03.
「ルドって、魔王ってマ?」
メープルシロップのかかったフレンチトーストのバニラアイス添え、という贅沢な朝食に舌鼓を打ちつつアリサは確認した。彼女に甘く幸せな朝食を提供したのは、もちろん魔王ルドヴィークだ。今は鍋で茶葉を煮て、ロイヤルミルクティーを淹れてくれている。
その光景がすでに魔王らしくない。椅子に深く座りながら、アリサは見慣れた光景に首を傾げる。
スライムのラドがバランスボールとして活躍するのは、昼食と夕食の際だ。朝はアリサの意識が覚醒しきっていないことが多いので、座ろうにも座れないのだ。
「最初に信じておいて、今さらなんだ」
火からあげる頃合いとなったので、ルドヴィークは鍋を持ち上げ、ミルクで煮立たせた茶葉を茶漉しを通してカップに注いでゆく。調理器具を浮遊させていくらか手間を省いているとはいえ、手慣れたものだ。
「やー、ヴィジュはそうなんだけど、全然魔王っぽいコトしないじゃん」
力の証明であれば、ルドヴィークはすでにしている。日常的にしている物の浮遊や食事時に動画配信代わりに魔界遠方の投影などは、膨大な魔力と魔術技能があってこそだ。そもそも、勇者の召喚先を変更するなどという荒業ができる力の持ち主など限られている。二人の出会いこそが彼が魔王の器である証明といえた。だが、それらの常識をアリサは何も知らず、彼以外の魔物にはスライムのラドにしか遭遇していないため、力量を理解するための比較対象が乏しいのだ。
アリサには、毎日美味しいゴハンを作ってくれる家庭菜園が趣味の男だ。容姿を除いた印象がなんともアットホームである。
彼女の感覚的な指摘に、ルドヴィークは嘆息する。
「では、どういうことをすれば魔王らしいと?」
「あのお城で偉そーに手下に命令するとか、今してないってゆー侵略とかのためにいっぱい作戦考えるとか、なんか悪そーな感じの」
「人界を脅かすにしても、城に常駐する必要はないだろう。城にまで侵攻されたときだけ、迎撃に向かえばいい。常に人界に感けていると思うな」
「そっかぁ、ルドめっちゃ長生きだもんね。勇者召喚するぐらいずっと狙われているって思うのは、ココの人間が自意識カジョーなのかも」
アリサには、面倒見のいい友人がいるのだが彼女が付き合う男性はことごとく重かった。常に自分を想っていてほしいと要求するタイプに好かれやすい友人だった。メッセージ履歴など相手の送信が過多で、しばらくするとこちらは二十四時間営業していないと友人がキレて破局する。好かれやすい分、恋人ができても長く続かないのが彼女の悩みだった。
この世界の人間の脅威だったとしても、彼にも日々の生活がある。その時間すべてを人界侵略に費やすなんてことはありえない。ルドヴィークの言い分は正当性のあるもので、アリサはしきりに頷いた。第一、召喚されたときにみた魔王城の内装は、明らかに生活するには向いていなかった。ずっといてられないというのにも共感できる。
ルドヴィークは彼女に共感され、一体どういう理解の仕方をされたのかと思った。きっとロクな例示ではないので、訊くのは控える。
ふと、アリサの耳にコンコンと何かを打つ音が届いた。
「んあ?」
ロイヤルミルクティーが合いすぎて最後の一切れとなったフレンチトーストを頬張ろうとしていたアリサは、その手を止め、玄関の方を見遣る。今の音は玄関のドアから届いたようだ。
ルドヴィークは、ドアまで向かうことなくただ一度指を弾いた。それだけでドアが開く。
「魔王様、おひさしぶりですぅ」
「もうそんな時期か」
「はい。もぅ相変わらずイイ男ぉ」
ドアが開いたことを入室許可ととり、来訪者が入ってきた。甘えたような喋り方をするその女性は、先だけ逆ハート型の細い尾を生やし、コウモリのような羽が背中から拡がっていた。そして、それらの生え際を避けるだけとは思えないほど、布面積が少ない。ボンテージなどにも似た格好は、夜の店に溶け込みそうだ。つまり、下着同然の服装の女性は朝からみるには、刺激が強すぎる。
「小悪魔コス?」
「やだぁ、人間? このコはどうされたのぉ」
「勝手にいる」
「イソーローってやつ」
ルドヴィーク以外が彼の家でくつろいでいることに、彼女は驚き。彼もアリサも端的に説明した。
魔王の彼が居座ることを許しているのを理解し、彼女はアリサが排除対象ではないと認識する。にこりとアリサに微笑みかけた。
「そぉなのぉ」
「あたし、アリサっての。アリィでもリサでも好きに呼んでー。おねーさんは?」
「アタシは、リリよぉ。じゃあ、アリィって呼ぼぉかしら」
アリサが名乗ると、リリも名を教えてくれた。友人によく呼ばれる愛称を採用され、アリサは喜ぶ。
「なんだー、ノリいい人もいるじゃん。ルドなんて、あだ名教えても全然呼ばないんだもん」
魔王である彼の名、しかも略称を口にする人間にリリはひそりと目を見開く。それも一瞬のことで、艶然とした笑みに戻る。自分含め魔物らは魔王たる魔力の強さに畏怖ないし敬愛を抱き、気安く彼の名を口にできない。瘴気の濃い地域かつ魔力圧のあるルドヴィークの傍らで平然としていることといい、特殊な人間のようだ。
「魔王様に名前を憶えられるだけでも、すごいことなのよぉ」
「そーなの? けど、そっか。ルドめんどくさがりだもんね」
リリが玄関先で立ったままなことに気付き、アリサは自身の隣の席に誘う。彼女が座るまでに、アリサは失念していたフレンチトーストの最後の一切れを食べきった。あとは食後のお茶を、彼女と楽しむ。
どうせ頼まれると察したのだろう。ルドヴィークは三人分のカフェオレを用意した。アリサが食後に飲みたいと要望していたものだ。ミルクティーも美味しいが、食後はコーヒーの方が消化によい気がする。
「で、人界はどうだ」
「そうだったわぁ。変わりありませんよぉ、相変わらず魔界から溢れた分の魔物をほどよく狩ってます。あ。でもぉ、アタシが戻るちょっと前に、勇者召喚に失敗したみたいで肩透かしを食らっていたみたい」
ルドヴィークが来訪目的を果たすよう促すと、リリは見聞したかぎりを報告する。リリが魔界に戻る前、召喚準備段階で触れ回っていたために勇者召喚に失敗し、民衆が湧くに湧けない状況で戸惑っていた。消化不良な状況をどう収めるか、召喚を担う国の国王も対応に悩んでいるようだ。
勇者のパーティ編成に向けて、各国の精鋭を招集もされていた。その実力者のなかから代理勇者を選出して体裁だけでも整えるか、騎士団や傭兵を集めて魔王討伐隊を編成するか。ただ、魔王討伐に注力しすぎると、国防が手薄になったり、他の魔物の脅威に対応する人員が減ってしまう。魔物に特効性のある勇者の存在があるからこそ、少数精鋭での討伐計画を決行できるのだ。
「そうか」
リリの報告に、ルドヴィークはただ頷くだけだ。まるで朝刊を一読して閉じるかのように。
「あたしがいないだけで、そんな大事になるもん??」
アリサの感想にこてり、とリリは小首を傾げる。
「アリィが勇者なのぉ? 魔王様、殺さなくていいんですぅ?」
甘ったるい口調だが、リリは頭の回転は速いようだ。状況を理解したうえで、駆除対象かどうか平然とルドヴィークに確認した。
「魔界にいる限り、覚醒しない。息ができるだけの人間だ」
「じゃあ、いいかしらぁ」
害がなければ駆除する必要もないというルドヴィークの判断に、リリは従った。瘴気の濃い地域で生存できる人間は特異だが、本当にそれだけの存在のようだ。脅威らしき気配を感じず、一見するだけで生物としての脆弱さが窺える。
二人の会話のなかでさりげなく命の危機が発生していたと、アリサは知る。けれど、見た目が人のようなだけで彼らが別の生物だと理解しているため、そう考えるのも当然に思えた。魔界側の事情をルドヴィークから聞いているため、自分の命が天秤にかけられても恐怖を覚えなかった。
「Gだと思ったらGじゃなかったみたいなカンジなの、なんかヤだなぁ」
魔族にとっての勇者という存在を理解しようとしたとき、一番理解できる具体例がそれだった。あれは遭遇すれば、駆除しなければと反射的に動くだろう。本当に駆除していい対象か一考してくれるだけ、リリは思慮深いといえよう。アリサであれば、正式名称すら口にするのを憚れる対象に遭遇したら、すぐさま殺虫剤を手にする。コオロギなどと見間違えていないか確認などしない。
「お前は、ゴキブリほど生命力も繁殖力もないだろう」
「もーっ、なんで言うのー!? Gってゆーのもヤなのにっ」
「アリィの世界にもいるのねぇ」
人界に滞在することのあるリリは知っている虫だ。蠅やミミズなど、他の虫は魔物化するが、あの虫だけは存在するだけで人間の脅威となるためか魔界には存在しない虫である。魔物の生命維持に必要なものが有機物と限らない点も影響しているのだろう。
サブイボを浮かせて全力で拒絶を示すアリサに、ルドヴィークの方が不思議がる。嫌ならば具体例にあげなければいいのに。他に的確なものが浮かばなかったというのもあるだろうが、アリサは思ったことをすぐ口にのせる傾向にある。失言に自身でダメージを受けるとは、裏がなさすぎるというか、後先考えないというか、なんとも残念な存在である。
「どちらかというとタヌキだな」
ふと、ルドヴィークはそんな危機管理能力の低い害獣を連想する。アリサの文化形態を読み取った限り、彼女の世界に生息するタヌキは位置づけとしては害獣になるが、野生動物にしては警戒心が低すぎて駆除対象の優先順位として低い。放っておいても死にそうで、むしろ絶滅していないことが不思議な動物だ。
アリサも行く場所がないからというだけで、初対面の男、しかも魔王の家に泊まる判断をするような保身意識の低さを呈している。勇者として覚醒してないアリサは自浄能力しかないため、駆除の優先順位としては低い。人界にいる女神の加護を受けた聖騎士などの方が、こちらへの害意がある分優先順位が高い。
「そっちのがカワイイからアリ!」
どちらにせよ矮小な存在だと断じたというのに、アリサはむしろ喜んだ。褒めたつもりも、喜ばせるつもりもなかったルドヴィークは内心首を傾げる。
そんなルドヴィークを他所に、アリサはスライムのラドにタヌキがどういう動物か教えていた。タヌキを教えられたラドは、自身の身体を変形させ形だけタヌキのぬいぐるみのような形態をとる。それをみて、合っているとアリサははしゃぎ、ラドの理解度の速さを褒めた。賢いとタヌキの頭部を模した箇所を撫でている。
「アリィに穢れてる感じはないですけどぉ、アタシいりますぅ?」
「当分いい」
「はぁい」
リリの確認に、ルドヴィークは断りを入れる。彼が何の断りを入れたのか、わからないアリサは帰ろうとするリリを引き留めた。
「いいって何が?」
「ご奉仕よぉ」
「ゴホーシー……」
他にないだろうと当然のように答えるリリに、アリサは言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
難しい表現だが、きき覚えもある気がする。タイトルこそ正確に覚えていないが、異世界転生やら召喚やらのアニメ作品はいくつかみたことがる。そのなかで耳にした。確か、男性向けハーレム作品で性奴隷の処遇をどうするかなどのくだりででてきた。
数秒後、ようやく意味を理解しアリサは瞠目する。
「リリは、手下ってゆーよりセフレなんだ!」
「体だけの関係って意味ならそうかしらぁ」
うひゃぁ、とアリサは自分の知らない世界に頬を熱くした。その頬の熱が治まるよう自然と手を当ててしまう。
「そういうのってホントにあるんだ」
人界の様子を報告する淫魔は何名かおり、人間に老けないことを疑われない程度に入れ代わり立ち代わりで偵察をしている。リリはその一名だ。十~二十年ほどの間隔で淫魔は報告し、その報酬を得る。淫魔にとっては極上の、魔王の魔力と精気である。人界に偵察にいっている間も人間から精気を得ているが、魔力の強い男から得る精気は寿命が延びるほどにいい。
魔王も性欲発散ができ、双方に利のある関係だ。
「また気が向かれたら、声かけてくださぁい」
「ああ」
リリはあっさりと去ってゆき、魔王の家にはドアとルドヴィークの間で視線を往復させるアリサが残される。タヌキの形状を模したスライムのラドも、彼女の動きに合わせて頭部を左右に動かしていた。
「……なんだ」
あまりにも視線が煩いものだからルドヴィークは訊いた。
「とっかえひっかえってヤツだ」
「相手には困っていないと言っただろう」
アリサが彼の家に居候しはじめたとき、恋人や伴侶の有無を確認された。その場合、独身男性の家に自分がいるのは相手に悪いから、と。特定の相手はいないが、性欲処理に困ってもいない旨を、そのときに彼は回答していた。
「ルドって悪い男?」
「魔物に善性などない。あるのは欲望だけだ」
前提が違うとルドヴィークは返す。そもそも魔王相手に訊くことではない。だというのに、アリサは首を傾げる。なぜ回答に納得しないのか。
「んじゃ、どして今断ったの??」
定期的に性欲処理が必要なのであれば、さきほどのリリの申し出を断る必要はなかった。しかし、アリサの目の前でルドヴィークはそれを断ったので、不思議でならないのだ。
「生殖で命を繋ぐ生物と魔物は違う。俺が司る欲は、淫魔とは別だ」
生物の三大欲求と魔物の欲による本能は異なる。リリのような淫魔は性欲を司り定期的に精気を摂らなければ存在の維持が難しいが、逆に食欲や睡眠欲など他の欲は必要ない。魔物は司る欲以外はあってもなくてもよいものだ。なので、ルドヴィークには性欲は処理するものではなく、暇つぶしの一環である。
リリは魔界に戻る前に充分な精気を人間から得ている。そのため、偵察の報酬の支払いも急ぐものではなかった。偵察する淫魔にとって、魔王からの精気供給は、ごちそうやデザートの位置づけだ。
「だーかーらー、なんで?」
アリサからすれば避妊のうえで性交渉するのとなんら変わりないことだ。人間だって本能としての衝動はあっても、性交渉なくとも生きれる。生殖の目的がなければ、コミュニケーションの手段のひとつでしかないのは魔物と大差ないのだ。ルドヴィークの答えは、アリサが訊きたいことからはぐらされていた。
追及され、ルドヴィークは仕方なさそうに嘆息をひとつ落とす。
「……お前が最初に確認したんだろう」
「あたし??」
恋人や伴侶の有無を確認したことを持ち出される。ルドヴィークにはリリたち淫魔は、アリサの価値観に当て嵌めるとセフレに該当するのだろう。恋人でも伴侶でもないが、アリサが相手に悪いと感じる範疇に含まれる可能性がある。自分と彼女の価値観には隔たりがあることは、これまでの生活でよく解っていた。
居候をすると申し出たのはアリサであり、ルドヴィークは勝手にしろと返しただけだ。それでも、意図的に追い出したいものでもない。彼女がこの家をでるときは、何か外にしたいことがみつかったときだろう。
アリサは一瞬呆ける。それは自分が嫌がるかもしれないから、ときこえる。
きっと長命の彼にとっては人間の半生など一瞬のことゆえの判断だろう。ただ、少なくともアリサが生きているうちはこの家に異性関係を持ち込まないという意図が伝わった。
「~~っっ!!」
むずむずとした心地がせり上がってきて、アリサはそれを我慢できず、スライムのラドに顔を押し付け声が洩れないように叫んだ。クッション代わりとなったラドは瞬きする疑似目があっても表情がないため心境は不明だが、抵抗していないところからすると嫌がってはいないのだろう。
アリサの奇行を、ルドヴィークは問うこともせず静観する。彼女を完全に理解することなどできないと、とうに諦めていた。
「残っているが、片付けるか?」
叫び終え、顔をあげたアリサに、カフェオレの飲み残しの処遇を訊く。リリ来訪の間に冷めてしまったことだろう。
「……飲むしっ」
頬を若干赤くしつつアリサはしかと主張した。
最後のひとくちは冷えきっていたが、それでも美味しかった。冷めても美味しいとか料理上手にもほどがある。
「ルド、ずるい!!」
その文句は、料理の腕に対するものかどうか定かでなかった。