8話 盗撮犯の正体
カーテンがきっちり閉じられた薄暗い室内に、陽の光は一切入らない。明かりといえば、デスクトップのブルーライトぐらいだ。
画面の右下から表れたDMの通知をクリックすると、Misaoからのメールが表示された。
『ウラアカウントの運営は順調ですか? 何かあれば対応しますので、いつでも連絡してくださいね』
Misaoが誰なのか、何故自分のことを知っていたのか、ウラアカ作成の目的も不明だ。
不登校になってからMisaoから取引を持ち込まれた。
学院のウラアカを作成し、運営していれば、不登校のまま卒業できるよう取り計らうというのだ。
噂をでっちあげたり、本当のことを混ぜたり。
生徒たちが勝手に盛り上がるようにしてやればいい。
悠々自適に引きこもりライフを送っていたのに、あいつらのせいで亀裂が生じた。
「ウラアカのせいで、誰かが傷つくかもしれないんです」
長宮麗の言葉が頭の片隅から離れない。
誰が傷つくっていうんだよ。
好き勝手言いたいこと言って楽しんでるだけだろ。
俺には関係ない。
Misaoにあいつらのことを言うべきか。
いや、改造銃で脅したから二度と来ないだろう。
ドンドン、ドンドン!
扉が大きく揺れ、今にも壊れそうな勢いだ。ヘッドホンを外すと、どすのきいた声と、軽やかな声が聞こえた。
「とっとと開けろ!」
「牧野先輩、開けてくださいよ」
あいつら、また来たのか!
浩平は溜息を漏らして、敵意を含んだ目で扉を睨みつけた。
扉の向こうでは、しかめっ面の葵と、苦笑を浮かべた晴が、真剣な表情の麗に目を向けた。
「うまくいくのかよ」
「やってみるしかないよね」
麗は白い箱の持ち手をぎゅっと握りしめた。
「もっと言い続けて。頃合いを見て、私が話す」
「めんどくせえな」
葵はそう言いながら、拳をつくって扉を叩いた。
「おい! 開けないと蹴破るぞ!」
階段の下から、浩平の母親がおそるおそる顔を覗かせた。
「うるさい! 何でまた来たんだよ。帰れ!」
室内から怒鳴る浩平の声に、母親は肩を震わせ、顔を引っ込めた。
「そろそろ現実みたほうがいいですよ。引きこもったまま卒業できるほど、世の中甘くないでしょ」
晴が言い終わらないうちに、浩平は扉にヘッドホンを投げつけた。
「黙れ!」
晴は口角を上げ、更に続けた。
「自分が作ったウラアカで、噂に左右されてる生徒たちを見て、優越感に浸ってるんですか? それとも、リアルでは仲間に入れないから、ウラアカで友達作りしてるとか? やばいですね」
カギの開く音と共に、扉が勢いよく開いた。
ひきつった顔の浩平が、銃口を晴に向けた。
「これ以上しゃべったら、まじで撃つぞ」
晴を押し退けた葵が、銃口を握り、自分の心臓に押し当てた。
「撃てるもんなら撃ってみろよ」
浩平の手が震え、呼吸が荒くなる。額から流れる汗が、顎を伝って足元に滴り落ちる。
「覚悟もねえやつが、こんなん作ってんじゃねえぞ」
葵は鼻で笑い、銃を叩き落とした。
「くっ……」
右手を押さえて顔をしかめた浩平の前に、葵と晴が立ち塞がり、距離を詰めていく。浩平は後退りをして、机の前まで追い詰められた。
「ウラアカ削除しろ。削除するまで殴ってやろうか?」
拳を握る葵の横で、銃を手のひらの上に乗せた晴が、不敵な笑みを浮かべた。
「この改造、違法ですよね。通報したらどうなるか。……やってみます?」
浩平はひゅっと息を呑んで、目を見開いた。
葵が麗に視線を送り、晴が囁く。
「太陽の出番だよ」
麗は頷き、息を整える。
葵と晴の前に飛び出し、浩平を庇うように腕を広げ、声を張り上げた。
「やめて! ひどいよ、2人とも。暴力と脅しじゃ、人の心は動かないんだよ。ほら、牧野先輩、こんなに怯えてかわいそうだよ!」
「……怯えてないし」
浩平は目を逸らし、鳥肌が立っている腕をさすった。
「くくっ。麗ちゃん、棒読みっ……」
笑いをこらえて肩を震わす晴を、呆れ顔の葵が小突いた。
麗は浩平に頭を下げて、白い箱を差し出した。
「乱暴なことをして、すみませんでした。これ、2時間並んで買ってきたんです。よかったら、食べてください」
ぽかんと口を開ける浩平の顔を、上目使いで見上げた麗は、おずおずと問いかけた。
「好き、ですよね?」
「すっ……?!」
困惑した浩平は、目を白黒させた。麗は箱を開けて、3つ並んでいるシュークリームを見せた。
「このお店のシュークリーム、好きですよね?」
「……これか。まあ、嫌いじゃないけど」
箱を受け取った浩平は、麗の背後で見下ろしてくる葵と晴を一瞬見てすぐに視線をそらした。
「牧野先輩、どうしてもウラアカの削除をお願いしたいんです。それと、もうひとつお願いがありまして」
浩平は眉を寄せてシュークリームを見た。
「おれがシュークリームでつられると思ってんの」
「いえ、これはこの間ぶしつけなことをしてしまったお詫びで」
「おまえ、本当に2時間並んだのか?」
拳を振り上げる葵を押さえ込んだ晴が、口だけで微笑んだ。
「麗ちゃん、昨日2時間並んで目の前で売り切れて、今日は開店の1時間前に並んで買ったんですよ」
「何でそれを! 1人で買いに行ったのに。まさか後をつけてた?」
小声で問いかける麗をスルーした晴は、針のように細め、銃口を浩平に向けた。
「麗ちゃんの誠意、無駄にしませんよね? もしそんなことしたら……」
銃を撃つ真似をして、銃口にふっと息を吹きかけた。
身震いをした浩平は、シュークリームをひとつ頬張った。
「わかったよ。でもな、おれにも簡単に削除できない事情がある」
「事情、ですか?」
麗が首を傾げると、晴がデスクトップパソコンに顔を近づけた。
「誰かに頼まれたのかな」
「勝手に見るな」
顔しかめた浩平が急いでパソコンの画面を消した。
「もう見ちゃいましたよ。Misaoって人からウラアカ作れって言われて、不登校のままでも進級できるよう裏工作してもらったとか?」
言葉を詰まらせて目を泳がせる浩平に、葵が冷ややかな目を向けた。
「図星か。Misaoって誰だよ」
「知らない。DMでしか連絡取ってないから」
「学院の関係者だろうけど、書類の改ざんできるのって、教師じゃない?」
「かもな。……返せ」
銃をくるくる回して遊ぶ晴から、浩平が奪い返して棚にしまった。
「教師が何のために? ウラアカ作って生徒たちを噂で翻弄して、楽しんでる? でも、学院の評判が落ちる噂もあるし、そんなことして教師に何のメリットが?」
ぶつぶつ呟く麗の額を、葵が指で弾いた。
「いたっ!」
「アホ。俺らは削除させればいいだけだ」
「それはそうだけど」
麗が浩平を横目で見ると、眉間に皺を寄せた葵が机を叩いた。
「おまえの事情なんてどうでもいい。学校行きたくないならやめちまえ。中途半端なことしてんじゃねえよ」
「……うるさい。バカなやつらとは関わりたくない」
「てめえ!」
殴りかかろうとする葵を麗が止め、背を向けた浩平に問いかけた。
「学校、嫌いですか?」
「学校も他のやつらも全部嫌いだ。くだらないカーストに当てはめて、底辺だって見下してきやがって。どいつもこいつもバカばっかりだ」
デスクトップ画面に映る浩平の顔が歪む。
「学校って、色々な人がいますよね。この2人のファンがあんなにいるなんて信じられない。どうかしてますよ」
麗が肩をすくめると、葵が晴を顎で指した。
「こいつのファンはいかれてる」
「それはこっちのセリフだよ」
睨み合う2人の間に麗が割って入り、咳ばらいをした。
「ファンにも、2人にも困らされてるけど、私は、学校に通えて嬉しいです」
振り返った浩平が眉をひそめた。
「悪い意味で注目されてるって分かってんの? 妬まれて悪口言われて、何が嬉しいんだ」
「そういう意味じゃなくて。私、小4から学校通えていなかったんです。ずっと通いたかったけど、できなかった。でも、やっと高校に通えたんです。だから嬉しくて」
麗は、胸の前で握り合わせた両手に目を落とす。
「まあ、現実は学校でも2人の下僕で、常に傍にいるし、自由なんてこれっぽちもないですけど」
浩平は同情の眼差しを麗に向け、頬杖をついた。
「それはご愁傷様」
「牧野先輩」
麗は浩平の顔をじっと見つめた。
「先輩には私と違って、自由があります。でも、自由には責任が伴うんです。先輩が作ったウラアカウントで、私みたいに悪口を言われて傷つく人だっている。学院の評判を落とす噂が公になったら、困る人がいるんです。それに、盗撮の噂、先輩も知ってますよね」
浩平は小さく頷き、目を伏せた。
「販売サイト、見つけたんです。大勢の生徒が、盗撮被害にあっていました。私もです。これが公になったら、たくさんの人が傷つきます。今の内にウラアカウントを削除して、販売サイトも削除すれば、公になることは防げるんです」
浩平は顔を上げて怪訝な表情をした。
「販売サイトの削除ってなんだよ」
晴はスマホの画面を浩平に見せた。
「これですよ。先輩なら削除できますよね?」
画面を注視すると、浩平は首を横に振った。
「削除はできるけど、また新しいサイトを作るはずだ。そしたらそれを削除するのか? いいたちごっこだぞ。ネットの世界だって甘くない」
「じゃあ、やっぱり私がおとりに」
「「駄目だ」」
シンクロする葵と晴に、浩平がぼそっと呟いた。
「さすが、双子」
2人に睨まれた浩平は、誤魔化すようにデスクトップパソコンの画面をつけて、キーボードを打ち始めた。
「サイトをどうにかするより、犯人を捕まえた方が手っ取り早い。サイトの問い合わせで、販売者に連絡をとって、カメラを仕掛けざるを得ない状況を作り出せばいい。このサイトだろ?」
話している間に浩平はサイトを開き、晴は目をみはった。
「わお。さすがハッカー歴のあるITオタク」
「その言い方むかつくな」
苦々しい顔をする浩平に、麗が慌てて尋ねた。
「先輩、どうやって犯人を捕まえるんですか?」
「『明日までに、新作の教室の動画が欲しい。言い値の倍払う』。こんなふうに太客を装って、連絡すれば、今夜動きだすだろ。おまえたちは学校で見張っておけばいい。カメラを仕掛けたところを捕まえれば、言い逃れできない」
「なるほど。賢いですね」
決まりが悪い顔でキーボードを叩いた浩平の耳が、微かに赤い。
「ついでにウラアカも頼みますね」
「賢いんだからすぐできるよな?」
画面を覗き込んだ晴と葵に威圧され、浩平の顔が青ざめた。
「ちょっと、2人とも」
麗が2人を引き離し、浩平はふうっと息を吐き出した。
「牧野先輩。学校に通いたい気持ちが少しでもあるなら、裏取引じゃなくて、私たちと取引してください」
「は?」
顔をしかめる浩平に、麗は微笑んだ。
「教室じゃなくても、別棟で授業を受ければ、出席扱いになるらしいですよ。別棟までこの2人が付き添います」
指を差された葵と晴は顔をしかめ、不満の声をあげた。
「何勝手なこと言ってんだよ」
「嫌だよ、何でぼくたちが」
浩平は首を振って、葵と晴から顔をそむけた。
「余計に目立つじゃないか。絶対嫌だ」
「そうですか? 男子だったらファンから嫉妬されないだろうし、2人と一緒にいればバカにされないと思ったんですけど」
「おまえ、マジで主席か?」
呆れ顔の浩平は、半目で麗を見た。
「成績の良さと賢さって、別物だよね」
晴がくすくす笑い、葵は頷く。麗は腕組をして鼻を鳴らした。
「失礼な。とにかく、先輩のことは私たちがフォローします。だから、裏取引はやめて、ウラアカウントを削除してください」
「それは……」
口ごもる浩平に、葵と晴が低い声で囁いた。
「削除するって言うまで帰らねえぞ」
「ぼくたちも引き下がれない事情があるんですよ」
「……わかったよ」
浩平は苦渋の表情で、しぶしぶ承諾した。
「せっかく自由なんですから、明るい表の世界で生きた方が幸せですよ」
麗はカーテンを開け、窓を開け放った。
眩しい陽光が差し込み、爽やかな初夏の風が吹き込んだ。
麗の前髪が持ち上がる。光が反射して、薄茶色の瞳が輝いた。
浩平は呆気にとられた顔で、麗の瞳をぼうっと見つめた。
麗の桜色の唇が笑みの形になり、浩平の頬は紅潮した。
「帰るぞ」
「麗ちゃん、行こう」
「あっ、ちょっと! 牧野先輩、ありがとうございます!」
葵と晴が麗を引きずり、扉の外に放り出した。2人は浩平を睨みつけると、バタンと力任せに扉を閉めた。
「あの噂、本当だったのか。……長宮麗。変なやつ」
煌々と差し込む日差しに目をすがめた浩平の口元が、ほんの少し緩んだ。
誰もいない暗闇に包まれた校舎に、足音が静かに響く。
足元を照らすスマホのライトが上に向けられ、「1年3組」のプレートが照らされる。
扉をゆっくり開け、ライトの明かりを頼りに、教壇へ足を運ぶ。
明かりが教壇の下に消える。
その途端。
電気がパッとつき、教室が明るくなった。
「あなただったんですね」
顔を強張らせた麗が、教壇の下に潜っている人影に声をかけた。
「出てこいよ」
「動画撮ってるんで、言い逃れはできませんよ。――町田先生」
晴に名前を呼ばれ、青白い顔の町田が教壇の下から出てきた。手には小型カメラを持っている。葵はカメラをひったくり、教壇を覗くと、カメラを隠すための小さな穴を見つけた。
「ゲスだな」
葵は蔑視の眼差しで町田を見ると、カメラを麗に放り投げた。
「どうして、あなたたちが!」
「明日までに新しい動画が欲しいって連絡したの、私たちなんです」
町田は唖然として口を覆った。
「そんな……」
「何で先生が、こんなことを」
麗が問いかけると、町田は目を伏せ、乾いた唇を震わせた。
「ごめんなさい。あの人と、どうしても一緒になりたくて。離婚するにはお金がいるっていうから、それで……」
麗は愕然として、言葉を失った。
冷笑を浮かべた晴が、画面越しに町田を見据えた。
「葉山先生も共犯ですか?」
「……盗撮動画を販売したら高く売れるって、言われたの。女の私しかできないからって」
「そんな身勝手な理由で、生徒を売ったんですか?!」
ざわつく胸を抑え、麗が町田の前に足を踏み出した。町田は瞳を潤ませ、か細い声を絞り出した。
「いけないことだって分かってた。でも、あの人に私だけを見て欲しかった。頼ってくれるのが嬉しかったの」
「生徒のことはどうでもいいんですか? 盗撮されて売られてることを知ったら、どれほど傷つくか!」
麗の全身を流れる血が、マグマのように煮えたぎっているかのようだ。ドクドクと脈打つ音が耳に響く。
町田は顔を覆い、背中を丸めてしゃくりあげた。
「私だって、最初は、悩んだのよっ。けど、愛されたいなら、その人の望むことを叶えてあげなきゃって、背中を押されたからっ。……ご、ごめんなさいっ。ごめんなさい」
泣き崩れる町田を、晴は氷のような眼差しで射抜いた。動画を停止し、顔を上げて息を吐き出す。ふと、黒板の上にあるコンセントに差し込んである、黒いアダプタが目に留まった。教壇に乗ってアダプタを引き抜いた。よく見ると、小型カメラのレンズがついている。
「これも先生のですか?」
麗に支えられて立ち上がった町田に晴が問いかけると、小さく首を左右に振った。
麗と葵がアダプタを見て首を傾げた。
「これもカメラなの?」
「他にも盗撮犯がいるのか? この学校やべえな」
晴はアダプタのカメラを撫でながら、鼻先で笑った。
「黒幕がいるかもね」
「黒幕……?」
麗の背中を、嫌な汗が伝っていく。
アダプタのカメラが、鈍く光った。




