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第二十四話 森で会った時のこと、覚えてるかい

 村外れの森を抜けた先にある丘は、何人も立ち寄らず、見晴らしも良く、読書に最適な環境を提供してくれるお気に入りの場所だ。ママは「獣が出るから危ないわよ」と注意するけど、人が動物に襲われるような事件はずっと起きていない。

 何より、つまらない人間関係のあれこれを目にするより、獣に遭遇するほうがよほどマシってもんだ。集団に属している自分にちっぽけな矜持を持ってやることがよそ者をいじめなんて、馬鹿丸出しじゃないか。

 よそ者もよそ者で、やられっぱなしでいるのが信じられない。子供の喧嘩に遠慮する必要があるのかと問うた時、彼は両親の迷惑になると答えた。自分の感情を、誇りを、他者に仮託するなんてますますありえないだろうに。


「…………はー、やめだ。集中できない」


 文字で彩られる冒険譚は、頁の隙間に挟まれて消えた。何度も読み返している物語だ。わざわざ本を開かずとも記憶している。頭の中に蔓延る雑事をかき消すために、はるか高みを見上げて真っ青な場所に空想の情景を思い描いた。

 主人公は貴族の家に生まれた冒険家だ。時に雪山を、時に海を旅し、様々な人と出会いや別れを重ねていく。偏見や憶測で物事を語らず、自らの眼差しで見たものだけを信じる公明正大な人物で、行く先々で問題に巻き込まれるも、相棒と共に颯爽と解決していく。この世界に思いを馳せていると、まるで彼らと一緒に冒険しているような気分になる。モルゲンブルグ地方のブロッケン山脈も、カッセルハイム地方のベルリッツ鉱山も、彼らと共に踏破済みだった。

 しかし、青空に浮かぶ空想は物音と共に消失した。誰かが足元に落ちていた小枝を踏み折ったのだ。背後を振り向くと、そこには少年が一人、不安げな様子で立ち竦んでいた。


「驚いたな。ここは父と母しか知らないはずだけど──」


 本を胸に抱え、腰かけていた小岩を離れる。楽しみを邪魔された腹いせに、出来るだけ冷たく聞こえるような声色を出した。


「──何の用かな、よそ者」


 名前を憶えていないわけではない。父母の名はハンスとゲルダ。私の父、つまり村長の知己で最近村に引っ越して来た夫婦の一人息子だ。なんでも同い年らしく、仲良くしてやれなどと言いつけられていたが、あまりにも馬鹿馬鹿しくて関わりを持っていなかった。

 だって友達って、そういうんじゃないだろう。


「き、君が森に入っていくのが見えたから、その……」


「女性を尾行するのが趣味とは恐れ入った」


 対等であってこその友だ。

 まず前提として同年代の奴は子供っぽくて付き合っていられない。ヨハンなど、私が本を読んでいると格好つけているなんて宣う始末だ。どれだけ知識を語っても聞く素振りすら見せない。最初は腹立たしかったけれど、彼らにお似合いの表現を発見してからは、受け流せるようになった。

 所詮、ヨハンたちはチセツなのだ。

 言葉は便利だ。あらゆる事象に形を与えてくれる。国王という肩書が人に権威を付与するように、チセツという在り方が人を矮小な存在に貶めてしまう。目の前に現れた少年は、よそ者という立場を与えられたせいで、他者から疎外されるのだ。


「変なことはしないよ。あの日のお礼を言いたかったんだ」


 いやにかしこまって、よそ者は「ありがとう」と言った。

 心当たりが無いわけじゃない。あまりに見苦しくて彼をいじめていた少年たちを注意した。それは彼が可愛そうだったからでなく、ヨハンたちが気に食わなかっただけだ。勘違いするなと少年にも釘を刺したはずだが。


「お礼とは善意に対する報酬だ。私の動機が善意でなかった以上、貰えないよ」


 社会とは無数の人々の生活で成立している。人は、生きているだけで大なり小なり他者に影響を与え合っており全てに反応していたらきりがない。ことお礼は日々の営みとは切り離された行為、善性によって成された行いを称えるためにあるべきだ。

 なにより、大っぴらでなくなっただけでヨハンたちのいじめは続いている。あの日の行動は意味の無い茶番に終わった。ユーリエという少女は、賞賛にふさわしい人物ではない。


「人に助けてもらったらありがとうと言いなさいって、父さんはいつも言ってる」


「父君の教えは立派だけど、あれは助けたうちに入らないと説明しただろう。同じことを言わせるなんて頭が悪いのか、君は」


「悪っ……!?」


 明け透けな物言いに、少年はたじろいだ。

 冒険家ならば、お礼を受け取るのに何の抵抗もないだろう。弱きを助け悪しきを挫く生粋の英雄なのだから。村の大人たちが抱くような悩みもあっと言う間に解決してしまうし、喧嘩する両親の仲裁も難なくこなせる。

 けれど私は本の主人公じゃない。悪を糾す力など持ってないし道理を敷く根気もない。空想の中で冒険家や相棒と肩を並べたとしても、彼らのような力を得られるわけじゃない。

 気を悪くしたらしく少年は黙り込んでしまった。いい頃合いだろうと思い、再び小岩に座る。きっと、このまま彼は来た道を引き返し村に戻るだろう。両親に私との会話を報告するかもしれない。やがて私の両親に伝わり「またか」と説教を食らうのだ。それでいい。仲良しごっこをやるくらいなら怒られる方がましだった。

 悪し様に言うのは追い払うためだ。みんなこれで退散していく。うるさいとか、馬鹿とか、取るに足らない罵倒を置き土産にして。結局のところ、大人も子供も真面目に向き合うつもりはないのだから、話すだけ無駄だ。

 靴音が聞こえる。遠ざかるはずの音は、ゆっくりと近づいてきた。


「やっぱりおかしいよ。僕が嬉しかったんだから、お礼だって何回でも言っていいはずだ」


「まるで押し売りじゃないか」


「タダで売るんだから貰ってよ」


 彼はまだ同じ場所にいた。一歩も動かずに、こちらを見ていた。ヨハンたちの前では我慢するだけのくせに、意味不明な理屈で反駁してくるなんて生意気だ。


「口答えする勇気があるなんてね。私が淑女だから大丈夫だとでも思ったのかな? 人を侮るのもタイガイにしてほしい」


「悪口で話を逸らすのも、人を侮ってるからじゃないの?」


「なっ……それは、えーと、事実を指摘したまでだよ」


「全然、事実じゃないけど……」


 よそ者め、気に食わない奴だ。

 少年との口喧嘩は終わりがなかった。さっさと打ち切って本の世界に戻りたいと思っていたのに、私たちは喉が枯れるまでくだらない水掛け論を浴びせ合った。こんなので大切な読書時間が浪費されるなんて、腹立たしい限りである。

 飛び交う言葉を、少年は「僕は君を下に見てるわけじゃない」と制した。まだ声変わりをしていない、高い音だった。


「話を聞いてくれたのは同い年で君だけだった。僕が遠慮する理由を聞いてくれたのも、父さんを立派だと言ってくれたのも君だけ。だから、絶対にお礼を受け取ってほしい」


 私は、言葉を失った。

 地べたに座り込む少年の瞳から、脳みそを射抜かんばかりの勢いで視線が送られている。標的はもちろん私だ。空が赤らみ、うっすらと光が失せていく中で、彼の目だけが強い輝きを放っていた。炎に誘われる虫みたいに吸い込まれそうになったけど、少年はすぐに顔を背けてしまった。まるで最初から存在していなかったみたいに、屁理屈の応酬はぴたりと止んだ。

 長く続いた喧嘩は終わりを告げた。勝利条件の存在しない不毛な戦いは、ついに打破された。いや、結果など、実は最初から決まっていたのかもしれない。

 だって、だって、仕方がないだろう。『話を聞いてくれたから』なんて動機なら認めざるを得ないじゃないか。善意がどうとか、意味がどうとか関係ない。嬉しいから礼を言うとはそういうことだ。

 実際、彼に脳みそを射抜かれたのかもしれなかった。本を読んで蓄えていた皮肉も嫌味も外にぶちまけて、空いてしまった穴から、膿のように怒りが漏れ出ていくように感じた。私は零れ落ちた中身を拾うのも忘れて、呆然としたまま少年を見つめていた。


「ありがとう、ユーリエ」


 同年代の子とこんなに喧嘩したのも、家族以外で真正面からありがとうを貰うのも、久しぶりだった。何かやろうとすると、いつもみんな嫌がる。追い払われる。どうせうまくいかない。役に立ちたいだけなのに、仲良くしたいだけなのに、どうしてか最後は失敗に終わる。だからもういいやって、何かあっても、こっちから拒絶してやるって、そう思っていたのに。

 またしても射抜かれた穴から溢れ出していく。どくどくと、生暖かいものがとめどなく。怖くなって、平静も忘れて、溢れたものを拭った。


「えぇっ! な、泣くほど嫌だった……!?」


「うるさい……近寄るな、ちょっと静かにしてくれ……」


 けれど、不思議と射抜かれた痛みは無かった。

 私が落ち着くまで、本当に少年は静かにしてくれた。擦り過ぎて目じりが痛む。涙のせいで本が汚れてないか心配したが、買ってもらったままの綺麗な状態だった。なんとなく、ここに残る気分になれなくて、彼と村に戻ることになった。いつも一人で歩く道なのに、他の誰かといるなんて奇妙だ。

 泣かせてしまった罪悪感だろうか、そわそわした態度の少年に「気にしないでくれ、衝動だから」と伝えると首をかしげていた。


「……助言をしよう、フランツ。両親に迷惑をかけたくない、安心させたいと思うなら、忍耐だけでは足りないよ」


「我慢してるだけじゃ駄目なの?」


「力と知恵が揃ってこそ人は強くなれる。誰かに救われるのを待ってはいけないんだ」


 フランツが「なるほど」と首肯する。

 雑木林をかき分けると、見慣れた村が姿を現した。ろうそくの火が点々と見える。風に乗せられて、夕食の準備をする香りがやってきた。


「父さんみたいに狩りをして、君みたいに本を読めば強くなるってことだね」


「その通り、私のように賢くなりたまえ」


 パパとママに、今日の出来事をどう話そうか。娘が泣き腫らしながら寝床についたら、いらぬ憶測を生みかねない。かといって経緯を子細に説明したら、私の態度が咎められるのは必至だ。適当な言い訳を考えなければならない。


「……じゃあさ、ユーリエも手伝ってよ。僕は文字の読み方わかんないから」


 言い訳。

 言い訳は、それじゃあ、友達が出来たのが嬉しくて泣いてしまった、でいいだろう。きっと二人と、ついでに王都の兄も喜んでくれる。

 我ながら完璧な言い訳だと思っていたのに、親からは速攻で怪しいと看破され、口止めをしなかったせいで後日フランツ経由でやり取りが発覚したのだから、どうにも間抜けな結末となった。



────



 砦の象徴である高塔の二階は、最高責任者の執務室になっている。慣例として責任者本人か執務官のみが入室を許されており、平民は見上げる以外に何もできない。部屋を出て階段を降りると、階下では守衛が立っている。


「ごめんなさーい。侯爵様に報告があるの」


 ホルンが愛嬌のある仕草でおねだりするまでもなく、守衛は道を開ける。さりげなく後ろに続こうとしたが引き止められてしまった。


「手間がかかるから助手を連れていきたいのだけど、いけなかったかしらー?」


 砦での仕事はこちらが長いのだが、立場は正規の事務官である彼女が上だ。二階の部屋は、ホルンに頼まなければ入れない。守衛は怪訝そうに私を一瞥したが、特段の追及はしなかった。木造の階段に足を置くと、小さく軋んだ。

 ハイムガルト砦の内装は最高責任者の意向で質素になっている。最低限の防寒措置が取られているのみで、節約のために設置されている燭台も少なく、廊下は薄暗い。

 一つだけある扉を開けると、中は広めの個室になっていて、奥で責任者が仕事をしている。ホルンがうやうやしく頭を下げると、高年の男が顔を上げた。


「ジギスムント閣下、お忙しいところ申し訳ありません。報告させていただきたい旨があって参上いたしました」


 事務官に合わせてお辞儀すると「面を上げなさい」と声を掛けられる。


「話があるのは君ではなく助手だろう。手短に済ませてくれ」


 ホルンに促され、一歩前に出る。遠巻きに眺める機会は幾度もあったが、最後に直接会話したのは一年以上も前だった。

 モルゲンブルグ候ジギスムントは砦の最高責任者だ。現場主義で領都に居残るのを良しとせず、自ら指揮するため前線に出向いている。古くより続く家柄は王家からの信頼も厚く、長きに渡り魔王軍との戦いに身を投じている生粋の武人であり、威容と名声は遠く離れた都市まで伝えられている。

 一方で、彼は他の保守的な軍事貴族と違って、臣下の言葉に耳を傾けるだけの良識があると言われている。着任して一年足らずのホルンは業務改善と称して数々の慣例に手を加えたが、その多くが侯爵の了承を得ているのが良い例だ。


「事務官助手のユーリエです。僭越ながら勇者フランツの現状をお伝えしたく参りました」


 ジギスムントは仏頂面を保ったまま、視線を手元の書類に移した。


「全身の打撲と裂傷に加え、疲労による免疫力低下で疾病の症状が確認できます。劣悪な環境に放り込めば合併症の可能性だってあるでしょう。出動させ続ければ、死は免れません」


 二週間後、王国軍は最後の将軍であるフォティアの拠点に攻め入る計画だった。成功すれば魔王が居を構える城まであと少しである。十五年以上続いた戦争に、終わりが見えてきていた。

 しかし、フランツの容態は別問題だ。修道士は英雄の容態について明言を避けたがっていたものの、聞いてみればこの通り、治癒魔術を以てしても完治は間に合わない。動けるくらいにはなるだろうけど、魔人と戦闘するなんて不可能だというのが礼拝堂の主の見解だった。


「彼が王国軍の要であることは重々承知しております。どうか、決行日延期か作戦不参加をご検討ください」


「報告……いや、進言は以上かね」


 平坦な声色からは感情が読み取れない。逸る気持ちを抑えて、私は「はい」と言って一歩後ろに下がった。感情任せに動いても状況は好転しない。相手は大貴族であるからして、下手な態度を取れば首を刎ねられておしまいだ。モルゲンブルグの領主は顎に拳を当て、小さく息を吐いた。書類を机に置き、席を立つと、彼は執務室の窓から外を見下ろした。その瞳には何が映っているのだろうか。


「まず決行日の延期だが、これは不可能だ」


 そもそも、モルゲンブルグにおいて王国軍が快進撃を続けていられるのは諸領から送られた莫大な支援のおかげだと男は述べた。領都襲撃を契機に、戦争の長期化で貴族間に蔓延していた厭戦的空気が吹き飛び、王家を筆頭として積極的に物資を投じ始めたのだという。新しい英雄(フランツ)を広く喧伝することで戦に意欲を示す若者も急増し、軍の人材は近年稀にみる豊富さである。貴族の中には、今まで飼い殺しにしていた勇者を王国軍に差し出そうとする者まで現れた。

 圧倒的な物量は緻密な計略に勝る。停滞していた前線が活気を取り戻したと、ジギスムントは語った。


「資源は有限である。山の湧き水とは訳が違う。後方でふんぞり返る考え無し共の倉庫が空になった時、モルゲンブルグは捨てられる。そうすればあっと言う間に、停滞期へと逆戻りだ。消耗しながら勝ちも負けもない、境界線上で生き延びる日々が続く」


 我々は勝利しなければならないと侯爵は断言する。

 領主の力は、つまるところ民草の信任によって成り立っている。信に報いるためにも、必ずや魔王軍を打ち倒さねばならんというのが、彼の考えらしかった。

 王国の優勢には時間制限がある。そしてネローの襲撃から、三年が経とうとしていた。いつ支援が打ち切られてもおかしくない現状に危機感を覚えるのも無理はない。


「王国軍は先日の作戦で、敵の大部隊を撃破した。フォティアが立て直しを図る前に拠点を叩く」


「では作戦の不参加を……」


「ならん。きっかけは領都の襲撃だが今日(こんにち)まで人々の感心を戦争に引き留められたのはフランツがいたからだ。彼に王家の旗を持たせ、先陣を切るだけで兵士たちは勇猛と忠義の何たるかを思い出す」


「お言葉ですが、死んでしまえば元も子もありません」


 侯爵がこちらに向き直る。

 隣で気配を殺していたホルンが、諫めるように私の名前を小声で呼んだ。

 先陣を切るにあたって、早期に離脱するとか、身代わりにやらせるとか、方法は幾らでもあるはずだ。フランツで世論を扇動したとしても、役割の全てを背負う必要はない。平然としているけれど、それは彼が我慢強いだけで、限界が来ているのは火を見るよりも明らかだ。

 素人(わたし)が思いつく事柄など、侯爵であればとっくに考え付いているだろう。実行に移せない事情があるのかもしれないが、もう一度だけ検討してほしかった。

 ジギスムントは近くの棚にあった箱を取ると、中から紙の束を出して一つ一つ検めた。封の痕があるそれは、誰かからの書簡である。


「ヴィルヘルムは時折、頼んでもいないのに他人の武勇伝をしたためて送りつけてくる。多くが名もなき戦士達の物語だ。竹馬の友が権力者特有の傲慢に陥らぬようにと戒めているつもりらしい」


 彼は一通の手紙を差し出して「国の土台は彼らである、とな」と肩をすくめた。

 侯爵と劇作家が文通をしていたとは知らなかった。中身を読むと、そこにはブロッケン山脈で活躍する若き勇者の姿が描かれていた。近況を綴るというよりは、まるで冒険小説のような文体である。最後は『混沌の時代にあって、斯様な若者こそ王国の希望である』と締めくくられていた。


「都市が瓦礫の山となったあの日、灰燼の中を赴きながら、都市を救ったのは誰かと民に聞いて回った。遅れてきた愚かな領主の責務としてな。彼らは最初ぼんやり考えておったが、ある名前を口にしたら間違いないとはっきり同意した」


 ギルドが機能不全に陥った中で、勇者たちを率いて攻勢に乗り出したのは私の幼馴染だ。本人はゲヴァルトが勇者たちを叱咤してくれたおかげだと謙遜していたが、事実として都市の民は全滅を免れた。柄でもないだろうに、どうしてそんなことをしたのか尋ねると、大切な人たちを守りたい一心だった、という答えが返ってきた。


「フランツは英雄だ。少なくとも、モルゲンブルグにとってな」


「……なおさら、死なせるには惜しいと思われます」


 手紙や数年前の出来事を持ち出したジギスムントの意図が読めない。地元の英雄と称えるくせに、死にかけの状況を容認する理由もだ。

 ヴィルヘルムの便りは侯爵の手元に戻り、木箱にしまわれた。武骨な大貴族は外見にそぐわない丁寧な仕草で箱を元の位置に戻した。

 少しだけ、目の前にいる人物がただの老人に見えた。深く刻まれた皺も、短く切り揃えられた白髪も、歳月を感じさせるばかりだった。


「我々は彼を尊重するだけだ。勇者フランツの作戦不参加は認められない」


 次の瞬間、老人の目付きは軍人のそれになっていた。彼は有無を言わせぬ態度で私の提案をきっぱりと否定し、自らの仕事机に戻った。


「どうかもう一度だけご再考ください……」


「君はどんな立場でここに来た。事務官の助手か、フランツの代理人か、あるいは昔からの友人か」


「私、ですか?」


 予想外の質問にたじろぐ。勇者、共に戦う傭兵、支援全般をこなす魔術師。仲間たちにはそれぞれ役割があって、彼らは十全にこなしている。では私は、どうしてここにいるのだろう。

 初めは勇者(フランツ)を支えるのが役割で、居場所だった。王都でも、領都でも、やるべき仕事は変化しても本質は同じままだった。支えている手応えがあったからこそ、私は(ユーリエ)でいられた。砦に来てからは事務官の手伝いばかりで、三人と交流すらろくに持てていない。傷だらけの姿を看過し続けてきたくせに、どうして今さら行動したのだろうか。


「君がここにいるのを、彼は知っているのかね。」


「……いいえ。ですが、彼は他者のために命を捨てられる人間です。誰かが止めないといけません」


 ジギスムントは首を横に振った。


「まずは勇者フランツの同意を得なさい。そうすれば考えてやらんでもない」


 それ以上、侯爵は交渉に応じることは無かった。私とホルンは、部屋を追い出され、消沈のまま事務室に戻った。

 容態が悪化したせいで、フランツとは一度も面会できなかった。じっとしていられなかった私は仕事の片手間に彼が参加した作戦記録を読み漁った。無機質な文字の羅列は、淡々と人間が何度も壊れる様を描き続けていた。時間はあっという間に過ぎて、作戦の前日になってしまった。

 面会許可の連絡を受けたのは、日も落ちた頃である。

 気の立っている騎士たちから時折罵倒を浴びせられるも意に介さず進み続ける。各地からやってきた実力者がそこかしこで酒盛りをしていて、砦の中は酒精の臭いが充満していた。拠点制圧作戦前日の晩餐に彼らは夢中だった。中には王都よりも遠い土地から武勇のためにわざわざやってきた者もいると聞く。敵将アエールと激突した時でさえ、ここまでの頭数はいなかった。

 礼拝堂の正面玄関は人の出入りが激しく、裏口から訪問するしかなかった。薄い壁越しに修道士の祈祷が聞こえる。信心深い者たちが、古の勇者の加護を期待して、出兵前に祈りを捧げているのだ。視界の端で、地面に膝をついている騎士が見えた。彼らは手を合わせて、静かに荒野の向こう側へ心を捧げていた。

 廊下に見知った二人がいる。傭兵と魔術師は私を待っていたみたいだった。


「ユーリエ、ちょっと待って」


 部屋に入ろうとして、キュナスに二の腕を掴まれる。振りほどこうとしたけれど、彼女は指を弛めなかった。


「……専門家の見地から教えてほしい。誘爆魔術を全身に浴びた人間が二週間で戦場に復帰するのは可能かな」


「貴女、報告書を読んだのね。やめておけって言ったのに」


 誘爆魔術。原理も作用も知らないが、記録では都市区画を焦土に変えるほどの爆発が起きたとされている。直前に展開された結界で火傷は軽微だったが、まき散らされた砂利や岩の破片、爆風による打ち身が身体にいくつもの損害を与えた。

 とんがり帽子の魔術師は逡巡する素振りをみせてから、きっぱりと「不可能ではないわ」と答えた。


「ありがとう。それじゃあ通してくれないか。フランツに用事がある」


「何度も話し合ったでしょう。彼は了承しないわ」


「絶対に説得する。見殺しにはできない」


 キュナスが反論しようと口を開くも、横からゲヴァルトが遮る。


「会わせてやれ。どうせ出発は明日なんだから」


 扉を開けると、月明かりに照らされた若き勇者が背中を向けて寝台に腰かけている。湿気のせいで部屋は黴臭く、暖房が効いていないせいで肌寒かった。とっくに室内の整理は終わっていて、後は鎧を着込むだけ。やはり彼が戦場へ赴きたがっているのは嘘偽りない事実のようだ。

 怒り(こうかい)があった。

 恐れ(こうかい)があった。

 嘆き(こうかい)があった。

 決して取り戻せない。けれど打ち勝つことは出来る。

 王都を発つ前に投げかけた覚悟が出来ているかという問いかけ。死が怖くないのかなどという疑問。幼馴染の性分を知っていたのに、内なる恐怖に屈した私は縋ってしまった。我慢強い彼の『諦めない』に甘えて、他のあらゆる事柄に蓋をして、無責任に戦場へ送り出した。

 今度こそ、自分の過ちと向き合う時が来たのだ。


「フランツ、まだ傷は癒えてないだろう。ここで休んでいるべきだ」


「完治するまで君が看病してくれるなら考えなくもないけど」


 頭に巻かれた包帯はまだ綺麗だった。朝方に修道士から新しい布に交換してもらったのだろう。彼は誘爆魔術で吹き飛ばされて、頭部を強く打ち付た。砦に戻るまで意識を取り戻さなかったと聞いているから傷も相当だったろう。

 私の発言を冗談だと思っているのだろう。ぴかぴかに磨かれた板金鎧に、戦とは不釣り合いである穏やかな表情が写っていた。


「いいよ。ホルンには迷惑をかけるけど、終わったら倍以上働くさ」


 鎧を拭く手が止まる。王都で購入してからずっと手入れしている防具を暫し眺めて、彼はそれを傍に置いた。僻地では荷物にしかならないだろうに、なぜだか使い続けている代物だ。何故だか、棚に箱を戻す侯爵の姿と一連の動作が重なってみえた。

 フランツが呻きながら身体をこちら側に移す。寝たきりだったせいで、髪はぼさぼさなうえに無精髭が生えていた。辛うじて身に着けている衣類だけが清潔さを保っている。こんな格好の幼馴染はずっと見ていなかったから、無意識に息をのんだ。

 静かだった。大勢の騎士も、信徒の祈りも、廊下で待っている二人も消えて、誰もいない世界に迷い込んでしまったみたいだ。ゆっくり近づいてみると、よく見慣れた青色の瞳が前髪の隙間から覗いているとわかった。歳を重ねても、立場が違っても、そこには幼き日に邂逅した少年の面影があった。やっぱり、フランツはフランツだ。大人びたような気がしたのは、焚火が見せた一夜の幻だったに違いない。

 青空に物語を描くように過去の出来事を思い出す。本の内容を諳んじるように記憶を引用する。だって、これが私の原点なのだ。


「最初に森で会った時のこと、覚えてるかい」

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