9 誕生日ケーキに残された火
***
「シア、早くこっちに来るんだ!」
レオンは、家が燃え盛る音にかき消されないように大声で叫んだ。
今日はちょうどシアの誕生日だった。誕生日のお祝いで、友人がレオンとシアが暮らす家に集まり、レオンが食事を作り、それを振舞っていた。シアは恥ずかしさを隠すようにはにかんでいたが、レオンはシアがその顔をするときが一番喜んでいることをよく知っていた。
シアはよくしゃべる方ではない。ただ、シアの周りには不思議と人が集まっていた。それも、誰かを庇護して自己満足を感じたい人が集まるのではなく、皆一様にシアとは対等な関係を望んでいた。
レオンはそんな妹が自慢であった。レオンは元々自己評価が低い。今は、どこかに所属することはなく、傭兵稼業でお金を稼いでいる。両親は月宵の国との戦いで命を落とした。2人は、崩れ落ちた建物の瓦礫に挟まれて亡くなっている。
レオンはその場にいた。両親が亡くなる最期をこの目で見ている。深い悲しみは怒りに変わっていったが、それを抑制してくれたのがシアだった。
「怒りが生むのは新たな争いだけ。怒りは何も生まないよ」
シアは、レオンが悪夢を見た日の朝に、口癖のように言っていた。
そんな素晴らしい一日になるはずだった今日という日に、天照の国に月宵の国が再度攻め込んできた。
レオンたちが住む家は、天照の国の中でも端の方だ。そう、月宵の国と接した最初に侵攻を受ける場所に位置する。
シアがケーキについた火を吹き消そうとした瞬間、突然の怒声と何かが崩れる音が聞こえた。
そして、すぐに気が付く。また戦争が始まったことを。
皆は一斉に駆け出した。時に椅子の角につまずき転ぶ者もいたが、すぐに立ち上がった。出口は1つでドアの前では押し合いになりながらも、皆足早に出て行った。皆戻るべき場所があるのだ。
結果、まだ湯気が残る食事が机に置かれた部屋に残されたのは、レオンとシアだけだった。
「なんで今日なのかな? タイミングが悪すぎだよ」
シアはぼそりと呟いた。
「また今度すればいい。今は俺達も逃げるぞ」レオンはそう言うと、棚の上に置いてあった短剣2本を腰の左右につけた。「さあ、行こう」
レオンとシアが外に出ると、既に空も地面も赤く染まっていた。
月宵の兵士がすぐそばまで来ている。思っていたよりも早い。
「走れ!」
レオンはそう叫ぶと、シアの手を取り、走り出した。もうすでに周りの建物の崩壊が始まっていた。事前に準備がなされていたのかもしれない。まだ月宵の兵士がいないにもかかわらず、どこもかしこも火の海だった。
その時だった。レオンの体が突然強く押される。レオンが倒れた後、何かが崩れる音があたりに響き渡る。
レオンは倒れながら、後ろを見ると、そこには倒壊した瓦礫があった。
「シア!」
レオンが叫ぶと、瓦礫の向こう側から「大丈夫!」と声があった。シアは無事なようだったが、道が完全に塞がれてしまっている。
「シア、早くこっちに来るんだ!」
レオンは叫ぶ。熱で喉が痛い。
シアの後ろから月宵の兵士が近づいてくる足音が聞こえる。
「レオンお兄ちゃん、私はいいから先に行って!」
今まで聞いたことがないほどのシアの大きな声が聞こえる。
「何を言ってる! 置いていけるわけないだろう。こっちが無理ならどこか別の道で逃げるんだ」
「いいのよ、お兄ちゃん。もう、いいの。お母さんとお父さんが死んだ日から、いつかこうゆう日が来るのはわかっていた。お兄ちゃん、今までありがとう。お兄ちゃんは強く生きてね」
周囲の叫び声。
草木が燃える音。
逃げるような足音。
悲痛をはらんだ音は消え去り、なぜか、シアの声だけがはっきり聞こえる。
「やめてくれ、諦めないでくれ。俺はシアがないと……。俺は……」
「大丈夫、お兄ちゃんなら大丈夫。ただ、最期に、ケーキの火消したかったな」
シアの涙が地面に落ちる音が聞こえた。
***
カイの頭に走馬灯のように駆け巡る記憶。カイが握ったメモリスに込められた想い。
時間にして一瞬だったが、カイの頭の中では整理が追い付いていなかった。
――今はそれどころでは……。
カイはリナが投げたメモリスを男の一瞬の隙をついて、右手で掴み、それを強く握っていた。
すると、メモリスから湯気のような光が溢れ、そして、レオンの記憶が頭を入り込んできたのだ。
カイの顔が強張る。レオンの感情がカイの感情を支配する。
卑下、悲しみ、後悔、憎しみ、憎悪、殺意
カイは片膝をついて、胸に手をあてる。
――心臓が止まりそうなほど痛い。締め付けられるような痛みだ。
物理的な何かではない。精神的なものだと頭で理解をしていても止められない。
そんなカイの様子を見て、男は剣を構えながら慎重に近づいていた。
「これでおしまいだな」
男は、再度剣を振り下ろした。しかし、その男は虚空を切り裂きに、カイがいたはずの場所には何もなく、剣先が地面に落ちた。
「今はそれどころじゃないんだ」
男は明確な殺意に気が付く。男の後ろ斜め上あたりから感じることを。
そして、男は、とっさに、剣を殺意のする方向に向けた。
剣と剣がぶつかりあう音が響き渡る。
カイは男の後方に飛びながら、落下の速度そのままに短剣を男に振り下ろしていた。
「こいつは二刀流なんだ」
カイはそう言いながら、地面に足が付くと同時に、男がやったように男が持っていた剣を外側に払いのける。
男の剣が虚空を舞い、カイはそれを左手で掴んだ。
「メモリスを使ったな。なんでそんなものをお前が! 使ったらどうなるかわかっているのか!」
男が叫ぶ。
「そんなことはどうでもいい。お前、炎諏佐の兵士だな。炎諏佐も月宵も何も変わらない。戦火に血を流す存在だ」
カイは右手には短剣を、左手には男が持っていた直剣を持ちながら、男に近づく。
「やめろ、俺にも家族が……」男の顔が歪む。
カイはその顔に一切の感情の変化を来すことなく、左手に持った直剣に右手を添えて、男の胸に突き刺した。ぐっと力を入れると、カイを見る男の目から生気が奪われていった。
――何をしているんだ、俺は。
心の中でカイの言葉がこだまする。ただ、体が全く言うことを聞かない。今はただレオンの感情に支配されて動く人形と変わらない。
レオンの負の感情が体の血肉となって駆け巡る。
――これがメモリスの副作用か。
メモリスは一時的な効果しかないと、リナは言っていた。待っていれば、このままレオンの感情は消え去るのかもしれない。ただ……。
カイはレオンの記憶を見てしまったのだ。悲痛な過去を。取返しのつかない記憶を。後悔しかない人生を。
自分と似ているなどということは口が裂けても言えない。ただ、カイはレオンにどこか同じ思いを感じていた。程度は全く違えど、人を失う悲しみを。
俺だって、アキとシホがいなければどうなっていたかわからない。ニュースになるような事件を起こしていたかもしれないし、川に身を投げていたかもしれない。
ちょっとのことで、行く道は180度変わる。運命と言えば言葉はきれいだが、定めとしか言えないこともある。ただ、その分岐点は常に些細なことだ。お金持ちになるのも、貧乏になるのも、ちょっとした思い1つだったり、誰かに出会ったりということだったりする。
運命は変えられるが、定めは変えられない。そんな世の中だ。こっちの世界も同じなんだ。
だから……。
――お前は、きっとサカサマの俺なんだ。
カイがそう思った瞬間、体を駆け巡っていたレオンの記憶が動きを止めた。全身が暖かい。
不思議と、カイの意思で体が動くようになった。
心を整理して、思い出す。レナに感謝を伝えないと。
ただ、先ほどまでレナがいた方を見ると、誰もいなかった。
そして、レナがいた方から男の叫び声が聞こえる。
――レナ!
カイは、次から次へとすぐに頭を切り替える必要に迫られ、少し頭痛がした。
お読みいただきありがとうございました。
よろしければブクマしていただいたり、★にて評価して頂けると大変嬉しいです。
よろしくお願いします!




