43 錯綜する記憶
(おい、起きろ)
レオンの声が聞こえて、カイは目を覚ます。
カイは、部屋の一室で立ち尽くしていた。見上げると、天井には、表の世界でよく見る丸い蛍光灯。窓際のキッチンには調理道具が散乱しており、カイの背中側には、郵便受けが付いたドアがあった。
人が生活する匂いと生ごみが腐ったような匂いが入り混じる。
――ここは、どこだ?
レオンはキッチンの前に置かれた4人掛けのダイニングテーブル、その椅子に腰かけていた。
「ここは?」
まだカイの頭には、霧がかかっている。理解が追い付かない。
(ここは、記憶の中だ)
「誰の? 俺はこんな場所に住んだことはないぞ」
(お前の記憶じゃない。影の子の記憶だ)
パチン!!
「なんでお前はこんな簡単なことができないんだ!!!」
突然リビングの方から何かを叩くような音と怒鳴るような声が聞こえる。誰かいる......。どうやら扉の向こうから聞こえる。
カイは恐る恐る横開きの扉を開けると、そこには、目を真っ赤にした男の子とその父親と思わしき男がいた。
男の子は勉強をしているのか、勉強机に座り、手には鉛筆。机にはノートや教科書が広がっている。父親はその横で、腕を組み、睨むような表情をしている。
ヒックヒック、と男の子が必死に涙を我慢している声が漏れている。
「そこも違う!!! なんで俺の子どもなのに、こんな簡単なことができないんだ!!」
すると、父親は男の子の胸倉を掴んで持ち上げる。机から教科書などが落ちて床に散乱する。
無音の空間に広がる、服が擦れる音。
声にもならない呼吸音。
「ご......めん......なさい......」
カイは思わず、駆け寄る。
「何してるんだ!!」
カイが父親を止めようと、手を伸ばした。しかし、カイの手は父親の体をすり抜ける。
(言ったろ? これは記憶だ。干渉はできない)
父親は男の子を勢いそのままに床に叩きつける。
ドシンという思い音。床が一瞬に揺れる。
そして、男の子は目を見開いたまま、動かない。少しして、頭から血が流れ、フローリングの床に広がる。
父親はそれを死んだ熱帯魚を見るような眼でただ見ていた。
聞こえるのは、父親の荒い息遣いだけ。
「どうなってるんだ!?」
カイは思わず声を荒げる。
(さっきも言ったが、これは影の子の記憶だ。影の子ってのは、お前たちが生きている世界の負の感情が作り出すんだ。狭間の魔物に眠らされて、その場にいた者の精神が混じり合った。それで、あの場にいた、影の子の記憶がお前の中に入り込んだんだ)
「それじゃあ、今まで見た影の子っていうのは表の世界の人たちってことなのか?」
(そうなるな。まあ、俺にとってはそっちが裏の世界だが、そんなことはどうでもいい)
カイは呆然とした様子で、男の子を見つめる。
この子のことは何もわからない。どこの、誰なのか。母親はいるのか。なぜこうなってしまったのか。ただ、わかることもある。この子の世界では父親が全てだったということだ。その証拠に、男の子の中にあったのは、最後の瞬間まで恨みや反抗ではない。
あったのは、心からの謝罪の気持ち。
抵抗する方法も、理由もわからない。環境がその世界を作り出す。
だから、カイは確信をした。影の子が負の感情から生まれるのであれば、影の子になったのは、この男の子ではなく、父親の方だと。
「ここから出るにはどうしたらいいんだ?」
(それは俺にもわからない。さっきあったドアでも開けてみたらどうだ?)
カイは後ろを振り返りドアを見て、近づく。
レオンに言われたとおり、ドアノブに手をかける。先ほどの父親と異なり、今度は触れることができる。
ドアノブをゆっくりと回し、ドアを開く。ギシギシという金属が擦れる音ともに、ドアが開き、そこから光が溢れる。
カイは思わず目を背け、光が収まった頃、目を開けると、また別の光景が広がっていた。
板でできた茶色の天井に、雨漏りをした時にできたシミ。四隅に蜘蛛の巣。見覚えがある。
――ああ、これは俺の部屋だ。だとすると、これは俺の記憶か。
窓の外は暗い。
この部屋はもちろん知っている。知っているが、なぜか胸がざわつく。
ガタン。
何かが落ちる音が別の部屋からか聞こえる。
カイは反射的にその音が聞こえた方に歩みを進める。強歩のように足が速くなる。どこから聞こえたのは不思議とわかる。
部屋の扉を勢いよく開ける。部屋の壁には本棚が敷き詰められている、その部屋の扉を。
そこには、いた。
カイの父親が。
――これは......。




