2話 こうして私は下僕になった
あれほど待ち望んでいた普通で平穏な高校生活が、最恐最悪な双子のせいで入学初日から崩れ去った。彼氏どころか友達すらできる気がしない。
だって今、何故か多種多様な女子たちに取り囲まれてリンチ状態だから!
ギャルとか、優等生に見えるメガネっことか、アイドルみたいに盛りに盛ってるぶりっことかが、嫉妬と恨みのこもった目つきで睨みつけてきてるんですけど!
入学式の翌日、葵と晴の後について登校したら、昨日の騒動のせいか2人は大勢の女子に取り囲まれた。輪の中からさっと離れてひとりで教室に行こうとしたが、突然見ず知らずの女子たちに両腕を掴まれて体育館裏に連行されたのだった。
「あのさ、あんたハルさまと一緒に住んでるってホントなわけ?」
ぶりっこ女子が、顔とは真逆の冷たく低い声で詰め寄ってきた。“ハルさま”呼びに引っかかるが、そこを突っ込むとめんどくさいことになりそうだから心の中だけで、苦虫を嚙み潰したような顔をしておくことにした。
「ていうか、アオさまの下僕って何? マジうらやまー」
「いや、誰もおまえの願望とか聞いてねえし。こいつとアオさまの関係聞かなきゃっしょ」
ギャル同士、ギャハハと笑い出してどう反応したらいいか迷っていたら、メガネっこがメガネを押し上げて一歩莉緒の前に足を踏み出し、指を突きつけてきた。
「私達は、中学の時からツインズプリンス、通称“ツイプリ”のファンなの。わざわざこの高校選んだのもツイプリが入学するっていうからで。私の成績ならもっとレベルの高いところに入れたし、入試はたまたま次席だったけど、学校の試験では私の方があなたよりも」
「そんなのどうでもいいから。箱推しの分際で偉そうに説明しないでくれない? アイドルのおっかけみたいな言い方してさ。あんたみたいなキモ陰キャと一緒にしないでよね」
ぶりっこ女子がメガネっこを毒づくと、顔を真っ赤にしてメガネっこが怒りだし、2人で言い争いを始めてしまう。止めるべきか、今の内にこっそり抜け出すべきか迷っているうちに、笑いがおさまったギャル2人に詰めよられてしまった。
「あんたマジでなんなの? メガネオタクよりも陰キャ臭エグイくせに」
「それな。なんなん、その前髪。ウザいし、キモイ」
さすがにその言い方はひどくない? 私だって好きでこんな前髪にしてるわけじゃない。葵の意味分かんない命令のせいなんだから。
『高校行くつもりなら、目が隠れるぐらい前髪伸ばせ。嫌なら親父にお前の入学許可取り消してもらう』
なんて脅しやがって! もう入学式も終わったし、初日から嫌がらせもされて、こんなリンチみたいな状況にまでなっちゃったし、腹いせに明日にでも切ってやろうか!
ギャルたちへの怒りから葵への怒りへ変わり、莉緒が拳を震わせていると、ふいにギャルのひとりが莉緒の前髪を掴んで上に持ち上げた。バカにしたような上から目線のにやついた顔が、一瞬にして驚きの表情に変わった。
「あんたこれ、ガチすっぴん?」
「エグッ。ガチ?」
「はい?」
言っている意味が分からず目を瞬かせていると、言い合いをしていたぶりっことメガネっこも、莉緒の方を見て目を丸くした。
「なによ、それ。ナチュラルメイクじゃなくて、ガチですっぴんなの?」
「ありえない。なぜにそんなまつげが長くて肌もつるすべ? わざとなの? わざと隠すようにダサい前髪にしてるってことなの?!」
嫉妬を通り越して感心しているような顔の4人に詰め寄られ、戸惑いながらも正直に葵の命令だと話すと、ギャル2人とメガネっこは充電切れのロボットのように固まってしまった。
「ハ、ハルさまはそんな命令してない、でしょ?」
ぶりっこが唇を震わせ、顔を寄せて真剣な顔で問いかけてきた。
「伸ばせとは言われてないけど、切れとも言われてないです」
ぶりっこは頭を抱えてその場にうずくまってしまった。その時ちょうどチャイムが鳴ったので、莉緒は放心状態の4人を置いてそそくさとその場を離れ、教室へ向かった。
前髪ごときで空気が一変するなんて何事? 葵の命令は意味わからなすぎてむかつくけど、前髪あった方がいいのかもしれない。もうしばらく切るのやめよっかな。
にしても、ツインズプリンスってバカバカしいにもほどがある。晴は一見優しそうに見えるから騙される女子がいるのも分かるけど、葵はどこからどう見てもヤンキーじゃん。何がいいんだか。2人が“や〇ざ”の息子だって知ったら、ファンなんて言ってられないと思うんだけど。言いふらしたいけど、それをやっちゃうと本当の意味で高校生活終わるし、私の最低最悪な過去も知られてしまう。
6年前のあの日、金によって人生が狂わされるということを、身をもって知った―――。
あの日は小学4年生の夏休み最終日で、一段と暑かった。エアコンなんてないおんぼろアパートでは干からびて死んでしまいそうで、朝からプールに行ってお昼に家に戻った。母は、早朝から深夜まで働いているため、家には誰もいない、はずだった。出かける時にかけた鍵が開いていて、ドキッと心臓が跳ねあがる。きしむドアをゆっくり開けて親子2人分の靴しか置けない狭い玄関を見ると、履きつぶした母のボロボロのスニーカーが置いてあった。
なんだ、お母さん帰って来てたんだ。忘れ物でもあったのかな?
胸を撫で下ろして6畳一間の狭い室内を見回すが、母の姿はどこにもない。トイレにいるのかもとユニットバスの扉の前に立つと、中から水が流れる音が聞えてきた。
お風呂に入るために帰ってきた? まさか。多額の借金をつくって父が失踪してからは、節約、節約でお風呂に入れるのは1年に1回だけだったのに。昼間からあの母がそんなことをするわけがない。でも、どうして? この水の音は何?
ただ水が流れているだけなのに、心臓がバクバク高鳴る。まるでプールで溺れかけた時のように肺の中に水が流れ込んできているような感覚に陥り、息苦しくなる。それでも、扉を開けなければという使命感に突き動かされ、ゆっくり手前に引いた。
「え?」
目に飛び込んできたのは赤一色だった。浴槽に赤色の絵具がぶちまけられたように見えた。蛇口から水が出続けているせいで、水が浴槽からあふれ出て床が真っ赤に染まっている。母は左腕を浴槽につけて、こちらに背を向けて水浸しの床の上に座り込んでいる。
これ以上見ない方がいい。そこにいるのはお母さんじゃない。
そんな声が聞えた気がするが、冷たい赤色の水の中に入れてしまった足を止めることはできなかった。
「おかあ、さん?」
呼びかけるが動かない。おそるおそる顔を覗くと、母は真っ青な顔で目を閉じていた。幼い頃葬式で見た祖母の死に顔が思い出され、血の気が引いて声が出なかった。よろめきながら浴槽から出て、染みだらけの畳の上に座り込んだ。
どうして? ついこの間までは家族3人で仲良くやってたのに。ずっと一緒に喫茶店やっていこうねって話してたのに。
壁際のカラーボックスの上に飾られている家族写真を呆然と見上げる。莉緒が1年生になったばかりの頃、喫茶店の前で親子3人で撮った写真だ。莉緒が生まれてすぐ両親が始めた喫茶店で、評判が良く店内はいつも賑わっていた。莉緒は父の淹れるコーヒーの香りが好きだったが、子供にはまだ早いと飲ませてもらえず、ミルクとハチミツたっぷりのココアをよく作ってもらっていた。看板メニューにもなっていた、母特製のふわふわパンケーキも大好きだった。いつかは父のようにコーヒーを淹れて、母のようにパンケーキを作って、自分がこの店を継いでいくのかな。そんなふうに思っていた。
だが、4年生に進級してすぐ、父は忽然と姿を消した。母は店を畳んで、このボロアパートに引っ越し、1人で莉緒を育てるため、朝から晩まで働きに出るようになった。時々、柄の悪い男たちがやってきて母とこそこそ話をしていた。
どうして父は戻ってこないのか、どうして人相の悪い男たちがよく家に来るのか気になっていたが、やつれた顔の母に聞けずにいた。けれど、近所に住む口の悪いクラスメイトから、おまえの父ちゃんが借金作って逃げたせいで、コワイ借金取りに追われているんだろ、借金地獄の貧乏人とからかわれ、莉緒は腹立たしくも妙に納得してしまった。幸せだった生活が壊れて、母が辛い思いをして働き続けているのは、借金をして逃げた父のせいなのだ。それでも、あの優しかった父がそんなことをするはずがないと心の片隅で思っていたが、母の死を前に父を信じる気持ちは霧散した。
茫然自失の状態でいると、玄関のドアが壊れそうなほど強く叩く音と、ドスの利いた男たちの声が外から聞こえてきた。男たちは構わずドアを開けて入ってくると、座り込んでいる莉緒に母の居場所を聞いてきた。浴室を指差すと慌てた様子で浴室へ行き、すぐに悲鳴と悪態が聞えた。男たちは何やら話し込み、同情と憐れみの目を向けてきた。これから社長の所に連れて行く、ひとつだけ持っていくのを選べと言われ、棚に飾ってあった家族写真を手に取った。そのまま男たちに連れられ、二度とあのアパートに戻ることも、母の顔を見ることもなかった。
強面のいかつい男ばかりいる事務所のような所に連れていかれ、肩幅も腹回りも大きい人相の悪い社長の前に突き出された。その向かいの席には、葵と晴の父、鹿島組組長の鹿島健一がいた。
「相談って、このガキのことか?」
そう聞きながら煙草をくわえる組長に、社長が火をつけながら頷いた。
「そうなんすよ。うちで面倒みるわけにはいかねえんで、困ってまして」
組長は煙草の煙を吐きながら、値踏みするような目でじっと莉緒を見つめた。
「おまえ、名前と年は?」」
「……長宮莉緒、10歳」
「あいつらと同い年か。ちょうどいいな」
社長が怪訝そうな顔をして、組長に問いかけた。
「先輩、こいつどうするつもりですか?」
「もうすぐ倅たちの誕生日でな、プレゼント探してたんだよ。それに、母親が出てっちまったからあいつらの世話係も探してたし、一石二鳥だ。てことで、このガキ連れてくからな。莉緒」
冷たく低い声で名前を呼ばれた莉緒は背中が震え、背筋をピンと伸ばして組長を見上げた。
「おまえは今日から倅たちのものだ。あいつらの身の回りの世話をしろ。いいか、今までみたいに学校にいったり、外に出たりする自由は一切ないと思え」
まるでナイフで胸をひとつきされたような衝撃的な痛みが全身を駆け巡った。初めて知る絶望に打ちひしがれ、呆然としている間に鹿島家に連れていかれ、葵と晴の前に誕生日プレゼントとして手渡された。初めて見る双子に目を丸くしていると、2人とも怪訝な顔で声をシンクロさせて一言。
「「何これ」」
初対面から完全にモノ扱い。誕生日プレゼントが人だということに驚かないとは、さすが親子。
「何って、言っただろ。長宮莉緒。おまえたちの世話係だって。好きに使え。ただし、乱暴に扱いすぎて壊すんじゃねえぞ。一応ヒトだからな。特に心ってのは繊細で厄介だ。体は壊れても心がピンピンしてたらヒトは生きていける。だが、心が壊れちまったら終わりだ。自ら死を選ぶことだってある」
おまえの母親のように。そう言われているみたいだった。父が失踪して取り立てから逃げるようにあのぼろアパートへ引っ越してから、まともに母の顔を見た記憶がない。夜中帰ってきてすすり泣く声は何度か聞いた。
そうか。お母さんは心が壊れちゃったんだ。だから……。
浴室で見た母の顔が浮かんでくる。もう二度と母の顔を見ることも声を聞くこともできない。ましてやあの細い腕で抱き締めてくれることはもう、ない。母は自分の傍からも、この世からもいなくなってしまった。
「うわっ、泣いてんの? なんだよこいつ」
「父さん、この子どこか痛いの?」
顔をしかめる葵と眉を下げる晴が涙で滲んでいき、ポタポタ大粒の雫が頬を伝って流れていった。
「心がケガして痛むんだろう。泣かせて発散させておいた方がいい。我慢させるとケガが悪化してヒビが入る。そしたらいつ壊れるかわかんねえよ」
組長の言葉で塞き止めていた壁が決壊し、声が我慢しきれなくなった。一度声を出したら余計に止められなくなり、大声で泣きわめいた。葵は迷惑そうな顔をしていたが、泣き止むまで何も言わずそっぽを向いていた。黙ってじっと観察していた晴の表情がだんだん愉快げな笑みに変わっていき、目の前でニヤニヤし始めた。気味が悪くなって昂っていた気持ちが落ち着き、涙は引っ込んだ。
「おい、莉緒。おまえは今日から俺の下僕だ。俺が命令したこと全部やるんだぞ」
泣き止むとすぐに葵は、偉そうな態度で指を突きつけてきた。
「アオだけの莉緒ちゃんじゃないでしょ。ぼくはアオみたいに乱暴なことしないからね。アオがひどいことしてきたらぼくに言うんだよ」
一方で晴は、まるでペットにするように頭をなでてきて、天使のような笑顔で微笑んだ。あとになってわかったけど、この笑顔が一番怖い。
当たり前にあると思っていた日常が崩れ去ったあの日から、莉緒は組長のいうとおり学校に通うことも、外に自由に出ることもかなわず、最恐最悪な双子の世話係という名の下僕として生きてきた。
この6年間で積もりに積もった双子への恨み以上に、母を死に追いやる原因を作った父への恨みは計り知れない。
借金をしていた挙句、お母さんに全部おしつけて逃げ出したあいつはもう父親でもなんでもない。何であんなやつのためにお母さんは死なないといけなかったの? あいつのせいで、お母さんの人生も私の人生も狂わされた。憎くて、憎くてたまらない。絶対に許せない。必ず探し出して復讐してやる!
父への復讐心を募らせながら、莉緒は双子の無茶な命令に堪え忍び、自由など一切ない生活を生き抜いてきた。父を探し出すためにはある程度の自由がなければいけない。自由が欲しければ自ら掴むしかない。葵から宿題や課題を押しつけられていたことが功を成し、学校に行かなくとも勉強を続けることはできた。主席入学で学費免除なら双子と同じ高校に通うことを許可すると組長に言われ、莉緒は必死に勉強して条件をクリアしたのだ。父を探し出すためにも、自分の自由のためにもようやく一歩踏み出せたというのに、最恐最悪な双子のせいで、思い描いていた高校生活は全て桜のように儚く散っていったのだった。




