第二十六話 朱影一閃、公衆の前で
それはレオンの父親が動いたことから始まった。
ルミナール公爵が、アカデミーに申し入れを行った。
内容は、暗属性の学生の魔法実技を、公開の場で評価することを求めるものだった。建前は、暗属性の魔力の危険性を公式に確認するためだった。実際は、公衆の前で暗属性の失態を引き出すためだと、セバスチャンの報告に書いてあった。
申し入れはメルヒオールに届いた。
メルヒオールは申し入れを受け入れた。
ただし条件をつけた。
評価は魔法実技だけではなく、剣術実技も含む。評価者はアカデミーの教員と、外部の審査員で構成する。外部の審査員はルミナール家が一名、クロイツェル家が一名、残り三名はアカデミーが選ぶ。
それがメルヒオールの返答だった。
申し入れを受け入れながら、条件で整えた。ルミナール公爵が有利になりすぎないように、しかし拒否したことにならないように。
老人の采配だった。
セバスチャンから報告を受けた夜、朱音は少し考えた。
公開の評価。
失敗すれば、封印の根拠になる。
成功すれば、封印の根拠が崩れる。
しかし成功と失敗の基準が、明確ではなかった。
魔法実技で何が求められるか。剣術実技で何が求められるか。評価の基準を誰が決めるか。そこが問題だった。
「セバスチャン、評価基準の詳細は分かりますかしら」
「現時点では詳細が届いていません。アカデミーからの公式な通知は、来週になる予定です」
「来週まで待ちますわ」
「はい。ただし一つご報告があります」
「なんでしょう」
「ルミナール家側の審査員の名前が、非公式ですが入りました。魔法教会の査問官です」
査問官。
「魔法の審査に特化した人間ですかしら」
「はい。暗属性の魔法使用が不適切かどうかを判断する専門職です。判断基準は魔法教会の規定に従います」
「魔法教会の規定では、暗属性はどう扱われていますかしら」
「潜在的に危険、という分類です。具体的な危害がなくても、潜在的な危険を理由に制限を課すことができる規定があります」
潜在的な危険。
つまり何もしなくても、潜在的に危険だという判断ができる規定だった。何をしても、何もしなくても、危険と言える根拠が最初から用意されていた。
「難しい条件ですわね」
「はい。ただし」
「なんですかしら」
「クロイツェル家側の審査員の名前も入りました」
「誰ですかしら」
「ライナルト様です」
父だった。
審査員に父が入った。
「父が自分で言い出したのですかしら」
「そのように聞いています。メルヒオール学園長に直接連絡されたようです」
朱音は少し止まった。
父がまた動いていた。
議会での一言と、今回の審査員への立候補と、父は言葉ではなく行動で動き続けていた。
公開評価の当日は、二週間後に設定された。
アカデミーの大訓練場が使われることになった。
通常の訓練場より広かった。観客席がある構造だった。大きな模擬戦や、公式な評価の場として使われる場所だった。
当日の朝、セバスチャンが最終報告を持ってきた。
「観客は予想より多くなる見込みです。ルミナール家の関係者、魔法教会の関係者に加えて、王都の貴族が複数来ます。情報が広まっています」
「どの程度広まっていますかしら」
「かなり広く。クロイツェル家の暗属性令嬢の評価が行われる、という情報です。詳細は様々に変形していますが、注目が集まっています」
「お母様はご存知ですかしら」
「イレーナ様はすでに対応されています。観客の中に、ヴァレンシア家の縁者が複数入る予定です」
母が先に動いていた。
いつものことだった。
「刀は」
「朱シリーズ、現在実戦用が八番刀から十番刀の三振り。本日は何振りお持ちになりますか」
「三振り全部ですわ」
「承知しました。マルガレーテに伝えます」
大訓練場に入った時、観客席が半分以上埋まっていた。
前よりずっと多かった。
アカデミーの学生全員と、外部からの来賓と、審査員たちが揃っていた。
審査員席を見た。
ルミナール公爵が座っていた。初めて見る顔だった。レオンの顔立ちと似ていたが、目が違った。レオンの目は方向が間違っているだけでまっすぐだったが、父親の目は計算していた。何かを得ようとして計算している目だった。
隣に査問官が座っていた。
黒い法衣を着た、無表情の男だった。年齢が読めなかった。顔に感情がなかった。前世で似た目をした人間を見たことがあった。信念と職務が完全に一致している人間の目だった。
父がいた。
審査員席の端に、腕を組んで座っていた。
目が合った。
父は何もしなかった。頷きもしなかった。しかし目が、ここにいると言っていた。
メルヒオールが前に出た。
「本日の評価を始めます。剣術実技を先に行い、次に魔法実技を行います。評価は審査員五名の合議によって行われます」
淡々とした説明だった。
「剣術実技の相手は、今回特別に騎士団から十名を用意しました」
前回の五名から倍になっていた。
メルヒオールが言っていた。来学期は十名にすると。その予定が、今日前倒しになっていた。
観客席がざわめいた。
十歳の令嬢に、騎士団員十名。その組み合わせが想定外だったのか、あるいは想定外ではなかったのかは、ざわめきの種類からは分からなかった。
朱音は訓練場の中央に立った。
騎士団員十名が、向かいに並んだ。
前回の五名とは、並び方が違った。
横一列ではなく、前列と後列に分かれていた。前列五名、後列五名。前列が崩れても後列で対応できる隊形だった。前回の反省が活かされていた。
本職の騎士団員が、一度負けた相手への対策を考えてきていた。
(良い判断だ)
前世でも、一度負けた相手には別の対策で来る者が多かった。それが正しいやり方だった。同じことをしていれば、同じ結果になる。
しかし対策が変わっても、対策に対応する方法がある。
前列と後列に分かれた隊形の弱点は、前列と後列の間に入ることだった。前列を突破して後列と前列の間に入れば、前列が振り返る必要が生じる。振り返る動作は、前を向く動作より遅くなる。
その一瞬を使う。
一の構えを取った。
十名が構えた。
訓練場が静かになった。
動いた。
正面からではなかった。
斜め前に踏み込んだ。
前列の右端に向かって、影踏みで踏み込んだ。右端の騎士団員が反応した。木剣を上げた。
その反応の前に、二の構えで軌道を変えた。
右端ではなく、その隣に向かっていた。
隣の騎士団員が遅れた。右端に反応を集中していた後列の視線が、一瞬だけ右端を向いていた。
その一瞬で前列と後列の間に入った。
影踏みだった。
訓練場の石畳を、相手の視界の盲点を縫って動いた。
前列五名が振り返った。
後列五名が前に出ようとした。
前列と後列がぶつかりそうになった。
密集した瞬間に、朱の糸を使った。
一体目への三の構えが、そのまま二体目への一の構えに繋がった。
止まらなかった。
連鎖が続いた。
密集した状態では、騎士団員同士が互いの邪魔になった。木剣を振るための間隔が取れなかった。朱音だけが、その隙間を縫って動いていた。
七人目まで連続で倒れた。
朱の糸の限界だった。
八人目が来た時、一度止まった。
止まって、呼吸を一つ入れた。
八人目が踏み込んできた速度を、二の構えで横に受け流した。
九人目が側面から来た。
同時に来た。
九人目への対応を一瞬考えた。
考えた一瞬で、暗属性の魔力が僅かに漏れた。
意図していなかった。
考えた一瞬に感情が入って、魔力が連動した。
漏れた魔力が刀身を伝った。
八番刀の刀身が黒く染まった。
一瞬だけ染まって、消えた。
しかしその一瞬を、観客席全員が見ていた。
止める時間はなかった。
八人目と九人目を、連続して三の構えで倒した。
十人目が来た。
十人目は止まっていた。
朱音と距離を取って、待っていた。突進しなかった。観察していた。
前に出なかった。
前に出ない相手には、こちらから詰める必要があった。
詰めようとした時、十人目が動いた。
後退した。
後退しながら木剣を構えた。後退しながら構えることで、間合いを保ちながら朱音の動きを引き出そうとしていた。
朱音は止まった。
引き出されるよりも、待つ方を選んだ。
十人目と、距離を保ったまま、向かい合った。
訓練場が静かだった。
どちらも動かなかった。
観客席がざわめいていた。
十人目が、長い間を経て、木剣を下ろした。
降参の意味だった。
朱音は刀を収めた。
九人を倒して、一人を降参させた。
結果は十人全員の制圧だった。
メルヒオールが前に出た。
「剣術実技、終わります。次に魔法実技を行います」
観客席のざわめきが続いていた。
査問官が何かをメモしていた。
ルミナール公爵の顔が、入場した時とは変わっていた。
計算の中に、想定外のものが入った顔だった。
父は変わっていなかった。
腕を組んだまま、端に座っていた。
表情はなかった。
しかし目が、さっきと少し違った。
さっきより、奥に何かがあった。
朱音にはまだ読めなかった。
魔法実技の準備が始まった。
訓練場の中央に、測定台が置かれた。
測定会で砕けたのと同じ種類の装置だった。
ただし今回は強化版だと説明があった。通常より高い魔力にも耐えられる仕様だった。
(砕けなければいいのだが)
内心でそう思った。
令嬢語変換は内心には来なかった。
測定台の前に立った。
観客席が静かになっていた。
さっきのざわめきが止まっていた。
朱音は右手を出した。
測定台に触れた。
魔力を流した。
ゆっくりと、制御しながら流した。
測定台が黒く染まった。
砕けなかった。
強化版の仕様が機能していた。
測定台が黒く染まったまま、数値が出た。
数値が上限を超えた。
装置が上限を表示できなかった。
計測不能、という表示になった。
観客席が、また静かになった。
別の静かさだった。
さっきのざわめきとも、剣術実技後の静かさとも違う静かさだった。
査問官が立ち上がった。
「計測不能は、制御が不可能であることを示します。魔法教会の規定では、これは危険の根拠になります」
朱音は査問官を見た。
完璧な令嬢スマイルで見た。
「計測不能は上限を超えたことを示しますわ。制御ができないことを示すわけではありませんわよ」
「しかし先ほど、実技中に魔力の漏れが確認されました。制御が完全でない証拠です」
「一瞬だけ漏れましたわ。しかし止めましたわよ」
「止めるまでの一瞬が問題です」
「止めることができることを示しましたわ。止められない場合は止まりませんわよね」
査問官が少し詰まった。
論理として、反論が来なかった。
ルミナール公爵が「しかし完全な制御とは言えない」と言った。
「完全な制御ができる魔法使いがどれだけいますかしら」朱音は言った。「どの属性であっても、完全な制御という基準を設けるなら、魔法を使える人間はほとんどいなくなりますわよ」
また詰まった。
観客席から、小さな笑い声が一つ聞こえた。
ヴァレンシア家の縁者の方向からだった。
母が用意した笑い声だったかもしれなかった。
どちらでもよかった。
笑い声が一つ出れば、それが空気を変える。
父が審査員席で、腕を組んだまま動いていなかった。
しかし目が変わっていた。
さっきより奥にあった何かが、表に出てきていた。
何かを堪えている目だった。
長年の無口が、今堪えているものの重さを示していた。
査問官が何か言おうとした。
メルヒオールが前に出た。
「審査員の評議に移ります。評議の結果は、来週通知します」
それで今日が終わった。
観客席が動き始めた。
レオンが訓練場に下りてきた。
「あの漏れは意図的だったか」
「いいえ」
「そうか」レオンは少し間を置いた。「止めるまでの速さは、俺には分からなかった。しかし止めたことは分かった」
「見ていてくださいましたのね」
「最初から最後まで見ていた」
レオンが踵を返した。
立ち去る前に、一度だけ振り返った。
「父と話した。賛同できないと伝えた」
「どうでしたかしら」
「まだ話し合い中だ。しかし伝えた。それは変わらない」
それだけ言って、出ていった。
カインが来た。
「八人目の時の漏れ、止めるまでに何秒かかったか分かるか」
「分かりませんわ。感覚では一瞬でしたが」
「俺の感覚では、二秒かからなかった。そんなに早く止められるなら、制御できていると言っていい」
「まあ」
「査問官の言ったことは屁理屈だ」
カインが事実として言った。
屁理屈という言葉を、感情なく事実として言った。
朱音はカインを見た。
「ありがとう存じますわ」
「礼はいらない。事実を言っただけだ」
カインが戻っていった。
父がいた。
審査員席から下りてきた。
近づいてきた。
朱音の前に立った。
何も言わなかった。
長い間だった。
それから、一言だけ言った。
「よくやった」
令嬢語変換が来る前に、目の奥が熱くなった。
「ありがとう存じますわ、お父様」
変換された言葉が出た。
今回は変換前と変換後が、ほとんど同じだった。
父が踵を返した。
出ていった。
振り返らなかった。
訓練場に一人残った。
石畳の上に、模擬戦の跡が残っていた。
騎士団員が倒れた場所に、薄い擦り跡があった。
刀が黒く染まった一瞬が、この訓練場で起きた。
見ていた全員が、見ていた。
それが今後どう使われるかは、来週の評議結果で分かる。
しかし今日できることは、やった。
剣術実技で十名を制圧した。
魔法実技で計測不能を出した。
制御できないという主張に、止めたという事実で答えた。
今日できることは、全部やった。
セバスチャンが来た。
「本日の刀の消耗状況をご報告します。八番刀の刀身に微細な傷が確認されました。実戦用から稽古用に移行を検討します」
「ゴルドに確認を取りますわ」
「はい。九番刀と十番刀は問題ありません」
「ありがとう」
フィーナが走ってきた。
「エルシア様、すごかったですーっ」
いつもの大きな声だった。
訓練場に響いた。
残っていた人たちが振り返った。
「まあ、お声が」
「だってすごかったんだもん、えっ、敬語、すごかったんです、ものすごくかっこよかったです」
「ありがとうございますわ」
「あと魔法の時、刀が黒く光ってて、なんかすごく綺麗でした。怖いとかじゃなくて、綺麗だなって思いました」
朱音はフィーナを見た。
綺麗だと言った。
暗属性の魔力が刀身を染めた瞬間を、怖いではなく綺麗だと言った。
査問官は危険だと言った。
フィーナは綺麗だと言った。
どちらが正しいかは、今日では分からなかった。
しかしどちらの言葉が残るかは、これから決まることだった。
訓練場を出た。
来週、評議結果が来る。
それまで、やることは変わらなかった。
稽古を続ける。
刀の手入れをする。
セバスチャンの報告を確認する。
それだけだった。




