第十八話 実戦評価
来週、と言ったメルヒオールは、三日後に変更した。
セバスチャンがアカデミーからの通知を受け取った朝、朱音に渡しながら言った。
「騎士団員との模擬戦、当初の予定より早まりました。明後日の午前中です」
「何人来るか、書いてありますかしら」
「五名とあります」
五名。
朱音は通知を読んだ。
追記があった。メルヒオールの字で、短く書いてあった。
同時に相手をすること。順番にではなく、五人同時に。
「同時ですわね」
「はい」
「ゴルドへの発注は」
「昨日、九番刀と十番刀の完成の知らせが来ました。明日届く予定です」
「よろしいですわ」
セバスチャンが台帳を閉じた。
フィーナが横で話を聞いていた。
「えっと、五人と同時に戦うんですか」
「ええ」
「大丈夫ですか」
「さあ」
「さあじゃないですよ」
フィーナがいつもの困った顔をした。朱音はそれを横目で見ながら、明後日の段取りを考え始めた。
前日の夜、稽古場で確認をした。
課題は二つだった。
一つ目は、訓練場の広さに合わせた動き方だった。クロイツェル家の稽古場より広かった。広い場所での朱の糸は、間合いの計算が変わる。相手と相手の距離が変われば、連鎖の軌道も変わる。
二つ目は、木剣への対応だった。
騎士団員は木剣を持ってくるはずだった。刀と木剣では、接触した時の感触が違う。前世では木剣を相手にしたことが少なかった。刀対刀の経験の方が圧倒的に多かった。
木剣の重さと軌道を、頭に入れる必要があった。
稽古場でガルドの動きを思い出した。
木剣の防御を上げた時の軌道。木剣が間合いを詰める時の速度。木剣で攻撃に転じる時の予備動作。全部、一度だけ見ていた。
一度見れば、大体は分かった。
前世からそうだった。
明後日の朝、訓練場に人が集まっていた。
アカデミーの学生だけではなかった。教員が複数来ていた。騎士団の関係者らしき人物もいた。メルヒオールが呼んだのか、噂が広まったのか、どちらかだった。
朱音は訓練場の中央に立った。
騎士団員が五名、向かいに並んだ。
全員、二十代から三十代の男だった。鍛えた体をしていた。木剣を持っていた。本職の騎士の立ち方をしていた。アカデミーの学生相手に手を抜く気配はなかった。
メルヒオールが端に立った。
「準備ができたら始めなさい」
朱音は五名を見た。
並び方を見た。
横一列に並んでいた。間隔は均等だった。連携を前提とした並び方だった。端から崩すか、中央から入るか、どちらにするかを一瞬で判断した。
端から崩す。
中央から入れば、五名全員に囲まれる可能性がある。端から始めれば、常に自分の正面にいる相手の数を限定できる。
一の構えを取った。
五名が構えた。
全員が構えを変えた瞬間が、始まりだった。
踏み込んだ。
左端の騎士団員に向かって、一の構えで踏み込んだ。左端の一名だけに向けた踏み込みだった。他の四名への意識を切った。
左端の騎士団員が木剣を上げた。
防御の構えだった。
その防御の軌道に合わせて、二の構えに移行した。
防御が向かう方向の逆に軌道を変えた。
騎士団員の防御が空振りになった瞬間に、三の構えで峰打ちを入れた。
倒れた。
着地した。
二名目が来ていた。
左端の騎士団員が動き始めた瞬間に、隣の二名目が連携で動いていた。連携が早かった。本職の騎士団員だった。学生とは違う動き方だった。
しかし動き始めの瞬間に、軌道が読めていた。
二の構えを省略した。
一の構えから直接三の構えに移行した。
本来は一の構えから二を経由して三に至る連鎖だったが、相手の動きが読めている時は省略できる。省略した分だけ速くなる。
二名目の木剣が届く前に、峰打ちが入った。
倒れた。
三名目と四名目が同時に来た。
同時に来ることは想定していた。二名を連続で倒した時点で、残りが連携を組み直す時間があった。二名同時に来るという選択は、合理的だった。
影踏みを使った。
三名目に向かって踏み込む動作を見せながら、軌道を切り替えて四名目の死角に入った。三名目の視線が朱音を追って、四名目との連携が一瞬崩れた。
崩れた一瞬に、四名目への三の構えを入れた。
倒れた。
三名目が修正した。
修正が速かった。三名目が一番動きの良い騎士団員だった。修正してからの踏み込みが深く、木剣の軌道が読みにくかった。
一の構えで待った。
来させた。
前世でも、速い相手には来させることがあった。自分から踏み込むより、相手の速度を利用した方が、三の構えへの繋ぎが確実になる場合があった。
三名目が踏み込んできた。
その速度を、二の構えで受け流した。
受け流した勢いを、そのまま三の構えに変換した。
峰打ちが入った。
倒れた。
五名目が来ていた。
来ていたが、少し止まっていた。
四名が順番に倒れていくのを見て、五名目の動きが一瞬だけ乱れていた。乱れは小さかったが、あった。
その乱れに入った。
一の構えも省略した。
気配を消したまま間合いを詰めた。五名目が気づいた時には、刀身が喉元にあった。
止まった。
静止した。
訓練場が静かだった。
五名全員が、地に伏していた。倒れていた者と、制圧されたまま動けない者が混じっていた。
時間にして、始まってから何秒だったか。
朱音には分からなかった。体が動いていた間、時間を意識していなかった。前世でも同じだった。本当に動いている時、時間の感覚は消えた。
刀を収めた。
五名目が立ち上がった。
他の四名も、順番に起き上がった。
誰も怪我をしていなかった。全員、峰打ちと制圧だけで倒していた。
メルヒオールが端から近づいてきた。
何かを言う前に、訓練場の端にいたガルドが動いた。
ガルドが朱音の前まで来た。
立ち止まった。
「昨日は採点を拒否した」
「ええ」
「今日も、私には採点の基準がない」
「そうですわね」
ガルドは少し間を置いた。
「弟子にしてください」
訓練場が、また静かになった。
別の静かさだった。さっきの静かさは驚きだったが、今度の静かさは別の種類だった。
朱音はガルドを見た。
四十代の教員が、十歳の学生に弟子入りを志願していた。
顔が真剣だった。
恥を知っている人間が、恥を承知で言っている顔だった。前世で見たことがある顔だった。本物の剣士が、自分より強い相手を認めた時の顔だった。
「まあ」
朱音は少し考えた。
(逆だろうが、という言葉が来る前に、令嬢語変換が作動した。)
「よろしくてよ」
ガルドが深く頭を下げた。
メルヒオールが近づいてきた。
老人は小さく笑っていた。昨日と同じ、唇の端だけの笑いだった。
「評価を告げます」
「はい」
「影抜き、実戦評価、最高評価とします」
「ありがとう存じますわ」
「毎学期、騎士団員との模擬戦を行います。人数は学期ごとに私が決める」
「承知しましたわ」
メルヒオールが踵を返した。
出ていく前に、振り返らずに言った。
「来学期は十名にします。再来学期は増やします」
言って、出ていった。
訓練場に残った学生たちが、ざわめいていた。
レオンが壁際に立っていた。
腕を組んでいた。何かを考えている顔だった。訓練場の模擬戦を最初から最後まで見ていた。
朱音と目が合った。
何かを言おうとした。
言わなかった。
目を逸らした。
カインが近くに来た。
「五人目の前、気配を消したか」
「ええ」
「どうやって」
「さあ」
「さあで答えが終わるのか」
「自然にそうなりますの。訓練して自然になったものは、どうやっているか説明しにくいですわ」
カインは少し考えた。
「訓練の方法は」
「繰り返すだけですわ。ただし同じ繰り返しではなく、毎回違う課題を持って繰り返す」
「課題はどう決める」
「前の繰り返しで何が足りなかったかを見て決めますわ」
カインはまた考えた。
「それは刀の製作と同じだ」
「そうですかしら」
「打つたびに何が足りないかを見て、次に活かす。全部同じだ」
朱音はカインを見た。
十歳の少年が、剣術と鍛冶の共通点を一瞬で見つけていた。
(このくらいの頭があれば、ゴルドの工房でも使える)
「カイン」
「なんだ」
「ゴルドへの紹介状を書きますわ。次の休日にでも黒炉に行ってみますかしら」
カインは少し止まった。
「本当にいいのか」
「私が言い出したことですわ」
「なぜそこまで」
朱音はカインを見た。
なぜ、という問いだった。
前世の朱音なら、使えるからと答えていた。それが本音だった。しかし今は別の答えも持っていた。
「目が良い人間と、同じ場所にいたいのですわ」
カインが少し驚いた顔をした。
それから、表情が戻った。
「分かった」
それだけ言った。
多くを言わない人間だった。しかし受け取ったことは確かだった。
セバスチャンが訓練場の端から来た。
「エルシア様、本日の刀の消耗状況のご報告です」
「消耗しましたかしら」
「八番刀の柄に微細な緩みが確認されました。ゴルド殿への報告事項として記録します」
「ありがとう」
「九番刀と十番刀は本日午後に届く予定です」
「よろしいですわ」
フィーナが遠くから走ってきた。
訓練場の端から見ていたらしかった。
「エルシア様すごかったですーっ」
声が大きかった。
訓練場の残った全員に聞こえていた。
「まあ、お声が大きゅうございますわ」
「すごかったです本当に。騎士団の人たちが五人とも、あっという間に。え、何秒でしたか。私数えようとしたんですけど数え終わる前に終わりました」
「落ち着きなさいな」
「落ち着けないですよ今日は」
フィーナがまだ興奮した顔をしていた。
朱音は刀の柄頭に右手で触れた。
八番刀だった。柄に緩みが出ていた。セバスチャンが確認していた。今日の模擬戦で、何かに強く当たった時に緩んだのかもしれなかった。
後で確認する。
九番刀と十番刀が今日届く。
来学期は十名相手になる。
課題がまた増えた。
増えることは悪くなかった。課題がある間は、やることがある。やることがある間は、動いていられる。
動いていれば、次が見えてくる。
前世からずっと、そうしてきた。
訓練場の朝の光が、石畳を照らしていた。
今日の評価が終わった。
しかしアカデミーでの最初の一週間は、まだ終わっていなかった。
今日の午後にも授業があった。
朱音は訓練場を出た。
腰の八番刀が、歩くたびに揺れた。
柄の微細な緩みが、手のひらに僅かに伝わった。
(ゴルドに確認してもらう必要があるかもしれない)
そう思いながら、廊下を歩いた。
セバスチャンが後ろで台帳を開く音がした。
フィーナがまだ興奮した声で何かを言っていた。
アカデミーの最初の一週間は、思ったより騒がしかった。
それが悪いとは、思わなかった。




