6話 肝試しで運試し
校庭に行くと、カレー作りの準備が既に整っていた。チームごとに用意された食材と調理器具で、カレーを作るのだが、自宅から持ってきた材料も加えて良いルールだとしおりに書いてある。生徒会と教師陣が10点満点で全チームのカレーの出来を判定し、1位から3位までポイントが付与される。
Hチームは、カレーにはうるさいと自負する弘人と賢一が主体となって、持参したフルーツやスパイス、カレー粉を使って、2人で競うように作っていった。
おかげで、手持ち無沙汰になった女子たちに、葵と晴と麗は囲まれてしまった。
「麗さんのこと、溺愛してるんですよね?」
杏奈が問いかけると、佳奈と彩夏も目を輝かせて葵と晴を見つめた。
「何の話だよ。くだらねえ」
「麗ちゃんが美人だって、ばれたみたいだよ」
顔をしかめる葵に晴が囁く。葵は鋭い眼差しを麗に向けた。
「前髪上げた写真、撮らせてよ」
「私も、もう一回見たい」
佳奈と彩夏がじりじりと麗に詰め寄り、腕を伸ばしてきた。
「いや、それは……」
後退りをする麗の腕を葵が引っ張り、代わりに晴を佳奈たちの前に突き出した。
「こいつを撮れ」
「ちょっと、アオ!」
困惑する晴を尻目に、葵は麗の腕を掴んで走り出した。
校舎の中に飛び込むと、麗の腕を離して階段を上って行った。仕方なく後についていくと、最上階まで行き、ポケットから鍵を取り出して、屋上の扉を開けた。
きっと理事長から鍵をもらったのだろう。甘やかされすぎていて、腹が立つ。
葵はフェンスに寄りかかって座り込み、顎でこっちにこいと合図を送ってきた。向かいに座ると、生徒達のはしゃぐ声と、カレーの匂いが漂ってきた。
「おまえ、何やってんだよ」
顔をしかめる葵に睨まれた。
「何が、ですか?」
「顔見られやがって」
「別にいいじゃないですか。葵さまの命令には、背いていません」
「生意気だな」
「葵さまほどではありません」
顔を背けると、顎を掴まれ、無理矢理目線を合わせられた。
睨んでいるのに、葵の眉尻は下がっている。初めて見る表情に、麗は困惑した。
「な、何ですか?」
「いつまで葵さまなんて呼び続けるんだよ」
何を言われるかと思えば、どうでもいい呼び方のことだとは。そもそもさま付けで呼べと言ったのは葵の方だ。
『俺のこと呼ぶ時はさまをつけて、敬語で話せ。口答えはするな。命令は絶対だ。おまえは俺の下僕なんだから当然だろ』
ふんぞり返ってガハハハと笑う葵の姿が鮮明に思い出され、麗は溜息をついて首を傾げた。
「それを決めるのは、葵さまでは? そう呼べと言われたから従っているだけですが」
葵は舌打ちをすると、雑に手を離して腕組をした。
「うるせえ。いい加減さま付けやめろ」
「もしかして、恥ずかしいとか?」
「なっ! バカ! そんなんじゃねえよ」
顔を赤くして怒鳴り、そっぽを向いてしまう。明らかに図星だ。6年前から見た目は変わったけど、中身は同じ。永遠のクソガキのまま。
麗はやれやれと肩をすくめて念のため尋ねてみた。
「何て呼んだらいいんですか?」
「アオ」
「はい? えっと、アオ、さま?」
聞き間違えたかと思っておそるおそる口にすると、葵は麗の方に向き直って睨みつけてきた。
「だから、“さま”はいらねえって」
「じゃあ、アオ、さん?」
「何でハルは“くん”付けで、俺は“さん”なんだよ!」
「何でって、晴くんからそう呼べと言われたからで。アオくん、でいいですね」
「それだとハルと同じだろうが」
「まさか、アオと呼べと?」
「文句あんのか? ないよな。俺の命令は絶対だからな」
「文句っていうか、今までの呼び方とのギャップに驚きを隠せないと言いますか。敬語なのに名前だけ呼び捨てって、本当にいいんですか?」
「敬語もやめろ。命令違反したら罰だ。分かったな」
葵は麗が返事をする前に立ちあがり、屋上の扉を開けて出て行ってしまった。
1人残された麗は目を瞬かせて、勢いよく閉められた扉を呆然と見つめた。
葵が扉を開けると、すぐそこに晴がいて手を振ってきた。
「何でおまえがいるんだよ」
「なんとか切り抜けてきたんだよ。ひどいじゃないか。ぼくのことだしに使って」
「別にいいだろ」
階段を下りようとする葵の肩を晴が掴み、葵は面倒くさそうな顔で振り返った。
「何で急に呼び方変えて、タメ語にしろなんて言ったの?」
「覗きか? 趣味悪いな」
「聞えちゃっただけだよ。……アオさ、麗ちゃんのこと、好きなんでしょ」
張り付いた笑みを浮かべる晴に、葵は舌打ちをした。晴は顔を近づけて耳元で囁いた。
「本気なら、ぼくが手伝ってあげよっか?」
「ふざけんな。おまえの魂胆丸見えなんだよ」
葵は晴を押しのけ、階段を駆け下りて行った。その後ろ姿を見ながら、晴はにんまり口角を上げ、恍惚の表情を浮かべた。
「さすがアオ。バレバレか。手伝ってるふうを装いながら、麗ちゃんをぼくに惚れさせようと思ってたんだけど。ぼくに麗ちゃんを奪われて、悔しがるアオの顔、想像するだけでもたまらないなあ。その後ぼくに捨てられる麗ちゃんの顔も、きっとあの時以上にぞくぞくさせてくれるんだろうなあ」
目を閉じると、6年前に見た絶望する麗の顔が思い出される。
またあの顔が見たい。
麗を惚れさせて自分のものにしてしまえば、葵の悔しがる顔も、麗の絶望の顔も見られる。欲望が満たされる瞬間の幸せは、何物にも代えがたい。
晴は目を開け、自他共に認める天使のスマイルで扉を開けた。
「晴、くん?」
「ちょっといい?」
「もう戻らないと」
通り過ぎようとした麗の行く手を、晴は阻んだ。笑みを崩さないまま、迷惑そうに顔を歪める麗を見つめた。
「アオとは2人きりで話して、ぼくとは話してくれないの?」
「そういうの、杏奈先輩達に言ったら喜びますよ」
「勘弁してよ。さっき、さんざんサービスしてきたんだから。ていうか、ぼくとアオでツイプリなんて、笑っちゃうよね。女の子って夢見すぎててカワイイ。昔の純情な麗ちゃんも可愛かったなあ。でも……」
晴は一歩近づき、麗の前髪をそっと持ち上げた。重苦しい前髪のカーテンが開かれた。
長くてふさふさのまつげに、二重瞼で薄茶色の大きな丸い瞳があらわになる。
晴は麗の目をじっと見つめて、微笑んだ。
「今は、すごくきれいになった」
「やめてください」
杏奈たちなら失神してそうな距離感とセリフだ。だが、晴の言うこと全ては嘘だということを、麗は身をもって知っている。全く動じず、晴の手を振り払って前髪を元に戻した。
「ねえ、ぼくもアオと同じように、呼び方変えたいな」
「覗いてたんですか?」
「麗ちゃんまで人聞きの悪いことを。ほら、ハルって呼んでみて」
「命令ですか?」
「うん。命令」
「……ハル」
晴は照れたように笑うと、麗の頭を撫でてきた。
「よくできました。おりこうさんだね」
麗は溜息をついて、ぐしゃぐしゃになった髪をなでつけた。
さあーっと風が通り過ぎていき、前髪が持ち上げられた。
麗の薄茶色の瞳に、橙色の夕陽が反射して煌めく。
晴は目を瞠って、麗の瞳を見据えた。
「ぼくだけのモノに……」
その呟きは、風にさらわれて麗には届かなかった。
色々なカレーの匂いが入り混じるなか、惜しくも2位になった弘人と賢一のカレーを食べた。
さすが2位だけあっておいしかったが、麗は味をゆっくり楽しむ余裕がなかった。
「麗さん、ハルさまとアオさまと、いつから一緒に住んでるの?」
「下僕っていってるけど、家では可愛がられてんでしょ?」
「2人のオフショットとか、撮れたりしない?」
杏奈、佳奈、彩夏の質問攻めにあい、麗はカレーを急いでかきこんだ。
一方、葵と晴はというと、弘人と賢一から延々とカレーのうんちくを聞かされ、そろってうんざりした顔をしていた。
麗が片付けをしている間に、男子たちはテントを張り、女子たちは体育館へ寝袋を運びに行った。
一足遅れた麗が校庭に戻ると、壇上の澪が最後のミッション、肝試しの説明を始めていた。
「チームごとに男女のペアを組んで、校舎内を5ヵ所回って、1点から10点までポイントが書いてあるくじを引いてもらいます。ペアの獲得点が、チームの合計点に加算されます。詳しいことはしおりを見てください。それぞれの場所に、脅かし役の生徒会メンバーがいるので、気を付けてくださいね」
ふふっと微笑む澪の顔に、ライトの影ができて、整った顔が不気味に見える。
「最後の準備室で、おみくじを引いてください。大吉から大凶まで、何が出るか、運試ししてみてくださいね。それでは、チーム内でペアを決めて、Aチームから出発してください」
澪が壇上から降りると、生徒たちはざわつき始めた。
「佳奈さん、彩夏さん、ここは私たち3人でジャンケンしない?」
杏奈の問いかけに、佳奈と彩夏は頷くと、麗に目を向けた。
「あんたは、2年男子とペアになってよ」
「アオさまとハルさまは、私たちに譲って」
「どうぞ、どうぞ」
麗が手のひらを上に向けると、杏奈、佳奈、彩夏は、睨みあって拳を握りしめる。
仁義なきジャンケンが始まる寸前、晴が声をかけてきた。
「くじ作りましたよ」
晴の両手のひらの上に、折り畳まれた紙が4つある。
「男子はもう引きましたよ。同じ番号同士ペアになるんで、女子の皆さんも引いてください」
有無を言わせない晴の笑顔に、杏奈たちは表情を緩め、手作りのくじをひとつずつ手に取った。残ったひとつを麗が取る前に、晴が開いた。
「4番かあ。ぼく、2番だったよ。残念」
眉を下げる晴に、彩夏が2と書かれた紙を誇らしげに開いて見せ、頬を紅潮させた。
「えー、ハルさまとられたー。サイアクなんだけど。3番って、誰?」
佳奈が唇を尖らせて紙を掲げると、葵は賢一の持つ紙を奪って、自分の紙を強引に握らせた。
「何するんだよ、それ僕の」
「いや、俺のだ」
「はあ? 何言って……」
「うるせえ。俺のだ」
組長譲りの鋭い眼光と、ドスの効いた声に怯んだ賢一は、口を閉じた。
賢一が3と書かれた紙を佳奈に見せると、しかめ面をして舌を出した。
「うへえ。ガリ勉かよー」
「失礼なやつだな。あいつのせいなのに」
賢一は、麗にからんでいる葵を睨んだ。
「1番はおまえか」
弘人が杏奈の持つ紙を見下ろした。
「おまえって言わないで。……ハズレすぎる」
紙をくしゃくしゃに握りつぶす杏奈に、弘人はたじろいだ。
「お、おう。悪かったよ」
杏奈は、はあーと大きな溜息をついて、目を伏せた。
全ペアの最後に、葵と出発した麗は、スマホのライトを片手に、真っ暗な校舎を進んでいった。ただでさえ不気味なのに、あちこちから悲鳴が聞こえるから余計に怖い。
びくつきながら、葵の背中を追っていると、葵は音楽室の前で足を止めた。
中からは物音ひとつ聞こえない。
躊躇することなく扉を開けようとする葵を、麗は慌てて止めた。
「ちょっと待って!」
「何だよ」
「開けたらすぐ、人がいるかもしれないじゃないですか。だから慎重に」
「別にいいだろ。どうせ誰かいるっつの」
ガタガタッ。
立て付けの悪い扉を開ける音が響く。
麗は身構えて体を強ばらせるが、何も出てこない。
スマホのライトで室内を照らして、くじの入っている箱を探す。
麗が怯えながら辺りを見回す。
ポロン。
麗の肩がびくりと跳ねた。
「今の、ピアノ……?」
葵がピアノにライトを当てる。
誰もいない。
怪訝な顔で葵がライトを動かすと、教卓の上に置いてある赤い箱が照らされた。
「これか」
葵が箱に手を伸ばしたその時。
「エリーゼのために」の曲が、どこからか聞こえてきた。
「ひっ!」
麗が飛び上がってピアノを照らすが、誰もいない。
「おい! 誰かいるんだろ」
葵が臆せず声を張り上げた。
するとーー。
「がああぁぁぁっ!」
教卓の下から、ゾンビのような顔が現れ、麗の足首を掴んだ。
「いやあぁぁぁぁっ!!!」
麗は咄嗟に葵にしがみつき、スマホを取り落とした。足首を掴んでいた腕の上に落ち、さっと腕が引っ込んだ。
「お、落ち着けって!」
「ムリムリムリムリ!」
麗は半べそで葵の腕にしがみつき、顔を横に振った。
耳まで真っ赤にした葵は、麗のスマホを拾い、箱からくじを取り出して音楽室を出ていった。
「いつまで掴んでんだ」
廊下に出ても腕を離さない麗に、葵は呆れた顔を向けるが、声に刺々しさはない。
麗はぱっと手を離して、目尻の涙を拭いた。
「そんなに怖いかよ」
葵からスマホを受け取りながら、麗は頷いた。麗に背を向けて先を歩き出すと、葵はぶっきらぼうに手を伸ばしてきた。
「今だけ、だからな」
「え?」
「手、貸してやるよ」
葵の手が、いつもより大きく見える。
戸惑っていると、上の階から悲鳴が聞こえてきた。麗は肩をびくつかせ、葵のジャージの袖口をきゅっと掴んだ。
葵の腕が一瞬、ぴくりと反応する。
「手じゃねえのかよ」
ぽつりとこぼした葵の声は、暗闇に溶けていった。
全ての教室を回り、準備室でおみくじを引いて校舎から出てきた時には、校庭の中央でキャンプファイヤーが燃え盛り、生徒たちは各々自由時間を過ごしていた。
恐怖で固まっていた心と体が、炎に溶かされていく。
麗はおみくじを開いてみた。
『中吉。求めよさらば、真実の扉は開かれん』
「中吉か」
葵に覗き込まれ、おみくじを隠そうとした。だが、今度は晴に見られてしまった。
「良くも悪くもないね。忠告っていうか、お告げみたい」
「おまえの見せろよ」
晴は胸をそらして、葵と麗の前におみくじを広げた。
『大吉。解き放たれよ。新たな縁が結ばれる』
「大吉!」
麗が驚くと、葵は舌打ちをして自分のおみくじをポケットに押し込んだ。その手を晴が引っ張って、抵抗する葵の指を引き剥がし、おみくじを奪い取った。
「アオのも、見せてよっ。……あっ」
『大凶。前途多難。本心に素直に従うべし』
「かわいそうに」
「うるせえ」
ふっと口角を上げる晴からおみくじを引ったくると、ぐしゃっと丸めてキャンプファイヤーに投げ飛ばした。きれいな放物線を描いて飛んでいった。炎に呑み込まれ、ちりちりと真っ黒に焦げて消え去った。
「先輩からくじを奪ったバチが、当たったんじゃない?」
「関係ねえだろ。……他のやつとペアにさせられるかよ」
「麗ちゃんとちょっとは、進展した?」
囁く晴に一瞥をくれると、葵は背を向けた。キャンプファイヤーを見つめる麗の横顔が目に入り、頬が熱くなっていく。炎のせいにして、葵はジャージの袖を握りしめた。
軽快な音楽が流れ出し、キャンプファイヤーをバックに、ダンス部や、軽音部がオリエンテーリングの締めを盛り上げた。
生徒達の喧騒から離れた、明かりの届かない校舎裏。スマホのライトがうろうろと不安定な動きを見せている。
「こっちよ」
ライトが動きを止め、声の方に向けられた。
壁際に立つ細長い足が照らされ、ライトが上向きになると、明かりの中に微笑む澪の顔が浮かんだ。
「呼び出してごめんなさいね、杏奈さん。いえ、アンアンさん」
杏奈が目を丸くして、口元に手を当てた。
「澪さん! DMの、Misaoってあなただったの?」
「ええ。直接会ってくれて嬉しいわ」
澪の綻ぶ笑みに、杏奈は胸を打たれ、とろけた表情をした。
「私、澪さんのファンでもあるの! その美しさは国宝級だよ。お話しできるなんて夢みたい」
「光栄だわ。あなたの情報力には助かっているの」
杏奈は首を横に振って、瞳を潤ませた。
「澪さんがツイプリファンだったなんて。推しが推しを押す。こんな素晴らしいことってないよ。私ね、MisaoからのDMに、励まされてたの。おかげで、ファンも増えたし、ファンサイトも充実したし。本当に、ありがとう!」
澪は頬に手を添え、ふふっと笑みを浮かべた。
「こちらこそ。……それで、長宮麗さんについての情報、あれは事実なのかしら?」
「前髪のことは、事実だよ。悔しいけど、アオさまとハルさまが、麗さんを守ってるのは確かだね。肝試しの時も、アオさまが麗さんとペアになるように、田島くんとくじ交換してたし。でも、きっと、妹としてだよ!」
慌てて付け足す杏奈は、うんうん頷いた。
「その妹っていうの、確かなの?」
澪の細められた瞳が光を放つ。杏奈は胸元を抑えて、目を伏せた。
「えっと、そうだろうって言われてるっていうか、そうあってほしいっていうか…‥。だって、異母妹じゃなくても、親戚とかじゃないと、一緒に住んでるのおかしいでしょ」
杏奈の肩に、澪がそっと手を添えた。
「そうね。おかしいわよね」
柔らかい澪の笑みが、杏奈には女神に見え、祈るように両手を握り合わせた。
生徒達の歓声と拍手が、遠くに聞こえるが、杏奈の耳には届いてないようだった。




