04.
「リリがミニT着るとヤバッ」
「こぉゆうのもいいわねぇ。また娼館にいくようになったら、ありだわぁ」
胸囲ゆえに布地が引き延ばされはちきれそうになっているTシャツをみて、アリサは驚愕する。自分も胸部は盛り上がっているが、布地の許容範囲だ。伸縮性の限界に挑むほどではない。
淫魔のリリは、アリサとお揃いの服を着ている。白いミニTシャツでと腰下めのショートジーンズであえてへそがみえるようにしているファッションを、彼女は気に入ったようだ。
「双子コーデはひとりじゃムリだもんね。リリがきてくれてよかったー」
「ふぅん、双子コーデってゆぅの? 餌によっては喜びそうで、アタシも知れて嬉しいわぁ」
髪型から靴までほぼ同じファッションになることを双子コーデというのだと、アリサから教わり、リリは興味深げだ。リリたち淫魔が人界へ偵察するときは、娼館に娼婦として紛れ込む。身元は問われず、食事のついでに情報も得られるため勝手がよいのだ。
ある日、アリサがひとりでオシャレするのはつまらないとぼやいたので、ルドヴィークがリリを呼んだのだ。以来、リリがときどき遊びにきては、二人でプチファッションショーをするようになった。
「ルド、どうどうっ?」
問われ、ルドヴィークはちらりとアリサたちの方を一瞥する。揃いのポニーテールで活気あるコーディネートだが、はしゃいでいるアリサの自身がより活気に溢れている。
「……いいんじゃないか」
気のない様子でそう返し、ルドヴィークは視線をはずした。薄い反応にアリサは剥れる。
「ルド、そればっかじゃん」
「褒めろと言ったのはお前だろう」
ルドヴィークには、アリサたちの服装に関心はない。ファッションショーをしても観客が彼と鳴き声しかあげられないスライムのラドだけなので、何かしらの反応を求められたのだ。無感想でいたら不満をいわれたので、彼は確認しては感想を返しているだけである。服装を変える意義は理解できないが、アリサ本人が楽しそうなのでいいのでは、という感想しか浮かばない。
「もー、テンション上がりきらないじゃん。このままスタジオとか行けたらなー」
元の世界ならお洒落しては、遊園地やカフェなどどこかしらにでかけることができた。しかし、魔界にきてからは、ルドヴィークの家周辺が彼女の行動範囲だ。家をでてすぐのところでピクニックしたり、カフェごっこができる程度である。それでも、アリサが乞えば陽射し避けのパラソル含めてテーブルや椅子一式を用意してたうえで、ルドヴィークが器用にカフェメニューを作ってくれはするのだが。
今回もビーチっぽいのがいいと要望され、寝そべることができる足の短い木製のロングチェア二人分と、間に近い高さの丸テーブルを設置してくれた。丸テーブルにはブルーハワイのような青いドリンクとフルーツの盛り合わせが載っている。くつろぐアリサたちから少し離れた場所で、ルドヴィークは瓜のような果物の表面を飾り彫りをしている。これはこれで楽しくはある。
移動距離が最低限なことに不満を零しつつも、ジュースを口にするとウマっと表情を輝かせるアリサ。そんな不満が長持ちしない彼女を、リリは不思議そうにみつめる。
リリからすれば、この状況が珍しい。人界の定期報告以外で召されること自体、これまでなかった。魔王宅は用があるときのみ来訪可能な場所だった。
「アリィはすごいわねぇ」
「どして??」
「魔王様から尽くされるなんてありえないのよぉ」
現在進行形でルドヴィークから施しを受けているアリサは首を傾げる。出会った当初から彼はこうだ。質問すれば答えるし、要望をいえば可能な範囲で叶えてくれる。アリサにとっての通常が、リリたち魔物からは異常らしい。
「魔王様の司る欲から考えるとねぇ」
「そいや、ルドって何タイプなの? てか、何タイプある感じ?」
魔族はかならず特定の欲を司り、その性質で存在が成立している。それはアリサもきいた。しかし、ルドヴィークの司る欲は判らない。
「見たままよぉ」
「お前の世界でいう七つの大罪が基本的な欲だな」
細分化すると派生するものもあるが、根幹となる欲は七種類だという。リリは見ての通りだというが、それが判断できないからアリサは訊いているのだ。そもそも、マンガやゲームで耳にした単語ではあるが、七大罪の詳細をアリサは知らない。
基礎知識がないことを彼女の表情から読み取り、ルドヴィークは嘆息ひとつ落とし、教える。
「傲慢・嫉妬・怠惰・強欲・憤怒・暴食・色欲の七つだ」
「えー、色欲なのは違うんでしょ。ルド怒りっぽくないし、どれー?」
宗教や思想により諸説あるが、アリサのいた世界で一般的な悪徳とされる欲である。それが魔界の魔物の根源と共通していた。だが、欲の種類をきいても結局該当する欲がアリサには特定できない。どれも当て嵌まらない気さえする。
お手上げ状態のアリサに、リリが助け舟をだす。
「ほらぁ、魔王様ってめんどくさがりでしょう?」
「……っえ、ナマケモノなヤツ!? ウソっ、あたしの方がナマケモノじゃん!!」
ルドヴィークが怠惰を司るときき、アリサは驚愕する。似合わない。毎日、三食おやつ付を提供してくれるマメさを考えると、とても怠けているようにみえない。彼は、家庭菜園の管理も小まめにしている。魔界にきてから勉強も労働もしていないアリサの方がよほど怠惰といえる。
「ほんとよぉ、魔王様が魔王になった理由も怠惰が原因だものぉ」
「そなの?」
「前の魔王は『傲慢』でな。奴の命令をきくのが面倒で倒した」
先代魔王は傲慢を司り、アリサのイメージする魔王そのものだったらしい。すべての魔物を支配下におき、人界へも侵略をおこなっていた。この世界の人類にとっては、勇者を求めるほどに脅威であっただろう。
ルドヴィークは干渉されない間は、先代魔王を放任していた。しかし、他の大罪の最たる魔物たちを配下にしただけでは飽き足らず、彼にまで人界侵略を手伝うよう要求してきたのだ。関心のないことを強要される煩わしさに、ルドヴィークは先代を倒し、空いた空席に埋まることとなったのだ。
「そんなめんどかったんだ」
「明確な配下をもたれないのも、命令するのが面倒だからよぉ」
怠惰の魔王ルドヴィークが就いた時点で、先代の築いた組織は自然解体となり、彼は自身に面倒をかけない限りは皆好きにするようにだけ命を下した。そのため、魔王の命を受けて人界へ侵略していた魔物は魔界からでなくなり、もともと人界に糧がある魔物だけが変わらずほどほどの被害を人界に及ぼすようになった。
リリたちのような淫魔は、歓楽街の環境が肌に合い、見世側も主力となる娼婦を雇用できるので利益面が大きく、多少の被害は気にされなかった。腹上死などはときどきあることなので、淫魔と疑われることもない。亡くなったのが金払いのよい客だったときに、少しばかり惜しまれる程度の些事だ。人界から冒険者の職がなくならないのも、子ドラゴンなどが腕試しに襲来したり、ゴブリンなどは魔物女性体より人間の雌の方が容易で襲ってくるので、討伐対象が途絶えるということはない。被害もあるが、魔物の素材は稀少価値の高いものもあり需要もある。そうして人界と共生に近い生態の魔物もいる。
魔王が指示しなくとも、ある程度の魔物被害はなくならないのだ。アリサのいた世界でも、どれだけ平和といわる国でも殺人や事故がなくならず警察機関が廃止とならないのと大した差はないのだろう。
「んー、よく分かんないけど、それってルドが魔王じゃなくてもいい感じ?」
彼の存在がなくとも世界が回るのであれば、無理に魔王という存在を作らなくていい気がする。命令しない魔王がいて千年以上経過している経緯から、アリサはそんな感想をもった。
「魔王は、役目でも職でもない。魔物でもっとも力の強い者を指す、単なる呼称だ」
「それにぃ、魔物たちがそう呼ばなくても、人間がそう呼ぶからまたそう呼んじゃうのよねぇ」
組織化していなくとも、魔物は最終的に力関係がものをいう。そのため、人間に己の絶対的存在を問われれば魔王をあげる。力関係で代わることもある存在なので、固有名で覚えるよりもずっと通りがよいのだ。
「あー、なる。ソーリとか天皇ヘーカみたいな感じなんだ」
確かに、アリサも自分の国のトップの名前をいちいち覚えていない。首相などは、着任している間は名字ぐらいは覚えるが、歴代の首相の名前をあげろといわれたらできない。天皇に至っては、むしろ名前で呼んではいけない空気を感じている。理由まで覚えていないが、誰も名前を呼ばないことからするとそういうことなのだろう。象徴として存在するとはどういうことか、アリサも肌で理解していた。
象徴として存在する天皇にいたっては、いることに意義があり、血族を絶やさないよう国に護られている。政教分離の原則により、天皇は政治に関与してはならないとされているため、アリサの認識のなかではそちらの位置づけの方がルドヴィークに近かった。ちなみにアリサ自身は、日本が政教分離となった歴史背景などを授業で教わりはしたが、覚えていない。
感覚で理解している彼女に、ルドヴィークはうろんげな眼差しを向ける。
「……まぁ、勝手に祀り上げられているようなものだな」
正しく理解しているか怪しかったが、あながち外れてもいないようだったので、ルドヴィークは彼女の解釈を肯定した。
「ふぅん、アイドル感ぱないね」
こんなにやる気のないアイドルがいてもよいのかとも思ったが、動物園のナマケモノやハシビロコウなどは動かずとも愛好されている。ルドヴィークも魔物であり人間ではないのだから、積極的に活動しなくとも問題ないのかもしれないと、アリサは思い直した。
またあらぬ方向で解釈されている気配を感じたが、ルドヴィークは言及を諦めた。彼女の浅い知識では直しようがない。不足の知識を教え補うのも面倒である。
ルドヴィークは手元に視線を戻し、最後のひと彫りをし、飾り切りを完成させた。完成したそれを黙って二人の間のテーブルに置く。
「わっ、フルーツカービングめちゃウマ!!」
球体の果物の皮の厚さを利用して、彫る深さで色合いを変え大輪の花が咲き乱れていた。まるで花束のようなそれに、アリサは感嘆の声をあげ、すかさずスマホを持ち上げさまざまな角度から撮影する。
通信機能を失ったスマホだが、写真は撮りたいというアリサの要望に応え、ルドヴィークは容量無制限かつ充電不要にした。彼の力の凄絶さをアリサがもっとも感じた瞬間だった。彼は、暴食の魔物が持つことの多い無限の胃袋の性質をスマホにもたせた。ルドヴィークには造作もないことだったため、これまでにない彼女のはしゃぎようが実に不可解であった。
そのため現在、アリサは気兼ねなく嬉々として撮影ができるのだ。
「本当によく撮るな」
アリサの撮影頻度に、ルドヴィークは呆れる。彼が食事を用意するごとに、美味しそうだと表情を輝かせて撮るのだ。毎日毎食、食前に撮って飽きないのだろうか。
「だって、めちゃキレーじゃん! 鬼ヤバっ。絶対いいねいっぱいつくのにー!!」
フォトSNSにあげれば大好評確定だ。しかし、みせる相手がいない。それが惜しい。共有してはしゃぐ相手が少ないのが、魔界にきてから感じる唯一の不便だ。
「リリ、マジヤバくない!?」
「ほんとねぇ、魔王様器用だわぁ」
「でしょでしょ!?」
リリがいるときは共感を求められるので、彼女がきてくれるようになってよかった。自分が褒められたかのように喜びに頬を染めるアリサに、リリは微笑み返す。
「おい、鏡を持っているか」
「ありますよぉ、身嗜みですから」
不意に声がかかり、リリは常備している手鏡をだしてみせた。すると、確認したルドヴィークはとん、と人差し指で鏡面をつく。ついた箇所から鏡面に魔法陣が浮かび、わずかに光を帯びたかと思ったら溶けるように陣は消えた。
リリが手鏡を覗き込むと、アリサのスマホのSNSにあげた写真や動画が映し出される。
「気が向いたら、いいねとらやをしてやれ」
「はぁい」
ルドヴィークは、どうでもいいように強制力のない命を与える。同様に、真摯に受け止めているか定かでない気の抜けた返事をリリは返す。
二人のやりとりの間に、アリサは手元のスマホと、彼女の手鏡に映るものを交互に見比べ、瞳を輝かせる。
「ヤッバ、これでいつでもシェアできんじゃん!」
リリが離れたところにいても、フォトSNS内のメディアに限定して共有できるようになり、アリサは喜ぶ。ルドヴィークの言からすると、好評価する機能も付与されているようだ。
実際に手鏡から好評価できるか試して、自身のスマホからハートがついたことにアリサは満面の笑みを浮かべた。リリ自身の手鏡からもそれが確認できるというのに、彼女にスマホの画面をみせる。
笑んでアリサに対応しながら、リリはルドヴィークを一瞥する。彼は笑みを刷いてはいなかったが、紅玉の瞳を和らげていた。やはりアリサに対して彼は甘いようだ。彼女はアリサに媚びていた方が得策だと判断した。
手鏡からこれまでアリサがもてなされた料理や菓子を眺め、リリは浮かんだ疑問を口にする。
「魔王様ぁ、いろいろ作られるの面倒じゃないんですか?」
アリサの要望の都度、さまざまな料理を作るのは、怠惰の魔王らしくない。そう感じての疑問だった。
彼女の厚遇しているのか、との確認に、ルドヴィークはふむと何が面倒か口にした。
「近頃、何を作るか考えるのも億劫でな。助かっている」
怠惰ゆえのことと回答されてしまった。彼には日々の献立を考えることの方が煩わしかった。リリがうがった厚遇ですらなく、手間を省いた結果とは意外である。
「なんか、なんでもいいってゆーと怒るお母さんみたい……」
アリサは食べたいものを申告する性質だが、彼女の父は妻の料理はすべてありがたく食べるため、すぐなんでもいいという。そのため、毎日の献立に悩むアリサの母からよく文句をいわれていた。
魔王の怠惰を庶民的な例えに置き換えるアリサに、リリはころころ笑う。素直すぎる感想が可笑しくて仕方がない。しかし、長年一人で食事を作っていたルドヴィークには作るより、決める方がおそろしく手間なのだ。料理は経験の分だけ慣れ、動作に染みつけば手間でなくなる。彼にはすでに料理は動作のひとつに過ぎない。
てっきり居候して迷惑しかかけていないと思っていた。多少は役立っていたようで、アリサはよしとする。
ワガママをいって役に立つとはなんとも妙な心地がするものだ。
堕落を止めない彼といると、いつか本当にダメになりそうな気がする。漠然とアリサは自身の未来を予見したが、それでも彼から離れる選択肢は浮かばないのだった。