01.
運命が変わったあの日を覚えているか、と問われれば、アリサはよく覚えている。
なにせ、とんでもなく眩しかったのだ。召喚陣が足元に現れたのだが、ちょうど携帯の通知を確認しようと立ち止まり、下をみた瞬間だったのだ。召喚陣の光が眼球に直撃した。
「てらまぶしくってさぁー、まじムスカった」
テーブルに頬をのせだらしない体勢で、女子高生だった紀邑アリサは当時の愚痴を零す。
「歩きスマホしないのは感心だが、それで座標固定されたんだろうな」
「好きだった配信者のコがさ、車運転中に配信しようとしてそのまま事故死ってまじエグかった……、だから、ないわーってなったの」
今思い出してもぞっとする、とアリサはぶるりと身震いした。移動中の携帯操作は道路交通法違反だとかよりも、ずっとアリサには効いた。海外の可愛い女の子だった。現地のファッションや食べ物を紹介してくれるから、好んでみていたのだ。その最後の生配信が惨たらしいもので、もう彼女の元気な姿をみることができなくなり、アリサは懲りた。
聞き役になってくれる相手は、彼女の行動改善ゆえに座標固定がしやすくなったのだろうと推察した。
「ショーカンのジャマしといて、その辺分かんないもんなの?」
「俺は、出口に干渉しただけだからな」
人類が数百年に一度する大がかりな召喚術に対して、さらりと介入した箇所を答える聞き役。本来なら召喚先を変更するだけでも至難の業なのだが、彼には不可能なことではない。
「魔王、雑くない?」
なにせ、身震いしたアリサのために温かい茶を用意してくれている男は、魔王なのだから。
「何度も人間がしているのを見ているからな。用意周到に準備しなくとも、なんとなく分かる」
「魔王、長生きだもんねー」
人間が数百年に一度する召喚ではあるが、魔王がその地位に就いてから千年以上が経過している。彼にとっては定期イベントのようなものなので、見慣れたものだ。アリサに介入の仕方が雑だといわれようと、それでどうにかなるのだから魔王は気にしない。人間相手に用意周到に対応するような手間を、彼は疎んだ。人界への干渉は最低限でいいのだ。
彼から経緯をきいているアリサは、淹れてもらったお茶でほっこりしながら、ゆるい相槌をうつ。寿命の長さが違いすぎて、彼女には共感しようもないのだ。
深い森の奥にある人が一~二人住めるか、という広さの一階建ての家。家のすぐそばには家庭菜園もある。立地は悪いものの生活感のあるこの家屋が、魔王の住居である。元いた世界に帰れないアリサは、魔王宅で世話になっていた。
「しかし……」
「あに?」
じっと紅い瞳からの視線を浴び、茶菓子を頬張っていたアリサはそのまま首を傾げた。魔王は、彼女の行儀悪さを指摘することなく、感想を述べる。
「いや、それも素質なのかと思ってな」
「何の??」
「動物虐待のようだからと種族争いに介入したがらなかったことといい、歩きスマホというのを自粛する理由といい、他者の痛みを自分のことのように感じる共感性は勇者の素養だろう」
アリサが召喚された理由は、彼女が勇者だからだ。召喚が成功していれば、人界の人類から魔王討伐を依頼されていた。だから、彼女の情け深さが、勇者として選定された理由ではないかと魔王は推察した。
「フツーだし」
「魔界では一般的ではない」
ニュースなどで悲惨な内容を見聞きすれば、少なからず心を痛めるのがアリサの世界での一般的感覚だ。恐らく、こちらの人界の人類も似通っていることだろう。だが、欲望に忠実な魔物が跋扈する魔界では、不特定多数への同情や憐れみなど存在しない。そういった言葉を吐くときは、大抵誰かを唆すときだ。
恐ろしく整った顔で平然と述べる様子は、人の形をしていても彼が人でないと再認識させた。
栗饅頭の最後の一口とともに、アリサはその事実をごくんと飲み下す。
「そんでも、あたしはココが居心地いいよ」
アリサが勇者として覚醒するには、女神の祝福を受け退魔の力を得る必要があるらしい。祝福を受けるための教会など魔界にあるはずもない。魔界にいる限り、それは叶わないことだ。つまり、生身の人間でしかないアリサは魔王に害がない。そして、アリサが寿命まで居候したとしても、魔王にはわずかな時間の出来事だ。
優しさで住まわせてくれているのではない。欲望のままに生きるのが常の魔界で、アリサが好きなところで暮らすのを止める者がいないだけだ。
それでもいいのだ。アリサにとっては、行く当てもなく歩いて深い森を抜ける労力を割くほど、魔王の家が嫌になることがない。
「だって、栗饅頭てらウマだったもん! まじ再現度ヤバ。また作ってー」
ハイテンションで喜ぶアリサに、魔王は紅玉の瞳を丸くする。彼女が食べたいといったので、この世界の食材で類似のものを作ったのは魔王だ。
「なんだ、タピオカとやらはもういいのか」
「アレ、カロリー激やばだから、この生活じゃデブるの……!」
餡子ならカロリーオフだと、アリサは主張する。
魔王は乞えば望む食事や菓子を作ってくれる器用さがある。そして、できる食べ物はどれも美味しいのだ。かといって、対価に労働などを強いることなくアリサを自由にさせるものだから、彼女は自堕落な生活を送ってしまっている。行儀悪さどころか、堕落しても魔王は止めやしないのだ。
「いっつもめちゃウマなのばっか作ってさー。やめられないとまらないじゃんっ、鬼級にアクマ!!」
「魔王だ。その強調の仕方だと、鬼か悪魔か分からんぞ」
彼女の文化形態を把握している魔王は、アリサがよく頭につける鬼が最上級を指すと知っている。
「あたしがデブってコロコロになったらどうすんの!?」
「そうなったら、浮かせて運んでやろう」
「くっ、至れり尽くせり!!」
彼女が太ったところで支障を感じない魔王の表情は変わらない。アリサとしてはずいぶんワガママ放題しているのだが、彼は表情を歪めもしない。止めてほしいところで止めてくれないので、アリサは自身で踏みとどまる。叱られないのもそれはそれで堪えるものだと、魔界にきて彼女は知った。
「ルドといるとダメになりそー」
「帰りたかったら帰してやるし、人界にも送ってやるぞ」
「ソレ、寿命使うじゃん。それに、ルドを殺そうとする人たちのトコにいくのもヤダ」
彼のおそろしく長い寿命の一部を消費すれば、アリサは元の世界に還れるらしい。しかし、誰かを犠牲にしてまでしたいことではない。また、先に知り合った魔王ルドヴィークと親しさを覚える程度の関係である以上、この世界の人類とは価値観が相容れることはないだろう。
ルドヴィークは、ふっと微笑を零す。
「そんなことが嫌、か」
魔王となってからは、同族から崇められ呼ばれることもなくなり忘れかけていた自身の名前。それを彼女は呼ぶ。名前を問われたのは一体いつぶりのことだろうか。
帰還することも、同族のもとへいくことも、どちらも自分基準で断ってくる少女が、ルドヴィークには可笑しかった。
幼子のように頬を膨らませるアリサは、笑われて不服そうだ。
「悪い!?」
「いや」
好きにするといい、とルドヴィークは紅玉の瞳を細めた。
魔界は欲望のままに生きるものが蔓延る世界。少女一人のワガママなど、容易にまかり通るのだ。