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婚約破棄された気弱令嬢リリエラ・ライムブリュレは、選ばれるのをやめました 〜冷酷公爵は静かに立候補する〜  作者: テラトンパンチ


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第七話 王太子の脅迫とリリエラの気持ち


噂が広まるのに、一週間もかからなかった。


「ライムブリュレ嬢がショコラオランジュ公爵と馬車に同乗していた」

王都の社交界は狭い。

誰かが見ていた、誰かが話した。

それだけで十分だった。

リリエラが次の茶会に出席したとき、空気が変わっていた。

あからさまではない。

ただ——視線の角度が変わっていた。

好奇心と、品定めと、少しの羨望と、少しの悪意が混ざった目。

リリエラはその種類を、すぐに読んだ。

読めてしまった。

「ライムブリュレ嬢は強運ね」

誰かが言った。

「婚約破棄されて、公爵家に拾われるなんて」

拾われる、という言葉が、胸のどこかに刺さった。

刺さったが、表情には出さなかった。


「まあ、公爵も変わった趣味をお持ちで」

笑い声がした。

リリエラは紅茶を飲んだ、カップを置いた。

立ち上がった。

席を離れながら、震えていないことに気づいた。

刺さったが——折れなかった。

それが、少し前の自分と違う気がした。


しかし‥。

問題は、翌日に来た。

「王太子殿下が、お父上に面会を求めておいでです」

母が、青ざめた顔で言った。


父の病室に、家族が集まった。

病床の父は顔色が悪かった。

それでも目は開いていて、リリエラの顔を見た。

「リリエラ」

「はい、父上」

「殿下が、婚約を復縁したいとおっしゃっている」

「……存じております」


「‥断るのか」

父の声は、責めていなかった。ただ——疲れていた。

「断ります」

「理由を聞かせてくれ」

リリエラは父の顔を見た。

この人はいつも頭ごなしに否定せず、理由を聞いてくれた。


母は結論を先に求めるが、父は理由を先に聞く。

病に倒れても、それは変わらなかった。

「……自分で選びたいからです」

「それは公爵家の話か?」


「まだ、お返事はしていません。でも——殿下ではない、と、それだけははっきりしています」

父は少し目を閉じた。


「殿下は、家への影響を示唆されていた」

「……わかっています」

「ライムブリュレ家の取引先に、王家の息がかかっているものが多い。殿下がその気になれば——」

「父上」

リリエラは静かに言った。


「それは脅しです」

沈黙が落ちた。

「……そうだな」

父が言った。

「そうだな、リリエラ。お前の言う通りだ」

母が口を開きかけた。父が目で制した。

「お前が決めなさい。私は——お前の決めたことを、支持する」

リリエラは息を吸った。


「ありがとうございます、父上」

頭を下げた。

廊下に出てから、リリエラはしばらく壁に背を預けた。

足が、少し震えていた。


震えていた。でも——

決めた。

震えていても、決めたことは変わらなかった。


その夜、手帳を開いた。

昨日の一行の下に、続きを書いた。


怖い。

でも、嫌いじゃない。

脅されても、変わらなかった。

これは、本物かもしれない。


ペンを置いた。

窓の外に、星が出ていた。



翌朝、リリエラは馬車を呼んだ。

「どちらへ」と御者が聞いた。

「ショコラオランジュ公爵邸へ」

マリアが何も言わなかった。

ただ、上着を持ってきた。

‥今日は曇っていたから。


馬車の中で、リリエラは手を見た。

震えていた。

昨夜、手帳に書いた言葉を思い出した。

これは、本物かもしれない。

本物だと思った。だから怖かった。

怖いから震えていた。

でも馬車は走っていた。


勢いに任せて行ったからアポイントメントなんか取ってなかった。

もしかしたら来てくれるかもしれない、と言っていた。

いつか言った、その言葉を信じることにした。


公爵邸の門番は、今回は少し早く戻ってきた。前回の事で、顔を覚えてもらったのかもしれない。

「どうぞ」

応接室に通された。

待った。


今日の待ち時間はとても長く感じた。

時計を見たら、三分だった。

体感とずれていた、すごく緊張している。


扉が開き、公爵が入ってきた。

いつもと同じ顔だった。

感情の読みにくい顔。

切れ長の目。

でも——リリエラを見た瞬間、目の奥が、少し動いた気がした。


「来たのか」

「……突然で、申し訳ありません」

「いいえ」

公爵は向かいに座った。

「顔色が悪い」

「……昨日、少し」

「王太子が動いたと聞いた」

リリエラは少し驚いた。


「ご存知でしたか」

「噂になっていた。家への圧力を示唆したと」

「……はい」

「怖かっただろう」

「……怖かったです」

「それでも断ったのか」

「……はい」

公爵が静かにリリエラを見た。


「なぜ?」

なぜ、と聞かれた。

リリエラは答えを知っていた。昨夜、手帳に書いた。書いたから、知っていた。

でも——それを、今ここで言えるか。


震えていた。

手が、震えていた。

震えながらでも、言える。

あの人が、言った。

あの夜会で、震えながら言えた。

それをこの人が、大したことだと言った。


なら——今も、震えながらでいい。

そう思えた。


「……公爵」

「なんだ」

「私は、今とても怖いのです‥怖いまま、来てしまいました」

「……」

「王太子殿下への返事を、まだしていません。でも——来ずにはいられなかった」


公爵が静かに聞く。

促さない。先を急かさない。

ただ——待っていた。

「昨日、王子に脅されても——気持ちが変わりませんでした」

「……」

「気持ちが変わらなかったとき、これは本物だと思いました」

窓から光が入っていた。

曇っていたはずなのに、いつの間にか雲が切れていた。

「だから——」

リリエラは顔を上げた。


「もう少しだけ、時間をいただけますか。ちゃんと言葉にしてから、お伝えしたいので」

公爵は少しの間、リリエラを見ていた。


それから——今まで見た中で、一番はっきりと、笑った。

口元が動いた。目が細くなった。いつもの、かすかなものではなく——ちゃんと、笑っていた。

「もちろんだ」

「……待ってくれますか」


「もちろん、待てると言った」

「……はい、おっしゃっていました」

「気持ちは変わらない」

その一言が——真っ直ぐ、届いた。


リリエラは息を吸った。

震えていた手が、少しだけ、落ち着いた。

「……ありがとうございます」

「礼には及ばない」

「でも言わせてください」

公爵がまた、目を細めた。

「……そうか、確かに受け取った」

帰り道、馬車の中でリリエラは窓の外を見ていた。

雲が完全に切れて、午後の光が石畳を照らしていた。

怖かった、まだ怖かった。


でも——今日、自分の足で来た。震えながら来た。言いたいことを、震えながら言った。

それで十分だと、思った。

今日は、それで十分だった。

夜、手帳を開いた。


怖い。でも、嫌いじゃない。

脅されても、変わらなかった。

これは、本物かもしれない。

震えながら、会いに行った。

笑っていた。ちゃんと笑っていた。


最後の一行を書いてから、リリエラは少し笑った。

公爵の笑顔を、うまく言葉にできなかった。

でも——書かずにはいられなかった。


そっと手帳を閉じた。

今夜は、眠れる気がした。


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