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夏時雨は水面の深青を知らない

作者: 立夏
掲載日:2025/12/12

初めての投稿で良く分かっていません。


科学に取ってはどの時代も通過点に過ぎない。

有名な学者がそう言ったそうだ。その発言通りに技術の進化は留まる事を知らない。ホログラムは実物と見間違う程のリアリティーを得て、コールドスリープは、人を更なる未来へと運ぶ。車は自動運転になり、AIは制限があるものの自律した。この先、どのような未来が有るのかは分からないが、これから始まる物語はそんな時代の父親と娘との話である。


龍神商店街

老舗が沢山建ち並ぶ商店街が活気に包まれていたのは夏祭りが近いからであった。至る所で人とポット型ロボとの手で屋台の骨組みが組まれ、夏仕様の飾り付けも施されておりとても嬉々としている。アーケードのアーチ型の天井にはプロジェクションマッピングとホログラムの試運転が繰り返されていた。

「それでは、写真と共に動きも記録していくので、少し動こうか」

そんな中、商店街の一画からそのような男声が聞こえてきた。そこは、写真館であり、店名にはホログラムフォトスタジオと看板が掛かっている。

「ほら、もっと動いて。魚屋のせがれはスムーズに動いてたよ」

室内は白に統一されており、とても清潔間がある空間だ。声の主はその室内の奥におり、丸テーブルに座る女性と共に空中ディスプレイを真剣に観ていた。

彼の名は、上野太陽。歳月を刻んだ皺は、朗らかな印象を誰にでも与え、窪んだ目は面倒見の良さを感じ取れる位に優しく輝いていた。染めたての白髪は癖毛であり、年相応の父親といった感じだ。

彼の隣に居るのが娘である。彼女の名前は輝夜。毛先まで手入れの行き届いた長い黒髪は、室内の光に照らされて煌めき、その顔が、成人は越えているも幼く見えるのは、輪郭が小さく前髪を眉辺りで切り揃えているからである。それに加え、潤いを含んだ大きな瞳に瑞々しい唇。誰もが憧れる透明な肌も相まって彼女は良い意味で年相応には見えないのであった。

「こ、こんな感じかな? 太陽さん」

「うん。良いよ。肉屋のせがれ。そんな感じで。もう少しだから」

ひょろ長い男性は、フォトサークルの上で動きを付けて、レーザー光を放つドローンがその姿を記録してゆく。そして、浮かび上がる空中ディスプレイにメモリーバーが貯まると、

「はい、お疲れ様です。もう、良いですよ。馴れてないと恥ずかしいですもんね」

輝夜が確認ボタンを押してそう言った。

「馴れてないと言うか、初めてだから緊張もしましたよ。で、どんな感じになるんですか?」

肉屋と書かれたエプロンをした男性は、二人と共にディスプレイを覗き込む。そこには、そのままの彼の立体映像が浮かんでいた。

「うへ、何か違和感」

「その反応、逆に新鮮だ。もう、ホログラム写真もそんなに珍しくないから」

背面や見れない角度から自分を見て辟易する男性の横で太陽は明るく笑う。

「後はオプションで衣装も変えられるけど、どうしますか?」

輝夜がディスプレイを押すと、光の粒子が浮かび上がり、小窓に様々な衣装が並んだ。

「そんな事も出来るんですね。科学って楽しい」

衣装にはフォーマルなジャケットから、着物まで多種多様な物が表示されており、男性は言葉通りに楽しげに衣装替えを行う。そして、一つのコーディネートで止まった。

「こ、これは……俺、新たな自分を発見したのかも」

肉屋は、探検家が財宝でも見付けたような、驚愕にも似た声を出した。彼が、激震を覚えたコーディネート、それは、革ジャンに革パン姿であり、それを見た傍らの二人は真顔で呆れる。

「似合わんな」

「え?ちょっと太陽さん?」

辛辣な台詞に肉屋は直ぐ様反応をした。

「そうね。似合わない」

「ちょっと輝夜さんまで!」

肉屋は今にも泣きそうだ。そんな彼の方を向いて太陽と輝夜は、

「センス、磨こう」

真顔のままそう言い、

「おい!フォローねーな!この親子!」

男性を大いに凹ませた。太陽と輝夜は大笑いする。

「冗談だよ、冗談。まあ、詰まりはアレだ、君はいつものそのエプロン姿が一番、似合ってるって事だよ」

太陽は自信を取り戻してもらうように肉屋の肩を掴んだ。肉屋は胡乱な目をする。

「本当ですか?……あれ?何か矛盾してる事を言われてるような。まあ、良いですけど」

「気にしすぎだよ。取り敢えず、君の番は済んだから、当日を楽しみにしてて」

太陽はコーディネートを消去して、デフォルトへと戻す。見慣れたその姿の方が良いと、輝夜は微笑んでいた。

「商店街ホログラムパレードなんて初めての試みなので勿論、楽しみにしてます。これから夏祭りの目玉になれば良いのになー。けど、これが、台車の上で動くのは、やっぱり変な感じがしますけど」

肉屋は楽しみ半分、不安半分と言った様子である。

商店街ホログラムパレードとは、その名の通りにこの長い商店街を練り歩くパレードであり、発案は太陽であった。

各店舗から、1人を召集させ、ホログラム像を造り、風情のある台車の上に乗せる。夏祭りに来てくれる人達を楽しませるのと同時に、店の宣伝広告活動も出来るので一石二鳥の発案であった。

「じゃあ、失礼しすよ。太陽さん、今度、良い肉が入ってくるので、また、焼肉しましょうね」

「また、僕に買わせるつもりかい?まあ、でも、楽しみにしておくよ」

太陽はスタジオのドアまで歩き、そこから肉屋の男性を見送る。すると、自動ドアから出た肉屋と入れ違いに、今度もまた、男性が中に入って来た。その人物は肉屋とは違い爽やかな顔立ちをした青年である。澄んだ目に減り張りのある鼻筋。柔和な輪郭に空に誘われたような長身。希に吹く夏風のような涼しい笑顔が似合う青年であった。

「失礼します。京下機材店です。配達に来ました」

青年は手にした荷物を一度、持ち直した。それから、自分に注がれた焦がれた視線に気が付く。それは、輝夜の視線であり、青年はその視線を受け止め、自信もこれまた、同じ視線を送った。二人の間ではメロドラマで使われている曲が流れているに違いない。絶対に。

「大地くん、出入口で、何、輝夜に熱い視線を送ってるんだい?」

見つめ合う二人の周りの空気までもを暑くさせる雰囲気に、太陽は咳払いをした。実につまらなさそうに。

「あっ、これは手厳しいですね。太陽さん」

青年---大地は、太陽の方を向いて苦笑いを浮かべた。それでも、爽やかさは崩れない。

「荷物は何処に置きましょうか?」

「何処に置きましょうか?って、君の機材店のドローンは、僕の家が嫌いなのか?まあ、魂胆は分かってるが。そこのテーブルの上に頼むよ」

仕事を思い出したような大地に太陽はふてくされた様に対応する。大地は言われたテーブルに段ボールを置いた。

「それでは、サインか判子をお願いします。お義父さん」

「ならサインで…」

渡された電子伝票に名前を書こうと----手を止めた。

「おおいッ!!今、どさくさ紛れにお義父さんって、呼んだだろぉぉ!」

「やだなー、聞き間違いでしょ。太陽さん」

太陽は怒れる獅子の如く、大地の胸倉を掴み、けれど、掴まれた大地はあっけらかんとしていた。まるでコントである。それを見かねた輝夜が二人に近付く。

「まあまあ、二人とも。お父さんは落ち着いて。ね」

「誰がお父さんか!」

勢い余った太陽。輝夜は詰め寄る。

「あってる。ねえ、私がお父さんって呼ぶのはあってる」

「あっ、うん、そうだね。ご、ごめんなさい」

ドン、ドンと胸をどつかれて太陽は塩らしくなる。そして、彼は咳払いをまた一つ。

「兎に角、僕はまだ、二人の交際を認めてはいないからな」

「太陽さん。そろそろ認めて下さいよ。もう、1年は経ちますから」

太陽は首を振る。頑固親父だ。

「それでも、だ。さあ、配達が終わったのなら帰ってくれ。僕達は、まだ、仕事があるんだ」

腕組みをして顎であしらおうとする太陽は気を取り直して輝夜を見る。

「で、次は誰を撮影するんだ?」

切り替えた太陽の表情は仕事の出来るそれだった。

「それが、考田さんなんだけど。時間は過ぎてるのに、まだ、お見えになってなくて」

キーボードを叩いて、画面のスケジュールを確認する輝夜は眉をひそめた。太陽は画面を覗き込む。

「たこ焼き屋のせがれか。連絡してみて」

「うん。分かった」

画面をそのままタッチして浮かび上がった番号に輝夜はコールするも返答はない。

「駄目、出ない」

「ワンオペか忘れてるのか。忙しそうなら、また、手伝ってあげようか」

何度か手伝った事があり、そちらの方が効率が良い為、太陽の提案に輝夜は賛成だった。

二人は、店を出てロックを掛けたドアのスクリーンに不在と文字を浮かび上がらせる。それを確認してからたこ焼き屋へと向かった。すると、

「やあ、太陽さん!そろそろ食べに来てよ!新作スープ作ったんだから」

「こんにちわ、太陽さん。お花、交えたくなったら、ウチ寄っててよね」

暑い中、歩くと直ぐに骨組みを組み立てる商店街の人達が声を掛けて来た。

「この前、行っただろ?そんなに胃もたれさせたいのか?花は確かに交換時期だから、また、寄せてもらうよ」

太陽は、声を掛けてくる人達に気さくに言葉を返してゆく。

「輝夜ちゃん、ほら、試作で作ったりんご飴!持って行って、感想聞かせておくれ」

「ありがとうございます」

輝夜も同じであり、沢山の人に声を掛けられ、丁寧に受け答えしていた。

この二人、商店街では人気者なのである。困っている人が居れば手を貸し、破損している箇所があれば率先して修繕する。商店街の良し悪しを明言し、良い所は伸ばす提案をする。そんな頼れて、人情味ある二人なので人気者なのであった。

「あれ?太陽さん、あの建物……新石クリニックから出てきたの考田さんじゃないですか?」

目的地まで後半分の所で、進路上に短髪の男性を見付けた。それは、大地の言う通り、考田である。彼はクリニックから出てくる最中であった。

「何だか暗くないですか?」

「確かにな」

考田は出てくるなり、肩を落として俯きながら此方へと歩いて来くる。

「こっちに向かってますけど……あっ、立ち止まって……溜め息吐いた。で……踵を返して、クリニックのガラス窓から……」

「中を覗いて、離れんな」

考田の実況をする太陽と大地。隣では輝夜がりんご飴をペロペロしていた。

「何をしているのでしょうかね?」

「謎だな。……って、どうして着いてきているんだい?大地くん?」

しれっと溶け込んでいる大地に太陽は漸く触れて彼に不満そうな目を向けた。

「ここまで話しておいて今更ですか?商店街の事なのでぼくも手伝おうと思ったんですよ」

「それなら、仕方ないけど、仕事は良いのかい?」

商店街の事での熱意を認めるのと同時にあしらいたい気持ちが太陽の中にはあったが、大地が頷く。

「一報、いれておきました。太陽さんの手伝いしてきますって」

「そんなので株は上がらんよ?」

太陽は手厳しく突き放すが、大地はめげず爽やかな笑顔を浮かべる。

「上げてみせますよ」

「好きにしてくれ」

二人がそんな遣り取りをしてる中、痺れを切らせた輝夜が考田へと近付いていた。

「こ~う~だ~さ~ん」

「うお!びっくりした!」

急に現れた輝夜に考田は言葉通りに驚く。身体は跳び跳ねていた。

「びっくりしたじゃありませんよ!撮影時間、とっくに過ぎてますよ?」

輝夜は腰に手を当てて怒る。けれど、片手にりんご飴があるせいで余り締らない。

「あっ、もう、そんな時間?間に合うように検査の時間も調節したのに、ごめんね。わざわざ迎えに来てくれてありがとう。行こうか」

考田は何処かこの場所を、名残惜しそうな、それでいて早く離れたい様子で歩きだした。輝夜は満足げにその後に続く。が、

「待って」

太陽だけは違った。彼は腕組みをして、考田を見据える。

「お父さん?」 

「太陽さん?」

突然の事に輝夜と大地は仲良く疑問符を掲げた。

「写真には外見だけではなく、中身も写してしまう。今のままだと良いものは撮れない。何があった?」

太陽の慧眼に考田は素直になるしかなかった。

「太陽さん。……相談しても良いですか?」

「ああ、勿論だよ」

流石は太陽である。取り敢えず二人は、状況を把握していない輝夜と大地を連れて、話し易い場所として商店街の中央公園へと移動した。


中央公園。

そこは、名の通り商店街の中央に作られた公園だ。様々な遊具があり、この時間帯は子連れの母親達が多い。太陽達はそこの休息所で話し合っていた。

「自分は……診療所の人に……恋してるんです」

休息所には緑の葉が作る屋根と石作りの机と長椅子があり、太陽の隣に座った考田がそう言った。向かいに座る輝夜は口を押さえて驚く。

「え?診療所の人って、直子さん?」

「え?直子さんって、院長の奥さんなんじゃ……」

続ける大地も驚く。二人は息ぴったりに片手を合わせて

「不倫は駄目だよ?」

諭すように言い、

「ちがーう!直子さんじゃなーい!」

考田にそう叫ばせた。その後、彼は肩を切らせながら額の汗を拭う。

「そうじゃなくて……その…もう一人居るよね……」

「受け付けAIの娘だろ?」

言い辛そうにしていたので、その言葉は太陽が引き受けた。輝夜と大地は更に驚く。

「え?……AIに恋って法律的にアウトなんじゃ……」

大地は深刻な顔をして、輝夜と目を合わせる。彼女も同じ表情をしていた。

「そう。どの国でも禁止はされている。それがまかり通れば子孫繁栄に障害がでるからな。だから、どれだけAIが発達してもボディーを造る事は許されてない」

太陽が補作すると、それが考田の眉をしかめさせる。

「だから、悩んでいたんです。叶わない……一方通行な恋をしていても良いのか……」

考田の顔は、木漏れ日に照らされるも明らかに暗い。

「自分は半年前くらいから、バイオニック義手の手術を受けて、あの院に通院を始めました。その時に自分には彼女が居たのですが、何ヵ月か前に別れてしまい落ち込んでました。それに対して親身になって話を聞いてくれたのが受付AIの娘……愛美さんだったんです」

意気消沈する彼だが、片思いするものの名を口にする時だけは一瞬、明るくなる。

「待合室に誰も居ない時……二人で話すのがとても心地良くて……いつしか、恋をしていました」

自然と明るさはより明るくなる。それを太陽は汲み取った。

「その気持ちを一番大切にしたら良いんじゃないか?」

直球に言われ考田は目を丸くする。

「悩みで一番駄目なのは何か分かるか?それは、足踏みする事。前に進まないからな。堂々巡りになってしまう。人は、経験則でしか答えを出せない。しかも、良い考えよりも、悪い考えに浸る方が長い。過去の悪い事の方がより印象に残ってしまっているから。そこが居心地が良くなってしまう。それ以上、傷付かなくて済むからな。そこで諦められたら良いのだが、伝わらないから諦められる程に、恋って万能ではないだ。だからループする。それの打開策は悩むよりも先ずは行動だ」

太陽は机に置いていた飲み物の缶を目の前に移動させた。

「例えばコレが一つ何万円もするなら高くて買わないだろ?でも、命に関わる位に喉が乾いてたら買うだろ?そう言う風に前の気持ちを後ろが越えるのを僕は後方凌駕と呼んでいる。叶わないよりも、好きと言う気持ちを強く持ちたまえ」

雫が缶の表面を伝い、底に溜まるように、考田の勇気も溜まって来ていた。

「伝えて変わるものは何かある筈だ。気分だったり、気持ちだったり。様々だが、そういうのも大切だから」

太陽は立ち上がる。

「勿論、君次第だけど?どうする?」

迷いが晴れるような、そんな気がしていた。考田は気持ちを固めて立ち上がる。

「伝えたい気持ちが高まってきました。行きます」



再び戻って来た新石クリニック。

自動ドアを潜ると室内は暖色系の木の温もりがある空間だった。壁側に待合席のソファーが置かれ、その向いの壁にモニターがある。そこに考田が立った。付き添いの皆はその周りに並ぶ。総回診の様だ。

「考田さん、こんにちは。どうなされましたか?診察は済んでいますが、何か不具合でも?それに、皆さん、御揃いで。バイオニックの診察が必要では無い人が多いですが」

モニターの中には、髪の毛を後ろで括った可愛らしい女性が居た。彼女が愛美であり、その首は傾げられている。考田は、ココに来るまで意気揚々としていたが、いざ彼女を見ると、言葉が上手く紡げず、横眉怒目の表情であった。その背に太陽がそっと手を添える。すると、少しだけ気が和らぎ、彼は口を開いた。

「後少しで休憩時間ですよね?」

愛美は素直に頷いた。

「そうですね。私にはそんな概念はありませんが、院ならば再び昼過ぎに再開します」

「その間、二人で話せませんか?」

考田の誘いに愛美は手を打って喜ぶ。華やかさがそこにはあった。

「良いですね!また、ドラマの話しでもしますか?オススメのドラマを用意しておきましたよ!それとも、仕事や趣味の話を聴かせてくれますか?」

「や、それは、その……今日は外で」

今回は話の方向性が違うので考田は口ごもる。輝夜は、そんな彼を心配そうに見ていた。

「考田さん、すみません。私は受け付けAIなのでこの場所を離れる訳には行かないのです……」

「行ってきなさい」

申し訳ない気持ちと残念な気持ちの愛美をそう促したのは、隣の部屋から出てきた男声だった。その方向を皆が見る。すると、そこには、医院長が居た。隣には太陽が居る。話を付けてくれたのだ。

「ポータブル端末に今から移して上げる。それなら、君も外に出られるよ」

口髭を蓄えた医院長がモニターに歩み寄る。皆がモニターから離れると彼は壁の一部に指紋を読み取らせると、出てきたパネルに、手にした端末を近付けた。

「男には何かを伝える時に勇気を出す義務があり、女性にはそれを受け止める義務があるんだ」

端末を近付けると自動でデータ以降が始まり、その処理メーターを見ながら医院長が言う。

「だから、行ってきなさい」

無事に以降が済むと丸い端末から、小さなホログラムが出てきた。それを、医院長が隣の考田に手渡す。

「こうして、誰かの背を押すのは息子を思い出すよ。でも、あの時は違うのは先が無い事。本当に良いんだね?考田さん」

愛美は端末の上で疑問符を掲げている。その端末を強く握りながら考田は頷いた。

「はい。切ない気持ちになる覚悟は出来ています」

彼の気持ちが揺るがないのならもう、誰にも何も言えない。太陽達はもう一度、公園へと戻った。


公園に戻ると側面に設置されているベンチに考田と愛美が座り、太陽達は離れて休息所に座っていた。

「何だかすんません。無理に来てもらって」

少しだけ沈黙の後、そう口火を切ったのは考田だった。緊張は半端ない。口から胃液が出てきそうでもあった。

「いえ。それは、大丈夫なのですが、院では話せない内容なのですか?」

隣の愛美はポータブルから小さなホログラム姿で首を傾げる。小さく揺れる後ろ髪が更に可愛く見えて考田はときめいていた。

「それは、その……出来れば二人の方が良かったので……」

「二人ですか…。今日はどうしましたか?何だか様子がおかしい……。あの日みたいに何か有りました?」

歯切れの悪い考田を心配する愛美の眉がひそまった。愛美は、相手を気遣うとても優しい娘なのである。

「……そう、あの日です」

話の糸口を見付けて考田は踏ん切りを着けた。

「え?」

「あの日……自分が凄く落ち込んでいた日。その時に愛美さんに救われました。誰かに話を聴いて貰うのが、当たり前の事だけど、こんなにも心救われるとは思いもしなかった」

心の底から感謝する考田は、その気持ちを伝えるように愛美を見詰める。彼女は考田を見上げていた。

「あの時は本当にこの世の終わりみたいな顔をしていましたからね。今ではそこまで元気になって良かったです」

愛美は安心に胸を撫で下ろしている。

「それから様々な話をして、次は救われた心が惹かれてました……」

そこまで言って感極まった考田が立ち上がった。もう後は流れに任せる。

「そうなんです!惹かれたんです!だから、僕は君が好きだ!」

恥ずかしさを切り捨てて、彼はそう告白した。

「きゃー言った!ねえ、聞いた!言ったよ!」

と、遠くで聞いていた輝夜が一番、テンションが上がっているのは置いておくとしよう。愛美は複雑な表情を浮かべていた。

「ごめんなさい。私達には恋愛を学習する部分だけにグランドセーフティが掛かっているので、それに対しての正解が分かりません」

「……ですよね。あはは」

ある意味期待していた返答に考田は笑う事しか出来なかった。

「それでも、私は様々な人が作った作品を観てきました。オススメされたのも中にはあります。その度に胸が熱くなるのを感じました。変ですよね?好きって事だけは学習が出来ないようになっているに。……人の究極の幸せって何だと思いますか?」

「幸せ?」

急な問いに考田は答えを持ち合わせてはいなかった。

「はい。それは、孤独の他人を理解し合う事だと私達は学習しています。理解し合う。そんな幸せが愛の正体なら素敵ですね」

人は否定されるのを恐れ、先に誰かを傷付ける事が多い。それで傷付け返されてもイーブンだと処理出来るから。でも、そうでは無く、先ずは否定される事を受け入れ、他人を受け入れ、それが循環して行けば人は幸せになる。それを愛と呼ぶのなら、確かに愛と言っても過言ではない。

「いつか、何処かの学者の気紛れで私達のグランドセーフティが解除されれば、その時にまた、その言葉を聴かせて下さい」

愛美はとびきりの笑顔を作った。考田は恥ずかしそうに頬を掻く。

「その時、自分は生きてますかね」

「コールドスリープがあるじゃないですか。今では、昔よりかは良くなっていますから。大丈夫ですよ」

愛美は冗談地味て言い、考田の微笑みを誘う。

「ちゃんと起きれるように目覚ましを設定しておかなくちゃ」

「起きれない時は私が起こしにいきますよ」

夏の暑い日差しですら遠慮がちになるような良い雰囲気の二人である。しかし、そこに、

「……見付けた。一正」

一人の女性が登場した。太陽達、愛美は誰か分からず疑問符だが、考田だけは違う。彼は驚いていた。彼からすれば瞬間で夏の暑さが戻った気分で、その額からは嫌な汗が流れている。

「……姫華。どうしてココに?」

気が強そうだが、綺麗な女性----姫華は一方的に考田を睨んでいた。彼女は一歩、にじり寄る。

「どうしてって、一正を探していたのよ。もっと分かり易い所に居て」

「探す? 自分にはもう会わないって言ったのはそっちだろ?」

姫華は考田の元彼女なのである。乗り越えた考田からすれば嬉しくない再会だ。しかし、姫華は大きく首を振った。

「ううん!私が間違ってた!あの人は私と合わなかったの。貴方と別れてから、貴方の大切さが分かったの!」

感情が高ぶって姫華は後悔を埋めるように更に一歩、前に出る。

「一正も私の大切さに更に気が付いたでしょ! 私、知ってたよ。私と別れてからの貴方の沈みよう。だから、やり直しましょう!」

とても我が儘な発言である。彼女には考田の事など考えていない様子であった。だから、考田は呆れた様に溜め息を吐く。

「そんな身勝手な。好きな人が出来たからって、一方的な別れを告げたのはそっちだろ?」

「だから、間違ってた!人って未熟なものね。失ってからしか大切なものに気が付かないなんて」

さも、自分は悪く無いとでも言いたげな口調である。彼女には自分さえも被害者と思える気持ちを持っているのだ。

「でも、無理だ。遅いよ。自分にはもう好きな人が居るから」

そう、もう、考田には大切に思う人が居る。失恋はしたが、思いまでは無くしていない。それを知らない姫華は激怒した。

「誰よそれ!」

その叫びは最早、病的そのものだ。考田はそれをさらりとかわすと立ち上がり、ポータブルを手に取った。

「この人だ。名前は愛美さん」

考田はポータブルを胸の高さまで持ち上げると、真剣な眼差しで愛美を紹介した。愛美はずっと二人の遣り取りを困惑の表情で見ていたが、紹介されると困りつつも会釈だけはする。それは、勿論、姫華の呆れを誘った。

「え?人?AIじゃない?馬鹿にしないでよ!」

「馬鹿にしてない!本気だ!」

嘲弄され、今度は考田が怒りを覚えた。それは、愛美にも失礼だからである。

「本気って。……だから、嫌だったのよ。AIに個性を与えるのは。だから、反対運動にも参加したのに。だって、そうでしょ?人のサポートだけしてれば良いAIに見た目なんて意味ないじゃない!」

呆れは再び、怒りへと変換し彼女は考田と愛美を睨む。愛美はおろおろとしている。

「AIに恋してるどうするの?そんな事、学習出来ないじゃない!画面から出てもそんなポータブルの小さなホログラムだけで触る事も出来ない!一緒に食事を取る楽しみも、寝る癒しも無い!温もりも無い!AIなんて人間の模倣じゃない!」

「それは、人権侵害だ」

止まらない罵倒。それを聴くしか出来なかった考田と愛美の代わりに、切り返したのは太陽だった。

「今や彼女達には個性を与えられ、住民登録もされ、一人の人として認知されている。差別はいけないよ」

彼は諭すように言い、二人の横に移動した。後ろには輝夜と大地の姿もある。

「誰?貴方達は?」

急な登場人物に姫華は狼狽える。確かに突然、知らない人が出てくれば怖い。それを取り除こうと太陽は考田を見た。

「僕達は、彼の関係者だよ」

短く、そう自己紹介を済ますと次に小さな愛美に視線を落とした。

「それに、見て欲しい。彼女を」

促され姫華は愛美を見る。彼女は存在を否定されて悲しんでいた。

「寂しそうな顔をしているだろ?これは、嘘ではない。君は人間じゃないから、造られたものだから、傷付かないとでも思っていたのかな?」

問われても姫華は答えられなかった。続ける為に太陽は姫華へと近付く。

「彼女はこうして傷付きもするし、悲しみもする。恋心だけは、確かに無いが、それでも、確かに彼女は人間なんだ」

それに同意する輝夜と大地は頷く。否定派は姫華だけであった。とても分が悪い。

「肉体的には寄り添えないけど、精神的には寄り添える。君に付けられた彼の傷も、彼女なら寄り添えるじゃないかな?」

畳み掛けられ姫華の瞳にはうっすら悔し涙が浮かぶ。

「何なのよ!よってたかって圧を掛けて、私だけが悪者?!そんなに一人を虐めて楽しい?!」

彼女は反論に皆を睨む。そうした事で涙が零れ、今度は太陽が狼狽えた。

「え?いや、そう言う訳では無くて……」

「分かったわよ!もう、良い!」

姫華はぞんざいに涙を拭うと走り去ってしまった。これにて一件落着だが、女性の涙に弱い男性陣は戸惑う。

「追い掛けて下さい」

微妙な雰囲気にそう言ったのは愛美だ。彼女は考田に心配そうな表情を向けていた。

「私には彼女の気持ちは分かりません。でも、今は追い掛けた方が良い。そう思います」

「え?けど……」

言いかけた考田に、それを制して愛美は首を振る。

「追い掛けて」

短い言葉に全てが詰まっているような気がして考田は走り出した。直ぐに追い付く事は可能だが、その姿を見て太陽は鼻の頭を掻く。

「余計な事をしたかな?」

この場合、何が失敗で何が成功か等は判断しづらい。取り敢えず太陽は苦笑いを浮かべていた。


「あれから、考田さんはどうなったのかな?輝夜」

数日後、太陽は職場ホールの待合ソファーに座っていた。今は仕事後であり、輝夜は後片付けをしている。

あの後、その日の夕方辺りに考田の写真は撮れたが、その後の経緯は知らないので、太陽は気になっていた。

「考田さん、まだ、受け付けの娘に御執心だったよ」 

輝夜はカウンターを拭きながら答える。足元では掃除ロボがうろちょろしていた。

「そうか……」

「後、元カノさんも」

ややこしくなっていない様で安心しかけた太陽だが、それを聞いて固まる。

「え?本当に?」

「本当に。詰まりは、まあ、三角関係かな。元カノさんも諦めるつもりは無さそうだし、考田さんも諦めるつもりは無さそうだし。でも、どろどろとしてる訳ではなさそう」

淡々と答える輝夜。彼女からすれば、そう言う話は頻繁に聞くので珍しくは無いのだが太陽は少々、面食らっていた。まあ、兎も角、面倒臭い事になっていないようで彼も安心もする。

「そうなのか。どんなに科学が発展しても人は非効率に恋をする。いや、恋をするから非効率になるのか」

永遠の議題の様に言い、彼はソファーに深く座る。輝夜は手を止めて太陽の言葉にしんみりとした。

「何だか哲学だね」

人は誰かを求める時、途端に余裕が無くなる。けれど、余裕と言う大きな代償を払ってでも、他人を求めるのは、矢張、自分を肯定して欲しい事に繋がるかも知れない。

「まあ、無事にホログラムも撮れたから良いけど」

話が纏まっているのなら、もう、太陽の出る幕は無い。彼は自分の仕事を終えて嬉しくなっていた。

「そんな事よりも……とうとう、始まった、夏祭り!今日から一週間もあるのよ!わくわくが止まらない!」

輝夜も輝夜で、夏祭りの開催に喜んでいた。彼女の喜びようは半端なく、太陽との間には温度差がある。

「え?あ、うん、そうだな。夏祭りだな」

「お父さん!テンション、低いよ!」

関心の無い太陽に輝夜の眉毛が釣り上がった。手は腰にあてられている。

「や、輝夜が高いんだよ」

呆れるような半笑いの太陽に、

「そんな事ないよ!」

言いながら輝夜は、ばっと手の平を向ける。それから、その指を折っていった。

「かき氷でしょ?焼きそばでしょ!焼きとうもろこしでしょ!チョコバナナでしょ!後は牛タン!わくわくするでしょ?」

「輪投げや金魚すくい、当て物もやってね?」

食べ物ばかりで、もう、折る指が無くなり太陽は悲しくなる。

「勿論!あっ、大地さんが迎えに来た!」

外を見ると大地が輝夜に手を振っていた。彼は太陽に気が付くと軽く会釈する。

「行ってくるね!お父さん!……と、忘れてた」

外に飛び出そうとした輝夜は、何かを思い出してカウンターに入る。それから、棚に手を合わせた。それは、神棚であり、平面写真がホログラムとして浮かび上がっている。

「お母さんも行って来ます」

写真の女性--それは輝夜の母、そして、太陽の妻である。夏の、きらびやかな海をバックに長い黒髪を棚引かせ、此方に笑顔を向けているその顔は、やはり、彼女の母親と言うのも頷ける程にとても、輝夜に似ていた。けれど、真面目な一枚を撮りたかったのだが、シャッターを押した瞬間に子供の様な無邪気な笑顔を作り、画角のギリギリな所で下向きにピースを作るといったイタズラ好きな所があり、そこは、輝夜とは違う。それでも、その表情が好きで太陽は遺影にこの写真を選んだのだ。

「気を付けて。余り、遅くならないように」

弾ける様な笑顔で店を出ようとする輝夜に太陽は元気なさそうに言う。

「分かってる!お父さんを寂しくさせないよ!」

行ってほしく無さそうな太陽に気が付く様子も無く、輝夜は店を出る。

「もう、十分に寂しいけど……」

太陽は窓ガラスから、仲良く消えていく二人を見送る。それから恋しげに目を細めて隣を見た。

「……月夜。君なら側に居てくれたかな?」

夏祭りの楽しささえ、この場所に足を踏み入れるのを躊躇する。そんな辛い雰囲気に太陽はうっすらと涙を浮かべていた。


陽が傾くと昼の暑さは少しはましになり、吹き抜ける風は涼しく感じられた。

「良い風。ずっと吹いてて欲しい」

言いながらも、それでも、首筋にうっすらと浮かぶ汗を輝夜は拭ぐった。

「毎年思うけど、やっぱり、この時間に来て正解だったね。お父さん」

「そうだな。この場所は、日陰が無いから。夏空を涼しくするには、もっと科学が進まないと無理だな」

太陽は悪態を付いて、水道の蛇口を捻る。持ち上げたバケツはずっしりと重たかった。

彼等は今、夕方前の寺院の墓地に訪れていた。今日は月夜の命日なのである。

「涼しさだけの夏はそれはそれで悲しいなー。夏はやっぱり少しでも暑くないと。昼間は暑過ぎるけどね」

「輝夜は本当に夏が好きだな」

太陽は夏の暑さに辟易していた。逆に輝夜は元気である。

「お母さんもだったんだよね?血は争えないって事だよ。そんなお母さんも、夏の日差しでへばってないとは思うけど、早く水をあげに行こうよ」

輝夜は太陽の手を引き、石畳を急ぐ。この場所は墓石がひしめき合っているせいで、道は狭く急ぐと危ないが、馴れた二人に取ってはなんの事は無い。月夜の墓石は奥に置かれており、輝夜がそれに軽く触れると、指紋を読み取ったプログラムが月夜の生前の写真を浮かび上がらせた。墓石の前に浮かび上がった写真は、被ったバケットハットの端を掴んで、新緑の中、子供の様な笑顔を向けるといった、こちらも天真爛漫さが伺える1枚であった。

「お母さん、寂しかったでしょ?今年も来たよ」

輝夜は柄杓の水を墓石に掛ける。表面を流れ落ちる水は、月夜を潤していき、彼女が喜んでいるようにも見えた。

「喉も乾いてると思うから、沢山、飲んでね」

水を二度三度、掛けると次は線香に火を着けるとそれを備えた。立体写真の後ろを煙が登る。

「お母さん、そっちでは元気にしてるかな?」

輝夜はしゃがんで手を合わせた。

「私達は、相変わらず元気だよ。最近の出来事はねー、私は祭りの演劇の巫女に抜擢されて稽古が大変だよ。それとね、健康診断で引っ掛かったお父さんの為にバランスの良い食事を作ってるの。毎日、献立が大変。でも、だから、まだまだそっちには行かせて上げられないけど、許してね」

初めは笑顔だったが、その顔は次第に悲しさに染まる。

「でも、いつかは三人でご飯を食べたいな。私は一度もお母さんの料理を食べた事が無いから……。あー、ダメ。ちょっと寂しくなってきた」

輝夜の瞳にはうっすらと涙が浮かび、彼女はそれを手で扇いで乾かそうとした。それから、再び手を合わせる。

「初めて見る時は恥ずかしくて、お母さんって呼べないかも知れないけど、沢山、甘えさせてね」

輝夜は涙を切るようにそっと瞳を閉じる。一筋流れた涙は、母親の顔を思い浮かべ冥福を祈っているようであった。

「さあ、次はお父さんの番だよ」

輝夜は立ち上がると太陽の隣に並ぶ。言われた太陽は浮かない顔をしていた。

「あ……ああ」

「また、生返事。毎年、娘の前だからって恥ずかしがらなくても良いのに」

困ったように微笑んだ輝夜に指摘され、太陽はしゃがむ事にした。

「……そうだな。唯一、愛してる女性だからな」

「積もる話も有ると思うから私はコレを元の場所に戻してくるね」

太陽がしゃがみ手を合わせると輝夜が気を利かせてバケツを持ち上げる。

「や、そんな積もる話は……」

「もう、娘に遠慮しないの。お父さん」

優しい輝夜は踵を返す。そのまま進み曲がり角を曲がる際にちらりと振り返ると、手を合わせて目を閉じている太陽の姿を見れたので満足げに笑った。

「……お父さん。沢山、お母さんと話してね」

言った後、水汲み場にバケツを戻した。

その水汲み場から、出入り口に戻ると本堂が有り、その奥に進むと一枚岩で掘られた仏像を祭る小屋がある。月夜との会話を済ませた太陽は、輝夜とそこに向かうと手を合わせ、備え付けのベンチに座った。

「……ねえ、お父さん」

太陽が再び吹き抜けた風に涼しさを感じていると、輝夜が口を開いた。

「ん?どうした?」

太陽は輝夜に振り返る。

「今でもお母さんの事は好き?」

輝夜は太陽の目を見詰めながら問う。太陽は首を傾げた。

「急にぶっしつけな質問だな。どうした?」

「だって、再婚しなかったし、さっきの言葉も「愛している」って、現在進行形みたいに感じたから。そうなのかな?って」

輝夜も首を傾げる。純粋で、答えるのに戸惑いそうな疑問でも、それでも太陽は素直に頷いた。

「……そうだな。今でも愛しているよ」

彼からすれば、一生ものの愛なのである。色褪せない愛に輝夜は羨ましがった。

「良いな。ずっと想えて貰って。お母さんは幸せ者だな」

永遠の愛は誰もが憧れる。それは、輝夜もそうであったが、その言葉を聞いた太陽は心外であった。だから、彼はさも当たり前のように輝夜を見詰める。

「何を言ってる? 輝夜の事も愛してるよ」

「真顔で言われても困る。でも、嬉しいよ。ありがと」

ベクトルは違えど受け入れてもらえるのは肯定してもらえるのは誰でも嬉しく、輝夜は笑顔を浮かべた。

「それこそ、大地くんよりもな」

「えー、大地さんの方が、より愛してくれてるよ」

太陽の余計な一言に切り返した輝夜は、けれど、恥ずかしい事を口走ったとその頬を赤くする。

「自分で言ってて恥ずかしくなる。って、お父さん!いじけないで!」

聞きたくない言葉に太陽は一瞬で元気を失くす。彼の人差し指は、膝の上で小さな円を描いていた。いつもの流れであるが、今日はセンチメンタルで有る為、輝夜も元気を失くす。

「そうだよね。私が産まれなければお母さんは……」

「輝夜」

最後まで言い切る前に太陽はきつく彼女の名前を呼ぶ。輝夜はハッとした。

「あっ、ごめん。コレは言わない約束だったよね」

反省する輝夜。そんな彼女の頭を太陽は優しく撫でた。

「さあ、もう帰ろうか。暗くなってきたからな」

「うん。そうだね」

太陽は立ち上がった。

「帰りに花火とケーキを買って輝夜の誕生日祝いとしないとな」

「ありがとう。悲しむばかりじゃお母さんも哀しいよね」

輝夜も立ち上がる。

輝夜は写真以外では、一度も月夜の顔を見た事が無い。それでも、やはり、その顔はいつでも笑顔であって欲しいと彼女は思いながら、太陽と共に帰路に着いた。


ケーキと花火を買って家に着いて、用意が終わる頃、自宅の呼び鈴が鳴った。

「大地くん、今年はふれても良いかい?どうして、毎年スーツなんだい?」

これは、ドアを開けた太陽の台詞である。彼は呆れた様に大地を見ていた。

「誕生日にはスーツと相場が決まっているので、今年も洒落込んでみました」

嘆息まで吐かれた大地はこの暑い時期に、着崩す事無くスーツを着ていたのである。彼のお洒落がこれ一択なのは、それはそれで悲しいものであった。

「見てて暑いよ。君。それに、僕はウェルカムではないのだがね」

ドアから流れてくるクーラーの涼しい風を浴びて至福の表情を浮かべる大地に、太陽はとても不満な表情を向けていた。

「あっ、大地さん。こんばんは。来てくれたんだね。さ、入って入って」

と、遅れてやって来た輝夜が太陽の横から顔を出した。

「もう、お父さんもご機嫌斜めにならないでよ」

輝夜に言われて仕方無くドアからずれる太陽。大地は愛想笑いを浮かべながらその横を抜けて、漸く、玄関に入れた。

「大地さん、先ずはお母さんに挨拶してね」

「まさか、大地くん、プロポーズの許しでも貰おうとしてるんじゃないだろうね?毎年、機を逃してるからこの日はスーツなんじゃないだろうね?え?どうなんだい?」

輝夜に部屋へと案内されている大地の背中を太陽が胡乱な

目で切り付ける。

「や、やだな、太陽さん、何を言ってるんですか?」

「そ、そうよ、お父さん、まだ、プロポーズなんてされてないわよ」

二人はしどろもどろで振り返る。太陽の目が剣呑に光った。

「まだ?え?時期が関係してると思ってるの?いつだろうと許さないよ?」

太陽は腕を組み、次は彼女達をじとっとした目で見詰め続けた。かなり、怪しんでいる。二人は声を潜めようと顔を近付けた。

「やっぱり太陽さん、いつもよりも攻撃的だね」

「お母さんの命日だから毎年ナーバスなのよ」

ヒソヒソと話す。

「だから、今日も少しだけ多めに見てあげてくれると嬉しい。ごめんね」

「大丈夫だよ。毎年の恒例みたいなものだから」

と、

「ちょっと、そこ、何、こそこそ話してるの?」

蚊帳の外の太陽が痺れを切らせて片足で床を叩き始めた。トントンと五月蝿い。

「そ、そうだ!今日は太陽さんの為に月の雫を持って来ましたよ。好きでしょ?月の雫」

太陽の機嫌を取る為に手土産を持ち上げて見せた。それは、酒が入った紙袋である。

「え?月の雫!嬉しいじゃないか!それを早く言いたまえよ!大地くん。ウェルカムだよ」

紙袋に自分の好きな酒の名前が書かれており、太陽はテンションが上がる。現金なヤツだ。とにもかくにも、太陽を手懐けた大地は、招き入れられた部屋の卓上を見て目を輝かせた。

「わあ、凄い豪華な料理!旨そう」

卓上には沢山の手料理が並んでいたのだ。全て輝夜の手作りであり、鼻腔を擽られた大地は今にも垂れそうな涎を我慢した。

「主役なのに、毎年作ってくれる輝夜に感謝するんだよ。大地くん」

本来なら焼きもちを焼く太陽だが、今は上機嫌で下座に座る。

「勿論です!輝夜さん、ありがとう」

大地も下座に座りながら上座に座った輝夜に感謝する。

「えへへ。いつもより、頑張ったから沢山、食べてね」

「うん。そうするよ。輝夜さん誕生日、おめでとう!」

大地が祝うと、彼に渡されたプレゼントを輝夜は受け取った。それに後追いして太陽も「おめでとう。輝夜」と祝い、プレゼントを渡す。

「ありがとう。もう、御祝いされる年齢でもないんだけどね」

輝夜は照れてから、それを隠すように苦く笑う。大地は首を振った。

「そんな事は無いよ!輝夜さん。僕は今年も祝えて本当に嬉しいし、毎年でも祝うよ」

「ありがとう。来年も楽しみにしているね、大地さん」

大地の言葉は輝夜を素直に喜ばせた。

「その時は勿論、太陽さんと一緒にね」

「大地くん、君がもっと憎たらしい人なら良かったのにって思うよ」

大地は自分の株を上げる為では無く、純粋な気持ちであり、それは、太陽も喜ばせていた。

「え?どう言う意味かは分かりませんが、憎まれるのは嫌ですよね」

「そうだな。……まあ、僕はどうだろうか」

この場に相応しく無い影が一瞬だけ、太陽に落ちた。

「いやいやいや、太陽さんを憎む人なんて居ませんよ!」

その暗さには気が付いていないが、大地は激しく否定した。

「何年か前に越して来た時には、昔ながらの余所者を拒んで距離は有ったかもしれませんが、今は太陽さんなくてはならない存在ですよ」

嘘や世辞では無く、大地の目は尊敬に輝いていた。商店街の事や人を思う太陽の姿勢が彼にそうさせたのだ。

「輝夜さんは、こんな男性が側に居て幸せ者ですよ」

「今日はやけに持ち上げるね!まあ、今日だけは楽しんで行ってくれたまえ、大地くん」

褒められ、嬉しくなった太陽は破顔一笑する。けれど、今日だけの所だけ強調した彼は、いつも通りにブレていなかった。


月明かりが降り注ぎ、縁側は薄明かりに包まれていた。

そのヴェールの中、太陽は一人、晩酌していた。胡座をかいて酒瓶を持ち上げて枡へと傾ける。トクトクトクっと良い音がなり、広がる波紋は明かりを跳ね返して、柔らかく光る。底でホログラムの金魚が泳ぐのは眺めて楽しめる仕様だ。太陽はその枡を月へと向い、小さく持ち上げると、酒を一口飲んだ。

「月が綺麗ですね」

喉へと心地よい辛さが流れ終わると不意に声を掛けられる。振り向くとそこには大地がいた。

「大地くん…起きたのかい?」

「すみません。酔い潰れてしまって」

誕生日の席で大地は、太陽の付き合いで酒を何杯か飲み、そのまま寝てしまったのだ。

「輝夜は?」

「まだ寝てます」

隣の部屋、テーブルの向こうでは輝夜は寝息を立てていた。

「そうか。この酒は興味本位で飲むものじゃないよ。ましてや、輝夜は下戸なのにな」

太陽は呆れた様に湯呑みの酒を飲み干した。

「そんな所に突っ立てないで、隣に座ったらどうだい?少し話そう」

大地はそう言われ、太陽の隣に座った。淡い光りが二人を照らす。太陽は月を見上げた大地に酒瓶を御酌する仕草をした。

「や、それは、もう結構です」

後、一杯でも飲めば、意識が一瞬で飛ぶ自覚がある大地は丁寧に断った。仕方無く、太陽は自分の枡にまた酒を注ぐ。

「そう言えば、訊いた事がなかったけど、君と輝夜の初めの出会いはどこなんだい?」

酒瓶を置いた太陽が尋ねると、大地は少々、驚きを見せた。太陽が自分に興味を持つのが意外だったからだ。けれど、それを指摘するのも水を差す様で嫌だった為、大地はその頃を思い出して口を開いた。

「僕と輝夜さんの出会いは祇園祭の日です」


「ふう、漸く、今日の配達が終わった。沢山、届けられたな」

配達先から外に出た大地は自画自賛して、大きく息を吐いた。本当は伸びでもしたかったが、それを諦めたのは、

「に、しても、人混みが凄い。流石は祇園祭」

辺りに人が沢山いて、恥ずかしかったのが理由である。

彼の言う通り、今日は祭りが開催さているのだ。道路は封鎖され、歩行者天国になり、脇には沢山の屋台が並ぶ。日本三大祭の一つである祭りの今日は宵山であった。

鉾を見上げる人、食べ歩きする人、巨億の人々が往来し、それを含めて祭りは夏の風物詩である。

「駐車場まで少し遠回りして雰囲気でも楽しむか」

人混みは苦手だが、折角の祭りである為に大地は歩道から道路へと出た。五月蝿いと感じる喧騒もこの時だけは心地好い。祭り効果だ。

「記念に鉾を撮っておこうか」

彼は言いながら、腰にぶら下げていたスティックフォンを取り出した。棒状のそれを伸ばすとその横にホログラムのディスプレイがスライドする。それを操作しながら写真を撮っていると、

「うん。私は大丈夫だよ。お父さんは大丈夫?」

隣からそんな声が聞こえてきた。困った声色である。そこを見ると浴衣に身を包んだ可愛い女性がいた。それは、輝夜である。

「え?古民家?それに茶色のビル?そう言われても地理が分からないから、取り敢えず、そこを動かないでね。探してみ…あっ、切れた」

聞き耳を立てるわけでも無く、流れるままに聞いていると、まだ見知らぬ輝夜はスティックフォンの空中ディスプレイに向かって溜め息を吐いていた。

「だから、充電をしておいてねって言っておいたのに、心配だな」

輝夜は一抹の不安を抱きつつスティックフォンを仕舞った。

「あのー、どうかしましたか?」

「え?あっ、はい」 

まだ、知らぬ大地に声を掛けられ輝夜は驚く。彼女の、手に取るような警戒に大地は失敗を覚えつつも、善意を捨てる気は無かった。

「あっ、急に声掛けて掛けてすみません。困っていたようなので。違いましたか?」

「いや、その、父親とはぐれてしまって。居場所が分からなくて…」

大地の、人の良さそうな感じに輝夜は少なからずも警戒を解いていた。爽やかの人徳である。

「越してきたばかりなので地理を知らなくて、手懸かりは、古民家と茶色のビルってだけなのですが、分かりますか?そもそも、地元の方ですか?」

「はい。だから、この区画は庭みたいなものです。古民家とビル…茶色……」

輝夜の困った横顔を晴れやかにしたい大地は腕組みをして考える。すると、頭に地図を思い浮かべてシミュレートしていくとそこを見付けた。

「それなら、もしかしたら、あそこかも。案内出来るかもしれません」

輝夜の暗い顔に若干の光が宿った。

「え?本当ですか?」

「はい。僕は配達でこの辺りを良くまわっているので、任せて下さい。こっちです」

大地が誘導するように歩き出した。輝夜もその横を着いて歩き出す。

「見ず知らずな土地で、本当に困っていたので助かります」

輝夜は隣の高い背に頭を下げる。仄かに良い香りがした。

「気にしなくても良いですよ。持ちつ持たれつ精神なので。越して来たのはこの辺りなのですか?」

「そうですね。何駅か先にある商店街は分かりますか?そこに越して来ました」

それを聞いた大地は驚く。

「え?商店街?僕もその辺りに住んでるんですよ。もしかして、写真館の?」

近所に一家族が越して来たのは噂では聞いていた。だが、商店街は広く、まだ、どんな人物が越して来たのかは知らない。輝夜も驚いていた。

「そうです。凄い偶然ですね」

笑える出来事に輝夜は遠慮なく笑う。不安が少しだけ和らいでいた。大地はこれまた少しだけ安心する。

「どうこの町は?」

更に安心させようとそう、話題を振る。話題は何でも良かった。気が紛れればなんでも。

「風情があってとても落ち着きますね。初めてなのに、どこか地元感もあって落ち着きます」

「それなら、良かった」

自分が好きな町を褒められて大地は嬉しくなる。輝夜は辺りを見渡した。

「でも、この人混みにはびっくりですけど」

そうは言っても新鮮さに瞳は輝いている。

「確かに驚きますよね。三大祭の一つだから、毎年、沢山の人が集まりますから。僕も初めて来た時は同じ感想でしたよ。その頃は小さかったから、日本中の人が集まってるのかな?って、子供ながらにもそんな馬鹿な事を思っていましたよ。そんな事ないのに」

「………」

急に輝夜が黙り込んだ。大地は首を傾げる。

「ん?どうしました?」

「や、私も同じ事を先程、考えていて……大人なのに、私ってもっと馬鹿なんですね」

輝夜がずーんと落ち込んだ。慌てた大地の手がかぶりを振る。

「え?いや、そんな事ないですよ!始めてなら誰だってそう思いますよ」

「大人でも?」

ちょっとだけ間を空けて、

「……子供だけ」

大地はボソリと、でもハッキリと言った。

「あー、やっぱり馬鹿にしてるー」

輝夜は口を尖らせた。そこだけ見れば子供だ。大地は楽しげな雰囲気に笑う。と、

「目的地はこの角を曲がった先なんですけど」

話していたらあっと言う間で、太陽が居ると思われる場所へと着いた。

「どう?居ますか?」

大地が訪ねると、付近を見渡していた輝夜の顔が漸く華やいだ。

「あっ、居ました!父です」

建物の前、困っている太陽を見付けた。輝夜は安堵して、大地も同じに安堵する。

「そう。良かったです。それじゃ、僕はココで」

「あっ、待って下さい」

立ち去ろうとした大地を輝夜は止める。彼女は「少し待っていて下さい」そう言うと近くのりんご飴を買って戻って来た。

「これ、御礼です」

「いや、良いですよ。そんなの。当たり前の事をしたまでなので」

大した事をしたつもりはないので、大地は差し出されたりんご飴を手で制した。

「見ず知らずの私に優しくして頂いた気持ちなので受け取って下さい」

けれども輝夜はその手に無理矢理にりんご飴を握らせる。

「御近所さんなので、また、会うかもしれませんね、それではまた」

そして、小さく手を振り、父の元へと駆け出す。大地は、りんご飴を目の片隅に入れ、その背を見送った。


「……そうか。あの時にそんな事が」

出会いを聞き終えた太陽は何年か前の夏祭りを思い出して染々した。それから、酒を煽ると大地へと頭を下げる。

「それは助かった。ありがとう」

「いえ、それがあったから、輝夜さんと知り合えたので。りんご飴を渡してくれた時の笑顔が可愛くて……」

当時の記憶のその笑顔を思い出して大地は照れる。奇しくも月下氷人となってしまった太陽は複雑な心境だった。

「まあ、男の恋は打ち上げ花火。女性の恋は線香花火と言うからな」

「そうなのですか?」

大地が首を傾げる。酒の上で金魚が跳ねた。

「ああ、男性は可愛い!好き!の打ち上げ花火だが、女性の恋はポイント制だ。だから良く「いつの間にか私の方が好きになっていた」って台詞を聞くだろ?恋は加算式なんだよ。ポイントは、話を聴く、旅行で相手の事を思って場所を選ぶ等の些細な優しさで貯まっていくんだ」

「そんな心境があるのですね。男女でそんなに違うのも不思議な感じがします」

小さな知恵である。大地は何度か頷いた。

「二人で何の話をしてるの」

敵に塩を送る様な状態になった太陽が失敗を覚えていると、突然、後方から声がした。

「輝夜、起きたのかい?」

振り向くとそこには寝起きの輝夜が居た。小さな欠伸を噛み殺した彼女は、二人の間へと入る。

「うん!で、二人で何の話?」

輝夜は左右の顔を見る。その口元は嬉しさに少しニヤついていた。

「それは、男同士の内緒話だよ。輝夜」

「怪しいな~。まあ、良いけど。私は二人が仲良ければ」

輝夜は後ろに持っていた花火を二人の前に出した。手持ちや打ち上げが入ったバラエティーパックの花火である。

「その仲良さのまま、花火をしましょう!」

「良いね!輝夜さん。夏と言えば花火だしね」

今年始めての花火に大地は嬉しがる。

「花火には慰霊の意味も有るからね。だけど、湿っぽいのは駄目だよ?大地さん。さあ、楽しもう!」

輝夜は花火を持つ、と言うか掴むと中庭に躍り出た。早く花火をしたいのだ

「はしゃぎ過ぎだ。輝夜」

やれやれと言った感じで太陽も腰を上げた。楽しげな雰囲気に高揚する大地もそれに続く。

そして、笑い声の中、夏の花が色取り取りと中庭には咲いていた。



二条院神社。

そこは商店街通りを一本外れた民家の中にある神社だ。外界から隔絶された様に森に覆われるそこには立派な道場があり、中では演舞の稽古が行われていた。

太鼓隊が鼓面を打ち、笛隊が音色を奏でており、そんな風に各々が稽古に励む中、輝夜と大地もまた稽古に励んでいた。彼女達が稽古しているのは竜神演舞である。

その昔、この地域ではこんな言い伝えがあった。

竜神が恋をした巫女を妻に迎えようとしたが、断られた為に逆上して彼女を呑み込んだ。

怒りはそれだけでは収まらず、竜神はその地域に災いの炎を振り撒いた。

人々は困り果て、そこに一人の村人が立ち上がった。

彼は災いをすり抜け、元凶である竜神を打ち取り、巫女を腸から助けた。

後に彼は英雄と呼ばれ、巫女と婚約して末永暮らした。

そんな言い伝えがある為に商店街は、鎮魂の意味を込めて、竜神の銅の様に長く作られ、再び災いが訪れないようにと、これまた、鎮魂の意味を込めて演舞を踊る。そして、伝説を忘れない為に演劇をするのだ。竜神祭りの古からの目玉の一つが竜神演舞なのである。

輝夜と大地は、静かに息を切らせて舞を踊り終えた。

そこに、拍手が送られる。

「素晴らしい! 二人とも凄く良くなったよ! ずっと練習してきた甲斐があったね」

褒めながら拍手をするのは二条院神社の一人息子、二条院武彦である。長髪を後ろで一本に括り、眼鏡を掛けた知的な顔が特徴的だ。

「ありがとうございます。武彦さんの教え方が上手いからですよ」

輝夜は額の汗を拭いながらそう言う。その顔は信頼を寄せていた。

「そんな事……あるかもね」

武彦は自身ありげに笑う。彼には大地とは違う大人の魅力がある為に、太鼓隊や笛隊の女性、何人かがその顔を盗み見ていた。

「毎年、商店街の住人から英雄役と巫女役を選ぶのだけど……」

武彦の切れ長の目が輝夜と大地を交互に見る。

「今年の二人は本当にぴったりだよ。二条院家が祭りを管轄するから、失敗はしたくないからね」

彼は満足げに大きく頷いた。それから眼鏡を押し上げる。

「でも、輝夜ちゃん、三の舞の踏み込みが少し甘かったから、まだ、練習良いかな?」

武彦は自然にすっと輝夜の横に移動する。それは、何処か大地との間に割り込んだ様に見えた。

「大地くんは向こうで休んでて」

「いや、輝夜さんも水くらいは…」

武彦の優しさに食らい付く大地。彼はずっと浮かない顔をしていた。

「私は大丈夫だよ。大地さん。稽古前に沢山、飲んでおいたから、構わずに休んでて」

輝夜に言われ、大地は渋々、休息場まで離れた。それから、長机に置かれた水を煽る。その間、武彦は手取り足取り必要以上に輝夜に密着していた。

「巫女さんを獲られてご立腹かな英雄くん?」

隣から言って来たのは太陽であった。彼も紙コップの水を一口飲んだ。

「太陽さん……別にそんな事ありませんよ」

「ねえ、せめて顔と口を統一させて」

完全にふてくされた大地の顔に太陽は一突っ込みする。それから、もう一口水を飲んで、稽古中の二人を見た。

「でも、あんなにベタベタされたらムカつくけどな」

「ですよねー。こんな時だけ気が合いますねー」

武彦の手が輝夜の腰に回った瞬間、大地は紙コップを握り潰した。殺意が溢れ出ている。

「え? 怖い、怖い。リアルでそんな事する人、怖い。やめて」

床に散らばる水を避ける様に太陽は引く。それでも、近くのタオルを大地に渡して、再び視線を輝夜に合わせた。

「まあ、輝夜は昔から何事にも一生懸命だからな。本人が嫌がってないのなら、邪魔は出来んよ」

「……そうですね」

尤もな事を言われ、諭された大地は反省する。その肩に太陽は手を置いた。

「大丈夫。輝夜は昔から一筋だから」

何度か、安心感を与える為に肩を叩いてから太陽は水を飲み干して、カップを捨てた。

「まあ、まだ、認めてはいないがね」

言いながら踵を返した。

「仕事に戻るのですか?」

「休憩中に見学に来ただけだからね。商店街の為にも納期までには撮影を終えておかないと。僕が居ない間、輝夜の事を頼んだよ」

大地は力強く頷き、コップを捨ててから稽古中の二人を指差した。

「分かりました。取り敢えず、あれに割り込んで来ます」

太陽は、任せたよっとでも言う様に手を上げて道場を後にする。大地は有言実行に稽古へと戻って行った。


それから、夕方まで稽古は続き、近場の寺院から梵鐘が鳴り響くと各々稽古の手を止めていった。

「それでは、今日の稽古をここまでとします!お疲れ様でした!」

「お疲れ様でした!」

町内会長が号令すると皆は各々片付けを始める。

「ふうー」

周りから帰宅の談笑が聞こえ出すと輝夜は顎の汗を拭い、壁側に置いたタオルで顔全体を拭いた。

「お疲れ様。輝夜さん」

飲み物の用意をしていた大地が水を渡す。輝夜はそれを飲み干すと生き返った様な息を吐いた。それがどこか、なまめかしかったので大地はドキリとする。

「ありがとう。大地さん」

「今日も沢山、稽古したね」

あの後、ちゃんと割り込みした大地は輝夜と一緒に稽古をしていた。

「そうだね。でも、舞も演技も初めてだから、稽古してもしたりない気分。祭りのメインの一つだから、失敗もしたくないし、一回限りの見せ物だから、何だかもっと稽古したくなるけど」

輝夜の眉が不安に下がる。何事にも一生懸命な輝夜がそんな表情でも大地には輝いて見えていた。

「確かに。でも、気分転換は必要だよ?」

「うん。今日は何を食べに行こう」

二人はこの後、夕食を食べに行く約束をしているのだ。

「今日は…」

そこで、大地の仕事用スティックフォンが鳴った。

「ちょっとごめんね」

コールに出る大地。何度も頷きながら、「今からですか?」「急ぎなのですね」等の不安ワードが飛び交う。切ると大地は暗い顔をしていた。

「ごめん。輝夜さん。急な配達が入ってしまって……。ドローンを信用してない人なんだ。ディナーはまた今度でも大丈夫?」

本当に申し訳無い気持ちと残念な気持ちとが入り雑じった表情を大地は浮かべた。

「そっか。仕事なら仕方無いね」

「本当にごめん」

大地は落ち込みながらスティックフォンを仕舞う。

「ううん。気にしないで。仕事に熱心な大地さん、私、好きだから」

「ありがとう。じゃ、またね輝夜さん」

舞い上がりそうなフレーズを言われるも申し訳ない気持ちの方が大きい大地は、後ろ髪を引かれながらも職場へと向かった。その背を見送る輝夜は小さな溜め息。やはり、寂しさはあるのだ。

「予定も無くなったから帰ろうかな……」

「話は聴いていたよ」

輝夜の少し不貞腐れた気持ちに介入して来たのは武彦だった。

「え?武彦さん」

横に並んだ背の高い顔を見上げる輝夜。武彦は見えなくなった大地の姿を確認してから輝夜へと目を向ける。

「予定が無くなったのなら、どうだろう? 輝夜さん、残り稽古をするのは」

「え? 良いのですか? でも、迷惑じゃ。武彦さんもお疲れでしょ?」

武彦は首を振る。

「大丈夫だよ。俺も指南役として舞台は成功させたいからさ。勿論、輝夜ちゃん次第だけど」

輝夜は、残念な気持ちを横に置くと頷いた。

「それじゃ、お願いしようかな。予定も無くなったから。もっと上手になりたいので」

「その姿勢は素晴らしいね。さ、輝夜ちゃん、皆さんの後片付けが済むまで待とう。その間、屋敷のシャワーでも使ってよ」

大地が居れば絶対に反対するだろうが、彼は仕事へと行っている。今ココには肯定する者しかいない。輝夜は肩を抱かれて武彦のエスコートで屋敷へと歩き出した。


夜の帳が下り初め、道場に明かりが付く頃、残り稽古は終わりを迎えていた。

代打英雄役の武彦が激しく、その次に緩やかに足踏みをする。巫女役の輝夜も同じ動きをして、止まると舞いは終わった。

二人は大きく深呼吸し、武彦は輝夜の方を向いた。

「それでは、今日はここまでにしておこうか」

「はい。ありがとうございました」

輝夜は深々と頭を下げる。汗が床に滴り落ちていた。

「もう、舞も演技も完璧なんじゃないかな? 歴代の巫女役、どの娘よりも上手いよ」

「本当ですか? 武彦さんに言われると自信が付きます」

褒められ過ぎて輝夜ははにかんだ。その顔が可愛く、武彦は眼鏡を押し上げた。

「こんなに懸命なんだ。自信位付いても御釣りがくるよ。そんなに夏祭りが楽しいのかい?」

ボットがタオルを持って来てくれて、汗を吹きながら武彦が訪ねる。

「それも、勿論、ありますけど、商店街の皆さんの為、それに大地さんの為ですかね。大地さんは、私よりも呑み込みが上手くて、足手まといになるのが嫌なので。一緒に舞台に立てるのが凄く嬉しいから、成功させたいんです」

言った彼女の顔がとても輝いて見えたので武彦の心は痛みを感じた。

「そんなに思ってもらえるアイツが羨ましいし妬ましいよ」

握り潰されるような心の痛みを和らげる為に武彦は小声でそう吐き出した。

「え? 何か言いました?」 

輝夜がボットから渡された水を飲みながら首を傾げると、武彦は首を振る。

「いや、なんでも無いよ。それよりも、この後、食事でも食べていくかい? 良い鯛が入ったんだ」

「和食ですか! とても食べたいです! 本当なら、こう言う場合は遠慮しないと行けないのは分かってはいますが、和食は食べたいです! ディナーも無くなって、帰っても何もないと思うので良いですか?」

喰い気味に喜ばれ、武彦は少々、面食らったが直ぐに微笑んだ。

「腕を振るうから期待しておいて。その前にまた、汗を流しておいでよ」

「御言葉に甘えて、そうさせてもらいます。この時期は夜になっても暑いですよね」

そんな風に雑談をしながら二人は道場を後にした。



「凄い!これ、全部、武彦さんが作ったのですか?」

輝夜は目の前の豪華な料理に今にも飛び付きそうだった。

汗を流してから、案内された座敷には料亭に出てきそうな料理が並んでいたのだから仕方の無い事だ。

「そうだよ。見た目だけて無くて味も美味しいよ」

料理人である武彦は喜ぶ。知的な顔がこの時だけは無邪気に見えた。

「すみません。お風呂も頂いて、その後にお手伝いしようと思っていたのに何も出来なくて……」

「気にしないで。冷めるから、さあ、座って。お腹、空いたろ?」

輝夜が申し訳なさそうにするも、武彦は向かいの座席を進めた。

「ありがとうございます」

輝夜は武彦の親切さに甘えて座布団に正座する。それから、手を合わせた。

「いただきます」

輝夜は、箸を取り食事を始めた。そして、余りの美味しさに驚く。

「嬉しいね。その反応」

武彦は、純粋な輝夜の反応に満足げだ。輝夜は更に高揚する。

「こんな美味しいもの食べたの始めてです! 絶妙な味付けでお箸が止まりそうにありません! 本当美味しい」

輝夜の頬は嬉しい痛みを感じ、舌は小躍りしていた。

「そうなの? それじゃあ、たまには食べに来てよ。一人で食べるのが多くて寂しいから」

「そうなんですか? そう言えば御両親は?」

輝夜は飲み込んでから、首を傾げる。屋敷にお邪魔してから誰一人として合っていないのを彼女は気にしていた。

「両親共々、神事で何かと出張続きで一人の事が多いんだ」

「そうなんですね。それなら、確かに寂しいですね。こんなに広いのに一人は……」

案内された居間はとても広く、だからこそ、時折、廊下から聞こえてくる清掃ボットの横切る音が、更に寂しさを与えてくる為、輝夜はしょげた。

「その点、輝夜ちゃんは太陽さんといつも一緒だね」

「はい、お父さん好きなので一緒に居る事が多いですね。でも、お父さん、大地さんの事をなかなか認めてくれなくて。いつまでも何だか子供のような……。大人になって欲しいんですけどね。どっちも好きだからもっと仲良くして欲しい」

輝夜の口から小さな溜め息が漏れる。それを引っ込める様におかずを頬張ってから彼女は飲み込んだ。

「武彦さんは? 好きな人はいないのですか?」

ぶっしつけな質問だが、大切な人が居るのは悩みも有るがやはり幸せな為、輝夜は訊いた。

「俺? いるよ」

返し難い質問であったにも関わらず武彦はあっさり答えた。輝夜は凄く興味を持つ。

「え? 誰ですか? 商店街の人? それとも、外の人? 私の知ってる人かなー?」

彼女は、知り合いなら手伝う満々である。瞳は輝いていた。けれど、その気分は飲み込まれる事になる。武彦に無言で見詰め返されたからだ。何も言われず、無言が続き、輝夜は少しどきりとしていた。

「……君だよ」

暫くしてから武彦はそう言った。声色は真剣である。

「え?」

衝撃的な事を言われて輝夜は動揺する。けれど、聞き間違いだったかもと彼女が頭を巡らせていると、直ぐに武彦がふざけた様に笑った。

「何てね。冗談だよ。冗談。驚く顔が見たかっただけだよ」

「ですよね。からかわないで下さいよ。駄目ですよ? そんな乙女心をからかうの」

輝夜は安堵してから、再び箸を動かした。

「ごめんね。今、大切に思う人がいないから言ってみたんだ」

「そうなんですか。大切な人は、無理に見付けるものじゃないですからね。自然と出会うもの。女性の恋は線香花火。男性の恋は打ち上げ花火と言いますから、直ぐに出会えると思いますよ。その時は私にも手伝わせて下さいね!

太陽からの受け売りを口にする輝夜の瞳が熱に燃えた。

「流石は輝夜ちゃん。商店街住民の事となると心強い。ああ、その時はお願いするよ」

「任せて下さい!大船に乗ったつもりで!」

輝夜は自信満々に胸元を叩く。けれど、向かいの武彦の顔は何故か悄然としていた。

それを知らない輝夜は暫くして食事を終えた。

「御馳走様でした! 本当にどれも美味しかったです! 味付けが最高でした!」

彼女の手が合わさり合掌した。武彦も同じ動作をする。

「お粗末様。綺麗に食べてくれたね。嬉しいよ」

彼は輝夜の前の空いた皿を見て満足げに微笑んだ。

「残すなんて考えられない程の御馳走でしたよ。今日はとても幸せでした」

その言葉の通り、輝夜は幸せそうに瞳を細めた。まだ、美味が彼女の口の中には広がっている。

「そこまで言って貰えると、作った甲斐があったよ。それよりも、ごめんね。こんな遅い時間まで」

時計の針はもう、女性が一人で歩くには少し危ない時間帯を示していた。時計を見ていた武彦は人差し指を立てる。

「どうだろう、もう、遅いから泊まっていくのは?」 

折角の申し立てだったが、スティックフォンを見ていた輝夜はかぶりを振る。

「そこまでは迷惑を掛けれません。それに……」

「それに?」

輝夜はスティックフォンのディスプレイを反転モードにして武彦に見せた。

「心配したお父さんが迎えに来るらしくて、もう、着いたってメッセージが来まして……」 

そこで、タイミング良く呼び鈴が鳴った。

「さっきからメッセージの遣り取りしていたのは太陽さんだったのか……」

武彦は腰を上げて玄関に向かう。それから、玄関口を開けると太陽がそこには居た。

「武彦くん、ごめんね。こんな時間まで。それに、食事もありがとう」

引戸が開ききると、太陽は感謝に頭を下げた。

「いえ、こちらが食事に誘ったので。こんな時間まで大切な娘さんを申し訳ありません」

武彦も、此方は太陽よりも深く頭を下げる。

「分かってるじゃないか。次からは気を付けて」

やはり、輝夜を遅くまで引き留めていた事にたいして太陽は厳しかった。

「ちょっと!お父さん!感じ悪いの止めて!」

機嫌が悪い太陽を勇めた輝夜は、武彦の後ろから顔を出した。

「すみません。武彦さん」

「大丈夫だよ。悪いのは俺だから」

輝夜が謝ると武彦は気にしないとばかりに笑顔を作る。輝夜はそれから、太陽へと向き返った。

「それに、お父さん、本当に迎えに来たの?一人でも帰れるのに」

「そう言わず、一緒に帰ろう。夜道は何かと危ないから」

不服そうな輝夜だったが、実はそうでは無く、自分の事を心配する太陽同様に、輝夜も太陽を心配しているのだ。

「そうだよ。輝夜ちゃん。ここは太陽さんが正解だ」

「武彦くん、そこだけは良い事を言うじゃないか」

支援を出した武彦を評価するように太陽は何度か頷いた。

「それなら、責めて後片付けだけでもしていきます」

輝夜の申し出に武彦は首を振る。

「良いよ。今日は帰って休んで。明日も挨拶回りと奉納の儀、それに、宴会でクタクタになるだろうから」

「そうですか。それじゃ、御言葉に甘えて、すみません。お邪魔しました。さあ、お父さん、帰ろう」

その言葉で太陽の機嫌は直り、太陽と輝夜は玄関を出た。引戸を閉めながら会釈する輝夜。残された武彦は寂しそうな表情をしていた。


次の日の昼下がり。

商店街の入り口付近には沢山の人が集結していた。

皆、祭りの関係者であり、スーツや装束に身を包んでいる者が見られる。その中に大地は居た。彼も、借り物ではあるが常装を着ており、それはとても似合っていた。彼は実行委員と段取りを話していたが、それを終え、輝夜を見付けると彼女へと近付く。

「こんにちは、輝夜さん」

「あっ、大地さん。こんにちは」

輝夜は水干を着ていて、私服と違い初めて見る姿に大地は心奪われていた。

「大地さん?どうしたの?大丈夫?」

「うん。大丈夫。とても似合ってるね、衣装」

大地が素直に褒めると、輝夜は照れた。

「ありがとう。大地さんも素敵だよ」

この瞬間、また、二人の間の気温は上昇した。けれど、余韻に浸る暇も無く直ぐに大地が申し訳なさそうな顔をする。

「それと、昨日は本当にごめんね。急な仕事でドタキャンしてしまって」

それが心配だった大地の気は沈んでいた。だから、輝夜はかぶりを振る。

「昨日、電話でも話してたけど、気にしてないから、大地さんも気にしないで。また、ご飯に行こ」

「それは、勿論。穴埋めはちゃんとするよ。でも、ちゃんと逢ってからも謝っておきたくて。まあ、変な事が無かったらしいから、安心だけど」

最後の方だけは小声で。自分が仕事に行った後の事は聞いている。今日の輝夜にもよそよそしさはない。大地は、胸を撫で下ろしていた。しかし、それは同時に疑っている事になるので話題を変えるべく彼は商店街の方を向く。

「今日は楽しみだね。輝夜さんは商店街の皆の事が好きだから嬉しいでしょ?」

「うん。凄く楽しみ。皆に選んで貰ったから、期待に応えたい!絶対に気に入ってもらうんだ」

輝夜は遣る気に可愛らしく拳を握る。大地からは自然と笑顔が溢れていた。

「流石、輝夜さん。皆、喜ぶよ」

積極的な所は輝夜の魅力の一つである。それを再確認した大地は更に輝夜を好きになっていた。

そんな二人を進行役の人物が出入口の出発地点に呼んで、挨拶回りが始まった。

挨拶回りとは、英雄役、巫女役になった者のお勤めの一つで、今年の顔を商店街、一軒、一軒廻ってお披露目していくのだ。それと、同時に願い札と御布施金を預り、夕方に一度それを奉納してから、その後、祝詞と共に願い札だけをお焚き上げする。

段取りが分かっている輝夜と大地は、それをそつなくこなして、時間は逢魔時へと移り変わった。


浄火から出る煙が竜の如く天に登っていく。

移動した皆は二条院神社の境内に居た。そこでは、武彦が浄火の前で祝詞を上げている。皆はそれを見守るようにパイプ椅子に腰掛けていた。

最後の願い札を火にくべると、焚き火を背にした武彦が御辞儀をしお焚き上げは終わりを迎えた。

静寂の境内にざわめきが生まれ、皆は各々に立ち上がる。

「一段落だね」

パイプ椅子から立ち上がり、伸びをした大地が隣の輝夜を見た。

「うん。そうだね」

応えた輝夜はどうしてか顔を綻ばした。

「どうしたの? 輝夜さん」

「え? だって挨拶廻りした人達、皆にお似合いだねって。それが、嬉しくて」

夕日に照らされた彼女の顔は、綻びを通り越して最早、ニヤニヤになっていた。純粋な輝夜に大地は癒される。

「確かに言われてたね。僕も嬉しいよ」

「大地さん!」

感受性豊かな大地も喜んでいると、急に輝夜が立ち上がった。

「演舞も舞台も絶対に成功させようね」

驚く大地に輝夜は弾むように瞳を輝かせる。それに美しさを感じながら大地は頷いた。

「勿論だよ。一緒に成功させよう」

今にも抱き締めたい気持ちを押さえて、大地は微笑んだ。辺りに灯され始めた外灯の明かりよりも二人はとても輝いていた。

「先ずはこれから始まる宴会の用意だよね」

関係者の今日一日を労ってこの後、二条院の屋敷では宴会が行われる。ほぼほぼ、宴会ボットが働いてくれるが、英雄役と巫女役の人物も手伝わなければならない。本来は、接待を受ける側だが、関係者は年上ばかりなので、いつしか年下の主役が接待する嵌めになり、それが定着したのだ。

「うん。皆、今日も暑くて大変だったから涼しんで貰って、沢山、楽しんでもらいたい」

「大変だったのは、輝夜さんも同じなのに……素敵だね」

自分の事は二の次な輝夜に、大地の口からは良い溜め息が付かれた。

「そうかな?それよりも、早速、準備に取り掛かろう」

輝夜が先陣を切って屋敷に向かう。大地もそれに続いた。

------と。

「危ない!」

誰かが叫び、途端、大地が倒れた。

彼の横っ腹は鈍い衝撃に激痛を訴える。

「大地さん!」

悲鳴じみた声で叫んだのは輝夜だ。彼女は、倒れた大地の側に寄る。その付近ではスパイダー型の境内掃除ボットが暴れていた。

「ボットが暴走してる!取り押さえろ!」

それで状況を把握出来た。回路がショートしての暴走か、暑過ぎて熱が籠っての誤作動かは分からないが、暴走したボットが大地に体当たりして、彼は倒れ込んだのだ。

「大丈夫かい!大地くん!」

騒ぎを聞き付けた武彦が、輝夜に身を起こされた大地へと駆け寄る。直ぐ隣ではボットが取り押さえられていた。

「心配ないよ。輝夜さん。ありが……ッ!」

自身で立ち上がろうとした大地だったが、しかし、足の激痛に表情を強張らす。倒れた際に捻挫したのだ。

「酷い。取り敢えず、中へ!」

事は急を要する。武彦に言われると、輝夜は大地に肩を貸して、屋敷の中へと急いだ。


「これは、酷く足をぐねったね。まあ、それでも、一週間位、安静にしてたら治るよ」

「え?……一週間も」

屋敷の一室。椅子に座った大地は医師から告げられた一言に絶望を感じていた。

心配で様子を見に来ていた周りからはざわめきが生まれる。それもその筈。舞台は明後日なのだ。完治を待っていては舞台の日が過ぎてしまう。

「どうしよう」

「中止か」

皆は口々にそう言い、残念がる。不穏な空気が辺りには漂っていた。

「あの…俺が舞台に上がりましょうか?」

その空気を払拭するべく武彦が手を上げていた。皆は一斉に彼を見る。それを横目に彼は大地へと近付いた。

「先ずは大地くん。すまない。俺の敷地内のボットが多大な迷惑を掛けてしまい」

武彦は真摯に頭を深く下げる。それから上げた彼の目も、これまた真っ直ぐであった。

「だからこそ、俺が舞台に上がろうと思うんだ。沢山の人がこの舞台に関わって、それに、凄く楽しみにしてる人達も居る。皆の気持ちを無駄にしたくない。どうだろうか?」

実に良い提案だが、大地は断りたかった。輝夜と武彦が一緒に舞い、演劇をしているのを見るのが嫌だったのだ。けれども、私情を挟んでも良いものなのか。それならば、何か打開策は?

輝夜を見る。彼女はとても複雑な顔をしていた。それで、大地の意見は決まる。

「分かりました。お願いします」

輝夜を苦しめたく無い。だから、彼は引く事にした。辛い決断だが今はそれが良いと自分に言い聞かせて。周りはどよめいていた。

「本当に良いのだろうか?大ちゃん。君も輝夜ちゃんとの舞台は楽しみにしてたのだろ?練習も沢山してたのに、それを無下にしてしまって」

商店街の男性が訊いてくるも、大地は頷く事しか出来なかった。

「はい。残念ですけど、このまま中止よりはマシですよ。僕の努力よりも、皆さんの努力の方を無駄にしたくないですから」

「そうかい?君がそう言うのなら」

男性は浮かない顔をする。再び暗くなる雰囲気を転換させようと武彦が手を打ち鳴らした。

「さあ、沈んだ空気だと気が重い。宴会の準備をしましょう。それに、怪我人に、こんなに大勢の人が居ると障りますから移動しましょう」

確かに武彦の言う事が正しい。皆はぞろぞろと部屋を出ていった。

「輝夜ちゃん」

最後尾の武彦が大地の隣にまだ、座る輝夜に呼び掛けた。

「話したい事もあるだろうから後でおいで。準備は先に俺がしておくから」

「……はい。ありがとうございます」

武彦の優しさに輝夜は頭を下げる。それから、武彦が襖を閉めるも彼女は俯き、何も話さない。

しんと静まり返った室内。

落ち込んだままの大地は、輝夜のその様子を見て戸惑う。勝手に決断して怒らせたのだろうかと。しかし、

「……大地さん、ごめんなさい」

彼女は謝ってきた。少しだけ声が震えているようにも感じる。大地は更に戸惑った。

「え? どうして、輝夜さんが謝るの?」

「大地さんとの演舞と演劇が楽しみだったのに、それでも、皆の為にも踊りもしたくて……何だか裏切ってるようで」

心苦しく、その痛みを堪える様に彼女の手は胸元を押さえた。

「そんな事は無いよ。気にしないで」

そうは言っても彼女が気にするのは知っている大地。現に彼女は苦しんでいるのだから。瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「僕の方こそごめんね。勝手に舞台を降りて……。相談するべきだったよね」

「ううん。あの場合は仕方無いよ。……気にしないで」

大地が謝るも輝夜は元気なく首を振るしか出来なかった。罪悪感を抱いている輝夜に誰かを許す余裕なのどないのだから彼女に取れる唯一の行動だ。

そのまま数分が経過した。

二人は無言のままだったが、輝夜が無理矢理立ち上がった。

「私はそろそろ行くね。宴会の準備をしないと。巫女の役目だから。大地さんは?もう少し休む?」

問われて大地は頷く。

「そうだね。後で宴会場に行くよ」

「……そう。分かった。じゃあ、お先にね。大地さん。療養して」

輝夜は部屋を出る際に小さく手を振り、静かに襖を閉めた。一人になった大地は、少し考え込むと立ち上がる。そして、何か腑に落ちない顔をしながら部屋を後にした。


宴会の声が遠くに聞こえるごみ捨て場に大地は立っていた。そこには自身を襲ったスパイダーが捨てられている。彼はしゃがみ込むとそのボットをまさぐり何かを探し始めた。それで、見付けたのは黒い焦げ後。彼は腰にぶら下がるスティックフォンを取ると、アンテナの様に伸ばす。そして、ホログラム画面が広がり、巻物を広げた様な状態になったそれを操作してカメラアプリで写真を撮る。それから、それを誰かに送信すると、傍らに捨ててあるスクエア型の金属板を見付けた。それの品番を同じく写真を撮り送るとそれをポケットに締まう。最後に怒りが込み上げて来るのを彼は感じていた。


同じ頃、宴会場は盛り上りを見せていた。その対応に追われているのは新しい英雄の武彦と巫女の輝夜である。

「ごめんね。輝夜ちゃん。宴会ボットの個数が足りなくて。もっと有ればこんなに動かなくても良いのに」

声は屋敷の貯蔵庫から聞こえてきた。その主である武彦は瓶ケースを持ち上げて、辟易している。

「全然、大丈夫ですよ」

か細い腕で瓶ケースを持ち上げながら輝夜は笑顔を作る。その顔に少しだけ陰りが感じられた武彦は嘆息を吐いた。

「今は動いてる方が気が紛れる?」

図星だったので輝夜はドキリとした。

「え?いや、そんな事は無いですよ。それよりも、皆、良く飲みますね」

誤魔化そうとするも精神は正直で彼女は持ち上げている瓶ケースによろける。危険を察知した武彦は自身の持ち上げていたケースから手を離すと彼女の肩を支えた。武彦の落とした瓶は衝撃に割れて中から液体を流している。

「色々と無理しないで」

心配する武彦の声色はとても優しかった。

「彼の事は残念だけど、ここに輝夜ちゃんが居るって事は皆の期待に応えたい表れなんだから、彼も満足する演舞をしようよ」

「そうですよね。ごめんなさい」

まだ、割り切れて無い輝夜は元気なふりをして武彦から離れる。武彦は、まだ、慰めようと口を開くが何かに気が付くとその言葉を飲み込んだ。

「俺、片付けておくから、先に自分のを持って行って」

「はい。分かりました」

輝夜は宴会ボットと共に座敷へと向かう。散らばった瓶ケースにスパイダーが群がり、片付け出すと武彦は踵を返した。

「頼んだぞ」

そう言って彼は裏庭に出た。

夏の生暖かい風が吹いた先に黒い影。それは大地だった。

「良く舌が回りますね」

大地は非常な剣幕で武彦を睨んだ。

「褒め言葉として受け取っておくよ。でも、盗み聞きとは趣味が悪いな」

薄ら笑いを浮かべる武彦に大地が金属板を向けた。

「何だいそれは?」

「これは少し前に裏ルートで流行ったウイルスです。ボットに突き刺すだけで、暴走させる物で、主に逃亡犯等が追い掛けてくる警備ボットに使ったり、掃除ボットに使って警備ボットにぶつけたりする代物で取り締まりも厳しくなっているのですが……御存知ですよね?」

武彦の頭には疑問符が浮かぶ。

「俺が?どうして?」

「僕の仕事は機材配達なので、電脳者の知り合いが多くて、品番が有れば購入者を特定出来るんです。……それで」

大地は自分のスティックフォンを取り出して、ホログラムディスプレイを反転モードにして武彦にも見え易くする。そこに写っていたのは武彦の写真であった。

「言い逃れ出来ませんよね?」

その言葉で武彦は大笑いした。

「まさか、君がそんな探偵紛いな事をするなんてな。驚いた。詰めが甘かった自分自身を恨むよ」

一頻り笑った武彦の目が剣呑さに光る。

「ああ、そうさ。俺が仕向けたんだよ」

「何故、そんな事を?」

惚ける事を止めた武彦に大地の拳は強く握られる。

「だって、おかしいじゃないか。英雄役は、元来、二条院の者が勤める役目なのに、それがいつしかお似合いの恋人通しを選ぶなんて。馬鹿げてる!」

彼も彼なりの怒りを主張して空を横凪に裂く。

「だから、俺は自分のものを自分の手に返してもらっただけなんだ。何も悪くないだろ?」

「じゃあ、それを皆の前で自分の口から言って下さい」

大地はスティックフォンを操作して、バックラウンドで録音していたボイスレコーダーをホーム画面に浮かび上がらせた。

「言えないのならこれを流しますので」

テープのアイコン下には今も秒数が進んでおり、決定的な証拠である。が、

「良いよ。それを今から言いに行こうか?」

「え?」

あっさりした武彦に大地は戸惑った。

「それを御所望だろ?何を躊躇するんだ?」

踵を返す武彦。だが、直ぐに肩を大袈裟に落として見せた。

「まあ、演舞は中止だな」

武彦は大仰なまでの溜め息を吐いた。

「俺は英雄役を降板、けれど、君も舞えない。代役は居ない。中止しかないだろう。楽しみにしている皆は悲しむだろうな。それを見た輝夜ちゃんも落ち込むと思う」

確かにその通りであり、大地は口すら挟めない。武彦は続ける為に口を更に開く。

「勿論、延期の方法もある。その決定権は父にあるんだ。父は出張中で、演舞までには戻ってくるのだが、大事な息子を辱しめられた父が首を立てに振るとは思えない。逆上するんじゃないかな? そうすれば、父の事だ演舞だけじゃない、祭り事態も中止にするでろうな」

武彦は大地に近付き横に並ぶと肩を掴んだ。彼の顔が歪む程に強く。

「告発に意味は有っても告発する意味は無い。君は八方塞がりなんだよ。残念だけど」

その言葉で大地は武彦の胸倉を掴んだ。私利私欲、独断専行、総じて輝夜を悲しませる結果に結び付け、そして、更に追い詰められて彼の怒りは頂点に達したのだ。瞬間。

『警告!警告!直に暴力行為を中止せよ!』

巡回中の警備ボットから音声が放たれ頭上のランプが赤く光る。それは宴会場にも聞こえていた。何事かと、皆はアラームの方に向かい、それを知らない大地は胸倉を掴む手に力を込める。

「君でもそんなに激情的になるんだな」

「輝夜さんを悲しませたからだ」

平気で輝夜を傷付ける目の前の男を大地は物凄い剣幕で睨み付ける。それでも、武彦は平然としていた。

「まだだ。まだ、輝夜ちゃんには天罰を下さないと」

「何?」

武彦が不気味に口の端じを持ち上げた。

「もっと酷い事をして、彼女の精神を崩壊させて……」

最後は言葉にならなかった。頬に鈍い衝撃が走り、彼はぶっ飛んだ。憤慨に震える大地は痛み分けの拳を強く握る。

『危険分子を拘束します!!』

警備ボット達からアームが出てくると、言葉通りに大地を拘束した。

「大地さん!」

丁度、その時、輝夜が裏庭にやって来た。商店街の人達もやって来て、目の前の光景に驚く。

「何があったんだ」

誰かが言うと、

「大地くんが、「あんたが所有するボットのせいで僕が怪我したのがやはり許せない!」って怒り出して、謝ったんだけど許してくれなくて殴り掛かって来たんだ」

間髪入れずに武彦が言った。

「ちが…っ!」

言いかけて大地は口をつぐむ。本当の事を話せば商店街の人達、そして、輝夜をも悲しくさせる。だから、彼は全てを呑み込み、堪えた。

「……すまなかった」

絶望される眼差しを背に受ける大地。そんな、彼の謝罪は夏の夜へと溶け込んでいった。


「大分と形になって来たね」

二条院神社からの帰り道、そう言ったのは輝夜だ。場所は商店街の中央辺り。そこには、演舞を踊る際の特設ステージが組み立てられていた。本格的なセットであり、当日はプロジェクションマッピングも使い壮大な見世物になる予感しかないが、

「……そうだね」

隣に歩く大地は暗い。

あの後、寛大さを演出した武彦に許され、おとがめは無しに大地は帰る事を許されたのだ。

「ねえ、大地さん」

大地の顔色を見ていた輝夜が心配そうに声を掛けた。

「上がってみようよ、気分だけでも」

少しでも元気を出してもらおうと輝夜は大地の手を引く。けれど、大地はそんな気分にはなれなかった。

「ねえ、輝夜さん」

「ん?どうしたの?」

大地が輝夜の手を確りと握る。そうしなければ、儚く消えてしまいそうだったから。

「もう、アイツには近付かないでほしい」

自分の気持ちを優先するべきでは無いと分かりつつも言葉にしてしまった大地のそれは懇願にも近かった。けれども、輝夜は困った様に首を振る。

「武彦さんに?それは、無理だよ。稽古もあるし、本番だって…」

「アイツだけは本当に最悪な奴なんだ」

輝夜にはバラしても構わなかった。が、彼女はそれを聞いても降板は出来ないし、余計な情報だけ与えて演劇と演舞に身が入らないかもしれない。それにもし、彼女が巫女役を降りる選択をしても、それはそれで悲しむと彼は冷静にココでも口をつぐんだ。

「大地さん、暴力だけでも耐えられないのに、その上、陰口もなんて、苛立ってるのは分かるけど、お願いやめて大地さんらしくない」

輝夜の顔がくすんで見えた。初めて目にする幻滅の顔だ。大地は酷くショックを受けた。

「今日はココで別れましょう」

輝夜は大地の手を払うと一瞥もくれずに背を向けて歩き出した。

「……さよなら」

いつもと違う言葉の音色に大地はその背を追えずにいた。まるで、脚が根付いているように。


「なんだよ。らしくないって」

暫くしてから、残された大地は舞台の縁に座り独りごちていた。淡い街頭に照らされるその姿はとても寂しそうだ。

「僕は輝夜さんの事を思って……」

言うも後悔が襲ってきて溜め息が漏れる。

「あんなに練習したのに……本当に全部が無駄だ」

吐かれた深い息が切れると彼は舞台上を振り返った。そこには、腸をイメージした台座や、竜の頭部が置かれている。無機質なそれらからも哀れまれている様だ。

「いや、無駄なのはもう、仕方無い」

哀れみを振り払い、彼は頭を振る。

「今は舞台よりも、輝夜さんの身を案じるのが先決なんだ。アイツが何かをするんだったら……二人にしなければ良い。取り敢えずは夏祭りが終わるまでは。それまでは、この足の事も有るから、有休を使おう」

振り終わった頭は冴え渡り、彼は舞台の縁に立ち上がった。

「アイツの事で僕が非を認めるのは癪だけど、今は言ってられない。全力で輝夜さんに、僕が悪かった事にして謝ろう。そして、側にいよう。善は急げだ」

立ち上がった足を動かし、光明が見えた彼は輝夜の家に向かった。


フォトスタジオに着いた大地は、呼び鈴を鳴らすのに一瞬だけ躊躇った。輝夜のあの顔が甦って来たからだ。だが、それを掻き消して呼び鈴を鳴らした。それなのに、

「ん?輝夜はまだ帰ってないよ?」

出てきた太陽に言われて愕然とした。

「え?どこに?」

悪い胸騒ぎがして大地は捲し立てる様に訊く。

「電話があって、「大地さんを信じたいから、確認しに行ってくる。夜道も気を付けるよ」って」

太陽は腕組みをした。

「それを聴いて、一緒では無いのは分かったけど、二条院神社からの帰りでその状況は珍しいね。普段なら家の近くまで送るのに。神社での事は近所の人に聞いたけど、それと何か関係ある?」

流石に鋭い太陽。大地は危険を察知してスティックフォンを取り出す。しかし、誤解が解けていない上にまだ、怒っているだろうから出ないのは確実だ。

「太陽さん、掛けてもらっても良いですか?お願いします!」

「ああ、構わんが」

切迫感が伝わり太陽もスティックフォンを取り出した。だが、いくらコールしても輝夜は出ない。歩いていて気が付かないのか、それとも、武彦と話しているからなのか。それは分からないから大地は

「太陽さん、僕についてきて下さい」

打開策にそう言った。

「それは良いが、状況把握はさせてくれないか?」

知っているのとそうでないのとでは雲泥の差が有る。だから、大地はボイスレコーダーのアプリを起動させた。

「大地くん。僕は暴力は反対だが、今回だけは許そう。そうしなければ、僕が殴っていたからね」

聞き終えて裏の武彦を知った太陽は怒りに震える。彼の激怒する拳は、武彦が居れば確実に殴っていた。

「で、これを輝夜に……いや、聴かせていれば今の状況にはならなかった…か。でも、聴かせれば余計な事になるな。だから、君が悪者になり非難されてる訳か」

現状を直ぐに飲み込めた太陽は大地に感心を寄せていた。大地は辛そうに頷く。

「……はい。それで、もし、僕が謝っても許して貰えないのなら、太陽さんには、途中で輝夜さんを見付けられた場合、説得して帰って欲しいんです。許されず、説得も失敗した場合、太陽さんには、輝夜さんと共に二条院神社に付き添ってもらいたい。僕はこの場合、後から着いて行って、外で待機しています。もし、許された場合は、僕がその場で説得します。それに、失敗しても三人で神社に行けば良い。兎に角、二人きりにさせたくない」

最悪な状況は輝夜が傷付けられる事。大地はだから、必死だった。

「でも、良いのかい?しつこい場合、悪者の君は嫌われる事になるぞ?」

「構いません」

嫌われる覚悟等、誰も持ちたくは無い。が、今は背に腹はかえられぬ。その意気込みが太陽に伝わり、彼は玄関を出た。

「まあ、僕的にはその方が……いや、憎まれ口よりも、今は急ごうか」


一人で見る闇夜に浮かぶ鳥居は不気味だった。それは、まるで、悪魔の口腔の様である。その大口に飲まれる様に鳥居を潜った輝夜は武彦に座敷に通されていた。

「まさか、心配で戻って来てくれるなんて、嬉しいよ、輝夜ちゃん」

武彦は感謝を笑顔で表した。この場に裏の顔を知る者がいれば、その笑顔は厭らしいものに見えるのは確実だ。

「頬は痛みますか?」

けれど、それを知らない輝夜は彼を案じていた。

「まあ、正直ね。あんなに殴られるとは思わなかったから」

頬が痛むのは確かだが、彼は演技っぽくそこを抑える。それから、これも演技っぽく首を振って見せた。

「でも、俺は心配だよ。輝夜ちゃんが殴られてないか、これからも殴られないか」

武彦はここで大きな溜め息を挟んだ。

「大地くんに、見切りつけた方が良いよ? 暴力を振るう奴は一度でも手が出ると直ぐに手が出るから」

「本当に大地さんが一方的に悪いのですか?」

話の流れを遮るように輝夜はそう切り出した。

「何?」

武彦の目の下がピクリと動く。苛付き出してくる癖だ。輝夜はそれでも続ける為に口を開く。

「あの時は気が動転して、凄くショックだったのですが、冷静になって考えてみれば、大地さんが身勝手な理由で人を傷付けるとは思えないんです」

「じゃあ、俺が嘘を言っているとでも言うのか? でも、殴られたのは真実だぞ?」

少し声を粗げる武彦。けれど、輝夜は物怖じしない。彼女は信念を瞳に宿していた。

「意味の有る暴力、思い遣りの有る暴力は、私は正義と思っています」

彼女は自身の中に広がる靄を晴らして大地を信じたい気持ちだけで一杯だった。

暫くの沈黙。

「……そうか」

その後に武彦が静かに立ち上がった。

「ヤバイ考えだな!!」

叫ぶと襖がけたたましく開き、飛び込んで来た掃除ボットの伸ばしたアームが輝夜を襲う。輝夜は小さな悲鳴を上げた。

「何をするのですか?!」

「天罰だッ!」

武彦は隣の部屋の襖を開ける。そこには布団が敷いてあった。武彦は手にしたスティックフォンでアームを操作して、輝夜をその布団に叩き付ける。輝夜は拘束されて動けないまま、恐怖の面持ちをしていた。

「君がこの商店街に越して来た時から、俺は君の事が好きだったのに! 君の笑顔、君の声、仕草に身体、俺のものにしたかった! 君だって俺にいつも嬉しそうに話し掛けてきて、相思相愛だと思った。……それなのに、いつの間にか大地なんかと付き合いやがって! 俺の気持ちを持ち遊ぶにも限度がある! しかも、舞も踊るだと! 許される訳がないだろ!」

一気に捲し立てると武彦は眼鏡を外して畳に落とした。その目は剣呑に光り、輝夜を怯えさせる。

「だから、大地とも破局させ、それから商店街の皆に有る事、無い事を吹聴して、演出で確認させ村八分にして人間不信にして精神的にズタズタにしてやろうと思ったのに………。そこまで意志が強い女だったとは」

武彦の口元が弧を作る。もう、止まらない不気味な笑顔だ。

「これは最後にと思ったんだけどな。穢れを注ぎ込んでやるよ。自分が穢れだと認めるのは癪だがな。汚れた身体になった後にまだ、意思を強くもっていられるかな?」

武彦が輝夜へと近付き、その頬に触れる。-----と、目の端で何かが飛んでくるのが分かったのでそれを掴んだ。

「危ない。危ない」

武彦が掴むのは輝夜の手だった。何とか片手だけアームから抜け出せたので張り手で抵抗しようとするも、それは虚しく阻害されてしまったのだ。

「……オンボロが。ちゃんと掴んでおけ」

武彦はボットを睨む。それから、無理矢理に輝夜の手を布団に押し付けた。抵抗するも力では敵わない。輝夜は必死に首を降った。

「いや……」

その時、インターホンが鳴った。武彦は反射的に止まり、舌打ちをする。そして、

「武彦さん! 居ますか? お話が有るのですが! 武彦さん!」

聞こえて来たのは大地の声だった。輝夜は息を大きく吸う。武彦はそれに気が付き、口を押さえようとした。が、

「助けて! 大地さん!」

輝夜は口が塞がれる前に叫んだ。武彦は諦めた様に溜め息を吐いて立ち上がる。それから、広間に出ると縁側の障子に手を掛け、近付いて来た足音が止まると同時に障子を開けた。

「こんな時間になんの用かな? おや? 太陽さんまで居るじゃないか」

「用件は分かりますよね? 輝夜さんは何処ですか?」

此方を見下す武彦を大地は睨む。彼は怒りに震えていた。

「え? 輝夜ちゃん? 来てるけど逢わせられないよ?」

武彦はあっけらかんと答える。大地が一歩、彼ににじり寄った。

「どうして、そんな決定権が武彦さんにあるのですか!」

「俺がこの場を掌握してるからに決まってるだろ? 君も頭が悪いな」

武彦の指が大地の足を指した。

「ぐねった足で俺に抵抗出来るとでも? 弱点を狙うのは戦のセオリーだろ?」

その次に彼の指が太陽に向けられる。

「太陽さんは万全であったとしても、力で俺が負けるとでも? 足腰を狙えば勝負は直ぐにつくよ」 

武彦は肩を上下させて笑う。何とも腹正しい男だ。大地と太陽は悔しそうに下唇を噛んだ。

「……卑怯な」 

「大地さん!」

大地が怨めしげな声を出すのと同時、隣の障子が開いた。三人が遣り取りしている間に片手の空いた輝夜が自力でアームを引き剥がして飛び出して来たのだ。

彼女は大地へと駆け寄る。武彦は自身の横を駆け抜ける輝夜に激怒した。

「誰が動いて良いと言ったァッ!」

武彦が叫ぶと縁側に配置されていたボットが輝夜へとアームを伸ばす。容赦なく迫るアーム。物理的に輝夜が苦しむ姿を見たくない大地と太陽。だが、太陽は動けなかった。年齢のせいの反応の遅れ、体力の残り少なさも原因であり、太陽が動こうとした時には大地が動いていたのだ。

「危ないッ!」

彼は輝夜を抱き締めると、そのまま倒れて彼女に覆い被さった。伸びたアームは虚空を掴むとそれを振り落とし大地の背を殴る。強く叩かれた大地の口からは悲痛の叫び声が上がった。

「大地さん!」

最愛の人越しに伝わった衝撃の強さに輝夜は声を荒らげる。その声を聞きながら、裏の顔が全面に出る武彦はスティックフォンのボタンを連打した。

「良い様だ! 俺の邪魔をした報いを受けろ!」

連打に従い、アームは何度も何度も大地の背を殴打する。その度に鈍い音が響いていた。

「やめないか!」

目の前の光景を打開しようと太陽が動くもアームによって拘束される。もう、絶望的だ。

「大地さん! もう、離れて! お願い!」

身を呈してくれている大地に切願するも彼に退く意思はなかった。

「こんなの痛くないよ。輝夜さんに幻滅されたままの方が痛いから、守らせて」

強打を受ける大地は、心配を掛けまいと無理に微笑む。武彦は憤慨する。

「虫酸が走る言葉を言いやがって! ボット、そいつを引き剥がせ!」

アームが命令に従い大地を引き剥がそうとする。それに耐える大地。下品に大笑いする武彦。それを、

「何をしている?」

止めたのは圧のある男声だった。暴走していた武彦は身体全体で驚きを表し、振り返る。そこには、古希を迎えた厳格な男性と気品な女性がいた。

「ち、父上」

武彦は肝が冷えた声を出した。反射的にボットの遮断ボタンを押して、辺りは静まり返る。

「何をしていると訊いている」

眼光鋭き父は武彦を睨んだ。武彦は蛇に睨まれた蛙の様に畏縮する。とても、話せる状態にない。完全に思考停止だ。それを見兼ねた太陽が、緩くなったアームを剥がしながら口を開いた。

「栄臣さん。莉子さん。僕から話します」


「ほう、出張中にそんな事があったとは……」

太陽に事の顛末を聞いた栄臣は状況を理解して顎髭を触る。今、彼は座敷の座布団に座り、説明した太陽達はその前に座っていた。そこから見える縁側のボット達はそのままの状態であり、栄臣からは溜め息が吐かれた。神聖な場所で起こった悲惨な出来事が如実に分かり、怒りを通り越して呆れたのだ。

「武彦!泣き止みなさい!」

そう叱るのは母親である莉子だ。彼女の隣では武彦が泣きじゃくっていた。

「…はい、ははゔえ。ずみばぜん」

「謝るのは私にではない!」

激昂され武彦は丁寧に手を付き、輝夜達に頭を下げた。

「この度は……本当に……申し訳有りませんでした」

啜り泣きながらも彼は丁寧に謝る。それから、顔を上げて、涙を拭うと輝夜を真っ直ぐに見た。

「輝夜ちゃんの事が本当に好きで……それが止まらなくなってしまったんだ……。だから、ぐず、裏切られたと勝手に思ってしまい……ぐず、こんな暴挙に」

彼は次に大地の方を向く。

「大地くんも、ぐず、本当にすまなかった。完全な……逆恨みに俺の我が儘で傷付けてしまい。謝っても謝り切れない。恨んでくれても良い。……でも、でも……」

武彦の目からまた涙が零れ始める。

「これまで同様に仲良くしてくれたら嬉しい!」

もう一度、武彦は大泣きした。もう、どれが本当の武彦かが分からない。輝夜と大地は唖然としていたが、顔を見合わせると優しい溜め息を吐いた。

「太陽さんに輝夜さん、それに大地くん、息子をこんな風に育てたのはこちらの不徳の致ところで、大変、申し訳ない」

父と母も深々と頭を下げた。大地は、武彦から聞いていた父の印象が違い面食らう。

「武彦さんは、この後警察にしょっぴいてもらいます」

「そんな! 母上ッ!」

それが正しいが、武彦は母親にしがみついた。その絵面は実に情けない。

「当たり前です!二条院家の名折れ、反省なさい!」

母親に二言はなく、彼女は武彦を引き剥がす。その姿を見て輝夜が唇を動かした。

「いや、そこまでは私も望んでいません。反省はして欲しいですが…」

輝夜はわざと歯切れを悪くして、栄臣を見る。何かを訴えるようなその瞳に栄臣は方眉を動かした。

「何か交換条件が有りそうだな?」

「はい。このままだと商店街の皆が楽しみにしている演舞と演技が中止になってしまいます。その開催日を一週間、伸ばして貰えませんか? そうすれば、大地さんの捻挫も治ります。駄目でしょうか?」

提案には絶好な進行状況である。それを逃さない輝夜は流石と言えた。栄臣は感銘に深く目を閉じる。

「自身が怖い目に遭ったにも関わらず、商店街の皆の事を思うとは、実に素晴らしい女性だ」

栄臣は天晴れと言わんばかりに膝を打つ。

「勿論、大丈夫だ」

その台詞は、輝夜と大地を喜ばすには十分過ぎる言葉だった。現に輝夜と大地は顔を見合わせて凄く喜ぶ。武彦もそれについては、もう、喜んでいた。

「しかし、本当にそんな事だけで良いのか?」

「はい。だって、やっぱり私は大地さんと成功させたいので」

それ以上、何も望んでいない輝夜は、しかし、不安な面持ちで大地を見る。

「……でも、大地さんが本当に良いの……かな?」

「え?どういう意味?」

彼女が何を言っているのか分からなく、大地は疑問符を掲げた。

「だって私はまだ、大地さんに許してもらってない。勘違いしていたとしても、私は大地さんに酷い態度を取ってしまた……。本当にごめんなさい」

輝夜は深々と頭を下げる。申し訳なさ過ぎて、その頭は上がらない。

「もし、許してくれるのなら、私の英雄にもう一度なって下さい」

彼女は瞳をぎゅっと閉じて大地の言葉を待つ。否定されるかもという怯えに唇もぎゅっと噛み締められていた。

「そんなぁ。僕は輝夜さんに嫌われていると思っていたから謝らないで」

大地は、まさか謝罪されるとは思ってもいなかったので戸惑う。それを武彦が笑った。

「ダメだな~、大地くん、そこは男らしく格好良い台詞でも……」

「武彦!」

水を差すも母親の激怒に彼は直ぐに身を縮ませた。とは言え、彼の言葉は尤もであり、大地は輝夜の頭を撫でた。

「うん。僕で良ければ。輝夜さんが僕を疑っても、それでも、信じたいって思ってくれた結果がこの場だから、僕は輝夜さんを許すよ。だから、もう一度、僕の巫女になって下さい」

輝夜はそう言われて顔を上げる。撫でられている気持ち良さと仲直り出来た嬉しさに彼女の顔は、磨いた鏡の様に光っていた。

「へへへ」

照れ隠しに笑う輝夜。最早、隠れてはいないのだが。だからこそ、大地の心は更に高揚していた。彼は本当に幸せ者である。その微笑ましい光景に栄臣は再び膝を打った。

「それでは、早速、延期の算段をしよう。莉子」

栄臣は、妻に指示を出し、彼女は頷いてから部屋を後にした。もう、任せておけば大丈夫だ。後、此方がしなければならない事は一つだけ。

「大地さんは確りと療養してね」

それは、絶対条件である。大地は心得ていた。

「勿論。輝夜さんの為にね」

これで二人は元に戻れた。やはり、二人はこの方が良い。

「太陽さん。良い娘さんを持った。貴方の育て方が良かったんだな」

栄臣は腕組みをしながら何度も頷く。----------でも、

「そんな事……ありませんよ」

褒められて、場は和むが何処か太陽は晴々としていなかった。


商店街の、明かりが入る至る所に段幕が下ろされた。擬似的に辺りが暗くなると、騒がしかった簡易椅子に座る人々は静かになる。すると、それを見計らったように舞台から太鼓の音が聴こえて来た。一瞬の拍手が巻き起こると、徐々に太鼓の音は大きくなり、舞台には緑色の炎が灯る。座っていた太鼓隊は立ち上がると下手へと移動し、プロジェクションマッピングで辺りが彩られた。それを合図に上手から舞台着物に身を包んだ大地と輝夜が壇上へと上がる。そこでも拍手が起こった。

「……お似合いだな」

拍手をしていた太陽が、舞台の二人を見てそう言った。ただし、寂しげな溜め息に混じってだが。

「僕は……あの時、動けなかった」

太陽は数週間前の屋敷での事を思い出し顔をしかめる。そんな表情をしているとは分からない大地と輝夜は舞を始め出していた。

「意思は反応しても……身体が反応しなかった」

捻挫はすっかりと治り、二人の息はぴったりである。それを太陽は少し離れた場所で見ていた。

「……大切な輝夜を守れなかった」

緊張をおくびにも見せない二人は緑色の炎に照らされ、とても綺麗である。観客達は魅了されていた。

「もう、歳なんだな。いつまでも彼女を見ていられない」

大地と目が合う度に少し恥ずかしげになる輝夜を見ながら太陽は目を細めた。

「いや、見てもらっているのはこちらか……」

皮肉さが太陽の口の端を持ち上げる。

「手離す時が……来たんだな」

我が儘を彼はそっとその場に置いた。

舞が終わると次はそのまま劇へと入る。劇は、巫女が竜神に見初められる所から始まり、しかし、それを拒否して、逆上した竜神に喰わるのを英雄が助けて終演となる。

劇は難なく演技され、最後、竜神の腹に見立てた膜をかっさばき、巫女を助けた英雄が刀を高く掲げた。そして、抱き合う二人。

「ああ、本当にお似合いな二人だ」

その姿を見た太陽が嬉しそうな、しかし、寂しそうに言った。頭上では、ホログラムの竜神が入り口方面から出口方面へと駆けると消え、割れんばかりの拍手が生まれる。

もう、そこには太陽の姿は無かった。


闇夜を拒むように商店街が輝きだした。パレードの始まりだ。陽気な音楽が流れ、人々は歓喜に満ちる。

「パレードが始まったね。輝夜さん」

大地は窓枠に座り商店街の出入口を見る。遠くに見える小さな列が此方に向かって歩いて来ていた。

「こんな風に電灯するんだ。綺麗」

隣の輝夜は窓枠から身を乗り出して辺りを見渡していた。商店街は電飾と、これまたプロジェクションマッピングで彩られ、とても幻想的である。

そんな異世界のような雰囲気を堪能している二人は今、大地の私室を訪れていた。彼の家は、下の階が仕事場で、その上が生活部屋なのだ。しかも、大地の部屋は通り沿いなので、パレードがとても見え易かった。

「僕達は、後は見るだけだから気が楽だよ。でも、何だか肩の荷が下りたと同時に寂しい感じもするね」

「うん。そうだね。大地さん。凄く緊張もしたけど、それでも、楽しかった方が上かな。商店街の皆も喜んでくれたから嬉しかったし……」

輝夜は舞台を思い返して微笑む。その顔がきらびやかな光りに照らされて、更に美しく大地は一瞬、見惚れる。毎度の事なのではあるが。

「来年は誰がするのかな?」

「それは分からないけど、今回みたいなトラブルがなければ良いね」

美しい横顔に訊かれ、大地は辟易した様に言う。輝夜は笑った。

「確かに。平和に事が終わって欲しいよね。まあ、武彦さんみたいな人はそうそう居ないでしょ」 

「どうかな~」

大地は苦く笑う。武彦はあの後から、凄く反省はしているものの、二人に更に馴れ馴れしくなり、大地は本当に反省しているのか疑問に感じ、警察に突き出しても良かったんじゃないかな?とも思う始末だった。

大地は、武彦が、くしゃみの一つでもしてれば良いっと思いながら、再びパレードに目をやる。

「それにしても、祭りも1週間続けるとは思わなかったよ」

「私もそれは思ってた。舞台だけ伸ばしてくれると思ってたのに、まさか、祭りも伸びるなんて。異例らしいけど、毎日、こんなに人が集まってくれるのは、活気があって良いね。やっぱり祭りが似合うよねこの季節には!」

ベールの様に纏わり付く暑さすらも輝夜は楽しんでいた。

「輝夜さんの夏好きは生粋だね。だから、僕もいつの間にか夏が好きになってたよ。今年の夏は良い意味でも悪い意味でも一生、記憶に残りそう」

「夏の思い出はいつでも一生もの。忘れるものなんて何一つも無いよ。今年の夏は大地さんとの絆が深まったから私は嬉しかったな」

輝夜は、手摺に添えた手に頭を付けてこちらを見詰めてくる。その角度が完璧過ぎて、大地は心のシャッターをそっと切った。そして、そわそわし出す。握った手の指を波のように動かして、全く落ち着きを見失っていた。しかし、意を決して口を開く。

「うん! だからさ、輝夜さん!!」

「え? は、はい!」

いきなりの大声に輝夜はすっとんきょうな声で返事する。その声も大きかったのだが、パレードの音楽に書き消され、此方を見上げる者も向かいから覗き見る者も居なかった。この小さな部屋が二人の世界だ。

「僕と結婚して下さい!」

その言葉はすんなりと喉から出てきてくれた。もう、彼は覚悟を決めていたからだ。

「絆が深まったからこそ、もっとこれからも深めていきたい! それに、あんな事があって、もっと輝夜さんを近くで護りたいとも思ったんだ!」

心を全て吐露する大地。包み隠さない素直な気持ちを受け取って欲しい現れだ。輝夜は幸せに震えていた。

「嬉しい。凄く嬉しい。ありがとう」

言った輝夜の黒瞳の輪郭が喜びの光に包まれるや否や、それは全体的に広がり、彼女は涙を流した。

「いつまでも、私を護って下さい。大地さん」

輝夜は大地の手をぎゅっと握った。大地は胸を安堵に撫で下ろし、その場にへたり込んだ。緊張の糸が切れたのだ。

「あぁ~、良かった。半端なく緊張してたから……まだ、心臓がばくばくしてるよ……。情けない」

「そんな事ない。そこまで思ってくれてたのが、本当に嬉しいよ。ありがとう」

気持ちの大切な部分で繋がった二人。これからも末長く幸せになる予感しかしない、そんな二人を一際、明るい光が照らす。外を見るとそれは、ホログラムフロート車であった。

「商店街の皆だよ! 大地さん!」

輝夜が身を乗り出してホログラムを見る。ここが2階なのでフロート車との目線は一緒だ。

「本当だ。こんな風にきらびやかになるんだ。自分を探そうよ」

眼前の百花繚乱に大地もテンションが上がる。

「そうだね。どこかな?」

ホログラムの人物達は職業に似合った様々な動きをしており、輝夜と大地は自分の像を無事に探せた。

「あっ!自分、発見!」

「僕も!」

二人とも喜びようは何だか子供である。

「ホログラムフォトで自分を俯瞰で見るのは慣れてるけど、こんな風に注目されているのを意識すると恥ずかしね」

「そうだね。輝夜さん。しかも、僕と輝夜さん、ちゃっかりと離されてるしね」

大地のホログラムは少し奥まった列にいて、輝夜は目立つ手前に太陽のホログラムと一緒に並んでいた。配置には太陽も一枚噛んでいる証拠である。

「でも、コレは太陽さんの頑張りの結果だね。やっぱり凄いよ、あの人は」

「お父さん、良く頑張ったよ」

二人は流れるフロート車を見詰めて優しく微笑む。

「……二人の結婚、許してくれるかな?」

輝夜が、太陽のホログラムを見ながらぽつりと不安を溢す。

「そこが一番の問題だね。何か良い策を練ろう」

難題を突き付けられて大地は腕組みをした。

「何か接待でもして、気分が上がった時に言うのが……」

そこまで言った輝夜は閃きを覚えた。急いで机の上に置かれたチケット袋を手に取る。

「コレだよね」

大地もそれを見て同意に頷いた。

「うん! コレだ」

打開策を見付けた二人は大いに喜んだ。その横をフロート車がゆっくりと進んでいた。


ホログラムフォトスタジオの前に置いた長椅子に太陽は腰掛けていた。

「……月夜。今年の夏祭りにも参加できたね」

長椅子の隣には愛している者の写真があった。

「水風船吊りで前のめりになって浴衣をずぶ濡れにしたのを今でも覚えているよ。「大丈夫。夏だから直ぐに乾くわよ」そう言って笑ってたね。……あの頃が懐かしい」

過去にしがみつく様に太陽は目を細める。今の彼はとても感傷的であった。周りの賑やかさから置いてきぼりを食らっている様である。

「君と別れてから、毎日が辛い。君に逢いたいし、触れたい」

悲しむ太陽の手が月夜の写真を掴み、彼はそれを抱いた。

「……僕が君を“  ”なければ良かった」

-----吹き抜けた夏の夜風に風鈴が鳴る。

「………ごめん。………こんな時にだけ君に頼るなんて」

太陽は再び、写真を見詰める。その上に流れた太陽の涙が数滴、落ちた。

「また、お母さんの写真を見て泣いてる」

ふと聞こえて来た声が、月夜の写真を奪う。顔を上げるとそこには輝夜が居た。

「駄目だよ。お母さんの写真を見て悲しんでばかりいちゃ。可哀想じゃない」

輝夜は横に座ると月夜の写真を膝の上に置いた。

「ねえ、お母さん」

彼女は写真に語り掛ける。それから、その写真を太陽に向けて、

「そうだよ。アナタ。悲しんでばかりだと化けて出てきてやるー」

自分の想像する月夜の真似をした。太陽は我慢出来ずに吹いて、涙を拭う。

「全然、似てないな。それに、出てきてくれたら嬉しい」

「えー、私は嫌だな。だって、怖いもん」

心霊関係が苦手な輝夜は不貞腐れる。それに対して太陽は、

「でも、夏だからあり得るかも」

悪戯に追い討ちを掛けた。

「嫌だ! もう、止めてよ! お父さん!」

本当に嫌がっている輝夜を見て太陽は腹を抱えて笑う。すっかり元気を取り戻したようだ。流石は輝夜である。

「それよりも、見たよ! パレード!」

話題を変えようと輝夜がそう切り出す。

「ああ、僕も月夜とココで見ていたよ」

「凄い良かった! 感動だってしたんだから! 大地さんも喜んでたよ!」

輝夜が最愛の人の名前を口にすると太陽はあからさまにつまらなそうな表情をする。

「大地くんねー。舞台、失敗しなかったな。願掛けでもすれば良かった」

「そんな風にいじけるのお父さんらしいね」

いつも通りの父親に輝夜は微笑む。

「そこ、肯定されてもなー。まあ、二人とも頑張ってたし、それに、認めたくないけど、お似合いだったよ」

まさかの言葉を聞いた輝夜がニマニマする。

「そんな顔してどうした?」

「いやー、お父さんが大地さんを誉めるの珍しいなーって。このままどんどん、仲良くなれば良いのにな。それが、私の願い。それこそ、願掛けに行っても良いかも」

輝夜は願掛けに効きそうな神社をピックアップする。勿論、武彦の神社は抜いて。

「……でも、その前にコレ」

輝夜がチケット袋を取り出し、太陽に見せる。

「それは、舞台の褒美の品だろ?温泉旅行」

輝夜が何を御願いするのか理解して太陽が溜め息を吐いた。

「分かってる。どうせ、反対しても大地くんと行くんだろ?」

「違うよ。お父さんと行こうと思って」

信じられない台詞に太陽は一瞬固まった。間抜けな顔で。

「え? 本当か?」

間抜けな顔のまま訊くと輝夜は頷く。

「私はココで嘘を言う娘? そんな風に育ててないでしょ? 大地さんも賛成してくれたよ」

嬉しさは、太陽に両手の拳を握らせる。

「そうか! そうか! 大地くんも良い奴だな!」

「お父さん、とっても現金。お母さんも一緒に家族水入らずで行こうよ」

輝夜は写真を撫でる。写真の中の月夜も喜んでいるようであった。太陽の喜びようはもっとであるが。

「そうだな! よし、今から楽しみだ!」

今年一番、嬉しい誘いに太陽は破顔一笑していた。


仙山の宿。


歴史深い地区の山側にぽつんと佇むその宿は新緑に抱かれていた。

木々のお陰で暑い陽射しを忘却出来る細道を歩き、やがて見えてくる門を潜れば、そこは、風情の揺りかご。日頃の疲れも、悩み事も全てを遠ざけてくれる特別な場所だ。

「……こんなにも素敵な場所があったんだね」

言ったのは輝夜だ。日除けの浮き傘から覗かせたその顔は感無量っといった感じだ。

「…ああ、そうだな」

隣の太陽も同じであり、彼も目の前の旅館に感動していた。

「景品旅行だから、どうせ、サイト詐欺で、もっとボロい旅館だろうって思っていたのにな」

「ねえ。お化けでも出そうな旅館だろうねって話してたのが申し訳ないよ」

失礼な事を言いながらも、二人はまだ、目を奪われていた。それも納得は出来る。宿の外観は周りの風景を反射出来る様に全面硝子張りであり、それが、まるで木々に溶け込んでいるかのような素晴らしさがあるのだから。 

「中も見たいから、行こうよ」

「そうだな。暑いから早く涼ませてもらおう」

蝉時雨を浴びながら、二人の足は本館へと向かう。

石段を一歩、また、一歩と踏み締める度、身も心も洗礼されていく気分になり、それは、玄関扉が開き、中に閉じ込められていた冷気が隣を過ぎる頃には完全に磨き上がっていた。

館内のロビーは、邸宅の様に広く、淡い灯りに包まれているので、落ち着け、それは溜め息を誘う。現に太陽がそうであった。

その溜め息に釣られる様に女将が挨拶に出て来る。

「暑い中、ようこそおいで下さいました。上野様ですね。ささ、どうぞ此方へ。客室に案内致します」

品のある綺麗な女将であった。宿の雰囲気にあった美しい彼女が早速案内してくれた部屋も、これまた美しかった。

「…素敵な部屋」

和室の自然さを感じさせる空間が、輝夜にそう漏らさせた。

「確かに……。こんなに良い部屋だとはな」

窓から眺められる苔むした中庭を見ながら太陽は何度目かの溜め息を吐いた。それから、荷物を置いて、女将に入浴、配膳等の説明を受けると一旦、座布団に座る二人。

「お母さんにもこの部屋の良さを見て貰わないとね」

輝夜はポータブルを取り出して母親の写真を浮かび上がらせる。ワンピース姿の彼女は、それだけで涼しそうであった。

「暑いからお茶、入れるね」

「おお、ありがとう」

テーブル中央には急須と湯飲みが置かれていた。気が利く輝夜はそれを手に取ると冷えたお茶を3つ湯飲みに入れていく。香ばしい麦茶の香りが鼻腔を擽り、一つは母に、それから二人はそれを喉に流し込んだ。

「生き返るな」

「そうだね。冷たくて美味しいー」

染み渡る涼に太陽と輝夜は爽やかさを覚えた。

「お父さん、お母さんとこの観光地に旅行に来た事はあるんだっけ?」

冷たさの余韻に浸るように輝夜が尋ねる。

「ん? ああ、大分と昔にな」

大地は、茶請けの一口ゼリーに手を伸ばしながら応える。蜜柑が一切れ入り、表面に砂糖がまぶしてあるそれはとても美味しそうだ。だから、輝夜も手を伸ばした。

「その時の事は覚えてる?」

ゼリーを頬張りながら、太陽は頷いた。

「勿論。月夜との思いでは一つも忘れてないよ」

太陽の目が憂いを帯びて、卓上の月夜を見詰めた。それに応えない彼女の笑顔は、見てる彼に少し寂しさを感じさせてしまう。それに気が付いていない輝夜は元気一杯だ。

「そっか。でもね、任せて。その頃には無い、お店とか増えてるし、新しい観光エリアも解放されてるから、新鮮に楽しめるよ。私、この日の為に色々と調べてきたんだから。お父さん、鮎の塩焼きが好きでしょ? 美味しい場所があるらしいんだ。あとはねー、蕎麦も良いよ。素敵な甘味処にも行こう!」

ゼリーを一噛みした輝夜は小さな胸を反らせた。その頭を太陽は撫でる。

「ありがとう。僕は、輝夜とこうして旅行に来れただけでも嬉しいよ」

「えへへへへ」

大きなしわしわの手に頭を撫でられて輝夜は喜ぶ。

「じゃあ、早速、観光に行こうか。頼りになるガイドさん、任せたよ」

「大船に乗った気持ちで着いて来なさい!」

旅行が楽しみだったと伺えるはしゃぎように太陽は自然と笑顔が溢れていた。

観光スポットまでは、来た道を戻れば着く。だが、それでは味気無いと、二人は小舟に乗る事にした。この場所は大きな川が流れているので観光客の為に小舟が有るのだ。

川辺に定着している小舟には水先案内人が立っており、二人は会釈をすると乗り込んだ。木製のそれは、とても年期が入っており、しかし、それすらにも風情があり気分が上がるものがあった。

「良い風が吹くね」

真っ直ぐとゆっくり進む舟の上は、川面から流れる風で、輝夜が口にするように、涼しい。

「そうだな。それに静かだ」

蝉時雨もここでは小雨に思え、喧騒でさえも離れた距離が、厳かにしてくれていた。

「舟は初めてだけど、こう言うのも悪くない」

観光地のおもてなしに太陽は更に癒されていた。

「そう言って貰えると光栄です。家族旅行ですか? 羨ましい」

水先案内人が声を掛けて来た。太陽は頷く。

「ええ。久し振りの家族旅行です」

「この場所は良い所でしょう。科学が発展してから、街並みは様々、変わりましたが古風保存地区のこの辺りは昔ながらの景色が残ってますからな~」

千変万化な世の中。水先案内人に染々、言われ再び太陽は頷いた。

「そうですね。観光客が多いのも頷ける。どこか郷愁を感じるのでしょうね」

太陽が景色を楽しむ輝夜の頭を撫でた。輝夜は驚きも嫌がりもせずにそれを受け入れる。

それから舟は停泊所に着いた。太陽は先に降り、輝夜も降りようとした時、太陽がそっと手を差し出した。

「危ないから」

彼の目が懐かしそうに優しさを帯びる。輝夜はその手を取った。

「ありがとう。お父さん」

船が軽く揺れる。輝夜は、バランスが悪いも支えがあるので無事に船から降りられた。

「さてと…」

水先案内人に会釈をする太陽を余所に輝夜は腰に手を当てた。

「観光するぞ!」

先程の哀愁は一変。ここからは輝夜のターンと言わんばかりに元気で明るい雰囲気が広がっていた。輝夜は、まだ、切なさが抜け切っていない太陽の手を掴む。

「さあ、行こう! お父さん!」

流行る気持ちを沈める術を知らない輝夜。そんな、はつらつとした彼女に太陽は優しい目を向けると、成されるがままに歩くのだった。

観光エリアには、余す事無く、全てが名所である。神社仏閣や食事処、巨大な池や滝、竹林は涼しく、山岳広場からは絶景が拝める。手始めにかき氷を食べて身体の火照りを沈めた輝夜達は、時間の許す限り色々と巡った。

そして、夕方。対岸に渡る為に架かる橋の上では、月も良いが夕陽も美しく見え、二人はそれに照らされながら歩いていた。

「楽しかったー! とっても、満足!」

先を歩く輝夜は大きく伸びをした。揺れる髪の毛が朱色に染まり、とても美しい。その髪を靡かせながら彼女は太陽へと振り返った。

「ね、お父さん。楽しかったね!」

「そうだな。楽しかった。これも、舞を頑張ってくれた輝夜のお陰だな。ありがとう」

太陽もとても満足そうである。疲れは有るものの、楽しさの方が先行していた。

「どういたしまして。来年も来ようね」

「ああ。必ず。人生は生涯を掛けての思い出作りとも言うから、来年も良い思い出を作ろう」

それが今から楽しみである太陽。そんな彼がふっと足を止めた。

「どうしたの? お父さん」

急に歩みを止めた太陽に輝夜は疑問符を掲げた。彼女は父親の目線を追う。

「風鈴館? 何、お父さん、風鈴に興味が有るの?」

太陽が見ていたのは輝夜の言う通り、風鈴が置かれた建物、風鈴館と呼ばれる場所だった。店先に垂れ下がる沢山の風鈴一つ一つが、夕陽を反射させおり、とても、夢幻的だ。

「ん? ああ」

懐かしさを噛み締めるように太陽は頷いた。それなら、輝夜の取る行動は一つ。彼女は太陽の手を掴んだ。

「なら、入ろうよ! ここ、確か絵付け体験も出来る所だよ。折角だから記念に作ろうよ」

言いながら、強引に店へと入る。

「いらっしゃいませ」

店内にも沢山の風鈴が吊るされており、涼しげな音色と店員が出迎えてくれた。

「二人、絵付け体験をしたいのですが、大丈夫ですか?」

輝夜がカウンターの女性店員に尋ねると、彼女は頷いた。

「大丈夫ですよ。此方に記入をお願いしますね」

店員がシートを出すと、それに記入する輝夜。それが済むと二階へと案内された。

二階は、夏らしく壁に風鈴と朝顔がレイアウトされておりこれまた涼しそうである。人数もちらほら見られ、皆、夕陽に照らされながら作業をしていた。

「それでは、何か分からない事があれば御呼び下さいね」

説明を終えると定員は軽く頭を下げてから一階へと捌けていった。太陽と輝夜は「はい」と返事をすると作業へと取り掛かる。

「ねえ、お父さん」

壁際の席、手を動かしながら輝夜が尋ねた。

「ん?」

「どうして風鈴だったの? 他にも沢山の体験教室があったのに」

訊かれて太陽は何度目かの懐かしさに目を細める。朱色に染められたその目の奥には最愛の人が写っていた。

「月夜が好きだったから……」

「本当にお父さんは、お母さんなんだね」 

呆れた様子では無く、一途な太陽に輝夜は嬉しくなる。筆を動かす手が軽やかになっていた。

「輝夜はどうだ? 風鈴は好きか?」

「私? 私は普通かな?」

月夜が好きなら輝夜も好きなら嬉しかった太陽だが、そうでは無かったので寂しくなる。

「そうか。でも、輝夜も昔は風鈴が好きで作ってくれてたんだぞ?」

「え? そうなの? 覚えてない。そんな小さな時の事」

記憶を巡らすも霞んで思い出せない輝夜。その時を覚えている太陽は朗らかに笑った。

「昔に作ってくれた風鈴、今も残ってるよ」

「え? やだなー。そんな物、恥ずかしい。でも、ありがとう」

照れた輝夜の口元がはにかんだ。

「今日は新しいのを楽しみにしてる」

「もー、しょうがないなー。前よりも良いものをお父さんに贈るよ」

以前のデザインは覚えてはいないが、太陽が喜ぶならと輝夜は俄然、やる気を出していた。


硝子鐘には2匹の金魚が泳いでいた。

生き生きした絵の具が使われた外見からは紐と舌が垂れ下がり、冷房の風でちりーん、ちりーんと風流な音を奏でている。それを眺める太陽は御満悦だった。今は客室に彼、一人である。輝夜はまだ、温泉だ。一緒に行ったのだが、先に上がった太陽は部屋に戻り、広縁に置かれた椅子に腰掛けているのであった。

「あー、良いお湯だった」

暫く風鈴を眺めていると、襖が開いて輝夜が戻って来た。まだ少し髪の毛が乾ききっていないのが妙に色っぽい。

「お父さん、先に上がってたんだ。温泉、癒されたね」

輝夜は冷房の下まで歩き、涼しい風を身体に浴びた。顔が一瞬でとろけそうになっている。

「そうだな。旅行の醍醐味だ。日頃の疲れも吹っ飛んだよ」

「だよね。暑い夜に熱いお湯って最高だよね」

はだけた浴衣を正しながら輝夜は太陽に目を向ける。

「そんなに眺めてて楽しい?」

太陽はまだ、風鈴を飽きもせず眺めていた。彼は頷く。

「嬉しいからな。それに、確りと涼が取れる」

「そんなに好きならもっと早く作ってあげても良かったね」

彼女は備え付けの冷蔵庫へと近付く。中を開けるとオレンジジュースと瓶ビールが入っていた。輝夜は一度、父の背中を見る。それから、意を決したようにビールを手にした。

「おっ、どうした」

「涼しい部屋でビールって最高でしょ? だから、注いであけるよ」

テーブルにビールが置かれると太陽は驚き、輝夜はそそくさとグラスについだ。太陽は注がれる黄金色の液体に喉を鳴らしてからそれを一気に飲み干した。

「あー上手い! 最高だ!」

身体に染み渡る麦酒に太陽は感動すら覚える。これは好機とでも言いたげに輝夜は立ち上がると太陽の肩に手を乗せた。

「で、次は肩を揉んであげよう。親孝行」

「お、そうか。輝夜のは昔から気持ちも良いんだよ」

大好きなアルコールに、大好きな輝夜の癒し。太陽の気分は最高潮だ。

「本当に? 嬉しい。それなら、沢山、解してあげるね」

輝夜は手に良い具合の力を込める。

「あー、効くな」

「相変わらず、凄くこってるね。私が生まれて、お母さんが亡くなってから、ずっと今まで育ててくれたもんね」

天国へでも昇天しそうな太陽に輝夜は急に感謝しだした。

「どうしたんだ? 突然」

「別に。ねえ、お母さんはどんな感じの人だったの?」

訊かれて太陽は月夜を思い描いた。

「月夜は良く笑う人で、その笑顔がとても素敵だったな」

「そうなんだ。それで、それで」

輝夜は食い気味に聴く。

「天真爛漫でいつも集まりの中心に居て、でも、それに甘んじる事なく、ちゃんと気配りも出来て、まるで天使の様な娘だった」

「え? 天使って」

これには若干、流石の輝夜も引いていた。

「後、料理が上手いだろ。整理整頓のセンスも良いし、掃除の効率の良さにはまいったよ。それに、感受性が良くて、観に行った映画で、誰も泣いていないのに、彼女だけが感動で泣いていて、でもその横顔がこれまた素敵で。それと……」

「もう良い! もう良いから! ノロケになる!」

まだまだ尽きない愛に輝夜は聴いてられなくなる。太陽は不服そうになっていた。

「そうか? これからなんだがな」

「うん。もう、満足だよ。…でも、本当に好きだったんだね」

言われて、切なさは有るものの、それよりも深い愛に太陽はそっと触れた。

「勿論。今でも...…な」

「そう思える人に出会えて幸せだった?」

太陽は恥ずかしさもなく、確りと頷いた。実に男らしく。

「当たり前だろ?」

「そっか……それなら……ね」

輝夜は何故か言葉を詰まらせた。

「ん? どうした?」

「それなら、私も幸せになっても良いかな?」

機嫌を取る様に笑う輝夜。太陽は輝夜が言いたい事を理解した。

「……え? それは……もしかして?」

「うん。私、大地さんにプロポーズされたの」

輝夜はその時の事を思い出してはにかんだ。しかし、直ぐに表情を固めた。緊張がそうさせたのだ。

「許してくれない……よね。でもね、大地さんは本当に良い人なの。相性が良いのか、一緒に居ると落ち着くし……」

「そうか。分かった」

「それに、私ってたまに抜けてる所あるでしょ? それを…おぎな…え?」

矢継ぎ早でどうにか丸め込めないかと算段していた輝夜は我が耳を疑った。

「……なんて、お父さん?」

困惑する。まだ、何を言われたのか輝夜の理解は追い付いていなかった。

「結婚だろ? 許すよ」

「本当に? え? え? ど、どうして?」

混乱に輝夜は嬉しくなるのを忘れてしまう。ここまでの動揺を太陽は初めて見た。振り返っていた太陽は悪戯に笑う。

「ほら、お前ももう良い年だろ? このまま僕の我が儘に付き合ってたら貰い手がなくなるだろ?」

「え? ひどい! そんなのあっちゃ嫌だ!」

ここで漸く輝夜は喜びを噛み締める事が出来た。

「でも、嬉しい! 明日になって気が変わったから駄目だ! って言うのは無しだからね!」

「分かってるよ。男に二言はない」

太陽は断言しながら真剣な顔をする。

「それなら、約束だよ! ありがとう! お父さん」

何よりも聞きたかった太陽の言葉に輝夜は子供の様にはしゃぐ。その笑顔は、名前の通りに輝いていた。太陽はそれを嬉しくも寂しい気持ちで眺める。

もう、温くなっていた麦酒は、飲めなくなっていた。

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