第二十四話 情報屋セバスチャン
その日の夕方、セバスチャンが書類を持って来た。
いつもの台帳ではなかった。
薄い冊子だった。表紙に何も書いていなかった。中を開くと、細かい字で情報がまとめてあった。
「何ですかしら、これは」
「監視している九名の身元調査の結果です」
朱音はセバスチャンを見た。
「いつ調べましたの」
「監視が始まった当日から、少しずつ集めていました。全員分が揃ったので、まとめました」
朱音は冊子を開いた。
九名分の情報が、それぞれ一頁ずつまとめてあった。
名前。出身。所属。雇用主。過去の仕事の記録。家族構成。金銭状況。
詳しかった。
名前と顔だけでなく、なぜここにいるかまで辿れる情報だった。
「どうやって集めましたの」
「複数の経路を使っています」セバスチャンは淡々と言った。「まず屋敷の外を通る商人に声をかけました。外で話を聞いてくる商人は、自然に人と話す理由があります。次に王都の情報屋に依頼しました。費用はクロイツェル家の小口費用から出しています。最後に、イレーナ様のヴァレンシア家の情報網と照合して、精度を確認しました」
段階を踏んでいた。
一つの経路だけに頼らず、複数の経路から集めて、照合して精度を確認した。情報の集め方として、正しいやり方だった。
「イレーナ様とは、いつから連携していますかしら」
「エルシア様がアカデミーに入学された頃からです。イレーナ様の方から声をかけていただきました」
母から声をかけた。
イレーナが先に動いていた。朱音が知らないところで、母と従僕が情報を共有する仕組みを作っていた。
「私に報告しなかった理由は」
「仕組みができるまで、報告しても意味がないと判断しました。仕組みが整ってから報告する方が、エルシア様のお時間を取らせないと思いまして」
朱音はセバスチャンを見た。
十七歳の少年だった。
孤児院出身で、魔力がなくて、身分がなかった。しかしその分、目立たなかった。目立たない人間は、動きやすかった。魔力がない人間は、魔法的な探知に引っかからなかった。
(前世で欲しかった人材だ)
最初にそう思ってから、二年以上が経っていた。
その評価は変わっていなかった。むしろ上がっていた。
「九名の中で、特に注目すべき人物はいますかしら」
「三名います」セバスチャンが冊子の特定の頁を開いた。「この三名は、残りの六名とは雇用主が違います」
「違う、とはどういう意味ですかしら」
「六名はルミナール家からの雇用です。しかしこの三名の雇用主は、追っても名前が出てきませんでした」
名前が出てこない雇用主。
「魔法教会ですかしら」
「可能性が高いと思っています。ただし確定できていません」
「確定できない理由は」
「雇用の経路が、通常の傭兵雇用と違う方法で処理されています。複数の中間業者を経由していて、元を辿ることが難しい」
「手間をかけていますわね」
「はい。それだけ、表に出したくない雇用主だということかと思います」
朱音は三名の情報を読んだ。
外見の特徴。動き方の癖。交代の時間帯。よく立つ場所。
詳しかった。
「これを書いたのはセバスチャンですかしら」
「はい」
「いつ観察しましたの」
「屋敷の外に出る用事がある時に、自然に観察しました。意図的に近づいたことはありません。近づくと気づかれる可能性があるので」
「気づかれていませんかしら」
「おそらく。魔力がないと、気配を探る魔法に引っかかりません。その点では動きやすいです」
朱音は冊子を最後まで読んだ。
読み終えて、机に置いた。
「よくできていますわ」
「ありがとうございます」
「今後も続けていただけますかしら。変化があれば随時報告を」
「承知しました。変化の定義を確認させてください。人数の変化、担当者の変化、行動パターンの変化、以上の三点でよろしいですか」
「それに加えて、雇用主の変化も」
「承知しました。特に先ほどの三名については、引き続き追います」
「ありがとう」
セバスチャンが立ち上がりかけた。
「もう一つ聞きますわ」
「はい」
「これを始めようと思ったのは、なぜですかしら」
セバスチャンは少し考えた。
こちらが思ったより、長く考えた。
「エルシア様が一人で全部考えているように見えたからです」
「一人で、ですかしら」
「問題が起きた時、エルシア様は一人で解決しようとされます。フィーナには心配させないように情報を隠す。私には結論だけを伝える。それで問題が解決することは多いのですが」
「しかし」
「情報が集まっていれば、もっと早く動けることがある。早く動けれ ば、解決できる問題が増える。だから情報を集め始めました」
朱音はセバスチャンを見た。
「前世でも」
口が動いた。
止めた。
令嬢語変換が来なかった。
しかし自分で止めた。
前世の話を、今ここでするつもりはなかった。
「一人でいることに、慣れすぎているかもしれませんわね」
言い直した。
セバスチャンが少し間を置いた。
「そう見えます」
「そうかもしれませんわ」
「しかし今は一人ではありません」
朱音はセバスチャンを見た。
十七歳の少年が、真っ直ぐに言った。
感情的な言い方ではなかった。事実を述べる言い方だった。今は一人ではない。それは事実だ。という言い方だった。
「ありがとう存じますわ、セバスチャン」
「恐れ入ります」
セバスチャンが立ち上がった。
扉に向かった。
「セバスチャン」
「はい」
「費用については、必要な分を使いなさいな。節約する必要はありませんわよ」
「承知しました。ただ」
「なんですかしら」
「費用は最小限にする予定です。費用が増えると、記録が増えます。記録が増えると、気づかれる可能性が上がります。見えない方が、動きやすいので」
朱音は少し止まった。
それも正しかった。
金を使うことは、痕跡を残すことだった。痕跡は追われる可能性を生む。見えないことが強みの人間が、費用をかけて見える痕跡を残すことは矛盾していた。
「あなたの判断に任せますわ」
「ありがとうございます」
扉が閉まった。
朱音は冊子を手に取った。
九名分の情報が、細かい字でまとめてあった。
前世では、こういう情報を自分で集めていた。一人で動いて、一人で集めて、一人で判断していた。
今は、集めてくれる人間がいた。
集めた情報を、冊子にまとめてくれる人間がいた。
まとめた冊子を、説明と一緒に持ってきてくれる人間がいた。
その全部が、当たり前のように動いていた。
当たり前になっていた。
いつから当たり前になったのかを考えた。
気づいたら当たり前になっていた。
前世では当たり前ではなかったことが、今は当たり前になっていた。
窓の外が暗くなっていた。
夜になっていた。
監視の九名が、今夜もどこかにいた。
三名の雇用主が、まだ分からなかった。
しかしその情報を追っているセバスチャンが、屋敷の中にいた。
朱音は立ち上がった。
稽古場に行く時間だった。
冊子を引き出しに入れた。
鍵をかけた。
引き出しの中に、封印請願書の写しと、監視の情報冊子が入った。
どちらも、見えない動きの証拠だった。
見えない動きが、今夜もどこかで続いていた。
朱音は部屋を出た。
廊下に出ると、マルガレーテが立っていた。
「稽古場ですか」
「ええ」
「護衛を一名つけます」
「必要ありませんわ」
「監視が増えました。念のため」
「マルガレーテ」
「はい」
「護衛が増えると、稽古の邪魔になりますわよ」
マルガレーテが少し間を置いた。
「分かりました。屋敷の外の巡回を強化します」
「よろしくてよ」
廊下を歩いた。
稽古場の鍵を取り出した。
今夜の課題を考えた。
予備動作を小さくすること。父に言われた課題だった。まだ完全には解決していなかった。
解決するまで、繰り返す。
それだけだった。
稽古場の扉を開けた。
今夜もここから始まる。




