第三十三話 衣装合わせの、午後
式まで一週間になった。
衣装合わせの日は、よく晴れていた。
仕立て屋は王都の古い通りにあった。
小さな店だったけど、腕がいいと評判の店だった。
ここをマリアが選んでくれた。
「緊張していますか」
馬車の中でマリアが聞いた。
「してる」
「衣装合わせで緊張するんですか」
「ドレスを着るのが——なんか、実感が出てきて」
「式が近いですよ」
「うん」
「嬉しくないですか」
「嬉しいです。でも怖いです」
「いつものお嬢様ですね」
「うん」
マリアが小さく笑った。
「大丈夫ですよ」
「うん」
「絶対に似合います」
「マリアと選んだ色だから」
「一緒に選びましたね」
しばらくして馬車が止まった。
店に入ると、仕立て屋の女主人が待っていた。
六十代くらいの、小さくて素早い人だった。
リリエラを見て、ぐるっと一周した。
「——いい体格ですね」
「そうですか」
「着やすい。ドレスが映えます」
「ありがとうございます」
「着てみましょう」
奥の部屋に通された。
ドレスが掛かっていた。
クリーム色だった。
野の花をあしらった細かい刺繍が、裾と袖口にあった。
主張しすぎない、でも存在感のある刺繍だった。
「……綺麗」
「でしょう」
マリアが嬉しそうだった。
着せてもらった。
鏡の前に立った。
「——」
言葉が出なかった。
クリーム色が、肌に馴染んでいた。
刺繍の花が、ドレスの中に静かにいた。
「お嬢様」
マリアが後ろから言った。
「……うん」
「綺麗です」
「……うん」
「本当に」
「……少し、泣きそう」
「泣かないでください、仮縫いが」
「泣かない。泣かないけど——」
リリエラは鏡を見た。
自分が映っていた。
震えながら自分の事を言えた夜から、一年が経った。
選んで、選ばれて、ここまで来た自分が。
「……ここまで来たな、と思って」
「ぐす‥来ましたよ、お嬢様」
マリアの声が、少し滲んでいた。
「マリア、泣いていますか」
「泣いていません」
「声が」
「……少し」
「先に泣かないでください」
「泣いていません」
「……私も、泣いていません」
ふたりで、鏡の前で笑った。
泣きそうなのに、笑った。
女主人が横で、満足そうに頷いていた。
「——よく似合います。少し裾を直して、完成です」
「ありがとうございます」
「式当日が楽しみですね」
「……はい」
怖かったけど——楽しみだった。
店を出たのは、昼過ぎだった。
馬車に乗り込もうとしたとき——
「リリエラ」
声がした。
振り向いた。
公爵が立っていた。
「……レオンハルト?」
「通りかかった」
「通りかかった、というのは」
「この辺りで用事があった」
「この通りで?」
「……クロワに聞いた、今日衣装合わせだと」
リリエラはマリアを見た。
マリアが前を向いたまま、何も言わなかった。
「マリア」
「はい」
「クロワ男爵に——」
「存じません」
「存じません、というのは」
「存じません」
完全に知っていた顔だった。
リリエラは公爵を見た。
「どうしたんですか、来て」
「見たかった」
「ドレス姿を?」
「式当日まで待てないかと思って」
「我慢してください」
「我慢した。でも——今日、仮縫いだと聞いて」
「それは、まだ完成じゃないので」
「完成じゃなくてもいい」
「なぜですか」
「あなたが着ているのを——見たかった」
リリエラは少し間を置いた。
「……見せてもいいですが、一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「もしかして——クロワ男爵に頼んで、衣装合わせの日を教えてもらったんですか
」
「……偶然通りかかった」
「この通りはいつもと違う経路ですよ」
「近道だ」
「近道になっていないです、ここ」
「……リリエラ」
「はい」
「見たかった」
「それだけですか」
「それだけだ」
リリエラは少し考えた。
「——少しだけ、待ってください」
店に戻った。
女主人に事情を話した。
女主人が「まあ」と言って、にこにこした。
もう一度、ドレスを着た。
外に出た。
公爵が待っていた。
リリエラが出てきたのを見て——
止まった。何も言わなかった。
ただ、見ていた。
「……どうですか?」
少し間があった。
「綺麗だ」
「マリアが選んでくれた色です」
「似合っている」
「ありがとうございます」
「刺繍が——」
「野の花です。領地で、もらった花みたいなのにしたかったので」
公爵が少し目を細めた。
「……そうか」
「気に入ってもらえましたか」
「気に入った」
「よかったです」
「リリエラ」
「はい」
「式当日——」
「はい」
「また、見せてくれるか?」
「見せます」
「約束だ」
「約束です」
公爵の口元が、動いた。
マリアがそっと後ろを向いた。
御者も、なぜか馬に向かって話しかけ始めた。
「……見ていますよ、みんな」
「見ていていい」
「堂々としていますね」
「婚約者のドレス姿を見ている。何もおかしくない」
「おかしくないですが」
「何か問題があるか」
「……ないです」
リリエラは少し俯いた。
頬が、熱かった。
「では——式当日まで、楽しみにしている」
「はい」
「今日来てよかった」
「……私も、見せられてよかったです」
公爵が目を細めた。
「また明日な」
「ええ、また明日」
馬車に乗り込んだ。
走り出してから、マリアが前を向いたまま言った。
「——よかったですね、お嬢様」
「……うん」
「公爵様、ずっとあの顔をしていました」
「どんな顔ですか」
「一生、隣にいようと思っている人の顔です」
リリエラは窓の外を見た。
冬の王都が流れていった。
「……マリア」
「はい」
「ありがとう」
「何がですか」
「クロワ男爵に教えたこと」
「存じません」
マリアが少し間を置いた。
ふたりで、笑った。
馬車が走り続けた。空が、冬の青だった。
難しいですね‥




