人類最後の三日間
人類最後の三日間。それはとても平和で愛に満ちていた――。
それは突然やって来た。いつもの日常。いつもの明日があると思っていた、そんな当たり前の生活の延長にある日常。当然来るであろう未来の待っている今。
某国の再処理工場が爆発事故を起こし、そこから放出された致死量の放射性物質が世界中に広がるまでの三日間。
人類は、その社会的関係性の中で背負わされていたすべての荷を下ろし、解放された。お金も地位も名誉も権力も肩書も学歴も経歴も立場も役職も階級も身分も、すべては意味を失い、その価値は消失した。そこにいるすべての人間は平等で、対等だった。みんな何者でもなく、そして、ただ死にゆく存在だった。
すべての争いごとも競争も格差も戦争も、すべてが意味を失い目的を失った。宗教も民族も国籍も出身地も肌の色も髪の色も瞳の色も、そんなことはすべてどうでもよくなった。
だから、よけいな色眼鏡と憎しみを捨てた人類は、自然とすべての人々と愛を共有し始めた。
すべての人の過去は消え、未来はない。だから、今があった。今という生があり、今という生きている輝きがあった。人々を縛り、圧迫していたすべての社会的共同幻想から人類は完全に解き放たれ、目を覚ました。怒り、憎しみ、嫉妬、妬み、復讐、欲望、そんなものはもはやどうでもよかった。そんなことは、なんの意味もない下らない些末なことだった。
残された時間、人々は歌い、踊り、焚火を囲み、語り合った。人々は腹の底から笑い、瞳の奥から輝き、胸いっぱいに喜び、心の底から人の幸せを望んだ。
もしこれが、人類の始まりで、そして、人類の本質であったなら、どれほどの幸福をその人類の多くの歴史の中で感じることができただろう。でも、それはそうではなく、そして、そうであったとしても、時はすでに遅かった。
限られた時間の終わり――
音もなく、姿も色もなく、感触も、臭いも味もなく、ただ、放射線測定器の警報音だけがけたたましく鳴り響いている。
透明で静かにゆっくりと、しかし、確実に放射能は忍び寄り、人類を侵している。測定器の警報音だけがそのことを知らせていた。
それも結局は無駄なこととして、次第に機械のスイッチは切られていった――。
体が内側から腐り、内臓の欠片が口から漏れ、ありとあらゆる穴から血とじゅくじゅくとした膿んだ体液が流れ出し、不気味な紫斑が体のあちこちを覆い、服がこすれるだけで皮がめくれ、歯が次々抜け落ち、まともに呼吸ができず、骨の髄から痛みが滲みだす耐えがたい苦痛の嵐。
そんな地獄のような苦しみの中で悶え苦しむことをまだ知らず、人類は愛と平和を享受した――その記憶――。
人類のこの最後の三日間が輝いていたこの事実は、この宇宙の歴史の中に永遠に記憶される。
それはこの宇宙でもっとも輝いた時間だった。それは悲しい輝きだった。でも、それは、やはり、それでも、圧倒的美しさで、永久の宇宙の中で光り輝いていた。
何十億という人類の屍が累々と大地を覆い、地球上のありとあらゆる生命の屍もそこに折り重なり大地と海を埋め尽くし、大きいものからミクロのものまで、ありとあらゆる生きとし生けるものがこの世界から滅び去り、そして、十万年、百万年、それよりも、もっともっと、途方もない時間が流れ――、人類が存在したという痕跡すらが跡形もなく消え去り、人間の作り出した物質が完全にミクロのレベルで完全に自然の物質へと帰って行ったその後に、でも、そこには太陽が大地を照らし、海は躍動し、大気は流れ、砂はキラキラと舞った。水面は輝き、雲はゆったりと流れ、大地は温かく、雨の後には、虹が煌めいた。夜には満天の星と輝く月。それに照らされる幻想的な自然の造形物たち。そして、広大な夜空に揺れる宇宙の光りを纏った光輝くオーロラ。
そこにはもう完全に人類の存在した痕跡は消えていた。そんな存在があったことすらが、消えていた。
しかし、その中にあってさえ、人類最後の三日間に確かにあったその、人類の経験した喜びと幸福の輝きは、宇宙の記憶として、宇宙の存在のそのあり方の構造として、永遠に輝き続けた――。