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婚約破棄された気弱令嬢リリエラ・ライムブリュレは、選ばれるのをやめました 〜冷酷公爵は静かに立候補する〜  作者: テラトンパンチ


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第一話 夜会で捨てられた令嬢


夜会というものは、つねに誰かの不幸を美しく飾り立てる場所だとリリエラは思っていた。


シャンデリアの光は等しく降り注ぐ。

けれどその下に立つ人間を、等しく照らしてはくれない。

「リリエラ・ライムブリュレ嬢」

アルフォンス・ミルフィーユ王太子の声が、ホールに響いた。


よく通る洗練された声だった。

けれどリリエラには、その声が会場全体へ向けられていることがすぐにわかった。


彼女に話しかけているのではない。

彼女を、見せているのだ。

「君との婚約を、本日をもって解消する」

周囲がざわめく。 扇が揺れる。

視線が集まる——全部、リリエラへ。


リリエラは笑顔を保ったまま、爪が手のひらに食い込むのを感じていた。

わかっていた。

‥薄々、わかっていた。


隣に立つ令嬢——ベリーナ・パンナコッタ侯爵令嬢——が王太子の腕に触れている。

その手が誇らしげに見えた。

おめでとう、と心の中で思った。

本当に思った。

この人が幸せになるなら、きっとそれでいい。

問題は——

私は、どこへ行けばいいのだろう。


「ライムブリュレ嬢、何か言うことは?」

王太子が言った。

答えを求めているのではないとわかっていた。

静かに頷いて「承知いたしました」と言えば、それで終わる。

今夜はそういう夜だとわかっていた。

リリエラは口を開いた。

閉じた。

また開いた。

「……私も」

声が震えていた。会場がしんと静まる。

「……私も、選びたいです」


小さな声だった。

自分でも驚くくらい小さな声だったけれど、会場には聞こえてしまった。

シャンデリアの下では、小さな音ほどよく響く。

アルフォンス王太子が眉を上げた。

「ほう‥選ぶ、とは?」

「……婚約を、解消していただくことに、異存はございません」

リリエラは続けた。震えながら続けた。

「ただ——次は、私が選びたいと思います。選ばれるのではなく」


沈黙。

それから、くすくすと笑いが漏れた。

どこからかはわからない。いくつかの方向から。

やはり変なことを言ったのだろう。

おかしいと思われたのだろう。

頬が熱かった。視線が痛かった。逃げてしまいたかった。

けれどリリエラは顔を上げたまま——震えながら、顔を上げたまま、その場に立っていた。


「……面白いことを言う」

低い声が、斜め後ろから聞こえた。

リリエラは振り向かなかった。

振り向く勇気がなかった。


けれどその声は続いた。

「彼女は物ではない」

静かな声だった。怒鳴っていない。

けれど会場の笑いが、すうっと消えた。


振り向いてはいけない、とリリエラは思った。

理由はない、ただそう思った。

振り向いたら、何かが変わる気がした。今夜だけでも変化は十分だった。

婚約を失って、笑われて、知らない声に助けられて——それだけで、もう十分すぎた。


「ショコラオランジュ公爵」

アルフォンス王太子の声が、わずかに硬くなった。

公爵。

リリエラはその名を、頭の中で繰り返した。


レオンハルト・ショコラオランジュ。

王家に次ぐ位を持つ大公爵家の当主。社交の場には滅多に現れないと聞いていた。


顔を見たこともなかった。

「久しいな、ミルフィーユ殿下」

足音がした。

ゆっくりとした足音だった。

急いでいない。けれど止まらない。その足音がリリエラのすぐ隣に来たとき——

「……っ」

視界の端に、深い紺青の燕尾服が入った。

男性はリリエラと王太子の間に、ごく自然に立った。

誰かを庇うような大げさな動作ではない。

ただ、立った。

そこに立つのが当然のように。

「場を盛り上げるご趣味は昔からでしたが」

声は相変わらず低く、静かだった。


「他者の尊厳を余興にするのは、いただけない」

王太子が笑った。

笑ったが、目が笑っていないことをリリエラは見逃さなかった。

人の表情を読むことだけは、長年の訓練で得意だった。

「公爵こそ、なぜこのような場に。あなたはこういった夜会はお嫌いでしょう」

「用があったので」


短い答えだった。

それ以上の説明はなかった。

王太子がさらに何か言おうとした——その前に、公爵がリリエラの方を向いた。

初めて、正面から顔を見た。

切れ長の目。感情が読みにくい顔。


けれどその目が、真っ直ぐリリエラを見ていた。

値踏みではなく。品定めでもなく。

ただ——見ていた。

「先ほどの言葉」

公爵が言った。


「選びたい、と言ったな」

「……はい」

「よかった」

それだけだった。

よかった、の意味をリリエラは問い返せなかった。問い返す間もなく、公爵は王太子へ視線を戻していた。

「殿下、今夜はこのあたりで。続きはまた別の機会に」

有無を言わせない言い方だった。

けれど怒鳴っていない。命令でもない。それなのに王太子は——わずかに口を引き結んで、踵を返した。

その背中を見ながら、リリエラはようやく息を吐いた。

知らない間に、ずっと息を詰めていた。

「……あの」

気づいたら、声が出ていた。


公爵が振り向く。

「……なぜ、助けてくださったのですか」

我ながら間の抜けた質問だと思った。けれど聞かずにはいられなかった。この人とリリエラには接点がない。利害もない。名前を知っていたくらいで、今夜が初対面に等しい。

公爵はすこし沈黙してから、言った。

「面白かったから」


「……は?」

「震えながら、ああいうことを言える人間はなかなかいない」

それは褒め言葉なのだろうか。リリエラには判断できなかった。

公爵はわずかに目を細めた。笑ったのかもしれない。よくわからなかった。

「ライムブリュレ嬢」


「……はい」

「今夜は、よく立っていた」

それだけ言って、公爵は歩き去った。

人混みに消えるまで、リリエラはその背中を目で追っていた。

追いながら、自分の心臓が——さっきとは別の理由で、うるさく鳴っていることに、まだ気づいていなかった。


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