第11話 下
衛兵の言葉に多くの者が即座に反応し、発条で弾かれた様に身を沈めていた硬い椅子から立ち上がった。ほんの僅か、市民の代表である第三身分からなる議員たちの数名だけは、慣れていなかった為か、少し遅れてそれに倣うように立ち上がっていた。
立ち上がった拍子に床と擦れた椅子の足が鳴り、議場に不協和音が木霊したが、それもすぐさま止み、ただ静寂だけがピンと糸を張ったように議会を支配する。
そんな中、扉が開いた。そこには三つの影が重なって見えた。三人は横並びで、中央で背の丸まっている老人を両脇からそれぞれ支えている。そんな姿であった。
中央の老人が歩みを進めようと手に持っている杖を前に出す。杖の先に取り付けられている金属の石突が床を打つたびに、コツン、コツンと硬い音が鳴った。静寂が守られている議場の中で、その石突が鳴る音と、その老人ののどから漏れる苦しそうな呼吸音が響いていた。
やっとの思いで議場の中央に設けられた通路を通り抜け、その老人はこの議場において最も高貴なる席、王座に、その腰を下ろした。老人の喉から鳴る、か細く、聞いている方が息苦しさを覚えてしまうような呼吸が落ち着く間、皆して直立不動のまま姿勢を維持し続けている。
白いものが混じる手入れもされていない頭に頼りなさげに乗る王冠は、今にも滑り落ちそうな雰囲気であったし、寝所からそのまま連れてこられたのか、緋色のマントの下に隠れた衣服には、幾つかの汚らしいシミさえ見えた。
やがて頃合を見計らって、老人を脇から支えていた肥満気味の男、王弟カインが手を振り、着席を促す。その素振りを見てやっと三々五々それぞれは再び席に着いた。
「皆、ご苦労である……」
背を丸めた、今にも途切れそうなほど弱々しい呼吸を落ち着けた老人、国王アルベルトは王座の背もたれに支えられながらも議場を見渡し、その言葉を絞り出した。
頼りなく、王座に腰かける王の姿を見てアウグスト・トレステンソンは無意識に目を少しばかり伏せてしまう。
それはかつての戦友が、驃騎兵として駆けた戦友が老いて行くのが居た堪れないのか、それとも忠誠を誓う国王がその威厳を日々失っていくのを悲嘆に感じているのか、果たしてそれとも……。それも一瞬、テオドリックの席から挙げられた声にアウグストは顔を上げ直す。
「国王陛下におかれましては此度の議会へのご参加、我ら一同恐懼の至りにございます」
「……ん」
テオドリックの挨拶に合わせ、議員たちが頭を垂れる。アルベルト王は慣れたように手を振って頭を上げるように求めた。
「此度は国王たっての願いにより、その身を議場へと運ばれるよう我らに命じられた。テオドリック王子、どうか皆がどのように国を治めているのかを陛下にご説明していただきたい」
用意されているはずの自分の席にも戻ることなく、王座の隣で侍り続けているカインがテオドリックにそう促す。
本来ならば王座の隣から、カイン自身より身分の高いテオドリックにそのような物言いは許されないのだが、王の実弟であると言う立場、そして今にも倒れてしまいそうな王を支えている姿勢を見せつけられてしまった以上強く言い出す事は出来なかった。
「今次の議会ではさらなる税制の改革と、そして……南部における民たちの慰撫を行う手筈を……」
「して、此度はいか様にするのだ」
「……は、国王陛下。いか様にとは……」
言上もほどほどに切り上げられ、唐突な質問を投げかけられたテオドリックはその意図を読み取れずにいた。その返答にアルベルト王は少しばかり不満を持ったようで眉間に皴を作っている。
「いか様に戦うかと、儂は聞いておるのだ若造。幕僚たる貴様がそう腑抜けであっては、巨人族の連中に、あの黒鬼どもに舐められてしまうぞ!」
まくしたてるように怒声を発するアルベルト王は、堪らない様子で杖を床に打ち据えた。硬い音が何度も反響している。テオドリックは助けを求めるように王のそばに侍るカイン、そして彼と共に王を支え連れてきた典医に視線を向けた。しかし、そんなことはお構いなしとばかりに声量は増す。
「マルセロ! 兵站参謀! どこにおる! この様な若造では頼りにならん、アウグストに笑われてしまうぞ!」
「へ、陛下……。そのように叫ばれてしまってはお体に……」
典医が慌てて取りなそうと間に入る。しかしそれも、この老人には受け入れられぬものでは無かったようで、アルベルト王は立ち上がり反射的に怒鳴り返す。
「喧しい! 今まさに王国の、百年の未来が決まろうとする戦ぞ、邪魔をするか!?」
アルベルト王は口答えをした典医を打擲しようと杖を振り回そうとしたが、力なく持ち上げられたそれは弱々しく空を切っているに過ぎない。
アルベルト王の目は焦点が合わず、所々苦しそうな息継ぎを挟みながら口角に泡を浮かべるほどの怒声をわめき続けていた。その姿をテオドリックはどこか諦め多様な目をして眺めていた。
王は夢の中にいらっしゃるのだ。王が病に倒れ、日々おかしくなっていくのをつぶさに見ていたテオドリックはそう思う様にしていた。
今では西方軍の司令官となった男を、かつて自分の指揮下で戦った時のままの役職で呼ぶのも、異種族討伐など前の世代がとうに終わらせ、せいぜい匪賊討伐や、国境での示威的行動しか経験のないはずの王が、かつての英雄譚に自らを投影し、それが現実なのか妄想なのかの区別がつかなくなっているのも、全ては王が夢の中へと行ってしまわれたからだと。
病に倒れて以降、王はこのような行動が増えていた。数日前の記憶はとぎれとぎれにしか覚えていないにもかからず、過去の事はさも昨日見てきたかのように語り出したかと思えば、やがて支離滅裂な話へと変貌していく。
一人で食事することもままならず、日ごとに寝室を変えなければと怯え、夜ごと城内を徘徊しているその姿は幽鬼にでも憑りつかれたかと疑ったほどだ。テオドリックがいくら神に祈ってもその症状は変わらず、ただ周りの者は振り回されるだけだった。
テオドリックはギュッと、胸元の下げた星教徒のモチーフが象られたペンダントを握りしめた。隣国から来た妃に、改宗を薦められたのはちょうどその頃だっただろうか。
「連隊長殿! 既に敵部隊は包囲下にあり、その突撃の御下命を待つのみとなっております! いざ我らにご命令くだされ!」
声を張り上げたのは、アウグストだった。凛とした目つきを王に向け、まるで古参の軍曹の如く声を発した。その声に議場の目が一斉に彼に向けられた。
普段ならばウァロ派に属していることから、侮蔑の意図を隠そうともしないテオドリックからも、まるで両親に怒られたときに駆け付けてくれる祖母を見るかのような視線を向けられていた。当のアウグストはそんなことなど気にも留めずに続ける。
「我らトレステンソン支隊も御下命あらばすぐに飛び出せましょう! さぁ、いざ!」
「おぉ、アウグスト。アウグスト。そこにおったか……」
そんなアウグストの姿を目にしたアルベルト王は、ハッと我に帰るような顔つきをし怒気の含まれていた叫び声は小さくなり、やがてゴニョゴニョと隣にいるカインも典医も聴き取れぬほど小さな、不明瞭なものへと変わっていった。
それと同時に力なく王座に腰を突き、先ほどまでとは違う、今度は脱力した空虚を見つめる様な眼で、王は視点の定まらぬ目を動かしていた。
落ち着いた様子を見て、カインが典医と目配せをしてその身を両脇から担ぎ上げる。
「皆、大変にご苦労である。王もそなたたちの前に立つことが出来満足だったと仰っている。以後はそなたたちで議題を進められたい」
カインがそう宣言すると、力の抜けた王を引きずるようにして議場から立ち去り始めた。入ってきた時と同じように議場に席を持つものは立ち上がるが、王を送り出すその態度には困惑が見て取れた。
それはアウグストにも共通して見て取れたものであったが、彼にはそれ以上に悲しさの様なものが一枚多く覆いかぶさっている様にも見えた。
「……それでは、皆。先ほどの議題について続きをさせていただく……」
先ほどまでにウァロと蛙鳴蝉噪に罵り合いを繰り広げていたテオドリックが、怒られた子のように弱々しい声で議会の再開を促した。
それ以後の議論は所々で悶着はあったものの、先程までが嘘のように滞りなく進んでいった。




