閑話 ゴルドの独白
黒炉の主は、夜中に一人で考えることがある。
仕事が終わって、助手たちが帰って、炉の火が落ちてから、パイプを咥えて座る。
考える時間だった。職人として四十年以上、そうしてきた。
あの令嬢の刀を打ち始めてから、その時間が長くなった。
刃こぼれの報告が来るたびに、ゴルドは刀身の設計を見直した。
厚みを増した。鋼材の配合を変えた。焼き入れの温度を調整した。やれることは全部やった。それでも刃こぼれは出た。
問題は鋼材ではないとゴルドは気づいていた。
問題は、あの令嬢の剣術だった。
通常の剣術であれば、通常の鋼材で十分に対応できる。刃こぼれが出るとすれば、相手の武器との接触か、石や地面との接触がほとんどだ。
しかしあの令嬢の剣術は違った。
速度が違った。
抜刀から斬撃までの速度が、通常の剣士とは桁が違った。速度が上がれば、斬撃の際に刀身にかかる負荷が増す。負荷が増せば、刃こぼれの確率が上がる。
しかも三段構えという連続動作だった。
一の構えから二の構えへ、二の構えから三の構えへ、動作が止まらない。止まらない動作は、刀身への衝撃が蓄積する。蓄積した衝撃が、ある閾値を超えた時に刃こぼれになる。
つまりあの令嬢が本気で三段構えを使えば使うほど、どんな鋼材で作った刀も、限界に近づく。
ゴルドは四十年の経験から、その結論を出していた。
では、どうするか。
通常の鋼材では限界がある。
より強い素材が必要だった。
強度があって、しかし重くならない素材。刃こぼれしにくくて、しかし刃の鋭さを失わない素材。そして、あの令嬢が持つ暗属性の魔力を通しやすい素材。
最後の条件は、昨夜の報告を聞いてから加わった条件だった。
マルガレーテから届いた報告に、一行だけそれが書いてあった。セバスチャンが付け加えた注記だった。
実戦において、刀身に暗属性の魔力が流れ込む現象が確認された。意図的なものではないと思われるが、今後の刀の設計において考慮が必要かもしれない。
考慮が必要かもしれない。
几帳面な少年らしい書き方だった。しかしゴルドにとって、その一行は職人としての問いを根本から変えるものだった。
魔力が通る刀。
魔力を通すように作られた刀ではなく、魔力が自然に流れ込む刀。
暗属性の魔力は、光を吸収する性質がある。光を吸収するということは、周囲のエネルギーを取り込む性質があるということだ。その魔力が刀身に流れ込んだ時、刀身はどうなるか。
鋼材が魔力を受け入れられる素材でなければ、魔力は刀身の表面を流れるだけになる。流れるだけでは、斬撃への影響は限定的になる。
魔力を内側まで通せる素材であれば、話が変わる。
魔力が刀身の芯まで通れば、刀身そのものが暗属性を帯びる。暗属性を帯びた刀身は、暗の力で斬撃を強化できる。
そういう素材が、存在する。
ゴルドはパイプを口から離した。
炉の消えた工房の中で、一人で考えていた。
ミスリルだ。
希少金属の中でも、最も魔力親和性が高い素材だった。どの属性の魔力も通しやすい。重量は鋼の三分の一。強度は鋼の五倍以上。刃の鋭さは、正しく加工すれば鋼材の比ではない。
刃こぼれという問題が、根本から解決する。
あの令嬢の三段構えに耐えられる刀身になる。
暗属性の魔力が流れ込めば、刀身がそれを受け入れて増幅する。意図しない魔力の流出が、そのまま斬撃の強化になる。
問題は一つだった。
ミスリルは希少だった。
王国内で採掘できる場所は限られていた。流通している量は少なく、価格は鋼材の百倍を超えた。通常の剣一本を作るにも、相当な量が必要になる。
刀一振りを打つのに、どれだけのミスリルが必要か。
ゴルドは頭の中で計算した。
刃渡り二尺三寸。刀身の厚み。重心の位置。全部計算すると、通常より薄く打てるミスリルの特性を活かしても、かなりの量になる。
価格にすると、屋敷が一軒建つくらいの話になった。
しかも一振りではない。
あの令嬢は消耗品として使う。一振りだけ作っても意味がない。最低でも三振り。できれば五振り。
クロイツェル家なら払えるかもしれなかった。五大公爵家の一つだった。しかし問題はミスリルを調達できるかどうかだった。市場に流通している量では、五振り分を揃えるのは難しかった。
採掘元に直接当たる必要があった。
王国北部の山岳地帯に、ミスリル鉱脈があると聞いたことがあった。百年以上前の話だった。今も採掘しているかどうかは分からなかった。
調べる必要があった。
それから、加工の問題もあった。
ミスリルは加工が難しかった。
通常の鋼材と同じ方法では打てない。炉の温度が違う。打ち方が違う。焼き入れの方法が違う。四十年の経験が、ミスリルには通用しない部分があった。
勉強し直す必要があった。
ゴルドは百二十歳だった。
ドワーフの寿命から言えば、まだ中年だった。勉強し直す時間は十分にあった。
問題は、勉強する相手が必要なことだった。ミスリルの加工を知っている職人が、今の王国にどれだけいるか。
一人、心当たりがいた。
王都の外れに住む老鍛冶師だった。ゴルドより年上のドワーフで、若い頃にミスリルを加工したことがあると言っていた。今は引退していたが、生きていれば教えてもらえるかもしれなかった。
生きているかどうかは、確認していなかった。
五年前に会った時は生きていた。
ドワーフは丈夫だった。たぶん、まだ生きているだろう。
もう一つ、考えていることがあった。
純粋なミスリルだけで打つのではなく、鋼材とミスリルを組み合わせる方法だった。
日本刀の製法に近い考え方だった。
ゴルドはあの令嬢の注文を初めて聞いた時から、刀というものを研究していた。片刃、反り、刃渡りの単位、全部がこの世界の剣とは違う発想で作られていた。
なぜその形なのかを考えた。
考えた結論が、折り返し鍛錬と、異なる硬度の鋼材の組み合わせだった。刃の部分を硬く、棟の部分を粘りのある素材で作る。硬い刃が鋭さを保ち、粘りのある棟が衝撃を吸収する。
その考え方をミスリルに応用する。
刃の部分にミスリルを使う。棟の部分に粘りのある特殊鋼を使う。二つの素材を組み合わせた刀身を作る。
ミスリルの使用量が減る。
調達の問題が、少し現実的になる。
加工の難易度は上がる。二つの異なる素材を一つの刀身に組み合わせる技術は、どちらか一方だけを使うより遥かに難しい。
しかし面白かった。
職人として、面白い仕事だった。
四十年の経験が試される仕事だった。
ゴルドはパイプに火を入れた。
消えていた火が戻った。
煙が工房の天井に向かって上がった。
考えることが三つあった。
ミスリルの調達ルートを探すこと。
王都の老鍛冶師に連絡を取ること。
ミスリルと鋼材の組み合わせの設計を始めること。
順番はどれが先でも構わなかった。
並行してやればいい。
ゴルドは立ち上がった。
工房の奥に向かった。
設計図を書く紙と、ペンを取り出した。
今夜は眠れそうになかった。
しかしそれは悪いことではなかった。
眠れない夜に良い仕事が生まれることを、四十年の経験が知っていた。
翌朝、セバスチャン宛に手紙を一通書いた。
短い手紙だった。
次回のご来訪の際に、少々ご相談したいことがございます。刀の素材について、新しい提案があります。クロイツェル家のご判断を仰ぎたいと存じます。
それだけ書いて、封をした。
使いに持たせた。
工房に戻って、設計図の続きを始めた。
炉に火を入れた。
今日も仕事だった。




