第二十八話 カインとゴルド
次の休日、黒炉に向かった。
カインとの約束ではなかった。
ゴルドから手紙が来ていた。試作の進捗を見てほしいという内容だった。短い手紙で、余計なことが書いていなかった。来られる時に来い、とだけ書いてあった。
馬で向かった。
工房の前に着くと、カインがすでにいた。
徒歩で来ていた。また一時間以上歩いてきたらしかった。
「毎回、馬車を用意しますわよ」
「必要ない」
「足が」
「疲れていない」
いつもと同じ返しだった。
諦めた。
工房に入った。
ゴルドが奥にいた。
炉の前で何かを持っていた。小さな金属片だった。刀の形ではなかった。手のひらに乗る大きさの、長方形の金属片だった。
「来たか」
「ええ、試作はどうでしょうかしら」
ゴルドが金属片を差し出した。
受け取った。
軽かった。
同じ大きさの鋼であれば、もっと重いはずだった。ミスリルが入っているから軽かった。しかし見た目は鋼と変わらなかった。色が少し違った。鋼より青みがかっていた。
「折ってみろ」
「よろしいのですかしら」
「試作だ。折れるかどうかを確かめたい」
朱音は両手で金属片を持った。
力を入れた。
折れなかった。
六歳の時より力がついていたが、それでも折れなかった。
「カイン、やってみますかしら」
カインが受け取った。
鍛冶師の息子だった。手が大きくて、力があった。
折れなかった。
「ゴルド」カインが言った。「接合部分はどこだ」
「真ん中だ。見えるか」
カインが金属片を光に翳した。
「微妙に色が違う。ここか」
「そうだ。ミスリルと特殊鋼の境目だ」
「境目が見える、ということはまだ完全には馴染んでいない」
「そうだ。しかし折れない強度はある。次の段階は、境目が見えなくなるまで馴染ませることだ」
カインが金属片を返した。
ゴルドが受け取った。
「先週の失敗から、温度の管理を変えた。段階的に温度を上げる速度を遅くした。それで境目のひびは消えた。しかし馴染みはまだ不完全だ」
「馴染みが完全になったかどうかは、どう確認しますかしら」
「境目が見えなくなること。それと、境目に沿って割ろうとしても割れないことだ」
「まだどちらも達成できていないわけですわね」
「境目のひびは消えた。しかし境目はまだ見える。割る試験はまだやっていない」
朱音は金属片を見た。
青みがかった色をしていた。
ミスリルの青と、特殊鋼の色が混じって、独特の色になっていた。
「ゴルド、一つ聞いていいですかしら」
「なんだ」
「この試作に、暗属性の魔力を流したら、どうなるか試してみてもいいですかしら」
ゴルドが少し止まった。
カインも止まった。
「壊れてもいいか」
「試作ですわよね」
「そうだが」ゴルドがパイプを口から外した。「どうして今試したい」
「ミスリルの魔力親和性が、この段階でどのくらいあるかを確認したいですわ。完成した刀でいきなり試すより、試作の段階で確認しておいた方が、完成後の調整がしやすいと思いますわ」
ゴルドが考えた。
カインが言った。
「試した方がいい。データが増える方が、次の設計に活きる」
ゴルドが頷いた。
「やってみろ」
朱音は金属片を両手で持った。
魔力を流した。
ゆっくりと、少量から流した。
金属片が反応した。
反応の速さが、通常の鋼とは違った。
通常の鋼に魔力を流すと、刀身の表面を伝うような感触がある。表面を流れる感触だった。
しかし今回は違った。
金属片の内側に入っていく感触があった。
表面を流れるのではなく、素材の中に染み込んでいく感触だった。
流した量が少なかったにもかかわらず、金属片全体が反応していた。
「染み込みますわ」
ゴルドが目を細めた。
「表面ではなく、内側にか」
「ええ。通常の刀とは感触が違いますわ」
「ミスリルの魔力親和性だ。表面だけでなく、素材の芯まで魔力が通る」
少し魔力を増やした。
金属片が、黒く染まり始めた。
暗属性の魔力の色だった。
通常の刀身が黒く染まる時より、速かった。
少ない魔力で、より強く反応していた。
「速い」とカインが言った。
「ええ、思ったより速いですわ」
「制御できるか」
「今は問題ありませんわ。ただし量を増やした時に、戻せるかどうかを確認したいですわ」
「やってみろ」とゴルドが言った。
魔力を少し増やした。
金属片が強く反応した。
黒さが増した。
止めた。
止められた。
魔力が引いた。
金属片の黒さが薄くなった。
完全に消えるまで、数秒かかった。
「数秒かかりましたわ」
「通常の刀では」とカインが言った。
「もう少し速いですわ。一秒かからないですわ」
「ミスリルが魔力を保持しているからだ」ゴルドが言った。「素材の中に入った魔力が、すぐには出ていかない。刀から魔力を引こうとしても、素材が保持してしまう」
「それは問題ですかしら」
「使い方による」ゴルドが椅子に座った。「一度刀に乗った魔力が、しばらく残る。それは戦闘中なら有利になる可能性がある。しかし制御を止めても、すぐには切れないということでもある」
朱音は考えた。
魔力が素材に保持される。
止めようとしても、すぐには止まらない。
制御が難しくなる方向の特性だった。
しかし同時に、少ない魔力で長く効果が持続するということでもあった。
「二面性がありますわね」
「そうだ」ゴルドが言った。「良い特性でもあり、難しい特性でもある。使い手次第で変わる」
カインが金属片を手に取った。
「接合部分に魔力が流れた時、境目がどう変化するかを確認したい」
「どうやってですかしら」
「もう一度、魔力を流してもらえるか。俺が境目を触りながら、変化を感じてみる」
「魔力を流しながら、触れることはできますかしら」
「できるかどうか試してみたい」
ゴルドが「やってみろ」と言った。
朱音が金属片を持った。
カインが境目の部分に指を当てた。
魔力を流し始めた。
カインが集中していた。
目を閉じて、指先だけで何かを感じていた。
「境目が、温かくなった」
「温かく」
「境目の部分だけ、他の部分より温度が上がった。魔力が境目に集中しているかもしれない」
朱音が魔力を止めた。
「温度が下がっていくのはどのくらいですかしら」
「今、普通に戻った」
ゴルドが何かをメモした。
「境目に魔力が集中するなら、境目の素材設計を変える必要があるかもしれない」
「どう変えますかしら」
「境目に使う素材を、魔力の集中を分散させる組成にする。ただし組成を変えると、強度に影響する可能性がある」
「強度と魔力分散のバランスですわね」
「そうだ。次の試作で試してみる」
カインが立ち上がった。
「今日分かったことをまとめると、三つだ」
「聞かせてください」
「一つ、ミスリルは魔力が内側まで通る。二つ、流れた魔力が素材に保持される。三つ、境目に魔力が集中する可能性がある。この三つが、次の設計の材料になる」
ゴルドが頷いた。
「よくまとめた」
「合っているか」
「合っている」
カインがまた座った。
ゴルドが設計図を広げた。
二人で設計図を見始めた。
朱音はその横で聞いていた。
口を挟まなかった。
この会話は職人の話だった。朱音が口を挟める内容ではなかった。使い手として、感触を伝える部分は伝えた。後は職人の領域だった。
職人の領域に使い手が踏み込みすぎない。
ゴルドへの最初の発注の時から、そう決めていた。
二人が話していた。
年齢も、身分も、種族も、全部違う二人が、設計図の前で同じ言葉を話していた。
前世でも、こういう場面があったかと考えた。
前世で、こんなふうに自分のために真剣に考えてくれている場面が、あったか。
なかった。
一人で全部やっていたか、あるいは使う側として命令していたかのどちらかだった。
こういう場面を、前世では知らなかった。
炉の音が工房に響いていた。
ゴルドとカインの会話が続いていた。
朱音は工房の壁に設計図が並んでいるのを見た。
一番刀から現在の刀まで、設計図が年代順に並んでいた。
その先に、今はまだない設計図の場所があった。
ミスリル刀の設計図が、そこに並ぶ日が来る。
それがいつかは分からなかった。
しかし来ることは分かっていた。
ゴルドとカインが、そこに向かって動いていた。
(悪くない)
朱音はいつもの言葉で、今日の工房を評価した。
炉の火が揺れていた。
外では馬が繋がれていた。
帰りも同じ道を走って、屋敷に戻る。
戻ったら稽古をする。
ミスリル刀が来る前に、今の刀でできることを全部やっておく。
それだけだった。




