45 黒の湖の上で
「カイ! カイ!!」
カイは意識を取り戻し、目を開けると、そこにはアイラの顔があった。アイラが着ている銀色の甲冑が体に当たる。冷たい。
――頭が重い。なぜか頬もヒリヒリする。戻れたのか? まだ意識もはっきりしない。
「......あれ? どうなっている......?」
「狭間の魔物の攻撃だよ! あの白い靄には催眠作用があったんだ。私は咄嗟に防御魔法を使ったから大丈夫だったけど、みんな眠ってしまったんだよ」
アイラは少し早口になりながら、状況を説明した。
たしかに、カイは船の上を見ると、リナ、ステルン、タツ、ティズは床に倒れている。肩が動いているから、息はしているようだ。
「なんで俺だけ起きたんだ?」
「それはわからないけど、カイだけずっとうなされていたんだよ。だから、カイなら起きるかと思って、ずっとひっぱたいていたの」
アイラは右手の平を見せると、たしかに、真っ赤になっていた。カイはその手を見て、アイラが何をしていたのかすぐに悟り、カイは思わず頬を手でさする。
――たしかに、片方だけしみるような痛みが走っている。もちろん見えないけど、恐らく自分の左頬も真っ赤だろう。
「......ありがとう。助かったよ。それで、あの白い鯨は今どこに?」
「あそこにいるよ。多分この靄を出すのにかなりエネルギーを使うんだろうね。さっきから動いてないよ」
アイラが少し先を指さした。カイは体を起こして、指さした先を見た。
もう靄は大分晴れている。船の前方の水面に、白鯨が浮かんでいる。白鯨の目は、こちらをまっすぐに見据えており、まだこちらを明らかに狙っている。顔に付着している赤い触手が鼓動のように脈打っている。
――恐らく、あいつは眠らせてから襲うタイプなのだろう。そうだとすると、そんなに戦闘能力は高くないはずだ。やるなら今だが、船の上で戦うのは不可能だ。こんな不安定な足場で踏ん張りができない。
「今のうちに逃げるぞ。こんな水の上で戦えない。それにあの靄のおかげで影の子も倒れているんだ。だから、今なら……」
ブオッッッッッッー!
「そんなことを言うから動きだしちゃったんじゃない?」
アイラは頬を膨らませている。
「そんなことを言っている暇はないだろう。どっちにしろ、逃げるしかない!」
「それなら大丈夫。まあ、見てて」
アイラはそう言うと、腰から剣を取り出し、それを胸の前で空に掲げるように持つ。
「我は天照の尊。水の精霊ウンディーネ、力を貸して!」
アイラが空に届かんとする大きさで叫ぶと、剣に光が集まる。アイラを中心に空気が揺れ、船もガタガタと音を鳴らし、船の周りに、円形の波紋が広がっていく。
集まった光が剣先に集中し、綿毛が飛ぶように、ふわりと光の塊が出てくる。
そして、その光の塊が小さな女の子のような形になる。水のようなドレスを身にまとい、背中には白い羽が生えている。まるで妖精のようだ。
「もう呼ばないでよー。今ちょうどいいところだったのにー」
ウンディーネは腕を組んで、頬を膨らませている。白鯨はまた咆哮を上げるが、ウンディーネは何も気にしていない。
「ごめんよー。でも、今呼ばなかったらまずかったんだよ。ほら、あれお願い! 状況見れば何が必要かわかるでしょ?」
アイラは頭の上で手のひらを合わせて祈るようなポーズをとっている。
「もう、仕方がないわね......。次から呼ぶなら呼ぶって前もって言うのよ! 必ずよ、必ず!」
ウンディーネは小さな杖を手に持ち、それをカイとアイラの足に向けて振った。
「水歩行」
ウンディーネの声はどこかやる気がないような声だった。
しかし、カイとアイラの足は突如白い光に包まれ、少ししてその光は収まった。
「ありがとう! 助かったわ!」
アイラは満面の笑みを浮かべて感謝を述べたが、ウンディーネはそれを聞き終える前に消えてしまった。
「アイラ。あの子は、何をしたんだ?」
「カイ、それじゃあ、行くわよ!」
アイラはカイの質問をよそに、突然、船から飛び降りる。一瞬の躊躇なく。
当然船の周りは黒い水。
カイが声を上げる前に、アイラの足が水に着く......。しかし、沈まない。
まるで地面の上に立つようにアイラは水の上に立っていた。
「俺もできるのか?」
アイラは「早く!」と促すと、カイも恐る恐る船から足を出して、ゆっくり水面に足をつける。
――歩ける!
カイは足を動かすと、水面に波紋が現れるが、靴の底が表面張力のように浮いたままになっている。
「さあ、これで戦えるわ! いくわよ、カイ!」
アイラはすでに白鯨に向けて、剣を構えていた。カイもそれを見て、右手にタツから預かったドラグノート、左手に短剣リヴェルナを構える。
白鯨の呼吸は荒く、今にでもこちらに向かってきそうだ。
――さあ、戦いの時間だ。




