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婚約破棄された気弱令嬢リリエラ・ライムブリュレは、選ばれるのをやめました 〜冷酷公爵は静かに立候補する〜  作者: テラトンパンチ


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第十八話 ガルディア夫人とリリエラ


夏が深くなった頃、ガルディア夫人から手紙が来た。

「面会したい」と書いてあった。

それだけだった。


リリエラはその一行を、三度読んだ。

「どうしますか」

マリアが聞いた。

「……行きます」

「大丈夫ですか」

「わからないけど、行きます」

「お嬢様、最近そればかり言いますね」

「うん。でも——行かないよりいいので」

マリアが静かに頷いた。


公爵にも手紙で知らせた。

返事は早かった。

一人で行かなくていい。

でも、一人で行きたいなら止めない。——レオンハルト


リリエラは少し考えた。

一人で行こう、と思った。

これは——自分で決着をつけることだった。

公爵の婚約者として、ではなく、リリエラ・ライムブリュレとして。


ガルディア夫人の屋敷は、王都の古い区画にあった。

大きな屋敷だった。

長い年月を経た石造りで、どっしりとして、でも美しかった。

通された応接室も、古くて上質なものだった。

夫人はすでに座っていた。


「来たわね」

「はい」

「一人で来たの」

「はい」

夫人がリリエラを見た。

あの夜会の鋭い目だった。

でも今日は——少し、違う気もした。

「座りなさい」

座った。

お茶が運ばれてきた。

しばらく、夫人は何も言わなかった。


窓から夏の光が入っていた。

「あの夜会のこと」

夫人が言った。

「はい」

「あなたが言ったこと、覚えているかしら」

「覚えています」

「女性は選ばれるものだと、誰が決めたのか——と言ったわね」

「はい」

夫人がお茶を一口飲んだ。

「私ね」

静かな声だった。

「五十年以上、そういうものだと思って生きてきたの」

「……はい」

「選ばれることが、女の仕事だと思っていた。選ばれるために、努力してきた」

リリエラは黙って聞いていた。

「若い頃、好きな人がいたのよ」

「……」

「でも——選ばれなかった。別の縁談が来て、それを受けた。それが正しいことだと思ったから」

夫人の目が、少し遠くなった。


「夫は悪い人ではなかったわ。ただ——好きではなかった。でもそれが普通だと思っていたから、特別に悲しいとも思わなかった」

「……」

「あなたがあの夜、言った言葉を——家に帰ってから、ずっと考えていたの」

リリエラは少し驚いた。


「誰が決めたのか、って」

夫人がリリエラを見た。

「私には——答えられなかった」

「……」

「五十年以上、そうだと思って生きてきたのに。誰が決めたのか、と聞かれたら——答えられなかった」

部屋が静かだった。


夏の光が、テーブルの上を動いていた。

「別に怒っているわけじゃないの」

夫人が言った。

「あの場で反論したのは——あなたに怒っていたのではなくて、たぶん——自分自身に、腹が立っていたのかもしれない」


「夫人」

「なんでしょう」

「……五十年、ちゃんと生きてきたのだと思います」

夫人がリリエラを見た。

「選ばれることを、一生懸命やってきた。それは——間違いではなかったと思います」


「あなたに、そんなことを言う資格があるの?」

「ないかもしれません」

リリエラは言った。

「でも——私は、選ぶことを怖いと思って生きてきました。夫人は選ばれることを、一生懸命やってきた」

「……」

「どちらも、怖かったんだと思うので」

夫人は何も言わなかった。

扇を、ゆっくり手の中で回していた。

「……生意気ね」

「すみません」

「謝らなくていいわ」


「……はい」

「嫌いじゃない、そういうの」

夫人が小さく笑った。

社交用の笑いではなかった。

ずっと鋭かった目が——今だけ、少し柔らかかった。

「カリナから聞いたわ」

「カリナ、というのは」

「ショコラオランジュの伯母よ。あなたのこと、気に入ったって言っていた」


「……光栄です」

「あの人が気に入るのは珍しいの。私も含めて」

「カリナ夫人と、お知り合いなんですか」

「長い付き合いよ、そう五十年くらい」

リリエラは少し驚いた。

この夫人と、公爵の伯母が——五十年来の知り合い。

世界は狭いな、と思った。

「カリナが言っていたわ。あの娘は、怖くても来る、って」

「……買い被りです」

「買い被りじゃないでしょう。今日も、一人で来たじゃない」

「……一人で来たかったので」


「なぜ」

「自分のことは、自分で話したかったので」

夫人がリリエラを見た。

しばらく、じっと見ていた。

「ライムブリュレ嬢」

「はい」

「あなたに、ひとつ謝らなくてはならないことがあるの」

「……え」

「サロンで言ったこと。貴族の秩序を乱す、と言った」

「……はい」

「少し——言いすぎたわ」


「夫人」

「本心ではあったの。でも——あなた個人を、傷つけるつもりではなかった」

リリエラは夫人の顔を読んだ。

本当のことを言っている顔だった。

「……ありがとうございます」

「礼はいいわ」

「受け取ってください」


夫人が少し目を丸くした。

それから——また、小さく笑った。

「カリナが言っていた通りね」

「何をですか」

「そういうことを言う娘だって」

リリエラは少し頬が熱くなった。


「……公爵も、同じことを言うので、うつったかもしれません」

「そう、あの子に似てきたのね」

「そうなんでしょうか」

「悪いことではないわ」

夫人がお茶を飲んだ。

「また、話しましょう」

「……はい」

「あなたと話すのは、嫌いじゃないから」

「私も——嫌いじゃないです」

「そう」

夫人が少し笑った。

「さ、今日はもう帰りなさい。また呼ぶから」

「はい」

「次は——もう少し、昔の話をしようかしら」

「是非聞かせてください」

「聞きたいの」

「はい。夫人のことを、もっと知りたいので」

夫人はしばらくリリエラを見ていた。

それから、扇をゆっくり開いた。


「……変な娘ね」

「よく言われます」

「そう」

夫人が扇の陰で、笑った。


帰り道、馬車の中でリリエラは窓の外を見ていた。

夏の王都が、明るく流れていった。

手帳を開いた。


ガルディア夫人に会いに行った。 怖かった。でも行った。 夫人は、五十年間、選ばれることを一生懸命やってきた人だった。 それは間違いじゃなかったと思う。 でも——誰が決めたのか、と聞かれたら、答えられない、と言っていた。 私は、答えられるだろうか。 わからない。 でも——少なくとも、私は選んだ。 その答えは、持っている。


書き終えて、手帳を閉じた。

公爵に手紙を書こう、と思った。

今日のことを、全部話したかった。


帰ったらすぐに、書こう。

馬車が王都の大通りに出た。

夏の光が、石畳を白く照らしていた。


その夜、公爵からの返事が来た。

リリエラが手紙を送る前に来ていた。


どうだったか。——レオンハルト


一行だった。

また最初の頃戻った、とリリエラは思った。

でも——最初とは全然違う一行だった。

心配している、のではなく。

ちゃんと待っていて、聞きたがっている——そういう一行だと気づいた。


リリエラはペンを持った。

今日あったことを、全部書いた。

手紙は三枚になった。

最後に一行添えた。


明日、会いに行っていいですか。話したいことが多いので。——リリエラ


送ってから、マリアが部屋に来た。

「お嬢様、夕食の準備が」

「今行きます」

「……今日は、どうでしたか」

「怖かったけど、行ってよかったです」

「そうですか」

「うん。夫人は——思ってたより、寂しい人だった」

マリアが静かに頷いた。


「強そうに見える人が、一番寂しいことってあるよね」

「……そうですね」

「私も、気をつけようと思います」

「何をですか」

「強がりすぎないようにしよう、って」

マリアが少し目を丸くした。

「お嬢様は、強がっていますか」

「たまに」

「私には、そう見えないですが」

「マリアには見せてないから」


「……今、見せてくれましたよ」

リリエラは少し笑った。

「そうだね」

「見せてくれてありがとうございます」

「どういたしまして」

廊下に出た。

夕食の匂いが、屋敷に満ちていた。


兄が下の階で何か言っている声がした。

母の声がした。

父の部屋から、小さな笑い声が聞こえた。

この家が、好きだな、と思った。


公爵家に行くのが楽しみだった。

でも——この家も、好きだった。


どちらも、自分の場所だった。

どちらも、選んだ場所だった。


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