34 クロノヴェール
「これよ、これ! あったわ! これが間違いなく、おばあちゃんの荷物よ。おばあちゃんから隠し場所を聞いていたのよ。ちゃんと覚えていて、よかったわ!」
ミレナの声には興奮が混じっていた。
「ああ、よかったな。ただ、これはどうしたらいいんだ? ピアノはミレナちゃんの家にもあったから、関係するのか。とりあえず、何かあるとすると、この箱だろうか……」
カイの心配そうな声をよそに、ミレナは箱に駆け寄り、宝箱のような形をした箱を開けた。
「やっぱりここにあったのね」
ミレナが一枚の巻物のように丸まった布を手に取った。
「それが、時織のおばあちゃんが織った織物なのか?」
カイはゆっくりミレナに近づいて行った。
「ええ、そうよ。これはクロノヴェールと言われている物よ。そして、これは私、ミレナちゃんの過去と未来を織ってもらったものなの。時織が織った織物には、生から死までの運命の大きな分かれ目が描かれる。見て、これにあなたがいるのよ」
ミレナが長さが5メートルほどある織物を床に転がして広げると、そこには4つの絵が描かれている。
ミレナはそのうちの1つの絵を指さしていた。
その絵には、走っている男が誰かに追いかけられており、その様子を部屋の窓から見つけた少女が描かれていた。
「これはもしかしてあの時の……?」
カイはミレナと初めて会った時のことを思い出す。カイは炎諏佐の兵士に旧都ノクシアで追いかけられ、その際にミレナに助けられた。廻る度にこの瞬間を避けようと試みたが、どうやっても、この瞬間だけは常に避けられなかった。
「今だから本当のことを言うけど、私はこれを見ていたから、あなたを助けたのよ。あなたが走ってくるのを見て、クロノヴェールに描かれていることが起こったって。でも、安心して。あなたのことを好きだから助けたのは本当よ」
ミレナが目を輝かせて頬を赤らめている。カイはこのミレナのこういった態度にどういう反応を示すのが正解なのかわからなかった。とりあえず、カイはミレナの好意を受け流すことしかできなかった。
「そうすると、この2枚目の絵は過去のことっていうことだな。1枚目も過去の出来事になるのか」
カイが1枚目を見ると、若い男女に挟まれる形で老婆が描かれている。これはミレナが産まれた時なのだろう。この老婆がミレナで、2人が両親ということだ。
――そうか。この世界で生まれたときは老人の姿。初老って言ったか。とても不思議で、理解が追いつかない。どうやってこの世界では「生」が与えられるんだ。
「3枚目と4枚目がこれから起こることよ」
ミレナは3枚目と4枚目を見ている。3枚目には、武器を手に取る人同士が争う姿が描かれている。しかし、4枚目はなぜか真っ白になっていた。
「3枚目はなんか争っているみたいだな。たくさん人がいて、どれがミレナちゃんかわからないし、これだけだと何が起こるのかわからないな。それに、この4枚目は何で真っ白なんだ?」
「それがわからないのよ。おばあちゃんもこんなの初めてだって言っていたわ」
ミレナは一通りクロノヴェールを見終えると、再び箱の中を見ていた。
「それで、どうやってこのクロノヴェールを織るんだ? この機織り機を使うんだろうけど、何か糸みたいなものは入っているのか?」
カイはミレナに質問を投げかけた。
「糸なんかないわよ。これを使うの」
ミレナは箱の中から一冊の楽譜を取り出して、カイに見せた。
「もしかして、ピアノでこれを弾くのか? ミレナちゃんは弾けるのか?」
ミレナはまた不敵に笑っていた。
カイは、ミレナと一緒に、コンサートでよく見る黒色の長椅子に座っている。ミレナ曰く、一人で弾けるほど簡単ではないらしいが、カイが主旋律を、ミレナが副旋律を弾く方法ならできそうだということであった。
ミレナ曰く、弾く者が想う人の過去と未来が糸になって織り込まれるとのことだ。今回はカイとミレナが一緒に弾くが、主旋律の人の想いが糸になるとのことで、カイが今想うのは妹のアキだ。だから、アキの過去と未来がクロノヴェールとなって現れるはずだ。
カイは、目の前のピアノを見て、深くため息をついた。
カイはこれまでピアノをなるべく避けてきていた。ミレナの家にあるピアノは懐かしさから思わず、近づいてしまったが、カイはピアノに対してどうしても乗り気にはなれなかった。
ピアノを避けてきたのには、クラスメイトから男のくせにと揶揄されたこともあるが、決定的になったのはカイの母親が亡くなったことだ。
カイは生まれて間もない頃から、母親の影響でピアノを弾いていた。カイの母親はピアノがとても上手で、自宅に置いてあったピアノを弾いてカイによく音楽を聞かせてくれた。カイは、母親が優雅にピアノを弾く姿に憧れ、気が付くと、カイ自身も毎日ピアノと向きあっていた。4才頃にはコンテストで入賞を果たすほどの実力で、周りからは神童とも言われていたそうだ。
しかし、アキが産まれた際、カイの母親は亡くなった。
カイは母親がいなくなった理由が当時は分かっていなかったが、父親の沈む様子を見て、ただ事ではないことは分かった。それに、ある日、父親はピアノを捨ててしまったのだ。一度、カイがピアノを弾く姿を見て、父親がひどく悲しい顔をしていた。ピアノがなくなったのはその次の日だった。カイはピアノがなくなったことがわかると、毎日泣き続けた。そんなカイに対して、父親は何も言わなかった。
だから、カイは子どもながら、ピアノを弾くことがよくないことだと思うようになった。そして、カイ自身も大きくなるにつれて物事を理解し、ピアノを弾くと母親の幻影を見るようで、カイはピアノを避けるようになっていった。
――本当は弾きたくない。ただ、これで何か手掛かりになれば……。アキの居場所を掴むためなら、母さんの音とも向き合う。
カイは覚悟を決めて、鍵盤に指を置き、楽譜を見る。主旋律だけであれば、そこまで難しくない。むしろ、副旋律の方が複雑なコード進行をしており、旋律を単体で見たときは副旋律の方が難しいかもしれない。
隣に座るミレナの顔を見る。ミレナはいつになく真剣な顔をしていた。一呼吸を置いて、カイの方をみる。
「いい?」
「ああ」
最初の一音はカイの中指の音から始まる。王立図書館の音が止まったような空間に、反響するような音が響き渡る。
カイの手が楽譜に合わせて自然に動く。ミレナの指もそれに必死についてくる。
――悪くない。
旋律はとても優雅で、静かで、川のせせらぎに身を寄せるような音があたりを包む。
カイは音のドームに包まれ、鍵盤に身を任せる。
すると、舞台の周りが音の光に包まれ出す。そして、音の光が糸のように細く空を舞い、そして、機織り機に集まると、機織り機がひとりでに動き出す。
旋律に合わせるように、ガコン、ガコンと音を立てる。
「すごい」
リナが思わず感嘆を漏らす。音の光が星々のように輝き、王立図書館がまるでプラネタリウムのように光り輝く。
カイは周りの様子に気に留めることなく、旋律を奏でる。ミレナも思っていたよりも上手だ。カイにとっては初めての連弾だったが、ミレナの音もよく聞こえてくる。
――俺はなんでこんな素晴らしいものを避けてきたんだ。音符の一つ一つが心地いい。
カイが最後の鍵盤を押し込んだ後、機織り機も動きが止まり、ピアノが奏でる最後の音が王立図書館内に響き渡った。
ミレナは息を切らしていた。カイも全速力で走った後のように体が重い。カイはしばらくして、機織り機を見ると、機織り機には一枚の織物が出来上がっていた。
「できたのか……?」
リナが機織り機に近づき、クロノヴェールを広げる。しかし、先ほど見たクロノヴェールと異なり、2枚しか絵がない。
「ああ、やっぱりまだ私の力が弱いのね。過去しか織れてないわ」
ミレナは下を向いた。
「いや、これで十分だ」
カイはクロノヴェールに近づいて、2枚目の絵を見た。2枚目の絵には、地図のように描かれた大陸に降り注ぐ3つの光が描かれていた。
――見たことない地図だが、おそらく、これはこの世界、タカマノハラなのだろう。そうすると、この光が……。
「リナ、これはこの世界の地図か」
カイのはやる気持ちが言葉に乗る。
「ええ、そうですよ。ちょうど、この1つの光が降り注いでいる場所が炎諏佐の国の端ですね」
――これは俺がたどり着いた場所だ。そうすると、残りの二つがアキとシホか。
「残りの2つはどこなんだ?」
「そうですね。1つが天照の国で、もう1つが月宵の国ですね。これよく見ると、光の大きさが1つだけ小さいですね。この天照の国の方が」
――光の大きさが体の大きさと比例しているのなら、天照の国にいる方がアキだ。
「リナ、教えてくれ。この降り注いだ光は、どこらへんなんだ? 両方とも教えてくれ」
「そうですね。月宵の国の方は正直わかりません。昔からあまり他者の立ち入りを許していない国なので、わからないことが多いんです。ただ、天照の国の方はわかりますよ。どれどれ……」
リナが地図をよく見てから、言葉に詰まる。
「どうした?」
「あっ、ごめんなさい。ええ……。ここは、愚者の墓場です」
「愚者の墓場? どんな場所なんだ?」
「ここは、天照の国の人でも決して近づかない場所です。ここに一度立ち入ると生きては決して出られないと言われているので……。もしかして、この場所に、カイさんの妹さんが……?」
リナの声には心配が混じっていた。
王立図書館はいつも通りの静けさを取り戻し、カイはただ地図をじっと見つめることしかできなかった。




