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5話 閉じ込めた過去

 息を呑む音と、ハサミが地面に落ちる音が、同時に響く。


 目を見開いた杏奈、佳奈、彩夏が、鼻息を荒くまくしたてた。


「ナチュラルメイクじゃなくて、すっぴんなの?」

「まつげ長いし、肌つるすべ! やばっ」

「ありえない。もしやその前髪で、わざと隠しているとか? なぜに?!」


戸惑いながらも葵の命令だと話すと、杏奈と彩夏は驚愕の顔で固まってしまった。


「ハ、ハルさまは、そんな命令してないっしょ?」


佳奈が唇を震わせながら、真剣な顔で問いかけてきた。


「伸ばせとは言われてないけど、切れとも言われてないです」


佳奈を筆頭に、全員こと切れた人形のように、その場にうずくまった。


 麗はそそくさと逃げ出し、深い溜め息をついた。


前髪ごときで空気が一変するなんて何事? 葵の命令はむかつくけど、前髪あって良かった。まだ切らないでおこう。

にしても、ツインズプリンスってバカバカしいにもほどがある。

2人がやくざの息子だって知ったら、ファンクラブ解散するかも。

でも、本当に知られたら、私の高校生活は終わってしまう。

ウラアカウントで噂されやらまずい。早く作成したやつ見つけて、削除させないと。


 校庭に向かって走っていると、体育館の角から葵が飛び出してきた。


「わっ!」


ぶつかる寸前で葵がよけ、足がもつれてこけそうになる麗の腕を掴んで引き寄せた。


「おまえ、どこに行ってんだ。探したんだぞ」

「どこって言われても。何か用ですか?」

「おじさんが呼んでんだよ」

「……手、離してください」


葵は顔を赤くして、麗の腕を雑に離すと、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。心なしか、耳まで赤い。掴まれていた腕をさすりながら、麗は後についていった。


昼休憩の後は、部活や委員会の交流の時間。その前に、理事長から「人目を避けて理事長室に来なさい」と呼び出しがあったらしい。

 スマホを鞄に入れっぱなしだった麗は、気付くわけもなく、葵と晴が探し回っていたのだった。


 おかげで、理事長室の前で待っていた晴に、皮肉たっぷりな嫌味を言われてしまった。


「麗ちゃん、スマホって携帯電話ともいうんだよ。携帯してなかったら意味ないよ?」


冷笑する顔が憎たらしい。


「学校では基本、スマホ禁止じゃないですか」


唇を尖らせる麗の頭を、葵がしおりで軽く叩いた。


「バーカ。しおり読めよ」

「どこにそんな……!」


晴が葵から奪ったしおりの表紙を1枚めくって、見せてきた。


「オリエンテーリング中は、スマホの使用を許可しますって、堂々と書いてあるでしょ。これ見逃す人、なかなかいないよ?」


馬鹿にしたように、晴がくすくす笑った。

 麗が目を伏せてバイオレンス妄想に突入する直前、扉の向こうから入室を促す理事長の声が聞こえてきた。  

 葵を先頭に入ると、ソファに座っている理事長が、人の良さそうな笑みを浮かべた。

 葵と晴は表情を強ばらせ、麗は2人の背後にそっと身を隠した。


「遅かったじゃないか。そこ、座って」


優しい声音なのに、威圧感がある。ひとつのソファに3人で腰かけ、麗は緊張の面持ちで理事長に目を向けた。


「で、何か報告することは?」


長い足を組んで目を細める理事長に、晴が答えた。


「ウラアカの作成者探しは、フクロウさんに頼んだよ」

「そうか。フクロウの腕ならすぐ見つかるだろう。ウラアカについて、何か情報は探れたかい?」


明後日の方を見る晴と葵から目をそらした理事長は、麗に笑顔を向けた。


「えっと、同じチームの2年生に、信頼できる噂話を教えてもらいました」


理事長の眉がわずかに動く。葵と晴が横目で麗を見た。

 杏奈から聞いた、不倫関係にある教師と、盗撮の噂話について伝えると、理事長の顔から笑顔が消え、険しい表情になった。


「不倫はともかく、盗撮はまずい。外部にもれたら大問題だ。その噂、信憑性はあるのか?」

「確証はないらしいです。ただ、カメラを見たっていうコメントは何件かあるみたいです」


葵と晴は顔をしかめて、不快感を丸出しにした。


「犯罪じゃねえか」

「もし、盗撮動画がウラで販売されてたら、高値で売れるだろうね。胸くそ悪いけど」


理事長は顎に手を添えて、低く唸った。


「許せんな」


膝を叩くと、葵、晴、麗に指を突きつけた。


「盗撮の真相を突き止めなさい」

「うぇっ」

「えー」


あからさまに嫌そうな顔をする2人に、理事長は柔らかく微笑んだ。


「理事長命令だ。何か文句あるか?」


2人は背筋を伸ばして、首を横に振った。

 優しい笑みの裏に、一体どんな恐怖が潜んでいるのか。計り知れない理事長の恐ろしさに、麗は身がすくんだ。


「他の情報はあるかな?」


顔の横に手を上げた晴が、上目使いで理事長を見た。


「ぼくもそれとなく探ってみたよ」


麗がぎょっとして晴の顔を見ると、葵も目を見張り、晴は眉をしかめた。


「何、その顔」

「面倒くさがりのおまえが? まじで?」

「馬鹿みたいに2年と張り合ってたアオとは違うからね」


鼻で笑う晴に、葵が掴みかかろうとしたが、理事長に名前を呼ばれて動きを止めた。


「君は、何か情報あるのかい?」

「……ない」

「じゃあ、黙っていなさい」


笑顔なのに目が笑っていない。葵は腕組みをしてそっぽを向いた。


「ハルくん、話して」

「うん。2年の牧野浩平って生徒知ってる? 不登校らしいんだけど、おかしいって噂されてたよ」

「おかしい?」


理事長の目がすっと細くなった。


「1年の6月以降、学校に一回も来てないのに、進級できたの変じゃないかって」

「牧野浩平、か」


理事長は壁際の書類棚に移動すると、分厚いファイルを取り出してペラペラめくった。用紙の上に指をはわせながら、理事長は頷いた。


「少人数制の授業には、出席しているようだ。教室は別棟にあるから、登校していないように見えたんだろう」

「それがさ、ウラアカに『この1年で、牧野浩平を見た人、いなくない?』って投稿したら、1時間しない内に削除されたんだよ。なんか、あやしいよね」


晴が肩をすくめると、理事長は眉間に皺を寄せた。


「投稿は、自分以外でも削除できるのかい?」

「内容によっては通報されて、運営側に削除されることもあるよ。でも、通報の通知は来なかった。勝手に削除されるなんてありえないでしょ」


理事長は頷いてファイルを閉じた。


「牧野については私も調べておこう。君たちは、ウラアカ作成者と、盗撮の真相を探ってくれ。あとは、オリエンテーリングを楽しむこと」

「「は?」」


葵と晴が声を揃えて、怪訝な顔をした。理事長は頬を緩め、目尻に皺を作った。


「学生の時の経験は、大人になってから染みるものだ。今はまだ、分からないかもしれないが」


理事長の瞳の奥に、懐かしい温もりを感じる。

 麗は両手を握り合わせ、奥歯を噛みしめた。


 あんな目で見てくれる人は、もういない。

 ——母以外には。


当たり前の日常も、優しかった母も、全部父が奪った。

憎くて、憎くて、たまらない。

 

 6年前から、募りに募った恨みと復讐心は、麗の胸の奥に泥沼を作っている。足元からずぶすぶと沈んでいきそうになるのを、葵と晴への恨みに置き換えて、必死に堪えてきた。 


すべてを失ったあの日の記憶は、頑丈に蓋をしていても、ふとした時に蘇ってしまう。


小学4年生の夏休み最終日。一段と暑い日だった。エアコンなんてないおんぼろアパートでは干からびて死んでしまいそうで、朝からプールに行ってお昼に家に戻った。

母は、早朝から深夜まで働いているため、家には誰もいない。

だけど——。

ドアが、少し開いている。

出かける前は鍵もかけたはずなのに。

ドキッと心臓が跳ねあがる。

ドアの隙間から狭い玄関を覗くと、母のボロボロのスニーカーが、雑に置かれてある。


 なんだ、お母さん帰って来てたんだ。忘れ物したのかな?


 胸を撫で下ろして6畳一間の狭い室内を見回すが、母の姿はどこにもない。

ユニットバスの扉の向こうから、水の流れる音が聞こえる。


お風呂に入ってる? まさか。


父が失踪してからは、質素倹約の生活で、昼間から母がお風呂に入るわけがない。


でも、どうして? この水の音は何?


水が流れているだけなのに、心臓がバクバク高鳴る。

肺の中に水が流れ込んできているような感覚に陥り、息苦しくなる。

それでも、使命感に突き動かされ、扉を手前に引く。


「え?」


目に飛び込んできたのは赤一色。浴槽に赤色の絵具がぶちまけられているのかのようだ。

蛇口から水が出続けているせいで、浴槽から水があふれ出て、床が真っ赤に染まっている。

 左腕を浴槽につけて、背を向けて座り込んでいる人がいる。


「はっ、はっ、はっ」


自分の荒い呼吸が反響する。


 これ以上見ない方がいい。そこにいるのはお母さんじゃない。


 そんな声が、どこからか聞こえる。だが、体は勝手に動いてしまう。

真っ赤な床に足を踏み入れ、おそるおそる顔を覗き込んだ。

青白い顔で、目を閉じている。


 まぎれもなく、母だ。


血の気が引いて声が出ない。よろめきながら浴槽から出て、畳の上に座り込んだ。


 お母さん、どうして……。


 背中がカラーボックスにぶつかり、写真立てが落ちた。

 麗が1年生になったばかりの頃、喫茶店の前で、親子3人で撮った写真。

 写真立てを手に取り、笑顔の両親を呆然と見つめる。


 麗が生まれてすぐ両親が始めた喫茶店で、評判が良く店内はいつも賑わっていた。だが、4年生に進級してすぐ、父は忽然と姿を消した。母は店を畳んで、このボロアパートに引っ越し、朝から晩まで働きに出るようになった。時々、柄の悪い男たちがやってきて母とこそこそ話をしていた。

近所に住む口の悪いクラスメイトに、『おまえの父ちゃんが借金作って逃げたせいで、コワイ借金取りに追われているんだろ。借金地獄の貧乏人』とからかわれ、麗は腹立たしくも妙に納得してしまった。


幸せだった生活が壊れて、母が辛い思いをして働き続けているのは、借金をして逃げた父のせいなのだ。

あの優しかった父がそんなことをするはずがないと心の片隅で思っていたが、母の死を前に、父を信じる気持ちは跡形もなく消し飛んだ。


 茫然自失の状態でいると、柄の悪い男たちが焦った顔で室内に入ってきた。母の居場所を聞かれ、浴室を指差すと、慌てた様子で駆け込んだ。すぐに悲鳴と悪態が聞こえた。

男たちは何やら話し込むと、同情と憐れみの目を向けてきた。


「社長の所に行くぞ」


そのまま男たちに連れられ、二度とあのアパートに戻ることも、母の顔を見ることもなかった。


いかつい男ばかりがいる事務所に連れていかれ、肩幅も腹回りも大きい人相の悪い社長の前に突き出された。その向かいの席には、葵と晴の父、鹿島組組長の鹿島健一がいた。


「このガキか?」


そう聞きながら煙草をくわえる組長に、社長が火をつけながら頷いた。


「そうなんすよ」


組長は煙草の煙を吐きながら、値踏みするような目でじっと麗を見つめた。


「おまえ、名前と年は?」

「……長宮麗、10歳」

「あいつらと同い年か。ちょうどいいな」


社長が怪訝そうな顔をして、組長に問いかけた。


「こいつ、どうするつもりですか?」

「もうすぐ倅たちの誕生日でな、プレゼント探してたんだよ。それに、母親が出てっちまったからあいつらの世話係も探してたし、一石二鳥だ。てことで、このガキ連れてくからな。麗」


冷たく低い声に背筋が震えた麗は、背中をピンと伸ばして組長を見上げた。


「おまえは今日から倅たちの“モノ”だ。あいつらの身の回りの世話をしろ。今までみたいに学校に行ったり、外に出たりする自由は一切ないと思え」


まるでナイフで胸をひとつきされたような、衝撃的な痛みが全身を駆け巡った。

初めて知る絶望に打ちひしがれ、呆然としている間に鹿島家に連れていかれ、葵と晴の前に誕生日プレゼントとして手渡された。初めて見る双子に目を丸くしていると、2人とも怪訝な顔で声をシンクロさせて一言。


「「何これ」」


初対面から完全に“モノ”扱い。誕生日プレゼントが人だということに、一切驚いていなかった。


「長宮麗。おまえたちの世話係だ。好きに使え。ただし、乱暴に扱いすぎて壊すんじゃねえぞ。一応“人”だからな。特に心ってのは繊細で厄介だ。体は壊れても、心がピンピンしてたら人は生きていける。だが、心が壊れちまったら終わりだ。自ら死を選ぶことだってある」


おまえの母親のように。そう言われているみたいだった。父が失踪して取り立てから逃げるようにあのぼろアパートへ引っ越してから、まともに母の顔を見た記憶がない。夜中に帰ってきてすすり泣く声は、何度か聞いていた。


 そうか。お母さん、心が壊れちゃったんだ。だから……。


 浴室で見た母の顔が浮かんできた。


もう二度と母の顔を見ることも声を聞くこともできない。

ましてやあの細い腕で抱き締めてくれることはもう、ない。

母は自分の傍からも、この世からもいなくなってしまった。

 

「うわっ、泣いてんの? なんだよこいつ」

「父さん、この子どこか痛いの?」


顔をしかめる葵と、眉を下げる晴が、涙で滲んだ。ポタポタ大粒の雫が、頬を伝って流れていった。  


「心がケガして痛むんだろう。泣かせて発散させておいた方がいい。我慢させるとケガが悪化してヒビが入る。そしたらいつ壊れるかわかんねえよ」


組長の言葉で塞き止めていた壁が決壊し、声が我慢しきれなくなった。一度声を出したら余計に止められなくなり、大声で泣きわめいた。

葵は迷惑そうな顔をしていたが、泣き止むまで何も言わずそっぽを向いていた。

黙ってじっと観察していた晴の表情がだんだん愉快げな笑みに変わっていき、目の前でニヤニヤし始めた。気味が悪くなって昂っていた気持ちが落ち着き、涙は引っ込んだ。


「麗。おまえは今日から俺の下僕だ。俺が命令したこと全部やるんだぞ」


泣き止むとすぐに葵は、偉そうな態度で指を突きつけてきた。


「アオだけの麗ちゃんじゃないでしょ。ぼくはアオみたいに乱暴なことしないからね。アオがひどいことしてきたらぼくに言うんだよ」


一方で晴は、まるでペットにするように頭をなで、天使のような笑顔で微笑んだ。


 当たり前にあると思っていた日常が崩れ去ったあの日から、組長のいうとおり学校に通うことも、外に自由に出ることもかなわず、最恐最悪な双子の世話係という名の下僕として生きてきた。


この6年間で積もりに積もった双子への恨み以上に、母を死に追いやる原因を作った父への恨みは計り知れない。


借金をして逃げだしたあいつは、もう父親でも何でもない。

何であんなやつのために、お母さんは死なないといけなかったの? 

あいつのせいで、お母さんの人生も、私の人生も狂わされた。

憎くて、憎くてたまらない。

絶対に許せない。必ず探し出して、復讐してやる! 


 底なしの怨恨の沼に沈んでいく。漆黒の闇に視界が遮られる。

 

「麗」

「麗ちゃん?」


葵と晴の呼ぶ声に、麗の意識は沼から引き上げられた。瞬きをすると、怪訝な表情の葵と晴の顔が目の前に見えた。


「な、何ですか?!」


のけ反ると、葵がデコピンをしてきて、晴は苦笑を浮かべた。


「いたっ」


麗が額を抑えている間に、葵はひとりで階段を駆け下りて行った。

 いつの間にか、理事長室を出ていたらしい。

 晴がくすくすと笑い、麗の手を取った。


「ずっと黙って俯いてたから、心配になっちゃったよ。もうすぐカレー作り始まるって。行こう」

「手、離してください」


冷たい晴の手を振り解くと、眉を下げて残念そうな顔をした。


「あ、そうだ」


何かを思い出したように、スマホを取り出すと、ウラアカウントの投稿画面を見せてきた。


「ウラアカとファンサイト、麗ちゃんのことで炎上してるよ」

「え?」


『長宮麗、妹説濃厚! あの前髪は、ツイプリの妹溺愛の証拠‼』という文字と、いつ撮られたのかも分からない麗の画像が投稿されている。


「どういうこと? 意味、わかんない」


晴はスマホを操作しながら、首を傾げた。


「ファンサイトには、麗ちゃんの素顔がとんでもない美人で、ぼくらが悪い虫から麗ちゃんを守るために、前髪を伸ばして顔を隠せって命じているって書いてるんだけど。誰かに話した?」

「こんなこと一言も言ってないです。……ファンの人たちに、前髪を切られそうにはなったけど」

「うわー、それイジメじゃない? 女の子って、怖いねえ」


笑顔で言う晴の方がよっぽど怖い。


「まあ、ファンサイト見る限り、これ以上麗ちゃんにちょっかい出さなそうだけどね。ぼくらが溺愛してる麗ちゃんをいじめれば、嫌われちゃうってさ。……自分本位すぎて、笑える」


言葉とは裏腹に、無表情の冷たい目線をスマホに向けている晴の顔が、組長を彷彿とさせる。


「麗ちゃん」


天性の人たらしの笑顔を向けられ、麗は肩をびくつかせた。


「前髪、切らないでね」

「前は、切れって言ってませんでした?」

「前は、ね。でも、先に伸ばせって命令したのアオだから」

「2人が真逆の命令をした場合は、先に命令した方の言うことを優先させる。そういうルールですよね」

「そう。どうせ葵の命令が優先だし、いいでしょ」


葵と晴の命令は絶対。拒否権などない麗は、頷くしかなかった。

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