最終話:ちゃんと見つかったな
「……え、嘘でしょ?」
「&roit!?本物!?」
「おいNonaもいるぞ!!!」
「なんでうちの学校に!?」
悲鳴のような歓声と、怒号のような驚きの声が入り混じる。全校生徒の視線が、ステージ上の私たち二人に釘付けになっていた。
私は仮面の奥で、客席を見下ろした。最前列には、メイド服姿の愛梨たちがいる。彼女たちは口を半開きにして、信じられないものを見る目でこちらを凝視していた。
昨日まで私に皿洗いを押し付け、「邪魔だ」と罵っていた彼女たちが、今は私を見上げて震えている。
「(……見てて。これが、私たちの色だよ)」
私は隣に立つ本郷くん――&roitを見た。
彼は仮面の下でニヤリと笑い、まずはギターに手をかけた。
「一曲目。……お前らが大好きな曲だ」
ドォォォンッ!!
腹の底に響く重低音のイントロ。
『Thumbtack』だ。
会場のボルテージが一気に沸点に達する。私はマイクスタンドを握りしめ、その激情の渦に飛び込んだ。
『 綺麗なドレスで着飾って 中身は腐ったマトリョーシカ! 』
私の声が、体育館の空気を切り裂く。普段の、か細くて自信のない私の声じゃない。
本郷くんが引き出してくれた、怒りと、悔しさと、そして強さを孕んだNonaの声だ。
ステージ上から見る景色は、今まで見たどんな景色よりも鮮烈だった。スポットライトの熱。揺れるサイリウムの光の海。そして、何百人もの生徒たちが、私たちの音に熱狂し、拳を突き上げている光景。
愛梨たちの顔が見える。彼女たちは踊ることも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。その表情は、恐怖にも似ていた。
自分たちが崇拝していた神様の歌が、実は自分たちへの断罪の歌だったと知った時の絶望。
「(……ざまぁみろ)」
私は心の中で毒づき、さらに声を張り上げた。
気持ちいい。
無色の日常が、音の奔流によって塗り替えられていく。
1曲目が終わり、間髪入れずに2曲目へ。
「――『カレイドスコープ』」
本郷くんの指先が、繊細なピアノの旋律を紡ぎ出す。
先ほどの攻撃的な曲から一転、会場は幻想的な雰囲気に包まれた。
キラキラと変化する照明の中、私は万華鏡のように移ろいゆく心を歌い上げる。
彼の伴奏は、完璧だった。
私の呼吸、私の感情の揺れ、その全てを先読みして、音で支えてくれる。
私たちは言葉を交わさなくても、音で繋がっていた。
この広い体育館で、私たち二人だけが共有する完璧な世界。
2曲が終わると、会場の興奮はピークに達していた。
誰もが、目の前の奇跡に酔いしれていた。
そして。
本郷くんが、ゆっくりとマイクに向かった。
加工されたエフェクトボイスを切り、地声に近い、低く落ち着いた声で語りかける。
「……楽しんでるか、お前ら」
『ウォーッ!』という歓声が上がる。
「お前らはいつも『色』を求めてる。派手なもの、目立つもの、映えるもの。……だが、本当に美しい色は、表面だけ見ていても見つからない」
彼は客席をぐるりと見渡した。その視線が、愛梨たちのところで一瞬止まる。
「見下していた足元にこそ、宝石が転がっていることもある。……お前らは、それに気づかなかった」
会場が少しざわつく。彼の言葉の意味を図りかねているのだ。彼はフッと笑うと、私の方を見た。
「3曲目だ。『lieu』」
曲がクライマックスに向かうにつれ、音が厚みを増していく。
そして、最後のサビを終え、静寂が訪れた瞬間。
本郷くんが、私に合図を送った。
――今だ。
私はマイクを離し、震える手で顔に手をやった。彼もまた、同じ動作をしていた。
ピンスポットが、私たち二人だけを照らし出す。会場中の視線が、私たちの指先に集中する。
私たちは同時に、その仮面を引き剥がした。
***
バサッ、と仮面が床に落ちる音が、マイクを通して響いた。
露わになった素顔。
汗で少し張り付いた前髪。
強い照明に眩しそうに細められた目。
そこに立っていたのは、正体不明のカリスマたちではない。
いつも教室の窓際で寝たふりをしていた、地味な眼鏡男子――本郷優紀。
そして、いつも教室の隅で気配を消していた、貧乏な女子――小日向陽菜。
「…………え?」
誰かの呟きが、静寂の中でやけに大きく響いた。
時が止まった。歓声も、熱気も、すべてが凍り付いた。
何百人もの生徒たちが、ステージ上の私たちを凝視したまま、石像のように固まっていた。
脳が情報を処理しきれないのだ。
憧れの神様と、学校のカースト最底辺のゴキブリが、同一人物であるという事実を。
「は……?嘘……」
最前列で、愛梨が腰を抜かして座り込んだのが見えた。彼女の顔は、これ以上ないほど絶望に歪んでいた。
――自分がいじめていた相手が、自分が焦がれていたNonaだった。
――自分が「キモい」と罵った相手が、自分が崇拝していた&roitだった。
その残酷すぎる真実が、彼女のプライドを粉々に砕いていく。
本郷くんは――いや、優紀は。
眼鏡のない鋭い瞳で、静まり返った会場を見下ろし、ニヤリと不敵に笑った。
「……どうした。声が出ないか?」
彼はマイクを握り直し、地を這うような低音で告げた。
「よく見ておけ。これが、お前らがゴミ扱いしていた俺たちの、本当の『色』だ」
本郷優紀――&roitの声が、静まり返った体育館に響く。
数百人の視線が、ステージ上の私たちに突き刺さったまま、凍り付いている。
無理もない。彼らが「神」と崇めていた存在が、クラスで「空気」扱いしていた地味な二人だったのだから。
その認知のギャップが、彼らの脳をショートさせているのだ。
「う、嘘だ……」
最前列の愛梨が、ガタガタと震えながら口を開いた。
「嘘よ……。だって、あんたたちは本郷と小日向さんでしょ?貧乏で、地味で……&roitとNonaなわけない……!」
「ああ、だといいな」
優紀はマイクを持ち、冷ややかな目で見下ろした。
「俺たちは地味で、こいつは金もなくて、お前らにとっては『背景』以下の存在だった。……でもな」
彼は隣にいる私――Nonaの肩を抱き寄せた。
「音楽に、カーストなんて関係ねぇんだよ」
その一言が、引き金だった。
わぁぁぁぁぁぁぁッ!!!
凍り付いていた空気が、一瞬にして熱狂へと爆発した。
「マジかよ!本郷が&roit!?カッコよすぎだろ!」
「小日向さんがNonaちゃん!?ヤバい、鳥肌立った!」
「すげぇ!俺たち、とんでもないもの見てるぞ!」
それは、賞賛の嵐だった。手のひらを返したように、生徒たちは私たちに手を伸ばし、名前を叫んでいる。
「キモい」「地味」という罵声は、「神」「最高」という歓声にかき消された。
愛梨だけが、その場に崩れ落ちていた。彼女の周りにいた取り巻きたちも、今は彼女を無視してステージに夢中だ。彼女の女王としての支配は、この瞬間、完全に終わったのだ。
ああ、そうか。
私の居場所は、無色の教室の隅じゃなかった。
優紀の隣。音の中。そして、こうして誰かに歌を届ける場所。
ここが、私の『lieu(場所)』なんだ。
「……行くぞ、陽菜。最後の曲だ」
優紀が耳元で囁く。
私は大きく頷いた。
もう、仮面はいらない。素顔のままで、ありのままの私で、この歌を届けたい。
***
彼は汗で濡れた前髪をかき上げ、少し照れくさそうに笑った。
その笑顔は、アーティスティックな&roitの顔でも、陰キャを演じていた本郷くんの顔でもない。
私だけが知っている、不器用で優しい「優紀」の素顔だった。
「……次で、最後の曲だ」
『えーっ!』という惜しむ声が上がる。
「この曲は、まだどこにも発表していない。……今日、この瞬間のためにこいつが作った新曲だ」
彼は横目で私を見た。その瞳には、強い信頼と、愛おしさが宿っていた。
「タイトルは――『Prism』」
プリズム。透明な光を、七色の虹に変えるガラスの結晶。
「世界は元々、無色透明。……でも、誰かと出会うことで、光は屈折し、鮮やかな色が生まれるんです」
彼は鍵盤に手を置いた。
「私にとってのプリズムは、ここにいる彼。……これは、私たちが『無色』から『虹色』になるまでの物語です」
4曲目、『Prism』。
軽やかなピアノのイントロから始まり、次第にドラムとベースが加わり、疾走感のあるポップ・チューンへと展開していく。
明るく、希望に満ちたメロディ。
『 モノクロの雨に打たれて 震えていた昨日
君が差し出した傘が 世界を変えたんだ 』
歌詞の一言一句が、私たちの思い出そのものだった。
初めての出会い。
冷たいスタジオでのココア。
屋上で分け合ったイヤホン。
そして、二人で乗り越えた悪意と孤独。
私はステージを駆け回りながら歌った。優紀もまた、キーボードを弾きながらコーラスを重ねる。二人の声が重なり、溶け合い、会場全体を虹色に染め上げていく。
客席では、生徒たちが肩を組み、リズムに合わせて手を振っていた。そこにはもう、カーストも、いじめも、偏見もなかった。
ただ、音楽を楽しむ純粋な笑顔だけがあった。
――私たちは、世界を変えたんだ。
たった二人で。音楽ひとつで。
曲のラスト。
ジャーンッ!!と全ての楽器が鳴り響き、長い余韻を残して演奏が終わった。
一瞬の静寂。そして、爆発。
体育館が揺れるほどの歓声と、「ありがとう!」「&roit最高!」という声が降り注ぐ。
私は息を切らし、隣の優紀を見た。彼もまた、私を見ていた。汗だくで、でも最高に輝いている私の神様。
「……おい、陽菜」
マイクを通さない、地声。彼は私に一歩近づき、みんなが見ている前で、私の手を強く握った。
「え?」
「みんな、聞いてくれ」
彼は再びマイクを通し、会場に向かって宣言した。
「以前、こいつと俺が『付き合っている』という噂が流れたよな」
会場がざわつく。
『ああ、カムフラージュのやつか』『あれはNonaを隠すためだったんだろ?』という空気が流れる。
佐山くんや愛梨たちは、「あれは嘘だったんだ」と安堵の表情を浮かべかけた。
けれど。
優紀は、そんな安易な結末を許さなかった。
「あれは、半分嘘で……半分本当だ」
え?
私が驚いて彼を見上げると、彼はニヤリと笑い、私の腰をぐいっと引き寄せた。
「キャーーーッ!!」
女子たちの黄色い悲鳴が上がる。
「こいつは俺の相棒で……」
彼は一呼吸置き、真っ直ぐに客席を見据えた。
「俺が世界で一番、愛してる女だ」
――ッ!!
思考が停止した。
心臓が破裂しそうだ。
演技じゃない。カムフラージュでもない。
これは、全校生徒の前での、正真正銘の「公開告白」だった。
「だから、これからは正々堂々と言わせてもらう」
彼は私の耳元に顔を寄せ、マイクを通して、とろけるように甘い声で囁いた。
「……一生、俺のそばで歌え。拒否権はないぞ?」
それは、初めて会った時と同じ、強引で不器用な契約の言葉。でも、今の私にとっては、どんなプロポーズよりも嬉しい言葉だった。
涙が溢れて止まらない。
私は泣き笑いのような顔で、大きく頷いた。
「……うん。絶対、離れない!」
優紀は満足そうに笑うと、私の涙を親指で拭い、そのまま私の額に、優しく口づけを落とした。
ドッッッカァァァァァァン!!!
体育館の天井が吹き飛ぶかと思うほどの、冷やかしと祝福の大歓声。
カメラのフラッシュが焚かれる。
この瞬間、私たちは「地味なカップル」から、「学校史上最高の伝説のカップル」へと昇華した。
***
エピローグ
文化祭の後、私たちの生活は劇的に変わった。
&roitとNonaはメジャーデビューを果たし、「Nona&roit」(ノーナアンドロワ)というユニット名で、愛称はNonaRowaとして連日メディアに引っ張りだことなった。
学校では、かつてのいじめっ子たちは影を潜め、私たちは少しだけ居心地の悪い、でも温かい英雄扱いを受けるようになった。
その後、父親の借金を完済し、母親の入院費も無事に稼げ、今は退院して二人で暮らしている。
放課後のスタジオ。
いつものソファ。いつものコーヒーの香り。
優紀は新しい曲のデモを作っている。
私はその隣で、作詞ノートを開いている。
「…優紀、ここ綺麗だね」
私は笑いながら語り掛ける。
「……おい、陽菜」
彼は少し目を見開いたあと、照れ隠しをするように名前を呼ぶ。
「ん?」
「ここの歌詞、もっと甘くできねぇか?」
「えー?これ以上甘くしたら、聴いてる人が胸焼けしちゃうよ」
「いいんだよ。俺たちは今、世界一幸せなんだからな」
彼はふてぶてしく笑い、作業の手を止めて私にキスをした。
私は照れながら聞く。
「そういえば、純粋な疑問なんだけど、&roitってどういう意味なの?」
「……。別に深い意味は、さほどないんだが。endroit。フランス語で場所って意味だ。lieuも場所なんだがこれは村とかそういう広い単位で使うんだよな」
「…へー」
私が感心していると、彼は続ける。
「&にしてるのは、誰かと過ごす『場所』を音楽を通して見つけたい。そんな感じだ」
彼は少しだけ黙って軽く俯いたあとに、すぐ顔を上げて、けらけらと笑いながら言った。
「ちゃんと見つかったな」
無色だった私の世界は、今、彼の色で溢れている。
神風が吹き荒れたあとに残ったのは、キラキラと輝く未来だった。
私の青春は、青くない。
虹色だ。
(完)
最後の曲はここから聞けます。(収益化していません)
https://www.youtube.com/watch?v=NZKMRc516p8




