4.叫ぶのはもう終わり
「ガイヴェル、さま……?」
想定外の事態に立ち尽くしたまま、隣のガイヴェルを見上げる。
彼はそのまま、わたくしの前にひざまずいてしまった。わたくしの手をうやうやしく取って、真剣なまなざしで見つめてくる。
「君が不幸になるところは、見たくない。前にそう言ったのを覚えているだろうか」
どうしてそんなことを話してくるのか分からないまま、こくんとうなずく。
「フィリーシア。どうか、ジョルジェット殿との縁を切ってくれ。不安だというのなら、俺が君を支えるから」
いつしか大広間は、またしんと静まり返ってしまっていた。みなの視線を感じながら、震える唇で尋ねる。
「どうしてあなたが、そこまで……」
「君のことが好きだからだ」
まっすぐな言葉に、心臓がどくんと跳ねる。もしかしたら、とは思っていたけれど、こうもはっきりと思いを伝えられるなんて、予想もしていなかった。
「でもわたくしたち、ついこの間知り合ったばかりで……」
「恋心に、時間は関係ない」
言っていることはジョルジェットと大差ない気もするのに、その言葉はとても重く、優しい。
「もっとも君には、ジョルジェット殿という婚約者がいた。だから俺は、不必要にでしゃばるつもりはなかったんだ。だが、状況は変わった。もう、遠慮はしない」
わたくしを見上げる彼の視線は、今まで見たこともない熱を帯びていた。彼から目が離せない。触れた手が、熱い。
「フィリーシア。どうか、俺のもとに来てほしい。喜びも悲しみも、君と分かち合って生きていきたい」
胸がいっぱいで、泣きそうだった。彼のその気持ちが、どうしようもなく嬉しい。
ジョルジェットといたときは一度も感じたことのない胸の高鳴りを感じながら、そろそろと言葉を返す。
「……ありがとう、ございます。けれど、その前に」
ガイヴェルの手をしっかりと両手で握って、呆然としているジョルジェットに向き直る。
「ジョルジェット様。わたくしは、子どものころからずっとあなたの尻ぬぐいばかりさせられてきました。もう、疲れました。もう、自由になってもいいですよね」
ガイヴェルに視線を戻すと、彼はゆっくりと立ち上がり、そっとわたくしの肩を抱いてきた。
「だから、さようなら、ジョルジェット様。わたくし、ガイヴェル様と幸せになります」
「そんな……フィリーシア、見捨てないでおくれよ……」
しかしジョルジェットは未練がましく、わたくしのほうに近づいてくる。すぐ近くにいるパティナのことは、まるで目に入っていないかのようだった。
どうやったら、彼はあきらめてくれるのだろう。次の言葉を探していたら、ガイヴェルが耳元でささやいてきた。
「行こうか、フィリーシア」
そしてなんと、彼はそのままわたくしを抱き上げてしまった。ちょうど、初めて会ったあのときのように。
「兄上、フィリーシア様、お似合いですよ!!」
ミレットの明るい声が、大広間に響く。彼は頬を赤く染めて、ぱちぱちと大きく拍手をしていた。つられるようにして、あちこちから拍手の音がし始めた。
「素敵です、ガイヴェル様!! フィリーシア様をお願いしますね!」
パティナが満面の笑みで、ぶんぶんと手を振っている。それに続いて、次々と声が上がっていった。
「フィリーシア様、お幸せに!!」
「新たな恋人たちに、祝福を!」
「ああ、いいものを見せてもらいましたわ……」
どうやらみんな、すっかりこの状況を面白がってしまっているらしい。ガイヴェルがくすりと笑った。
人々の熱い声援と猛烈な拍手を背中で聞きながら、ガイヴェルに抱きかかえられて大広間を後にする。
去り際にちらりと後ろを見たら、今度はパティナにすがっているジョルジェットの姿が見えた。
◇
わたくしはその日のうちに、ジョルジェットの両親と、そしてわたくしの両親のところに向かい、ジョルジェットとの婚約破棄を宣言した。
詳細についてはパティナやミレット、それに舞踏会に参加していた人たちから聞いてくれと、そう付け加えることも忘れずに。
舞踏会の会場にいたメイドたちからある程度の報告を受けていたのだろう、ジョルジェットの両親は真っ青になったまま、何も言い返してはこなかった。
しかしわたくしの両親は、すぐには引き下がってくれなかった。ジョルジェットとの婚約を白紙にして、そこからどうするのだと尋ねてきたのだ。
「今まで、わたくしの話をきちんと聞いてくれたのは、親身になって相談に乗ってくれたのは、こちらのガイヴェル様だけでした」
ガイヴェルの腕に自分の腕をからめて、両親を見すえる。
「わたくし、ガイヴェル様をお慕いしています。これからの人生は、彼と共に歩んでいきます」
「だが、彼は男爵家の人間で、それも跡継ぎですらないのだろう? そのような者に、娘をやるのは……娘が幸せになれるとも限らんし……」
「お父様!!」
ぐだぐだうだうだと煮え切らない父の態度に、ついに堪忍袋の緒が切れた。ぷちんという音を、確かに聞いた。
「友人と仲良しごっこをするためだけに、わたくしにあの軟弱者のジョルジェット様を押しつけたあなたが、どの口でわたくしの幸せを語るおつもりですか!!」
そこまで一気に言って、大きく息を吸う。
「わたくしの幸せは、ガイヴェル様のそばにあるんです! それではさようなら、お父様、お母様!」
あわあわと口を震わせている両親に言い放ち、大股に部屋を出ていった。
それから自室に戻り、大急ぎで荷造りをした。ガイヴェルにも手伝ってもらって荷物を運び、そのままマリナスの屋敷に向かう。
馬車の中で、ガイヴェルが目を丸くしてわたくしを見つめていた。
「君、その気になれば、あんなに堂々とふるまえるのだな。今までジョルジェット殿に振り回されていたとは思えない」
「ふふ、自分でも意外でしたわ。でも、あんな森の中でこっそり叫ぶくらいですもの、少し普通の令嬢とは変わっているのかもしれません」
「はは、そうかもしれないな」
明るく笑った彼が、ふと目を細める。
「……フィリーシア。もし君がまた叫びたくなったら、俺がいくらでも話を聞く。君の全てを、受け止める」
熱っぽい視線にどきりとしながら、もごもごと言い返す。
「あ、あなたこそ、堂々と口説いてくるような方だとは思いませんでしたわ」
「俺もそう思う。君と出会って、変わったんだ」
「……口説き文句というより、殺し文句ですわね……」
そんな会話を交わしながら、肩を並べて馬車に揺られていた。
「おかえりなさい、兄上、フィリーシア様! きっとここに戻ってこられると、そう思ってました!」
マリナスの屋敷では、ひと足先に帰宅していたミレットが大喜びで出迎えてくれた。どうやら彼は、わたくしがまたここに戻ってくるだろうと予想していたらしい。
「フィリーシア様、どうぞ好きなだけここにいてくださいね。これからはここが、あなたの家になるんですから!」
その後ろでは、彼の両親もにこにこと微笑んでいる。どうやら、ミレットから事の次第を聞いていたようだった。
「これからよろしくな、フィリーシア」
そしてガイヴェルは、心底幸せそうな顔でわたくしに手を差し伸べたのだった。
◇
こうして、わたくしはガイヴェルとひとつ屋根の下、これまでとは比べ物にならないくらいに穏やかな日々を送っていた。
もう、あの穴に叫びにいく必要なんてない。悩みがあったら、ガイヴェルがいくらでも聞いてくれるから。それに、今の暮らしは幸せそのものだった。
とはいえ、ちょっとした問題が、まだ残ってはいた。
「フィリーシア、私が悪かった。だからどうか、戻ってきておくれよ……」
わたくしがマリナスの屋敷で暮らしていると知ったジョルジェットが、未練がましくここを訪ねてくるようになったのだ。
彼のツェン家のほうがこのマリナス家よりも格上なので、門前払いするのは得策ではない。なので一応中に通すだけ通して、適当にあしらうことにしていた。
応接間で彼と向かい合い、澄ました顔でお茶を飲みながら彼の泣き言を聞き流す。
「あら、パティナさんをほったらかしてこんなところに来ていていいんですの?」
「彼女には、あのあと改めてこっぴどく振られたよ……あんなに気が強いなんて、聞いてない……」
勝手に一目惚れして、勝手に幻想を抱いて、勝手に打ちのめされている。自業自得ではあるけれど、もうわたくしとは関係ない。
「それでは、次の相手を探されてはいかが? 先日の舞踏会で、お知り合いも増えたのでしょう?」
素知らぬ顔でそう提案しつつ、内心苦笑する。
あの舞踏会のあと、パティナも時々ここに遊びにくるようになった。もうすっかりなつかれてしまっていた。
そして彼女はそのたびに、社交界でのあれこれについての土産話を持ってきてくれていたのだ。
現在、ジョルジェットの評判は、地に落ちている。それ以前は『影の薄い謎の令息』といった扱いだった彼は、今では『ひとでなし』に近い扱いを受けているようだった。
しょんぼりと肩を落とし、ジョルジェットがつぶやく。
「今は、他の相手など見つけられないんだ……両親にも怒られてしまった。『フィリーシアを手放すなど、なんということをしてくれたんだ』と言われたよ」
まあ、そうでしょうね。できの悪い息子の面倒を、文句ひとつ言わずに見てくれる令嬢なんて、そうそういないもの。
扉が叩かれ、ガイヴェルが入ってくる。
「ジョルジェット殿、せっかく来ていただいたところ申し訳ないのですが、このあと用事がありまして……そろそろ、お引き取り願えないでしょうか」
わたくしが適当にジョルジェットの相手をして、ころあいを見てガイヴェルがジョルジェットを追い返す。それが、いつもの決まりごとのようになっていた。
ただ今回の用事は、ちょっと特別なものだった。
「俺と彼女の、結婚の日取りが決まったんです。衣装の仮縫いが済んだので、これから試着なのです」
結婚と聞いて、ジョルジェットが青ざめた。しかし強がったような顔で視線をそらし、小さな声でつぶやいている。
「……男爵家の、しかも跡継ぎですらない男性の、どこがいいんだ」
「血筋以外何ひとつとりえのない、常識知らずで甘ったれのお坊ちゃんより遥かに素敵ですわ。比べるのも申し訳ないくらいに」
わたくしに迷惑をかけてくることにはもう慣れっこだけれど、ガイヴェルを侮辱するのは許さない。なので遠慮なく、言い返してやった。
「ああ、でもこうしてあなたの顔を見るのも、これが最後になるかもしれませんわね、ジョルジェット様」
優雅に微笑んで、さらに付け加える。
「結婚式を挙げたら、わたくしたちは王都に移り住みますの。このたび、ガイヴェル様が王宮騎士になられることが決まりましたから」
王宮騎士と聞いて、ジョルジェットは何も言えなくなったようだった。彼はガイヴェルのことを下に見ていたけれど、こうなるとほぼ同格……むしろ、周囲の人からの評価ではガイヴェルのほうが上回る。
胸を張ってジョルジェットを見すえていたら、ガイヴェルのちょっぴり申し訳なさそうな声がした。
「ただ、令嬢として何不自由なく暮らしていた君にとって、騎士の妻としての生活には苦労もあると思うが……」
くるりと彼のほうに向き直り、とびっきりの笑みを浮かべる。
「いいんです。あなたと共に生きていくための苦労なら、喜んで。わたくしもあなたの苦労を分かち合い、あなたを支えていきたいんです」
ガイヴェルの腕にそっと触れて、間近で彼の顔を見上げる。
「それに、もうひとりで叫ばなくてもいい。穴に落ちる心配も、しなくてもいいんですもの」
彼はとても優しく目を細め、そっとささやきかけてきた。
「フィリーシア……ありがとう」
「お礼を言うのはわたくしのほうですわ、ガイヴェル様」
見つめあっていたら、後ろのほうから情けない声がした。けれどもう、そちらのほうはどうでもよかった。目の前にある幸せが、胸を満たしていたから。
「ガイヴェル様。わたくし、幸せですわ」
温かくてがっしりとした彼の体に寄り添いながら、思いのたけを言葉に乗せる。返ってきたのは、力強くも優しい抱擁だった。
ここで完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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