22話 私だけじゃなかった
麗はベッドに腰掛け、向かいの椅子に座る紗季をまじまじと見る。
女装した晴の雰囲気に似てる。本当にあの二人のお母さんなんだ。……でも、何でこの人が私の両親のことを知ってるの? 何でわざわざ私をこんなところに連れてきたの? この人は、何を知ってるの?
疑問が次々沸いてくるが、室内に漂う緊張感のせいで質問をする余裕がない。
顔を強張らせる麗をじっと見つめる紗季の瞳が潤む。
「……今まで大変な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい!」
紗季はこらえきれず嗚咽を漏らし、口を手で覆って目を伏せた。涙が一筋頬を伝う。
「どうして、あなたが謝るんですか?」
困惑の表情で麗が問いかけると、紗季はハンカチで目元を拭い、気持ちを落ち着かせる。
「私は、あなたのお父さんとお母さんを、守りきれなかったの……」
どういうこと?
この人はお父さんとお母さんを守ろうとしていたの?
守れなかったって、何で?
脈絡のない告白に麗の頭は混乱する。
「お父さんとお母さんとどういう関係なんですか?」
「あなたのお母さん、麻依は、私の親友だった……」
「親友?」
「高校の同級生だったの。麻依から結婚相手を紹介された時は驚いたわ。私の夫と同じ裏社会の人で、しかも鹿島組と縁のあった解体屋だなんて」
「お母さんは、お父さんがモズだって知ってたんですか?」
「ええ。麻依は全部知った上で、あなたのお父さん、啓介さんを選んだの。プロポーズの時に、過裏社会とは縁を切ると約束したそうよ。けれど……」
紗季は言葉を切り、両手でハンカチを握りしめる。
「最後の仕事として、私の夫が敵対していた大熊組の解体を依頼したの」
麗の脳裏に、観覧車で聞いた澪の言葉が思い出される。
『先代の時、大熊組はモズに解体されたわ』
『財産も奪われ、家庭は崩壊』
『父はね、殺し屋に頼むぐらいモズも、鹿島組組長も恨んでいるの』
すべての始まりは、お父さんが大熊組を解体したこと。そのせいで大熊の恨みを買って、お父さんは……。
「啓介さんはモズの痕跡を全て消して、麻依と喫茶店を始めたの。あなたが生まれて、二人ともとても喜んでいたわ。赤ちゃんのあなたを抱かせてもらったことがあるのよ。葵と晴も、麻依と啓介さんに抱っこしてもらって。……あの時は本当に幸せだった」
葵と晴と、赤ちゃんの時に会っていたってこと?
鹿島家と知り合いだなんて聞いたことない。そんな写真も見たことない。にわかには信じがたい話に、麗は困惑する。
「けど、解体したはずの大熊組を、今の大熊組組長が再興してしまった。私の夫と、啓介さんに恨みを抱いて殺し屋を雇ったことを、クロサギから聞いたの」
麗は窓際に立つクロサギをちらりと見る。
クロサギ……。どこかで会ったことあるはずなのに、思い出せない。
「表向きは金融業の社長だけど、裏では情報屋をやっているの」
「情報屋の仕事は大半弟分に譲って、今は紗季さん専属みたいなもんですよ」
「あら、そうだったの? フクロウくん、立派になったのね」
フクロウくんって、あのフクロウさんのこと?
もしかして、フクロウさんも私の両親のこと知ってたりして……。
「それで私と夫は、麻依たちが身を隠せる場所を手配して殺し屋から守ろうとしたわ。でも、啓介さんは麻依とあなたを守るために、ひとりで他の場所に潜伏したの。夫の方でも殺し屋を追っていたから最悪なことにはならないと思っていたけど、胸騒ぎがして。夫には反対されたけど、少しの間だけのつもりで家を出て、クロサギと一緒に啓介さんを守ることにしたわ」
葵と晴を置いて、お父さんのために家を出たの? 何でそこまでして……。
「麻依の様子もたまに見に行っていたけど、心労が積み重なってやつれてしまっていたの。麻依に笑顔になってもらいたい、その一心だったわ。クロサギに殺し屋の情報を掴んでもらったり、啓介さんの無事を麻依に伝えてもらったり、あの時はずいぶんこき使ってしまったわね」
自嘲気味に笑う紗季がクロサギを見上げる。
クロサギは窓にもたれかかり、苦笑する。
「手下にモズの安否を伝えさせたから、近所では借金取りだって勘違いされて、かえって悪いことしちまいましたよ」
借金取り? それって……。
麗の頭の中に6年前の記憶が波のように押し寄せてくる。
時々、アパートに来てお母さんと話していた柄の悪い男たち。
お母さんが自殺した日にもやってきた。
私は、男たちに見知らぬ事務所に連れていかれた。
そこにいたのは、鹿島組組長。
そしてもうひとり――。
「あの時の!」
麗はベッドから立ち上がってクロサギを指差す。指先が微かに震える。
「俺のこと覚えてなかったのか? よく素直にトランクに入ったもんだ。大した度胸だな。その瞳といい……モズにそっくりだ」
クロサギが遠くを見るような目で麗の瞳を見据える。麗は目を伏せ、短くなった前髪をなでつける。
「あなたにとっては、思い出したくないことよね……。知らない方がいいかもしれない」
「知りたいです! 教えてください」
紗季はしばらく目を泳がせて逡巡すると、短く息を吐き出し、麗の瞳を見据えた。
「……わかったわ。殺し屋の居場所をクロサギが掴んで、夫が捕らえる寸前のところまでいったの。でも、失敗した。そのすぐあと、啓介さんが姿を消して、連絡が取れなくなった。そして……」
紗季の唇が震える。涙が溢れ、次々と零れる。
「続きは俺から話そう」
クロサギが苦渋の表情で口を開く。
「モズから連絡が来ないことを麻依さんに伝えたんだ。死んだと決まった訳じゃない、悲観するには早いと励ましたら、麻依さんも待つと言ってくれた。だが、次の日、麻依さんは……」
真っ赤に染まった浴室。
ポタポタ落ちる赤い水滴。
目を閉じて動かない真っ青な顔のお母さん……。
思い出さないようにしていた記憶の蓋が開き、あの日のことが鮮明に思い浮かぶ。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
呼吸が荒くなる。汗が吹き出て止まらない。
胸が苦しい。
息ができない。
「麗ちゃん、落ち着いて。お水、飲んで」
紗季が急いでペットボトルからコップに水を注ぎ、麗に渡す。麗はガタガタ震える両手でコップを握り、水を口にした。
「すまない。大丈夫か?」
クロサギが心配で揺れる瞳で、麗の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫です」
紗季は麗の背中を優しくさする。次第に震えがおさまり、麗は落ち着きを取り戻した。
紗季はクロサギと顔を見合わせ、首を左右に小さく振った。
「辛いことを思い出させてしまったわね。ごめんなさい……。私は今でも悪夢にうなされるの。自分の無力さが憎くて憎くてしょうがない。大切な親友を、麻依の家族を守りたかったのに。また一緒に笑いたかったのに」
「紗季さん……」
本当にお母さんのことを、大事に思ってくれていた。お父さんのことも守ろうとしてくれていた。紗季さんだけでなく、組長もクロサギさんも。
苦しんでいたのは私だけじゃなかった。
「夫に反対されて家を出たのに、麻依と啓介さんを守れなかった私には、帰る場所なんてないと思っていたの。だけど、麗ちゃんが大熊に狙われてるって知って、今度こそ守らなきゃって思ったわ。私だけじゃ力不足なのも痛感してる。だから、鹿島家に戻って夫と一緒に麗ちゃんを守ることにしたの」
「鹿島家に、戻る?」
「ええ。でもその前に、麗ちゃんと話したかったの。それと、大事なものも渡したくて」
紗季はハンドバッグから、USBメモリを取り出し、麗の手に握らせた。
「これは……?」
「啓介さんが失踪してすぐ、私の所に届いたの。これは麗ちゃんが持っておくべきものよ」
麗は無機質なUSBメモリを見つめ、ぐっと握りしめた。
放課後。
恒一から許可が下りた澪は、葵と晴と一緒に鹿島家の門を潜った。
「親父は帰ってないみたいだな」
靴箱を覗いた葵が顔をしかめる。
「なら、先に麗さんとお話したいわ」
「図々しいな」
「麗ちゃんの様子気になるし、行ってみよう」
足早に廊下を進む葵と晴の後ろから澪はついていく。
麗の部屋の前に立っている監視役の組員が、葵と晴に頭を下げた。
「おかえりなせえ!」
「お疲れ様。麗ちゃんの様子見たいんだけど、開けてくれる?」
「はい」
組員が鍵を開ける。
薄暗い室内に物が散乱しており、足の踏み場がない。
晴が電気をつける。
だが、そこには誰もいない。
「麗ちゃんが、いない?」
葵は組員の胸ぐらに掴みかかり、声を上げた。
「おい、てめえ! 何してんたんだ! いねえじゃねえか!」
「えっ、そんなはずは……」
室内を見回した組員の顔が青ざめる。
晴は窓に触れ、組員に冷ややかな視線を向ける。
「部屋から出た形跡はない。まさか、出しちゃったの? 」
「そんなことしないっすよ! そういえば、クロサギさんがでっけえトランク持って来たんすよ。長宮麗に話があるって」
廊下の向こうから剣呑な顔の恒一が歩いてきた。
「あいつが来たのか?」
「は、はいっ!」
恒一は舌打ちをして、澪に目を向ける。
「今日は帰れ」
「麗さんがいなくなったんですよね? 私も探します」
恒一のまとう空気が一瞬にして張り詰める。
澪の全身が一気に粟立つ。
「部外者が口を挟むな。出てけ」
「……はい」
澪は大人しく引き下がり踵を返す。
その時、ドタバタと慌ただしい足音を立てて、他の組員が走ってきた。
「大変です! い、今、そこに、あ、姐さんと長宮麗が……!」
「なんだと?」
恒一は組員を押し退け、玄関に向かう。
「麗が?」
「母さん?」
葵と晴は怪訝な顔で後を追う。
「予想外な展開ね」
澪は口角をわずかに上げ、2人の後に続いた。




