第10話 上
王城のそばを流れる大河を少しばかり遡上し、王都と呼ばれる地域の外縁部にその建物はあった。この堅牢な石造りの建物は、戦続きの世にあった王城を支援するために、王城を囲むように作られた建設された出城群の一つだ。時代が下ると、画一的に配置された防御区画の部屋割りと、兵士を溜めておく事の出来る広さに目を付けられ、行政機関の施設として活用されることになった。
軍務省。陸軍と海軍の行政を一手に引き受ける組織が、今はこの建物の主となっている。本来ならば他の省庁と共に官庁街へ置かれるはずの組織だが、あえてただこの一か所を残して破却された出城跡をそのまま使用しているという事に、この組織の特別性と矜持が見え隠れしている。
昔には槍や弓が保管されていた大部屋には、武具を立てかける台座の代わりに幾つもの事務机が並べられ、兵士が寝起きをしていた場所には、三段ベッドから何十もの木で作られた書類棚へと取って代わられた。
かつての軍は、それぞれの領主が個人で抱え、王の要請によってそれらを引き連れて馳せ参じるものだった。そこには領主お抱えの騎士団もいれば、領民の中から徴収した領兵、果ては金で雇用した傭兵など雑多なものだった。しかし今ではその仕組みは半分程、違ったものへと変わっていた。
ある時に、その時代の王や側近たちが、農作物の収穫や宗教的な儀式によって兵が揃わないことに危機感を抱いた。敵は強大な力で攻めてくるのに、此方は時期が合わないからと軍を揃えきれずに戦になれば、勝敗など火を見るよりも明らかだ。
そして王が最も頭を悩ませていたのは、家臣の集めた家臣、つまり各領主が揃えた兵に対しては、王は直接命令を下せないという点であった。王から見て陪臣と呼ばれる立場の彼らに対して命令を出せるのはあくまで領主であって、王命であろうとそこに従ういわれは無く、あくまで王が命を下せるのは、王の家臣である直臣、すなわち領主に対してだけであった。
軍政改革が行われ、その王は常備軍の設立を推し進めた。王に仕える領主たちに、その時々において兵を集めさせるのではなく、王が戦う事だけを生業とする職業軍人を、直接その指揮下に置くことができるようにする改革。これによって国庫への負担は重くなってゆくであろうが、その軍事行動に対する柔軟性と迅速性は増すだろうと期待した。
しかし、その改革は途中で思う様に進めることが出来なくなる。自分たちの特権だと思われていた兵権を奪われると思った領主たちが、意義の声を上げたためだった。すわ内戦と言った雰囲気が国中を覆い尽くした危機があった。
そもそもの国の成り立ちとして、魔族を含めた異種族、そして乱立していた小国家たちを併呑することによって作り上げられた国だ。さらにはそれら戦役の手柄として分け与えられた各地方領主たちもまた半ば独立勢力呼べるほどの力を保持してしまっていた。完全なる中央集権国家、絶対王政下でならばうまくいったかもしれないが、この国の歴史をたどるにそれは難しかった。
しかし同時に地方の領主たちにも事情があった。確かに領主たちは独自の兵権を奪われてしまうことに対して拒否感を持っていた。戦の度に人員を纏め上げ、装備や衣服を揃え、食料を手配し、それらを戦地へ運ぶための荷馬車や人足を手配し、そしてまたそれらに馬車の為に云々と、後に国庫からある程度は補填されるとはいえ、兵の動員と言う物はその費用を最初は領主たちが持ち出さねばならなかった。
ある程度、とは領主が国に請求した金額全てを支払うことを意味しなかった。その為に戦後の論功行賞で領地や勲章がばら撒かれ、そして戦地においては略奪が認めていられた訳なのだから。
そしてこれは大変な出費だった。もし国家が常備軍を持つという事になれば、その費用はすべて国庫から出され、地方領主たちの経済的不安は払拭される。ゆえに表面では常備軍の設立に反対する者も、密かにではあるが王に同心し、何とか妥協できないものかと政治的な取引を行う者も少なからず存在していた。
最終的に、王と領主たちは議会-この当時は三部会では無く、王族や貴族のみで構成されていた-を招集するに至り、領主たちは常備軍としての国軍を設立することに協力する代わりに、王はその独自の兵権を認めざるを得ないことに至った。
それは地方それぞれから、住んでいる人口に合わせた比率で国軍の管轄する部隊へと徴兵させること。そして同時に領主が私兵たる領兵を、一定の人数までを上限として自由に編制することを認めさせるものだった。
これで万事うまく運ぶかと言われればそんな事は無く、結局常備軍によって増大した軍事費を賄うために国は、地方領主たちに対する課税を進めざるを得なかったし、いざそれに反発した領主たちが兵を起こそうにも、上限が決められた私兵だけでは国家の持つ常備軍に太刀打ちできなくなったという顛末が付いた。
長 い目で見れば、半ば独立軍事勢力と化していた地方領主の力を削ぐことが出来た王の政略勝ちとも見えるこの政策によってこの国家は、正規軍としての常備兵と、各領主が私兵としてもっている領兵との二重軍制がとられることとなった。
この軍務省の元となる組織が設立されたのも、そんな折の事だった。かつては兵たちの給料の支払いも、衣服の支給も、武器の管理も、地方領主が持つ幕僚や、さらにその下に家臣団によって処理されていたが、これがこと国家の軍隊となるとその事務作業は桁違いに膨大なものへとなる。
領兵については今までの機構でもいいかもしれないが、常備兵はそうもいかない。それに対処するために設立されたのが兵務所とよばれる組織だった。
最初はただただ事務作業を専門にしていたものだったが、時代ごとに仕事が重なる色々な部局との統廃合を繰り返し、巨大なものへと変わっていった。
官僚化された組織はやがて軍そのものを管理することが可能となり、今では陸海軍の行政を一手に引き受け、更には国王に対して軍の責任を負う大臣を輩出するまでに至る一大組織、軍務省が誕生した。
日々弾丸の代わりに書類と印章が飛び交う軍務省。その建物の中において、その場所は喧々たる様子とは程遠い空気が流れていた。軍務省の五階にある、とあるオフィスには騒々しい様子もなく、その最奥に鎮座している瀟洒な机には、一人の男が収まっていた。
「で、この南部の騒乱はいったいどうなっている?」
椅子に収まっている男、王都憲兵隊司令官イーガル・グレイ子爵は傍らに控える副官にそう尋ねた。机の上には南部で発行されている新聞が何紙も広げられている。
真面目に政治評論をしている物もあれば、スキャンダラスなゴシップが掲載されているものまで取り揃えられていたが、その一面はすべておどろおどろしい文字が躍っていた。
《南府騒乱! 星教徒教会放火は熱素教過激派の仕業か!?》
《市民の声! 星教徒の破戒僧どもに神の裁きを!》
《南府各地で暴動。南府政庁では治安維持に向け戒厳の発令を検討》
副官は新聞を一部拾い上げて、呆れたように呟く。そこには神ではなく自らの懐に賄賂を仕舞い込んだり、性奴隷を組み敷くいやらしい顔で書かれた聖職者が風刺画として描かれていた。
「これはまた、随分と部数を伸ばしそうな見出しではあります」
「そんな馬鹿な回答はするな、俺とお前しかおらんのだ。別にどう答えようと地下の拷問部屋に送ったりなどせん」
副官は新聞に目を落としたまま、イーガルと呼ばれる椅子に座った小太りの中年男性を視界の端にとらえる。どこか愛嬌すら感じさせる体型と、何度顔を合わせても印象に残りずらい顔は、泣く子も恐れる憲兵隊の首領としてはいささか物足りない感がある。
常備軍や領兵が外の敵に相対する暴力組織であるとするならば、憲兵隊は内部の敵に相対する治安組織だと言える。どのような治世であっても貧富は生まれ、法を犯す罪人は出てくるわけで、麗らかに暮らす市井の住人たちを脅かす罪人たちを捕まえ、尋問し、王国に差し込まれる魔の手を人知れず潰していく。
もちろん所属は軍であるため、十分な軍事的能力を持つし、いざ戦時となれば戦場での風紀を取り締まり、秩序維持に一役買うのは彼らだ。そして平時においては警察権を持つ法執行機関としてその名を轟かせている。勿論、よい意味でも、悪い意味でも。
その中でも、イーガル・グレイ子爵が指揮権を持つこの王都憲兵隊はまた特殊な立場にある。
憲兵隊とは本来、各方面軍がその指揮下に独自に持っているものであり、故に各地域の憲兵隊は情報提供などの協力はしても、その縄張り以上の地域に出向いての仕事は―よほど差し迫って派兵依頼などが無い限り―行わない、行えない。
しかし、王都憲兵隊は違う。王都、そして憲兵と便宜上名前が付いているがその範囲はそこだけに留まらない。彼らは王国全域をその対象として活動し、それぞれの方面軍憲兵が守る領域を横断して操作や逮捕を行う権限が付与されていた。
そして、さらに言えばこの組織の本質はそこではない。ただ警察権の執行だけならば、犯罪者の逮捕だけならば各方面軍の憲兵たちが協力すれば良いし、この王都を縄張りとして受け持つ中央軍にも、そして近衛兵たる親衛軍にも憲兵隊はいるのだから、そこまで職務領域が重複しているのならば彼らなど本来必要などない。
彼らの本来の職務。それは通常の犯罪など取り締まりなどでは無い、この国そのものの体制を揺るがそうとする反体制派や、活動家、そして国内において活動をしていると目される他国の工作員たちを専門に捜査、監視、検挙、そして必要とあらば殺害をも厭わない、秘密警察と呼ばれるものだ。
「どうにも、新聞記者どもに情報が流れるのが早すぎますね。意図的に市民の不安と怒りを煽っている。そう考えた方が無難ですね」
副官は先ほどまでの堅苦しい言葉遣いを止め、かつて地方の小さな憲兵事務所時代の時にかわされていたような口調になっていた。
「やはりそう思うか」
「実際に消火に参加した住民や火事場泥棒どもに地下が見つかってしまったようです。すぐに現地の憲兵隊が封鎖したようですが」
第一王子肝いりの星教徒の布教活動だったが、その裏で行われていた寄進の横領や、奴隷の売買と言った証拠が、穴だらけになった牧師たちの死体と共に見つかったのが始まりだ。融解した金貨や銀貨、そしてどれを閉じ込めておくための小部屋が発見されてから現地は大騒ぎになっていた。
すぐさま焼け落ちた教会には封鎖線が貼られ、南方軍の憲兵隊はこれ以上誰も立ち入れさせないように寝ずの番で歩哨を立たせなければならなくなった。そして消火活動に関わった者たちに緘口令を敷いたものの、人の口に戸を立てるにはいささか遅かった。
口伝いにいろいろと歪曲した情報が南府を駆け巡り、そして狙いすましたかのように、このセンセーショナルな記事が載った新聞があちこちで発行された。新聞の中には第一王子がこの件に関与していると言った新聞さえあったが、それだけは何とか発効前に抑えることが出来たのは僥倖だった。
星教徒教会は今市井に流れているのは悪質な嘘だと言う声明を出し、事態の鎮静化を図ろうとしたがそれを上回る速度で事態は進行する。それ情報は南府の外からもたらされた。南府からそう遠くない、小さな街にある星教徒の教会が襲われたと。
そこには、牧師の死体が宝飾品をいっぱいに詰められた箱と共に置かれていた。




