」
「刃はない。刀身に傷はつけないように」
訓練場の端で、試作を持って構えた。
一の構えを取った。
軽さが、構えた瞬間から分かった。
柄に力を入れすぎると、切っ先が上がる感触があった。通常の刀より軽いから、同じ力を入れると過剰になる。
踏み込んだ。
速かった。
踏み込みの速度が、通常の刀より速かった。刀の重さが減った分、体の動きがそのまま速度になった。余分な重さがなかった。
二の構えに移行した。
速かった。
三の構えで止めた。
止める時に、いつもと感触が違った。
通常の刀は重さがあるから、止める時に重さが助けてくれる部分があった。重さが慣性を持って止まる感触があった。
軽い刀は、止める時に自分で止める必要があった。慣性が少ないから、体で止めなければならなかった。
「止める時が違いますわ」
ゴルドが近づいてきた。
「どう違う」
「通常の刀は重さが止まりを助けてくれますわ。この刀は自分で止める必要があります」
「問題になるか」
「慣れれば問題にならないと思いますわ。ただし最初は違和感がありますわ」
カインが言った。
「柄の重さを増やす方法がある。柄頭に重りを加えることで、全体の重量を増やさずに、止まりの感触を調整できる可能性がある」
ゴルドが考えた。
「柄頭に金属を入れる。素材は何がいい」
「暗属性の魔力が親和性を持つ素材がいい。ミスリルではなく、別の素材で」
「なぜ別の素材だ」
「柄頭にミスリルを使うと、魔力が柄頭にも集中する可能性がある。刀身に集中させたいなら、柄頭の素材は分けた方がいい」
ゴルドがカインを見た。
「なぜ分かる」
「さっきのエルシアの試作で、境目に魔力が集中する現象が出た。同じことが、刀身と柄の境目でも起きる可能性がある。柄頭の素材が違えば、その問題を避けられるかもしれない」
「なるほど」ゴルドが言った。「それは俺が気づかなかった点だ」
カインが少し止まった。
ゴルドに気づかなかったと言われることが、想定外だったらしかった。
「合っているか」
「確かめてみなければ分からない。しかし考え方は正しい。次の試作で試す」
朱音はカインを見た。
十歳の少年が、百二十歳のドワーフ職人に気づかなかった点を指摘していた。
ゴルドはそれを素直に認めていた。
本物の職人だった。
自分より若い者の指摘を、素直に取り入れる。前世でも、そういう職人は少なかった。
「ゴルド」
「なんだ」
「この刀に名前をつけたいのですわ」
ゴルドが少し止まった。
「朱シリーズには番号しかつけていなかった」
「ええ。しかしこの刀は違いますわ」
「何という名前だ」
「朱鬼、といたしますわ」
工房の中が少し静かになった。
ゴルドがパイプを口から外した。
カインが朱音を見た。
「朱鬼」とゴルドが繰り返した。「朱の鬼か」
「ええ」
ゴルドが少し考えた。
「悪くない名前だ」
「ありがとう存じますわ」
「刀に名前をつけると、消耗品として扱いにくくなるぞ」
「そうかもしれませんわね」朱音は言った。「しかし今回は、名前をつける方が正しい気がしますわ」
「なぜだ」
「ゴルドが四十年の経験を投入する刀だからですわ。カインが初めて関わる刀だからですわ。そういう刀には、名前があった方がいいですわ」
ゴルドが長い間、朱音を見た。
それから小さく頷いた。
「では朱鬼と呼ぶ」
カインが言った。
「朱鬼が完成した時、試し切りの場所はどこにするか」
「クロイツェル家の稽古場がいいですわ。広さもありますし、外に知られない方がいいと思いますわ」
「承知した」
三人の間で、決まった。
朱鬼が完成した時、三人で稽古場に集まる。
それまでの間、ゴルドとカインが作り続ける。
朱音は今の刀で練習を続ける。
それだけだった。
工房を出る時、ゴルドが壁を指差した。
設計図が並んでいた。
一番刀から現在の刀までの設計図の隣に、新しい設計図が一枚加わっていた。
試作一号の設計図だった。
まだ完成ではなかった。
しかしそこに、朱鬼という名前が書いてあった。
ゴルドが工房に戻りながら、背中で言った。
「次の試作で柄頭の問題を解決する。二週間かかる」
「待っておりますわ」
馬に乗った。
カインが徒歩で隣を歩いていた。
「徒歩で帰りますのね」
「そうだ」
「送りますわよ」
「馬一頭で二人は乗れない」
「馬車を呼べますわ」
「いらない」
朱音はカインを見た。
本当にいらないと思っている顔だった。徒歩で帰ることを、苦にしていなかった。むしろ考える時間として使っているのかもしれなかった。
「では屋敷の前まで一緒に歩きますわ」
馬を降りた。
手綱を持って、カインの横を歩いた。
「カイン」
「なんだ」
「朱鬼に関わることを、楽しんでいますかしら」
カインが少し考えた。
「楽しい、という言葉が合っているかは分からない。しかし、面白い」
「面白い」
「難しいことに向かっている感触がある。難しいことに向かっている時は、面白い」
朱音はその言葉を聞いた。
難しいことに向かっている時は、面白い。
前世では、難しいことに向かっている時、面白いとは思っていなかった。必死だった。必死に向かっていた。面白いという感覚が入る余地がなかった。
今は違うのだろうか。
アカデミーでの日々が、前世と違うのは、面白いと思える余地があることかもしれなかった。
「私も面白いですわ」
カインが少し驚いた顔をした。
「エルシアが面白いと言うのは珍しい」
「そうですかしら」
「いつも淡々としている」
「淡々としているように見えますかしら」
「見える。動じない人間だと思っている」
「動じていますわよ。ただ顔に出さないだけですわ」
カインが少し考えた。
「それは、表に出さない練習をしたのか、それとも生まれつきそうなのか」
「練習ですわ」
「どうやって練習するのか」
「前世では」
また出かけた。
今回は止めなかった。
「前世では、顔に出すと死ぬ場面が多かったですわ。だから出さないようにしましたわ」
カインが止まった。
「前世、というのを時々言う」
「ええ」
「何か意味がある言葉か」
朱音はカインを見た。
どこまで話すかを考えた。
カインは観察眼がある人間だった。すでに気づいている部分があるかもしれなかった。
「別の生き方の記憶が、たまに出てきますわ。詳しくは言えませんわ」
「詳しく言えない理由があるのか」
「言える時が来たら、言いますわ」
カインが頷いた。
「分かった」
それ以上聞かなかった。
詮索しない人間だった。
聞けない理由があると判断したら、聞かない。必要な時に聞く。それだけだった。
クロイツェル家の屋敷が見えてきた。
「ここからは一人で帰れますかしら」
「帰れる」
「あと一時間以上ありますわよ」
「知っている」
「本当に」
「いらない」
諦めた。
カインが歩き始めた。
「カイン」
振り返った。
「朱鬼が完成したら、真っ先に知らせますわ」
「分かった」
カインが歩いていった。
日が傾いていた。
カインの背中が遠くなっていった。
小柄な背中だった。しかしまっすぐだった。どこに向かっているか分かっている人間の歩き方だった。
朱音は屋敷に入った。
マルガレーテが待っていた。
「お帰りなさいませ。セバスチャンから報告があります」
「なんですかしら」
「監視が九名から十一名に増えました」
また増えた。
「分かりましたわ」
増え続けていた。
しかし今日は工房で朱鬼の名前を決めた日だった。
増えた監視の数より、決まった名前の方が、今日の記憶として重かった。
稽古場の鍵を触った。
今夜も稽古をする。
朱鬼が来る前に、今の刀でできることを全部やっておく。
前世からの習慣だった。
今ある道具で、今できる全部をやる。
それだけだった。




